28話目 不完全だから——
家に戻り、村長が静かに本を読んでいる間も、
“私”はラザルさんのことが気になって、窓から彼の家を眺め続けていた。
「そんなに気になるなら、行ってみたらどうですか?」
「でも、行ったところで……
どうしたらいいか分かりませんし」
俯く“私”に、村長さんは本から視線を外さず、
「貴女には分かるはず。なんでしょ?」と雑貨屋の店主さんみたいな事を言った。
「あのおばさんも同じこと言ってましたけど、私なんかに何が分かるんですか」
彼女は本を閉じ、椅子から立ち上がるなり“私”の前にきた。
人形のような魂を感じない無機質な表情だ。
「どうしましたか?」
「私は花が好き。いや、羨ましいんです。
言葉を話さなくても、人の心を動かすことができるから」
昨日、ゴーストさんに話した言葉と一語一句同じ台詞。
なぜ彼女が?そう驚きを隠しきれない“私”の顔を見て、
村長さんは、「ノヴァラは、魔法で花を咲かせるのが得意だった。けれど、言葉を咲かせるのは苦手だった。私もね。けれど、貴女は違うでしょ?」そう言い残して家を出て行ってしまった。
「私もノヴァラと同じ……って言いたいのかな」
「貴女は違うでしょ」という言葉よりも、ノヴァラと並べられたことばかりが胸に残った。
手首に着けている深い青色のブレスレットを握る。
スピちゃんに助けを求めるように。
陽が傾き、徐々に部屋が暗くなっていく。
暗くなっていくたびに、大きくなっていく。
不安と恐怖の声。
「私は違う」
《いいや、貴女は同じ、不安も恐怖も、血で塗りつぶしちゃいなさいよ》
ノヴァラに似た声が、“私”を誘惑してくる。
あの笑い声が、理性を狂わせる。
胸の奥で、あの戦いの後から、
消えずに育っていった——怪物みたいな、名の無い何か。
「私は言うべき台詞を分かってるんです。ノヴァラとは違う」
《でも、怖い。人は平気であなたを裏切る。
もう言葉なんて捨てちゃいなよ。力は裏切らないわ》
「それじゃあ化け物と一緒」
《でも殺すのは好きなのでしょ?誰でも心の何処かに化け物を飼っているものよ》
「怖い、でも。逃げたら成長できない」
《力を選ぶのも、また成長よ》
“私”は深呼吸をして、震える手でリコに選んでもらった、お揃いのナイフを握った。
(私は私だ)
「大丈夫、今度も、いつもみたいに結果的に上手くいくさ。
ティアなら上手くいく――上手くいく」
胃から這い上がる物をグッと堪えて、何も持たずに外へ出た。
(証明しろ。私は違うという事を)
「あ、村長のお弟子さん」
「私はティア・アイロラです」
ラザルさんは、自分の家の裏にある、
木に、手を合わせていた。
クリャトナ族やホビット族などの、自然や精霊と共に生きる種族は、
木をお墓にする風習がある。
「目を閉じてるのに、よくわかりましたね」
彼は、「鳥の目を借りました」と決してこちらを見る事はなく、木に止まる鳥を指さした。
「僕に会いに来るなんて、危険ですよ」
「何故です?」
「なっ、何故!?え、いや……見ていなかったんですか?」
その時。やっと、彼は“私”の方を向いて、
信じられないと言いたげに口をあんぐり開ける。
ラザルさんのその表情に、少しおかしくてクスリと笑う。
そんな“私”を見て、彼は眉をひそめた。
「言いたい事は分かります。
貴方の気持ちが分かります――とは、言えませんが、
私も怪物を飼っているので。似ていて、放って置けないんですよ」
「怪物?」
「はい、死と生きている実感を欲する怪物。
強いストレスを感じれば感じる程、その声は強くなるのです」
“私”は鳥を見て「今も、村長さんも貴方も皆殺したくて、胸がざわついてる」そう静かに言った。
「警戒しますよね」
ラザルさんを見て、苦笑する。
当然ながら彼は身構えて、「何で、僕の所に来たんですか?」そうゆっくりと。
それでいて慎重に聞いた。“私”が癇癪を起さないように。
「力でしか語れない怪物を否定する為。です、
私は人だから、言葉で解決しなきゃいけない」
「正直なんですね」
「私は口下手なので。気の利いた言葉は言えないんです」
「そう。ですか」
ラザルさんの視線が、“私”の震える手に落ちた時、
身構えていた肩の力が、少しだけ抜ける。
「自分を良く見せようと嘘をついて、夏に大切な仲間を失ったので……えへへ。
でも人は、優しい嘘で塗られた無責任な美しさを求めるから。私は苦しい」
「分かります。本当の事を話したら、人は離れていくんですよね」
彼は「似た者同士……ですね、僕ら」と優しい声になり、
「外は冷えます。僕の家に来てください」そう微笑んだ。
「ありがとうございます」
「本当は、人を入れたくないですが、アイロラさんなら。信じれます」
その時の言葉に、“私”は少し救われた気がした。
素の自分を受け入れて貰えて。
嬉しかった。
「適当に座っていてください、今お茶を入れてきますから」
彼はそう言って、台所のある部屋へ消えていった。
「適当に……ですか」
ラザルさんは、もう慣れているのか。
それとも気づいていないだけなのか。
「もう決まっているのでは?」
椅子が勝手に座れと言わんばかりに後ろに引かれたのだ。
もちろん、彼が魔法で動かしたわけでもなく、知らない間にだ。
幽霊が人付き合いの次に苦手な私は、見えない何かに怯えながら、その椅子に座ろうとした——
「キャッ!」
が、椅子はまた動き、しりもちをつく。
(ま、まさか。歓迎されてないの?)
授業で、怖い話をいくつか読んだことがあるからか、
これから起きる事が、容易に想像できて、顔を青ざめさせた。
(いっ、いや。ほら、クリャトナ族のナタ派は精霊族と交流があるみたいですし、
これは精霊の悪戯なのですよ。だから、怯えなくても……)
直ぐに、村長さんに薬屋の店主さんが言い放った、
「精霊王が変わってから精霊達はもうこの村に訪れていない」という言葉が、
嫌味のように耳の奥で蘇り、「アヴァヴァヴァッ」と奥歯がなり始める。
(こういうのは、家を飛び出したら、さらにお化けは追いかけてくるものです)
高床式だから、梯子を下りている時なんかに、ポルターガイストが起きたらたまったものじゃない。
そう思い、とりあえず向かいの椅子に座った。
すると、椅子はゆっくりと元の場所へと戻る。
(お化けにとって、大切な椅子だったのだろうか)
大人しく座っていると、耳元に冷たい空気がまとわりつき、「ヒャッ!」なんて変な声が出た。
隙間風とは違い、不自然に耳を覆ったのだ。
(まさか、お化けが何かを伝えたかった?霊感が無くて良かった……)
「うぐぅ……
かえりたい……」
涙目で待つ30分は、恐怖のせいでひどく長く感じられた。
ラザルさんがお盆にティーカップを三つ乗せて戻ってくると、“私”はようやくほっと息を吐いた。
「お待たせしました」
当たり前のように、三つのティーカップをテーブルに並べる。
「あのぉ」
「どうしました?」
「なんで三つなんですか?」
ラザルさんは周りを見渡してから、
「こうしなきゃ、精霊が怒って。また命を狙われるんです」なんて耳打ちをした。
(いやいやいや!精霊はこの村に来ないんでしょ?絶対にお化けだから!)
でも、それを精霊だと思い込んでいる人間に、どう説明すればいいか分からず。
ここでも、語彙力が無い自分を恨んだ。
「あ……砂糖を忘れた」
「お砂糖なら、そこにありますよ?」
ラザルさんはテーブルの中央に鎮座するそれに、
「ありがとうございます、精霊様」なんて、必死にあらゆる方向に頭を下げた。
ラザルさんには、もともと精霊が見えないらしい。
それなら、この場にいるのは精霊ではないと説明するのも難しそうで、“私”はますます頭を悩ませた。
「あ、タオルも忘れた」
ラザルさんは、少し抜けているところがあるらしい。
その度に、お化けが忘れた物を持ってきた。
“私”には、お化けがラザルさんの忘れ物を届けて、手助けしているように見えた。
「あぁ。また精霊様に助けられてしまった。
ごめんなさい。ごめんなさいごめんなさいごめんなさい——」
ガチガチ震える彼は、首から下げている、手垢で黒ずんだ、
木彫りのお守りを両手で握り蹲ってしまった。
発作が起きる前兆だった。
その時、また私の耳に、冷たい感覚がする。
けれど。手にも氷のように冷たい感触を覚えた時、お化けが彼を助けてやってくれと言っているようで、恐怖を感じなかった。
「ラザルさん。落ち着いてください。
貴方が忘れた物を運んできてくれるなんて、私には好意があって助けてくれていると思います」
「なんでそんな事が分かるんですか」
その問いに、“私”は言葉に迷う。
確証がない事が言えないから。
「私はコミュニケーションをとるのが苦手です」
「それ、今関係ありますか?」
「大ありです!苦手だから、機嫌を取るために、相手の感情には敏感なんです。
だから人の動作や表情で、何を伝えたいのか分かります、
例え目に見えない精霊だとしても、私には、ラザルさんを支えているように見えるんです」
自信満々に自分で言っていて虚しくなったが、
彼の震えは消えて、「なんだろうな、君のいう事なら安心できる自分がいる」と“私”を見て苦笑を見せた。
「恥ずかしい所を見せました。40歳の男が……」
「良いと思います。社会に出たのに、16歳の今でも私は口下手ですし。えへへ……
自分を正当化するわけではないですけど、欠けてるぐらいが、人間には丁度いいと思います。
助け合うために優しくなれるんです」
彼は「そうですね。なんか分かる気がします」と、
“私”に椅子を引いて座らせてくれた。
「そのお守りはどうしたのですか?」
「この家で暮らしていた人からのもらい物です」
彼はコップを持ち上げて、「僕をガーナ派から守って。それっきり」と懐かしむように目を細めて、
湯気の立つお茶を啜った。
「まさかさっきのお墓はその方のですか?」
「そうです。僕は、エスト大陸で行われてる精霊祭の季節に、
毎年帰ってこれるように、この家を代わりに住んで守っているんですよ」
「そうだったのですか……」
“私”はその瞬間、彼を助けられるかもしれない、一つの突破口を見つけた。
「もし。もしですよ、目に見えない精霊さんに会えるとしたら。会ってみたくないですか?」
「なんでそこまでするんですか?」
「ラザルさんを助けるためじゃないです。
私は利己的な人間なので!自分の存在を証明する為」
彼は口に手を当てて、「初めてです。アイロラさんみたいな人は」と笑った。
その笑顔につられて、“私”にも笑みが零れた。
心の中から、怪物が消えていくのを感じて、安堵からきた笑顔か、
はたまた。自分を証明できた事への喜びか。
「決まりですね。では、行きましょう!」
「でも何処へ?」
「ホビット族が住むサジィ村です、そこにシャーマンが居るのですよ」
「遠いですよ?」
口角を上げて「大丈夫です、ご安心を!」そう言って胸を叩いた。
(そう、私は魔法の箒という、時代を覆す魔法具を持っているのだ。壊れるかもしれないけど)
こうして、“私”は再びサジィ村を目指すのだった。
――重い足を引きずりながら、
震える手を、見ないふりをして。




