23話目 灰燼書庫《かいじんしょこ》
「――3年前の精霊祭見に行ったのか、いーなー」
「まあな、ベルカはずっとノルドなのか?」
「そーだよ」
ベルカとイーサンさんは、同い年なだけあって、実に仲が良かった。
(昨日初めて会ったとは思えませんね)
イーサンさんと楽しそうに話す、ベルカの後姿を見て、
昨日の寝言を思い出したからか、
今の彼の笑顔に、安心して微笑んだ。
でも、その一方で、胸の奥がズキリと痛む。
このまま、彼の過去に触れず、
このまま、この気持ちを押し殺して――
「そんなことできないよ……」
(無理に知るのは優しさじゃない。
けれど、今もなお、まともに寝れず、
涙を流す仲間の傷を無視するのも。優しさじゃない)
手首に着けている、スピちゃんの居た腕輪を指先でなでた。
胸の中に籠るモヤを吐き出した。
(あの人だったら。そう誰かに助けを求めることは駄目なんだよね。
前を向いて進まなきゃダメなんだよね。お母さん、マリアさん)
「おーい、アイロラ、早く来いよ!」
(っつ、たく。何も知らないくせに呑気か)
「ここが知識の都ですか」
「そう!リブロ・ディ・マージア都市」
リブロ・ディ・マージア都市は実に広く、
田舎暮らしの“私”には、もうここだけで、一つの国に見えた。
てっきり本やスクロールを売る店ばかりかと思っていたが、
そうした店は数軒で、通りには珍しい植物や、あらゆる時代の骨董品、
いろんな大陸の食べ物が並んでいた。
知識にもいろんな形があるのだと、店先を眺めながら感じた。
「なんかやたらと、鳥が多いですね」
「気のせいだろ。観光をする暇はないからな、初めにある店へ行こう」
と。言っていたが―—
「観光はする暇はない。ですか」
「オーサス……観光がしたいのなら、そう言えばいいのに」
来たのは、世界中の種族の飲み物を取り扱う、酒場だった。
“私”とベルカの呆れた顔に、「な訳あるか!」なんて苦笑して、
「まあ見とけよ」とカウンターへ。
「いらっしゃい、何を飲む?」
彼は上にある、メニューの書かれた看板を眺めて「今日は15番までか」と店主にいう。
“私”も看板を見上げたが、書かれているのは14番までだった。
イーサンさんの見間違いかと思ったものの、店主が眉を跳ねさせて彼を見て、
何か意味のあるやり取りなのだと感じた。
「どんな気分だい?」
「焦げた文字を飲みたい気分」
「何で割る?」
そういわれた時に、初めてこちらを振り向いて、
「お前100万ギル以上はあるよな?」なんて聞いてきた。
「え?何でですか?ありますけど」
「それならいい」
“私”の疑問には答えず、「150万で割ってくれ」そう伝えると、鍵を渡された。
「あの、何処へ?」
(なんか薄暗い廊下にどんどん行っちゃうし!怖い!怖すぎる!
そういえば、100万ギル以上持っているか?って聞いてきたし)
何も話さないイーサンさんに、“私”の悪い妄想は広がる。
「アヴァヴァヴァヴァ!もっ、もしかして、
イーサンさん私達を嵌めたぁ!?」
(お金を取られた後に臓器を売られて、肉は料理に使われるのだろうか……
あぁ。何でいつもこうなるのだろうか)
後ろを歩くベルカは、口に手を当てる“私”の肩に手を置いて、大丈夫と頷いた。
“私”は不安な気持ちを抱えながら、信じてついていくと、少し広い物置に辿り着く。
イーサンさんはドアのカギを、静かに閉め、声を潜めて説明を始めた。
「さっきのは合言葉だ」
「もっ、もしかして、灰燼書庫に行くためのですか?」
「そうだよ、だから怯えなくて大丈夫だ」
(なら良いんですが)
安堵の息を吐くそんな私に、ベルカは「なにも起きなくて良かったな」なんて耳打ちをして、
心底馬鹿にするように、声を殺してクスクスと笑う。
それに「うるさい」と“私”は舌を出した。
「今から飲み物が出されるけれど、絶対に飲み干せよ」
「飲み干さなかったら?」
「簡単な話だ、監視しているここの連中に排除される」
「飲み干します」
「じゃあ初めに50万ギル貰う」
“私”とベルカが、金貨を5枚渡した時だった。
お盆に小さな小瓶を乗せた男の人が入って来る。
男にイーサンさんがお金を渡すと、
「本に吞まれるなよ」そう“私”達に忠告するようにゆっくり見てから、その小瓶を配った。
「吞まれるってどういうことですか?」
「俺たち、知識のギルド・ライブラリーが取り扱ってるのは、
人を、国を、狂わせた禁書なんだ。
本によっては、読んだ人間を簡単に変えちまう。
だから酒と一緒で、呑んでも吞まれるなって事」
「なっ、なるほど」
「嬢ちゃんは魔法使いか。
ならなおさら、あそこに置かれた魔導書には気を付けとけ」
「ご忠告ありがとうございます」
男は不愛想だったが、瞳には心配そうな色が揺らいでいた。
が、彼も商売だと割り切っているのだろう、私情を挟まずドアを静かに閉めた。
「これを飲んだら、お互いに姿が見えなくなる。
地面に、足跡が光って見えるからそれを辿れ、声は絶対に出すなよ、良いな?」
「分かりました!」
「りょーかい」
イーサンさんは「じゃあまた」という言葉を最後に、
小瓶の中を飲み干して姿を消した。
ベルカもそれに続き姿を消す。
もう行ってしまったのか、足音は聞こえないものの、その場から二人の気配が消える。
(なるほど、灰燼書庫の情報の流出を防ぐための薬か)
「にがぁ」
丸めた紙みたく、顔をクシャクシャにしながら飲み干した。
(光る足跡ってこの事でしたか)
自分では本当に透明になったかは分からず、不安になりながらも、歩き出した。
(まるで幽霊になった気分ですね)
透明になるのは初めてで、悪戯もしたくなるが、
急がなきゃ薬が切れちゃうかもと思い、店を出て早足で光る足跡を辿る。
——その刹那。
(誰?)
誰かの視線。
見えないはずなのに、気のせいでは片づける事のできないほどの、しっかりとした視線があった。
それも一つじゃない。
(薬の効果がいつまで持つだろうか……
――って違う、余計なことを考えるな。
殺気は、ない。
大丈夫……だいじょうぶ)
早歩きで、視線に警戒しながら進む。と、誰かと肩が当たる。
反射的に振り返った瞬間に、やけに多かった鳥の謎が解けた。
その瞳の色を見た瞬間に。
(クリャトナ族!)
胸元には、ガーナ派の紋章がぶら下がる。
女性は、私が声を出せないのを知っているのだろう、
口元に付けた人差し指を“私”の胸ポケットに向けた。
(手紙?)
“私”は、コートの胸ポケットを見た。きっとぶつかった時入れられたのだろう。
蝋印されたガーナ派の紋章が描かれた便箋が入っていた。
それに、彼女は"待っています"と言うように一礼して、強風と共に、姿を消した。
彼女のその立ち振る舞いで、
“私”は――ノルド大陸に降りたその時から、
既に、ガーナ派に目を付けられていたのだと悟った。
空の彼方にある、残る視線を見つめる。
胸に広がる冷たい感触に、気持ち悪さを感じながら。
灰燼書庫へと続く小さな倉庫に着くと、効果が切れたのか、
はたまた、そういう仕様なのか。
姿が現れて足元から影が伸びた。
「遅かったな」
「何かあったのか?」
「迷っちゃいました。えへへ……」
(ベルカの前で、ガーナ派の人間にあったなんて言ったら、
きっと直ぐ都から出ようなんて言い出すだろうな)
“私”が笑ってごまかすと、ベルカは嘘を見通したように目を細めたものの、
何も言わずにイーサンさんについて行った。
ドアの前には、更に地下へと階段が伸びていた。
聞くと、イーサンさん曰く、「衛兵が来た時に、階段が隠れて、何もない倉庫になるわけよ」だとか。
「さすが、禁書の複製を扱うだけあって、スケールが違いますね」
「そういうことだ。普通の書庫なら入場料を取らないんだが、
ここでは、更に50万ギルを払わなければいけないからな」
“私”はなんとなくそうじゃないかと思っていたが、
ベルカは「へ?」なんて口をポカンと開けた。
(もしかしてお金ないの?)
そう思ったとたん、ベルカが今まで、“私”に自分の所持金を自慢していた分、
口角が上がり似たような言葉を言いたくなった。
「あれぇ?ベルカさん、もしかして持ってないんスカ?
ぷぷぷっ!一発芸してくれたら貸してあげても良いですよ~」
彼は鼻で笑い、「残念ながら持ってるよ」なんて小袋を摘まんで見せた。
けれど、妙に腰が軽い気がして手をやると、いつもの小袋がなくなっていて、“私”は思わず目を見開いた。
「それ私の!てか手慣れすぎでしょ。サイテー!」
「はははっ!俺たち仲間だろ?貸しにしといてくれや」
「ッチ。仕方ねえな」
「こらこら、ティア、女の子がそんな言葉づかいしちゃ駄目だぞ~」
受付で入場料を払った“私”達。
目的の違うイーサンさんはドラゴンの情報を集める為に、別れた。
禁書と言うと、数少ないレア物のイメージがあったが――
「こりゃ一日じゃ全部読み切れないな」
沢山あった。
金をとるだけあって、本が傷まないように、湿気対策とかもされているうえに、
内装も、貴族の部屋のように、豪華だった。
(正直、こんな質のいいソファーに座れただけで、もう元は取れているかも)
「町で福祉的にやってる無料の書庫は、座る所がないうえに、肝心の本はカビだらけだから酷いよな~」
「確かにね。っと、この本はよさそう」
「お前、古代の精霊族の言語を読めるのか?」
手に取ったのは、精霊族とクリャトナ族の歴史の本だが、見たことのない文字で、
私は「ベルカは?」とため息を吐いた。
「読めるぜ。このイケてるお兄さんが読んであげよう。その代わり一発芸な」
「読むものないんだから良いでしょ。やりませんよーだ。読み終わったら内容を聞かせて」
彼はやれやれと肩をすくめて、さっそくソファーへ。
夜に、小難しい本を彼が読んでいるのを、“私”は知っているのだ。
しかも読むのが早い。きっと直ぐに読み終わるだろうと、感想を楽しみにしていた。
「あ、禁術の本」
(やっと一冊見つけた……)
魔法の本が出回るようになったのは、魔王が倒されたその後からだった。
だから、知られている禁術自体が、少ないのだろう。ここにも魔法に関しては少なく、
嬉しさのあまり手を伸ばした。が ――.
「本に吞まれるなよ」
忠告をした男の言葉が耳の奥で蘇り、手が止まる。
(もし、知ってしまったら。私は、呑まれる)
ノヴァラ・フロストカースの、姿が。
あの爛れた両手が、脳裏をよぎり息を呑む。
彼女のあの姿も、"最強"を求めた結果だった。
ノヴァラと戦った後というものの、
闘技場のドラゴンや、魔物達と戦っている時、
死を感じる、全身をしびれさせる独特な感覚がたまらなくて、
血を浴びる度に、快楽を覚えている自分が居た。
(もし、そんな私が、禁術を知ってしまったら)
でも知りたかった。
スピちゃんが居なくなった今も魔王城の書斎には入れるのに、
足を向けずにいたのは、力を手に入れた自分がどうなってしまうのか、怖かったからでもある。
平和主義の、大人しいティア・アイロラじゃいられなくなる気がして。
「でも、100万ギルも払ったんだ、大丈夫。私はアイツとは違う」
そう言い聞かして、“私”は好奇心と、強くなりたいという欲望を抑えきれずに、
震える手を伸ばして本を取り出し、ベルカの居るソファーへ戻るのだった。
(もしベルカの心を癒す可能性が、
ノヴァラの心を癒す可能性が、
この本に書かれているのなら、
多少、歪んだ力でも良いのかもしれない)
そんな都合の良い魔法が、ある訳がない事を分かっている。
だからこそ、重いため息が胸の奥から漏れ出た。
「おかえり」
「ただいま~」
“私”の持ってきた本に、「好きね」なんて笑う。
彼はやはり読むのが早い、もう半分も読んでいた。
「そんな早く読んで理解してるの?」
「はっはっは!キミと一緒にしないでくれたまへ!」
「っそ。それはそれは、失礼したわね」
「くくくっ、そんな怒んなよ~」
「怒ってません~」
「へ~そぉ」
そっぽを向いて本を開く“私”に、彼は近づいてきた。
「広いんだから、もっと向こうに行けばいいじゃん」
「良いだろ?別に」
「私の事が好きなんだ~素直になればいいのに」
そんな言葉が出た時、自分でも、
ベルカに似てきたところがあるなと自覚した。
彼は、「好きだと言ったらどうする?」なんて真面目な顔をする。
予想外の反応に、“私”は言葉が出なくなり、顔を赤くして口をパクパクさせた。
「はははっ!なぁに赤くなってんだ。自分で言い出したくせに」
「うっ、うるしゃい」
「噛んでやんの」
「もう!」
ベルカを無視して、“私”は読み始めた。
簡単にこの禁書に載っていた魔法を説明すると。時間操作だ。
詠唱、魔力の練り方、魔法陣のロジックなどなどが書いてあり、怖いほどに良くできていた。
だが、その文体は、誰か一人に向かって説明をしているようで、対面で授業を受けている感じがした。
あまりにも分かりやすくて、もしかして“私”に向けて書かれた本なのか、なんて思ってしまう。
(この魔法が本当なら、世界を手にするのは容易いだろう。
下手をすれば創造神にだってなれる)
「……こっわ」
別の本を読んでいたベルカが、「どうしたんだよ」なんて、“私”の本を摘まみ上げる。
「この筆癖、アイロラの字にそっくりだな」
「私の方が、綺麗だし」
「ほら、この文字とか、お前よく、払いの場所クルンって巻くじゃん」
(よく見てるな、この男)
「書いた人は、きっと私と同じエストの出身なんだろうね。村まで同じだったり」
「たしかに、ガーンバ村ならこういう書き方のヤツは多いよな」
「ほんと、よく知ってますね……こわ」
「なんでだよ!」
彼は思い出したように、「そういえばこの本だが」と、
精霊族とクリャトナ族の歴史の本を“私”の前に置いた。
「どうだった?」
「本物だな。こりゃ」
「本物?」
「あぁ。二種族の関係や千年に起きたことが、
そのまんま誤魔化されずに書かれてる」
彼は、得意げに説明を始めた。
“私”は聞いていて、スピちゃんもそりゃ逃げたくもなるわと思った。
「なるほどなぁ。
まさか、時空の精霊族が、クリャトナ族の魔力と知識の高さに恐れて、千年に滅ぼそうとしたなんて。
リックさんから、クリャトナ族には復讐派と共存派の、二つの派閥があるって聞いたけど。
精霊族に一方的にやられたのに共存っておかしくない?」
「あのおしゃべりが……
まーな。この本は、クリャトナ族の、ガーナ派の目線で書かれた歴史だから、
一方的に思えるかもしれないけど、
精霊族の間でも、いろいろとあったはずだ」
「そういえば、スピちゃんも、今の精霊族は違うって言っていたっけ……」
(もし、その今の時空の精霊族が、全員共存を願う精霊達だったら——
いや、だからこそ、動けず、静かにして、スピちゃんは魔王城の書斎に逃げたんだ)
「全部知ったとしてもさ、それを今の精霊族と一緒くたにしないでほしいの」という、
スピちゃんのセリフの意味が、重さが、今になって分かった。
この瞬間、“私”は、ノヴァラを悪とは思えなくなっていた。
(ノヴァラに手を差し伸べるという事は、時空の精霊族を、スピちゃんを、敵に回すことになるのだろうか)
時間操作の書かれた魔導書に視線が落ちかけた時、
彼は“私”の頭に手を置いた。何も言わずに。
それが、それだけが。“私”は嬉しかった。
手のひらから伝わってくる温もりが、
見失いかけた足元を照らしてくれるようで。
「ありがとう」
ベルカは決して、“私”の心に踏み込んでこない、
その距離感は絶妙で、嬉しい反面。寂しさもある。
その距離のせいで、一緒に居るのに、お互いに、別の世界で生きているような感覚になるのだ、
その距離のせいで、本音が話せずにいた。もっと知ってほしかった。もっと知りたかった。
(本当に、こんな気持ちは初めて)




