10話目 逃げても消えないもの
やっぱりリコは、お父さんであるバルドさんの事を慕っているのだろう。
直ぐに、“私”の元から離れて、
彼の大木のような太い腕に抱きついて、さっき買ったナイフを見せていた。
情報屋というものは、大っぴらに商売したら、国に目を付けられる。
だから、表向きは別の店を開き、裏口から入れるようになっていた。
しかも扉を開く前は――
「猫に相談してきた」
合言葉が必要で、バルドさんの言葉に、
ドアの鍵が開く音が鳴る。
皆はやはり慣れているのだろう、
躊躇なく入る中、“私”は深呼吸して踏み入れた。
重い沈黙と古い紙の香りが“私”達を包み込み、思わず息を呑んだ。
「地図が多いですね」
「地図以外にも、暗殺ギルドや、賞金首の情報もあるんだよ」
ヨーンさんは、近くにあった紙を、棚から引き抜いて渡してくれた。
「は~普通に過ごしていたら分からないものですね……
こんなにも悪い人が居るなんて」
「あ、カイの昔所属していたギルドの残党の確認情報」
「カイって、カイ•ベルカさんですか?」
「そうだよ、ノルド大陸に移動したみたいだね」
私の青ざめる顔に、
「きっと嘘の情報だよ、落ち着きなって」と彼は頭を撫でる。
「それならいいのですけど……」
すると、バルドさんは「古代遺跡の地図があったぞ~」とヨーンさんを呼び、
“私”も後ろを着いて行った。
「こんなにも……」
「そうだぞティア。この中から正解を見つけ出すんだ」
内容だけでなく、信頼性を語るように値段もピンからキリまであった。
バルドさん曰く、値段で買うと馬鹿を見るみたいで、
“私”もいろんな地図を手に取って見てみた。
(まだ入ったことのない未知のダンジョンなのに、
正確な地図なんて見つかるはずがないでしょ)
ため息混じりに諦め、地図を置こうとした時だった。
精霊の声が聞こえて呼ばれたというよりかは、
服を引っ張られて、私の視線は自然と一つの地図へ向く。
「そこは別のダンジョンの棚だぞ」
そう、精霊が導いた地図は、真後ろのかなり離れた別の棚にあり、
隠されるように差し込まれていた。
だから、なおさら怪しかった。
地図の内容を見ても、本物かどうかなんて、そんなのは当然分からなかったけれど、
“私”の手を掴む、精霊の温もりが、説得力を感じさせた。
まじまじと地図を見る“私”に、
居眠りをしていた店主がゆらりと立ち上がり、“私”の方へ来る。
覆いかぶさる陰を見上げて、心臓が止まりそうになった。
「お嬢ちゃん、旅は長いのかい?」
悪い目つきに、不愛想な顔が、なおさら恐怖心を掻き立てる。
「あえ?いや。今年の四月に始めたばかりで……
そ、その。素人でしゅ」
「そうかい。いい経験になったなお嬢ちゃん。その地図は10ギルであげるよ」
(じゅ、10ギル!?
貴重な情報のはずなのに!?)
あまりの安さに、さっきまでの地図への信頼性が一気に薄れる。
「まあ、精霊さんが選んでくれたので、信じましょう」
大事に抱きしめる“私”を、バルドさんはジッと見た。
顔を傾げると、彼は「大切にしろよ。いつか使う時が来る」なんて、意味深な言葉を残して、
ヨーンさんの選んだ地図を会計に出した。
「どうしたのでしょう」
《ケケケッ!お前に期待してんだよ。
ありゃ精霊の声が微かながら聞こえてるぜ》
「で、でも。精霊って……」
(いや、精霊は勝手に人に着いていく。
もし、バルドさんに着いている精霊が、さっきの会話を教えたとしたら?)
“私”は彼の「いつか使う時」という意味が、
自分からの発言を期待しているようにしか考えられず、胃が痛くなった。
「そんな事……言われても」
バルドさんの言葉が脳内でループして、結局その後の島めぐりは楽しむことができなかった。
バルドさん自身地図の事を忘れたように、
二日間“私”に冗談を言ったり気さくに接してくれたけれど、
日に日に強まる精霊が選んだ地図の事を早く言わなきゃというプレッシャーと、
言ったとしても、伝えるのが遅くて、
怒られるのではないかという不安に押しつぶされそうになっていた。
だから、アマランス島に到着する前夜、
耐えられなくなった“私”は、スピちゃんにこの事を打ち明けた。
「あ〜、そういうことね。
普段あんま甘えてこないティーちゃんが急にギュって来たらさ〜、
スピカお姉ちゃん心臓キュン死コースだったんだけど!?
もう〜、可愛すぎるの反則~♡」
(したがらないんじゃなくて、恥ずかしくて苦手なだけで、
大好きなんですよ。良い匂いでグヘヘ……)
赤ん坊みたく胸に顔を埋める後頭部を、
スピちゃんは優しく撫でてくれた。
“私”にとって、ここが一番落ち着けて、外に出るのも嫌になっていた。
「皆、ポッと出の私に、居場所をくれているのに。
当の私は地図も渡せないなんて駄目ですね。駄目駄目です」
「そんなにツラくて、スピカのお胸ダイブしちゃうくらいならさ〜……
無理して頑張らなくてもいいんだよ?」
「でも……でも……」
甘い言葉に、“私”は身を委ねたくなる。
けれど。変わりたいと願う、もう一人の自分がそれに抗うように、拳を握りしめさせた。
「ティーちゃん、時にはさ、逃げたっていいんだよ?
無理して突っ走るより、ちゃんと自分を守るほうが大事なときもあるんだし。
あの地図だって“もしも”のために持ってるんでしょ?
何かあったら、それ出せばいいの。
ね、バルドさん……だっけ?
きっとその人も、それを言いたかったんじゃないかな〜」
「それで良いのかなぁ」
その瞬間、私の脳内に、シミのように残って落ちない記憶が蘇り、唇を噛んだ。
「……お母さん、私……どうしたら……」
まだ小学生の時だ。その頃の“私”は虐められていた。
相談が苦手な“私”が、勇気を振り絞って出した声は、小さく震えていた。
食器を磨く音が止まる。
母はゆっくりと振り返り、静かな目で“私”を見つめた。
怒っているわけでも、優しいわけでもない。
私には、失望した目に見えた。
「ティア。ひとつ教えておく」
声は落ち着いていた。だからこそ、怖かった。
「戦いの最中、助けを求める声ほど、重いものはないの」
“私”は息を飲み。奥歯を鳴らした。
お母さんに、助けてもらえると思っていた。
怒声よりも、その氷の様な声は怖くて、“私”を孤独にさせた。
母は淡々と続けた。
「本当に強い人はね、泣く前に動く。
迷う前に考える。
間違っても、自分の足で立ち直るの」
怖かったけれど。
それでも母に縋りたくて。
震える奥歯の隙間から声が出る。
「でも……私、怖くて……」
その瞬間、母の表情が初めて険しくなった。
「怖いのはみんな同じよ」
彼女は歩み寄り、そっと肩に触れた。
優しい仕草のはずなのに、手も目も冷たくて、お母さんが赤の他人に感じた。
「ティア。
誰かに助けを求めるのはいい考えだよ、
でもね、蹲ったままその人に頼り切るのは違うわ。
そんなことをしていたら……いつか皆に見放されるわよ」
背筋が凍りついた。
助けてほしかっただけなのに。
何でそんな事を言うのか理解できなかった。
お母さんはそのまま背を向けた。
「……強くなりなさい。
私も一緒に戦うわ。だからティアも、
自分の足で立ち上がりなさい」
“私”は、なにも言えなかった。
その時のお母さんの声がずっと胸に残っている。
——「泣く前に動け」
——「自分の足で立ち直れ」
だから私は、地図を渡せないものの、
逃げるのにも本能的に抵抗が掛かった。
「ティーちゃん。立ち向かうのがすべてじゃないよ」
その一言が、“私”の抵抗を消してくれた。
顔を上げて。握る拳が、腰をまわす腕が、ゆっくりと解ける。
けれど、何故かスピちゃんの瞳に迷いの色が揺れる。
彼女は、唇を噛み、喉元から出そうになる自分の言葉に迷っていた。
「大丈夫だよ、ティーちゃん。
それで、いいの。
逃げるのも、生きるってことだから」
その言葉は、まるで“私”にではなく、自分に言い聞かせているようだった。
そんな彼女を見ていると、同じ気持ちの仲間がいるようで、
“私”も逃げてもいいんだと、思えて気が楽になった。
「そうだよね、もしもの事が起きたら……
それで、良いんだよね。
ありがとう少し楽になったよ」
少し笑顔が戻る“私”、それにスピちゃんは一瞬、表情に影が落ちる。
その時だけ、自分自身を見ているようで。胸がざわついた。
ぎこちない笑顔で彼女は、「そ、そうそう!そーゆーことっ☆ティーちゃんはあくまで、バルド海賊団に、無理矢理連れてこられた側だし!ね? だから、気にすんなって〜!」と笑い飛ばした。
気持ちは軽くなったはずなのに、
船に戻ると胸はまたざわついた。
そのせいで、寝間着姿で居るリコに気づくのも少し遅れるのだった。
「うわっ!リコどうしたの?」
突然現れた光るドアから出てきた“私”に、
彼女はギョッと目を見開いて、あんぐりと口を開けたまま言葉を失っていた。
「あ……え?師匠。今光るドアから出て来たけど。え?消えてる」
「あはは、まあ魔法もあれば、そういうのもありますよ」
「今のドアは何処に繋がってるんだ?なあ教えてくれよ!」
好奇心で目を輝かせるリコ。
(言って良いものなのでしょうか……
彼女には精霊が着いていますし……)
でも、彼女の眩しい瞳と「内緒にするから!な?な?」なんて当てにならない一言に、
“私”は「皆には内緒だよ?」と折れた。
「大精霊!?」
「声デカいよ」
慌てて口をふさぐ彼女の瞳は、更に輝いた。
好奇心と言うよりかは尊敬の眼差しだ。
その眩しすぎる目は、私の胸の中でズッシリと重い石が積み重なっていく。
「すげえ……すげえよ!大精霊と友達になれるなんて」
「え、えへへ~照れちゃうなあ」
「実はさ!師匠の旅が聞きたくてここに居たんだ。
大精霊と友達になれるなんて、きっと凄い旅をしたんだろ?」
「いやあ……」
「そんな勿体ぶるなよ~、聞かせてくれ!」
そう言いリコは、ベッドに寝っ転がり、
今夜は一緒に寝る気満々で自分のまくらを隣に置いた。
こんなにも、尊敬のまなざしを向けられたことがなかった。
だから、嬉しくて、怖かった。
(……本当の事を言えない)
“私”の旅は、誰かに助けられてばっかで、
胸を張れるかっこいいエピソードなんて、実際は無かった。
けれど、期待する彼女を落ち込ませたくない。
"その期待に応えたい"という思いに。
悪い癖が口を動かした——
「村を襲撃してきた山賊を倒した日、それが、旅に出ようと思ったきっかけなの」
—— 自分をよく見せようと、虚勢を張る悪い癖が ——
(嘘だ!全部ぜーんぶ、私の妄想だ。
土下座ばかりして、誰かに魔法を向けたことも、
剣を抜いたことなんてなくせに!)
でも、彼女は疑うことをせずに、「すげえ」や「私も師匠みたいになりたいな」なんて言う。
その笑顔が胸に刺さった。
どんな刃物よりも鋭利で、私は逃げ出したくなる。
でも。私は、この子にとって、理想の師匠で居なければいけない。
私は、笑うしかできなかった。
寝静まったリコの寝息だけがやけに大きく聞こえた。
彼女の横顔を見て、私は「ごめんなさい」と呟く。
胸のモヤモヤを抑えきれず、部屋を後にして夜風にあたることにしたのだった。
懐の中の、地図の重さがじんわりと増していった気がした。
(スピちゃんに甘えて逃げて、
リコの前では強がって見栄を張って——)
でも、怖かった。
怒られると思うと。
リコに失望されると思うと。
“私”はまた一人ぼっちになるんじゃないかと思うと。
「私は……弱い。本当に最低だ」
朝日は残酷なほど、明るかった。
目の前に広がるアマランス島が、金色に染まっていくのを見て。
奥歯を噛みしめた。
光が増すごとに、自分の影が惨めに濃くなっていく。
弱い“私”に、「もう逃げられない」と囁いた気がして、
罪悪感を抱えたまま、ダンジョンの攻略へと進むしか、道はなくなった。




