第六話 庇い方
「婚約発表の場に着ていくドレスが、まだ決まっていません」
マリエルにそう指摘され、リディアは重い腰を上げた。
「……仕方ないですね。街まで出ましょう」
カインも同行することになったのは、婚約者同士で仕立て屋を訪れるのが慣例だから、というだけの理由だった。
「別に、俺は待っているだけでいい」
「そう言いながら、ちゃんとついてきているじゃないですか」
そっけない態度とは裏腹に、律儀に隣を歩くカインに、リディアは小さく笑いそうになった。
(口では素っ気ないくせに、行動は妙に律儀なのよね、この人)
大通りは、行き交う人々で賑わっていた。仕立て屋を出て、次の店へ向かう途中のことだった。
「――あの女、ヴァンス家の」
ふいに、後ろから鋭い声が飛んできた。
振り返ると、粗末な身なりの男が、こちらを睨みつけていた。
「反逆者の妹が、のうのうと着飾って歩いてるとはな」
周囲の人々が、ざわめきながら距離を取り始める。
(──こういうの、久しぶりね)
儀式の日から今まで、表立って言われることはなかった。だが、心のどこかでずっと予期していた言葉でもあった。
「兄貴のせいで、俺の従兄弟は前線送りになったんだ。分かってんのか」
男が一歩、こちらへ詰め寄ってくる。
手にした瓶が、振り上げられるのが見えた。
「――っ」
咄嗟に身を竦めたリディアの体は、次の瞬間、強い力で引き寄せられていた。
気づけば、カインの腕の中にいた。
広い背中が、瓶の軌道からリディアを覆い隠すように立ちはだかっている。
鈍い音がして、瓶がカインの肩口に当たって割れた。
「……レイヴンズウッド卿?」
男の声が、明らかに動揺していた。
カインが振り返る。金色の瞳に浮かんでいたのは、静かな、けれど有無を言わせない怒りだった。
「彼女に、二度と近づくな」
低い声だったが、その場の空気を凍りつかせるには十分だった。
騒ぎを聞きつけた衛兵が、人混みをかき分けて駆けつけてくる。
「レイヴンズウッド卿! 今の男を、すぐに捕らえます」
衛兵が男の腕を掴もうとした、その時。
「……いい。放してやれ」
カインの言葉に、衛兵が戸惑った顔を向けた。
「ですが、貴族への傷害です。あなたのお立場を考えれば、見過ごせる話では」
「俺の判断だ。それで構わない」
有無を言わせぬ声音に、衛兵は釈然としない様子ながらも、渋々男の腕を離した。
男は青ざめた顔のまま、何度も振り返りながら、逃げるように人混みへ紛れていった。
その背中を見送るカインの横顔に、リディアはまた、あの複雑な色が浮かんでいるのを見た。
「……なぜ、見逃したんですか」
「彼の従兄弟が前線送りになったのは、おそらく事実だろうからだ」
静かな声だった。
「自分がされたことより、そちらが気になるんですか」
「……そういう問題では、ない」
歯切れの悪い答えに、リディアはそれ以上追及するのをやめた。
「……大丈夫か」
「え、ええ。私は平気ですけど……あなたの方が」
リディアは、彼の肩口を見て息を呑んだ。
布が破れ、薄っすらと血が滲んでいる。
「これくらい、なんともない」
「なんともなくないでしょう。すぐに手当てを」
「……お前が、それを言うのか」
「どういう意味ですか」
「兄のことで、あんな言われようをして。それでも、俺の心配をするのか」
意外そうな響きに、リディアは少し苛立った。
「あなたが庇ってくれたからでしょう。当然です」
まっすぐにそう告げると、カインは一瞬、言葉に詰まったように黙り込んだ。
腕の中から解放されないまま、リディアは彼の顔をそっと見上げる。
彼の金色の瞳は、思っていたよりずっと近くにあった。長い睫毛の影が頬に落ち、頬に刻まれた古い傷跡さえ、やけに鮮明に見える。
微かに汗ばんだ肌から、鉄と汗が混じったような、剣を握り続けてきた者特有の匂いがした。その奥に、ほのかな石鹸の香りが混じっている。
(近い。近すぎる。あと、なんか良い匂いがする気がするんだけど、これ気づかないふりした方がいいやつ)
心臓が、痛いくらいに音を立てる。
先に我に返ったのはカインの方だった。
「……すまない」
短くそう言うと、慌てたように腕を解く。
だが、離れる間際、彼の手が名残惜しむように、ほんの一瞬だけリディアの手に触れた。
その熱が、いつまでも消えなかった。
帰りの馬車の中、リディアはずっと窓の外を見ているふりをしていた。
(今の、絶対にわざとじゃないでしょ。分かってる。分かってるけど)
隣に座るカインの横顔を、ちらりと盗み見る。
彼もまた、居心地悪そうに、こちらとは反対の窓の外を見つめていた。
二人の間に流れる沈黙は、これまでのものとは、明らかに違う質のものだった。








