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第8話 黒い泥

 女子校生たちが校門から流れ出てくる。

 放課後の解放感もあって、お喋りも止まらないようで、きゃぴきゃぴと賑やかだった。


 もっとも、校門近くを通ると誰しもが一度は口を閉じる。

 バイクにまたがったクロヤの存在が浮いているから。


 でも、今日はそれだけじゃない。

 抱っこ紐に守られた私――その頭にみんなの視線が流れていく。


 小さな黒いヘルメットがそこにはある。

 発泡スチロールを削って黒く塗り、内側にスポンジを詰めた手作りだ。

 

 バイクのミラー越しに見える私は、なかなかに凛々しかった。

 ただ、ドレスとの組み合わせは浮いている。

 

 ヘルメットに合う服って、どんなのだろ。

 ふと過ったのは、以前にクロヤが着ていた黒いライダースだ。


 ⋯⋯うん。きっと似合う。

 どうにか手に入らないかな。


「兄貴っ!」


 ミクの跳ねるような声が飛んできた。

 クロヤが片手をあげる。

 女子校生の波から外れたミクが、同じように手をあげていた。

 たたたっという軽快な足音が、近づいてくる。


「ごめーん。待った?」

「ああ」


 クロヤの返答は、そっけない。

 ミクがジトッと、クロヤに視線を向けた。


「そこは『今来たところだ』でしょ? 定番じゃん」

「知らねえよ。待ったから、言ったんだ」

「そんなんじゃ、モテないよ?」

「んなことは、どうでもいい」

「ま、それでこそ兄貴だよね。へへっ」


 ミクはクロヤの右腕にしがみついた。

 頬をすり寄せる。

 クロヤは、されるがまま動かなかった。


 しばらくして、ミクがパッと顔をあげた。


「そんじゃ、よろしくっ!」



 クロヤが、ミクのバイト先についていくことになったあと。

 ナナシがミクへ言っていたことを思い出す。


 ――シロは、自身に向けられる負の感情を拾う。

 ――ミクのものと思われれば、向けられるものも同じじゃろうな。


 ――半端者なりに、力を学びつつある。

 ――何かの役に立つ⋯⋯かもしれんの。


 その言葉を受けて、ミクはため息をついていた。

 そっと持ち上げる手つきが、ほんの少しだけ遠い。


「⋯⋯あんたのこと、まだわかんないけどさ。今回、手伝ってくんない?」


 そう言うミクの言葉は、明らかに弱々しかった。

 

『⋯⋯いいよ』


 私はナナシの力を借りて、そう答えた。

 ぱちくりと瞬かせたミクの瞳が、印象に残った。


 まだ、ちゃんとミクを知らないけど。

 いつも、警戒してる猫みたいに見つめてくるけど。


 ミクが側にいて、黒い塵が積もったことは一度もなかった。



「シロ。やってみて」


 上から囁く声が落ちてきて、意識を引き戻される。

 私は、椅子に座ったミクの膝にいる。

 

 ここは写真を撮る前の身だしなみを、スタッフさんが整えてくれる部屋らしい。

 鏡の前に並ぶ椅子。

 ミクはその一つに座っている。


 ドライヤーの音と、誰かの笑い声が重なっている。

 賑やかさに紛れ込ませるように、ミクは呟いた。


「ほら」


 ⋯⋯話を聞いてなかった。

 どうしようと困っていると、ミクが小さくため息をついた。


「もう一度言うから⋯⋯。ちゃんと聞いてよ」


 ミクのジトッとした視線が絡みつく。


「『はい』なら右、『いいえ』なら左。手のひらをなぞるの。説明わかったら、ちゃっとやる」

 

 私は念じて、ミクの右手のひらを圧でなぞった。


「オッケー。そんで、なんかヤバそうだったら、手のひらにぐぐっと来て」


 念じる。

 もう一度、右手のひらをなぞる。


「なんか、こそばゆいわね」


 ミクは右手を開いたり閉じたりしながら、じっと見つめていた。


「ミクちゃんは、とっても可愛い」


 ミクが、何気なくそう言った。


 ⋯⋯あ、これも私に聞いているんだ。

 えっと⋯⋯。

 迷っていると、頭をこつんと軽く叩かれた。


「そこは『はい』でしょ?」


 ミクは、少しだけからかうように笑っていた。


「きゃ!?」


 高い声の悲鳴が聞こえた。

 そちらへ意識を向けると、しなやかな仕草の男が胸元に手を当てながら、こちらへ近づいてくる。

 入り口の方を、何度も振り返っている。


「あ、もしかして、今日もジュウゴさんがやってくれる感じ?」


 ミクがジュウゴへと話しかけた。


「そうよー。ミクちゃん。今日もよろしくー」

「今日もバッチリ決めてね」

「まかせといて。世界で一番可愛くしたげる!」


 ジュウゴが片目を閉じながら、ミクに指を向けていた。

 

 私はジュウゴを、じっと見た。

 ⋯⋯男の人、だよね。


「ジュウゴさん、苦手な虫でも見たん? 悲鳴あげてたっしょ」

「なんかねー、入り口のとこにヤバ目な人がいて、びっくりしちゃった」


 胸元に手を当てたまま、ジュウゴはふぅっと息を吐く。


「あれ、絶対、堅気じゃないわ。新しい社長の関係者かしら」

「⋯⋯その人、制服着てたんじゃない?」


 ミクの問いかけに、ジュウゴが頬に指を当て、首を傾げる。


「そう言われると、そうだったかもね」

「それ、あたしの兄貴だわ」

「えっ、⋯⋯ほんとに?」

「大マジ」


 ジュウゴはじっとミクの顔を見つめる。


「すごい目つきだったけど、小さい頃からずっとあんな感じなの?」

「あー⋯⋯、どうだろ」

「写真とかないの?」

「うーん⋯⋯あんま見たことないかも」

「そっか。なんか、ごめんねー」


 ジュウゴは両手を合わせて平謝りしていた。


「さて、そろそろ始めるわよ」


 ジュウゴは黒い布を広げ、ミクにかけようとする。

 そこで初めて、ミクの膝にいる私と目を合わせた。


 じわりと、黒い塵が積もる。


「なーに、ミクちゃん。その⋯⋯気味が――あ、違う違う。個性的な人形」

「ん? あー、これ?」


 ミクの視線が私へと向く。


「綺麗っしょ。シロってんだよ」

「きれい? シロって⋯⋯、名前?」

「肌とかツヤテカでさ、目もよく作られてんの。ほら」


 ミクが私の両脇を抱えて、ジュウゴに見せつける。


「えっと⋯⋯」


 わずかに固まったジュウゴと、息の掛かる距離で見つめ合う。

 近すぎるよ。目に映る私が見えるくらいだし。

 私は何度かミクの左手のひらを撫でる。「いいえ」と伝えたのに、お構いなしだった。


 身体をこわばらせるジュウゴだったが、


「あら? ⋯⋯確かに、結構良い感じかも」

「でしょ?」


 黒い塵は、はたと止まる。


「髪も傷んでないし⋯⋯、むしろキューティクルすごくない? やーん、枝毛とかないのうらやましー」


 そう言うジュウゴとミクは、きゃぴきゃぴと楽しそうだった。

 枝毛とかキューティクルとか、意味はよくわからないけど、悪口ではなさそうだ。


 私は椅子の前にある鏡付きの台に置かれた。

 すぐそばで、ミクがジュウゴにメイクをしてもらっている。


 ミクの顔が少しずつ変わっていく。

 ただの猫さんが、高貴な猫さんに変わっていく感じだろうか。


「きゃ!?」

「うわっ!」


 今度は二人分の声が重なって聞こえた。

 また誰かがクロヤに気づいたのかな。

 やっぱり慣れないと、あの顔は怖いんだと思う。


「びっくりしましたね」

「本当だね」


 声の主は、二人の男女だった。

 きっちりとスーツを着た男性が、学生制服を着た女子の肩に手を回していた。

 

 そこで気づく。

 女子の方は、クロヤが買った雑誌に載っていた人だ。


「それじゃあ、わたし、皆に挨拶してきます」

「ああ、そうするといい。サナちゃん、また何かあったら、遠慮なく私に相談するんだよ」

「はい⋯⋯。その時はよろしくお願いしますっ。クシダ社長」


 サナと呼ばれた女性は、ふわりとした笑顔で丁寧に頭を下げた。クシダ社長は、小さく手を振っている。


「こんにちは。今日もよろしくお願いします」


 サナはメイクやスタッフの間を通り抜けながら、一人ずつ挨拶と会釈をしていく。


「ふふっ、相変わらずいい子ねえ、サナちゃん」


 ジュウゴが頬に手を当てながら、ほうっと息をついた。


 サナがミクの隣の席までたどり着いた。


「ミク、今日もよろしくねっ」


 サナの口調は、少しだけ軽くなった。

 

「サナっち、よろしくー。いつも皆に挨拶して、めっちゃえらいね」

「えー、こんなの普通だよ」


 少し困ったように笑い、サナは手を振っていた。


「それより、今日も席とっておいてくれてありがとうね」


 そう言って、サナは隣の席へと座った。


「いやあ、あたしがなんもしなくても、誰も使おうとしてなかったし」


 ミクがそう答えると、ジュウゴが微笑んだ。


「あなたたち、この時間だといつも隣同士だから、みんな覚えちゃったのよ。いいわねえ、仲良しで」


 ジュウゴが、ふふっとこぼした。 


「あれ? なにこれ?」


 サナの視線が、鏡の側にいる私に流れてきた。

 

「これ、すごい精巧だね。綺麗⋯⋯」


 サナの視線はやわらかい。

 黒い塵は、感じられない。


「ミクちゃんのよ。髪がとってもキューティクルなお人形さんなの」


 メイクの手を止めずに、ジュウゴが答えた。


「あ⋯⋯、ミクのなの?」

「うん。あたしのだよ。シロっての」


 サナがもう一度、私を見つめてくる。

 ちり⋯⋯、と。

 私の中に嫌なものが生まれた。


 この人⋯⋯、ミクのこと⋯⋯。

 そう思った時には、私は念を飛ばしていた。

 ミクの手のひらを、ぎゅっと押す。


「え⋯⋯」


 こぼれるミクのつぶやき。


「あら、ミクちゃん。どっか痛かった?」


 ジュウゴが言いながら、メイクの手を止める。


「え、と⋯⋯。あははっ、なんでもないの。兄貴に晩飯のおかず、あれ作ってーって、お願いすんの、忘れてたって思って」

「うそ⋯⋯。あの見た目で、ご飯作れるの⋯⋯」


 ジュウゴが、失礼なことを言っている。


 いや、それよりも。


 私はミクを見つめた。心なしか表情が暗い。

 サナは顔色一つ変えずに、隣の席へ座っていた。


「ジュウゴさん。あの見た目って、なんのことです?」

「入り口にいた、強面の男の子⋯⋯。ミクちゃんのお兄さんなんですって」

「ええっ、そうなんですか? 強そうで、私、びっくりしちゃいました」


 ジュウゴとサナのやりとりは、怖いほど軽快だった。


 サナがミクへと振り返った。


「ミクって、あんなお兄さんがいたんだね。うらやましいなあ」

「そ、そうでしょ? あー見えて、結構優しいんだよ」


 わずかに白い顔をしたミクは、どうにかサナに返答をしていた。


 『大丈夫?』とミクに声を掛けてあげたい。

 だけどナナシはいなさそうだ。

 思いを乗せて飛ばすのは難しい。

 私だけじゃ、届かない。

 

 他になにか方法がないだろうか。


「ははっ。同じ仕事をする同士、仲が良いのはいいことだね」


 考えようとしてたのに、声に引かれて途切れてしまう。

 他へ挨拶をすませたクシダ社長が、サナのそばに近づいてきた。


 この人がミクの言ってた、新しい社長なのかな。

 整った顔立ちに穏やかさがあって、とても優しそうだけど。


「クシダさん。こんちわー」

「ははっ、固いよミクちゃん。クッシーでも、クシッちでも、崩してくれて構わないよ」


 クシダ社長は爽やかな笑みを浮かべた。


「前向きに、検討しとくねっ」

「頼んだよ」


 ミクの肩に、クシダ社長はそっと手を添えた。

 ミクは困ったように微笑んでいた。


「クシちゃん、申し訳ないけど、ちょっとどいてもらえる? まだ続きがあんのよ」


 ジュウゴがミクの背後に回り込むと、クシダ社長は素直に一歩引いていた。


「さっ、ミクちゃん。今度は髪よ」

「ありがと、ジュウゴさん。あー、そしたら、ちょっと人形持ってもいい? なんか、落ち着くしさ」

「もちろんよ」


 ジュウゴが私を手に取って、ミクへと差し出した。

 ケープの中にふわりと招き入れられる。

 

 ぎゅっと私を抱きしめる手は、少しだけ震えていた。


 どろり。

 

 一瞬、何が起きたのかわからなかった。

 胸の奥に、いつもとは違うなにかが湧き出した。

 いつもの塵みたいに、ふわふわしない。

 ねばり、かぶさってくる。

 

 それは、黒い泥のようなもの。

 ――こんなの、感じたことがない。



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