第8話 黒い泥
女子校生たちが校門から流れ出てくる。
放課後の解放感もあって、お喋りも止まらないようで、きゃぴきゃぴと賑やかだった。
もっとも、校門近くを通ると誰しもが一度は口を閉じる。
バイクにまたがったクロヤの存在が浮いているから。
でも、今日はそれだけじゃない。
抱っこ紐に守られた私――その頭にみんなの視線が流れていく。
小さな黒いヘルメットがそこにはある。
発泡スチロールを削って黒く塗り、内側にスポンジを詰めた手作りだ。
バイクのミラー越しに見える私は、なかなかに凛々しかった。
ただ、ドレスとの組み合わせは浮いている。
ヘルメットに合う服って、どんなのだろ。
ふと過ったのは、以前にクロヤが着ていた黒いライダースだ。
⋯⋯うん。きっと似合う。
どうにか手に入らないかな。
「兄貴っ!」
ミクの跳ねるような声が飛んできた。
クロヤが片手をあげる。
女子校生の波から外れたミクが、同じように手をあげていた。
たたたっという軽快な足音が、近づいてくる。
「ごめーん。待った?」
「ああ」
クロヤの返答は、そっけない。
ミクがジトッと、クロヤに視線を向けた。
「そこは『今来たところだ』でしょ? 定番じゃん」
「知らねえよ。待ったから、言ったんだ」
「そんなんじゃ、モテないよ?」
「んなことは、どうでもいい」
「ま、それでこそ兄貴だよね。へへっ」
ミクはクロヤの右腕にしがみついた。
頬をすり寄せる。
クロヤは、されるがまま動かなかった。
しばらくして、ミクがパッと顔をあげた。
「そんじゃ、よろしくっ!」
◇
クロヤが、ミクのバイト先についていくことになったあと。
ナナシがミクへ言っていたことを思い出す。
――シロは、自身に向けられる負の感情を拾う。
――ミクのものと思われれば、向けられるものも同じじゃろうな。
――半端者なりに、力を学びつつある。
――何かの役に立つ⋯⋯かもしれんの。
その言葉を受けて、ミクはため息をついていた。
そっと持ち上げる手つきが、ほんの少しだけ遠い。
「⋯⋯あんたのこと、まだわかんないけどさ。今回、手伝ってくんない?」
そう言うミクの言葉は、明らかに弱々しかった。
『⋯⋯いいよ』
私はナナシの力を借りて、そう答えた。
ぱちくりと瞬かせたミクの瞳が、印象に残った。
まだ、ちゃんとミクを知らないけど。
いつも、警戒してる猫みたいに見つめてくるけど。
ミクが側にいて、黒い塵が積もったことは一度もなかった。
◇
「シロ。やってみて」
上から囁く声が落ちてきて、意識を引き戻される。
私は、椅子に座ったミクの膝にいる。
ここは写真を撮る前の身だしなみを、スタッフさんが整えてくれる部屋らしい。
鏡の前に並ぶ椅子。
ミクはその一つに座っている。
ドライヤーの音と、誰かの笑い声が重なっている。
賑やかさに紛れ込ませるように、ミクは呟いた。
「ほら」
⋯⋯話を聞いてなかった。
どうしようと困っていると、ミクが小さくため息をついた。
「もう一度言うから⋯⋯。ちゃんと聞いてよ」
ミクのジトッとした視線が絡みつく。
「『はい』なら右、『いいえ』なら左。手のひらをなぞるの。説明わかったら、ちゃっとやる」
私は念じて、ミクの右手のひらを圧でなぞった。
「オッケー。そんで、なんかヤバそうだったら、手のひらにぐぐっと来て」
念じる。
もう一度、右手のひらをなぞる。
「なんか、こそばゆいわね」
ミクは右手を開いたり閉じたりしながら、じっと見つめていた。
「ミクちゃんは、とっても可愛い」
ミクが、何気なくそう言った。
⋯⋯あ、これも私に聞いているんだ。
えっと⋯⋯。
迷っていると、頭をこつんと軽く叩かれた。
「そこは『はい』でしょ?」
ミクは、少しだけからかうように笑っていた。
「きゃ!?」
高い声の悲鳴が聞こえた。
そちらへ意識を向けると、しなやかな仕草の男が胸元に手を当てながら、こちらへ近づいてくる。
入り口の方を、何度も振り返っている。
「あ、もしかして、今日もジュウゴさんがやってくれる感じ?」
ミクがジュウゴへと話しかけた。
「そうよー。ミクちゃん。今日もよろしくー」
「今日もバッチリ決めてね」
「まかせといて。世界で一番可愛くしたげる!」
ジュウゴが片目を閉じながら、ミクに指を向けていた。
私はジュウゴを、じっと見た。
⋯⋯男の人、だよね。
「ジュウゴさん、苦手な虫でも見たん? 悲鳴あげてたっしょ」
「なんかねー、入り口のとこにヤバ目な人がいて、びっくりしちゃった」
胸元に手を当てたまま、ジュウゴはふぅっと息を吐く。
「あれ、絶対、堅気じゃないわ。新しい社長の関係者かしら」
「⋯⋯その人、制服着てたんじゃない?」
ミクの問いかけに、ジュウゴが頬に指を当て、首を傾げる。
「そう言われると、そうだったかもね」
「それ、あたしの兄貴だわ」
「えっ、⋯⋯ほんとに?」
「大マジ」
ジュウゴはじっとミクの顔を見つめる。
「すごい目つきだったけど、小さい頃からずっとあんな感じなの?」
「あー⋯⋯、どうだろ」
「写真とかないの?」
「うーん⋯⋯あんま見たことないかも」
「そっか。なんか、ごめんねー」
ジュウゴは両手を合わせて平謝りしていた。
「さて、そろそろ始めるわよ」
ジュウゴは黒い布を広げ、ミクにかけようとする。
そこで初めて、ミクの膝にいる私と目を合わせた。
じわりと、黒い塵が積もる。
「なーに、ミクちゃん。その⋯⋯気味が――あ、違う違う。個性的な人形」
「ん? あー、これ?」
ミクの視線が私へと向く。
「綺麗っしょ。シロってんだよ」
「きれい? シロって⋯⋯、名前?」
「肌とかツヤテカでさ、目もよく作られてんの。ほら」
ミクが私の両脇を抱えて、ジュウゴに見せつける。
「えっと⋯⋯」
わずかに固まったジュウゴと、息の掛かる距離で見つめ合う。
近すぎるよ。目に映る私が見えるくらいだし。
私は何度かミクの左手のひらを撫でる。「いいえ」と伝えたのに、お構いなしだった。
身体をこわばらせるジュウゴだったが、
「あら? ⋯⋯確かに、結構良い感じかも」
「でしょ?」
黒い塵は、はたと止まる。
「髪も傷んでないし⋯⋯、むしろキューティクルすごくない? やーん、枝毛とかないのうらやましー」
そう言うジュウゴとミクは、きゃぴきゃぴと楽しそうだった。
枝毛とかキューティクルとか、意味はよくわからないけど、悪口ではなさそうだ。
私は椅子の前にある鏡付きの台に置かれた。
すぐそばで、ミクがジュウゴにメイクをしてもらっている。
ミクの顔が少しずつ変わっていく。
ただの猫さんが、高貴な猫さんに変わっていく感じだろうか。
「きゃ!?」
「うわっ!」
今度は二人分の声が重なって聞こえた。
また誰かがクロヤに気づいたのかな。
やっぱり慣れないと、あの顔は怖いんだと思う。
「びっくりしましたね」
「本当だね」
声の主は、二人の男女だった。
きっちりとスーツを着た男性が、学生制服を着た女子の肩に手を回していた。
そこで気づく。
女子の方は、クロヤが買った雑誌に載っていた人だ。
「それじゃあ、わたし、皆に挨拶してきます」
「ああ、そうするといい。サナちゃん、また何かあったら、遠慮なく私に相談するんだよ」
「はい⋯⋯。その時はよろしくお願いしますっ。クシダ社長」
サナと呼ばれた女性は、ふわりとした笑顔で丁寧に頭を下げた。クシダ社長は、小さく手を振っている。
「こんにちは。今日もよろしくお願いします」
サナはメイクやスタッフの間を通り抜けながら、一人ずつ挨拶と会釈をしていく。
「ふふっ、相変わらずいい子ねえ、サナちゃん」
ジュウゴが頬に手を当てながら、ほうっと息をついた。
サナがミクの隣の席までたどり着いた。
「ミク、今日もよろしくねっ」
サナの口調は、少しだけ軽くなった。
「サナっち、よろしくー。いつも皆に挨拶して、めっちゃえらいね」
「えー、こんなの普通だよ」
少し困ったように笑い、サナは手を振っていた。
「それより、今日も席とっておいてくれてありがとうね」
そう言って、サナは隣の席へと座った。
「いやあ、あたしがなんもしなくても、誰も使おうとしてなかったし」
ミクがそう答えると、ジュウゴが微笑んだ。
「あなたたち、この時間だといつも隣同士だから、みんな覚えちゃったのよ。いいわねえ、仲良しで」
ジュウゴが、ふふっとこぼした。
「あれ? なにこれ?」
サナの視線が、鏡の側にいる私に流れてきた。
「これ、すごい精巧だね。綺麗⋯⋯」
サナの視線はやわらかい。
黒い塵は、感じられない。
「ミクちゃんのよ。髪がとってもキューティクルなお人形さんなの」
メイクの手を止めずに、ジュウゴが答えた。
「あ⋯⋯、ミクのなの?」
「うん。あたしのだよ。シロっての」
サナがもう一度、私を見つめてくる。
ちり⋯⋯、と。
私の中に嫌なものが生まれた。
この人⋯⋯、ミクのこと⋯⋯。
そう思った時には、私は念を飛ばしていた。
ミクの手のひらを、ぎゅっと押す。
「え⋯⋯」
こぼれるミクのつぶやき。
「あら、ミクちゃん。どっか痛かった?」
ジュウゴが言いながら、メイクの手を止める。
「え、と⋯⋯。あははっ、なんでもないの。兄貴に晩飯のおかず、あれ作ってーって、お願いすんの、忘れてたって思って」
「うそ⋯⋯。あの見た目で、ご飯作れるの⋯⋯」
ジュウゴが、失礼なことを言っている。
いや、それよりも。
私はミクを見つめた。心なしか表情が暗い。
サナは顔色一つ変えずに、隣の席へ座っていた。
「ジュウゴさん。あの見た目って、なんのことです?」
「入り口にいた、強面の男の子⋯⋯。ミクちゃんのお兄さんなんですって」
「ええっ、そうなんですか? 強そうで、私、びっくりしちゃいました」
ジュウゴとサナのやりとりは、怖いほど軽快だった。
サナがミクへと振り返った。
「ミクって、あんなお兄さんがいたんだね。うらやましいなあ」
「そ、そうでしょ? あー見えて、結構優しいんだよ」
わずかに白い顔をしたミクは、どうにかサナに返答をしていた。
『大丈夫?』とミクに声を掛けてあげたい。
だけどナナシはいなさそうだ。
思いを乗せて飛ばすのは難しい。
私だけじゃ、届かない。
他になにか方法がないだろうか。
「ははっ。同じ仕事をする同士、仲が良いのはいいことだね」
考えようとしてたのに、声に引かれて途切れてしまう。
他へ挨拶をすませたクシダ社長が、サナのそばに近づいてきた。
この人がミクの言ってた、新しい社長なのかな。
整った顔立ちに穏やかさがあって、とても優しそうだけど。
「クシダさん。こんちわー」
「ははっ、固いよミクちゃん。クッシーでも、クシッちでも、崩してくれて構わないよ」
クシダ社長は爽やかな笑みを浮かべた。
「前向きに、検討しとくねっ」
「頼んだよ」
ミクの肩に、クシダ社長はそっと手を添えた。
ミクは困ったように微笑んでいた。
「クシちゃん、申し訳ないけど、ちょっとどいてもらえる? まだ続きがあんのよ」
ジュウゴがミクの背後に回り込むと、クシダ社長は素直に一歩引いていた。
「さっ、ミクちゃん。今度は髪よ」
「ありがと、ジュウゴさん。あー、そしたら、ちょっと人形持ってもいい? なんか、落ち着くしさ」
「もちろんよ」
ジュウゴが私を手に取って、ミクへと差し出した。
ケープの中にふわりと招き入れられる。
ぎゅっと私を抱きしめる手は、少しだけ震えていた。
どろり。
一瞬、何が起きたのかわからなかった。
胸の奥に、いつもとは違うなにかが湧き出した。
いつもの塵みたいに、ふわふわしない。
ねばり、かぶさってくる。
それは、黒い泥のようなもの。
――こんなの、感じたことがない。




