第9話 おしおき
スタジオの隅で、壁に背を預けるクロヤ。
私は定位置の抱っこ紐に包まれ、離れた場所から、ミクを見ていた。
身体をひねって、しなやかに立つ。
写真を撮っては、また言われた通りに立ち方を変える。
その繰り返しだった。
「うーん、ミクちゃんどうしちゃったのかな? 今日はちょっと固いね〜」
カメラマンの声が飛ぶ。
「ごめんなさーい! ちゃっと切り替えまーす!」
ミクが明るい声で答えていた。
そこから次々とこなすポーズは、さっきよりも軽やかで、可愛らしくなっていた。
「はーい、いったん休憩入りまーす」
音がほどける。
さっきまで向けられていた視線や声が、ばらばらに散っていく。
人の動く気配が増えて、少しだけざわつき始めた。
ミクが、真っ直ぐにこちらへ向かってくる。
「初めてあたしが撮影されてるとこ、見たっしょ。どうだった?」
ミクの問いかけに、クロヤが顎ヒゲを撫でる。
クロヤが答える前に、ミクは言葉を続けた。
「まー、どうもこうもないか。ダサいとこ、見せちゃったし。いやー、ミクちゃんともあろうものが、お恥ずかしい」
ミクが苦笑するのを、クロヤはじっと見つめた。
そして、フッと笑う。
「ちょっと? なんで笑うのよー」
「いや、いいなって思ってよ」
「どゆこと?」
「普段見れねえミクを、見れたってのもあるが⋯⋯」
クロヤがミクの肩を軽く叩いた。
「失敗って認められる奴は、強え」
「⋯⋯」
ミクの視線が、クロヤから外れない。
「ダサくねえよ」
ミクはしばらく黙ったままだった。
それから、にへっと顔を崩した。
クロヤは頼りになるなあ。
二人のやりとりを見ていると、私までほっとしてしまう。
「⋯⋯へへっ、そっか」
何かを噛み締めるようにミクは、うなずいていた。
「あー、喉渇いたから水を飲もっと。⋯⋯あれ、ペットボトルどこ置いたっけ」
きょろきょろと見回しているが、それらしいものはない。そもそも、ミクが水を持ってる姿を、今日は見てない気がする。
「荷物のとこかな。ちゃっと行ってくるね」
さっと行ってしまいそうなところを、私を忘れないでと念を飛ばす。
上手く届いたようで、踵を返して戻ってきた。
「シロ、借りてくね」
「ああ」
抱っこ紐から、ミクの腕の中へ。
小走りで廊下へ向かうものだから、私の身体も揺れている。
廊下に出ると、スタジオの作られた空気が遠ざかり、急に人気がなくなった。
いくつかの扉が並んでいた。
貴重品を除いた、私物をまとめて置く部屋は、一番奥側だった気がする。
ミクは迷いない足取りで、そちらへ向かっていく。
並んだ扉の一つが、少しだけ開いていた。
トイレマークのついた扉だった。
その前を通り過ぎようとして――
「ミクって、まだ前の感じ抜けてないよね」
中から声が漏れてくる。
聞き覚えのない声だった。
「わかるー。前の社長のお気に入りだったじゃん。その時と同じっていうかさ」
「もう、いないのにね」
身体の揺れが止まる。
ミクの手に、少し力が入っていた。
「これからは、なんとなくサナっちの方が前に出そうじゃない?」
「あーしもそう思う。今までと同じにはいかないってかさ。サナぴょんが、こっからのVIVIDの顔だもんね」
「二人とも、何言ってるのよ。そんなことないって」
この遠慮がちに言う声は、聞き覚えがあった。
「だって、新シャチョーのクシダさんと、仲良いいんでしょ?」
「そーだよ。今日だって、肩を抱かれて一緒に来てたじゃーん」
「あれは、たまたまだってば。クシダさんとは、なんにもないよ」
「ほんとにー?」
「めっちゃ怪しいんですけどー」
サナが否定しても、他の二人は前のめりに食いついていく。
「二人とも、そういうのやめよ。⋯⋯ほら、誰かに聞こえたら、変に思われるでしょ」
ミクはハッとして、足音を立てないようにしながら早足で通り過ぎた。
一つの扉を開ける。
そこには、階段があった。
◇
かつん――かつん――
うつむいたミクの足音が、階段室に響く。
『5F』と文字のある扉の前で、ミクは階段に座り込んだ。
私を扉に寄りかからせると、ミクは膝に顔を突っ伏したまま、動かない。
「あー⋯⋯、みんな、そんなん思ってたんだ。ショックだわー」
ぽつりと呟いた声が反響する。
「雰囲気、いい感じだと思ってたの。あたしだけだったんだ⋯⋯」
少し前の私も、こんな感じだったのかなと思った。
嫌な言葉を投げかけられて、何かが削られていく。
あの感じは、よく知っている。
言いたいことを好きに話す方は、すっきりするのかもしれない。
だけどその分だけ、受ける方は重くなる。
――ずるい人たち。
そう思った。
私は念じて、ミクの手のひらを優しく撫でる。
「⋯⋯シロ?」
言葉はダメだ。今の私には出来ない。
だけど、話せなくても伝えられるはず。
だったら――。
イメージを膨らませる。
右肩を二度、ぽんぽんと叩くように思いをこめる。
ミクが少し目を丸くして、肩へと手を伸ばしていた。
⋯⋯どうかな。届いてるといいんだけど。
「あんた⋯⋯。へへっ⋯⋯兄貴みたいなことするじゃん」
ミクは人差し指でそっと目尻を拭いながら、小さく笑ってくれた。
ぎぃ、と下の方で音が聞こえた。
重なる足音と、ぶつぶつと囁く声。これはさっきの二人組のものだ。
ミクはちょっとだけ緊張した顔をしていた。
「てかさ、サナもサナでうまいよね」
「わかる。ああいうのが一番上に行くタイプじゃん」
「あーしとサナ、学校同じじゃん? 先生たちのウケ、めっちゃいいよ。作ってるに決まってんのにね」
「先生たち、ほんとああいうの好きだよね」
聞きたくない会話を垂れ流す。
どこでも、誰に向けても、そうやって刺さる言葉を言ってしまう。
それを、ミクだけが受け取っている。
やっぱりずるい。
おしおきしよう。
想像するのは――階段を登ったミク。
身体の大きさ。
足音の感じ。
うん、ついさっきのことだからわかりやすい。
かつん――
生まれた足音はミクのすぐ側で鳴った。
ミクはびくっと身体を縮こまらせた。
これを一段ずつ、進めていく。
二人が居るだろう『4F』の扉まで。
かつん――かつん――
「んんっ! 誰だろ? スタッフさんかな?」
「お疲れ様で――」
声はそこで途切れた。
そこで私も一度、音を止める。
階下の二人に不安が広がる気配がする。
「え⋯⋯、え?」
「ど、どうゆうこと? 足音⋯⋯、き、聞こえたよね」
少しだけ、間をあける。
そして、ここからはクロヤを思い出す。
しかも、怒ってる風のやつ。
これはとっても想像しやすい。
――ダンッ!
「「ぎゃ!?」」
猫が潰れたような声が重なる。
そこで止めておく。
しん、となんの気配も続かない。
「ちょ、マジでかんべん⋯⋯」
「な、なんなのよ⋯⋯」
扉が勢いよく開かれ、逃げるような足音が遠ざかっていく。
遅れて、扉がひとりでに閉じた。
「あんたが⋯⋯、やったの?」
ミクの問いかけが落ちてくる。
はい、と右手のひらをなぞる。
「ぷ⋯⋯」
何かがこみ上げてきたらしいミクが、口元を押さえていた。
けれど、こらえきれなくなって溢れ出す。
「ぷははっ! シロ、すごいじゃん」
腹を抱えて、でも少しだけ笑い声は落としていた。目尻に浮かぶ涙を、また拭っていた。
まだ、辛いのかな。
でも、たくさん笑ってるのはなんでだろ。
ミクが私を抱えて、ぎゅっとした。
「なんか、変なことあれこれ考えんの、バカらしくなったわ」
私に向けられる視線が、ちょっとだけ強くなる。
どこか、クロヤに似ている気がした。
「そんな暇あんなら、シロや兄貴とバカやってる方がよっぽどいいし」
ミクが私の身体を持ち上げて、目線の高さを合わせた。
「シロ、あんがとね」
へへっと笑うミク。
私はミクの右手のひらを優しくなぞった。




