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第4話 来ちゃいけない場所

 ドドドドド⋯⋯。

 イクのエンジンの振動が、身体の奥まで響いてくる。

 赤く灯った信号機に、ずっと変わらないで欲しいと念を送り続ける。


 けれど、願いもむなしく、青へと変わってしまった。


「動くぞ」

「おっけー」


 クロヤとミクの声が後ろから聞こえてくる。


 ブォン!!

 さっきまで静かだったのに、急に世界がうるさくなった。

 

 クロヤの胸元に括り付けられた抱っこ紐ごと、私の身体がぐいっと後ろへ引かれた。

 振り落とされそうでハラハラする。

 頼りになるのは、その紐と、すぐ後ろにあるクロヤの身体だけだ。


 ――速い。

 景色が、流れていく。

 建物も、電柱も、道も。

 全部が横に引っ張られるみたいに、びゅんびゅんと後ろへ飛んでいく。


 風が、顔にぶつかる。

 ドレスの裾がばたばたと揺れて、身体が浮き上がりそうになる。


 曲がったり、加速したり――

 振り回される視界に、理解が追いつかなかった。


 ⋯⋯ううっ、早く降ろしてほしい。


 ――キイッ!

 流れる景色が緩やかになって、振動も少なくバイクが止まった。


 信号はない。

 だけど横断歩道はある。

 黄色い帽子をかぶった子供たちが、手をあげて渡っていく。


 子供の「ありがとー」という声に、クロヤが片手を軽くあげていた。

 

 そんな子供たちを見つめていると、私の頭にぽふりと触れた。

 クロヤの手だった。


「髪が乱れまくってんな」


 手櫛で髪を整えてくれる。


「ちいせぇヘルメットってあんのかな⋯⋯」


 ぼそっと呟いている。 


 ブォン!!

 世界がまた加速する。


 胸の奥が、ぎゅっと縮む。

 

 でも――


 さっきほどじゃなかった。



 校門を目指して、女子学生たちが流れていく。

 バイクと、抱っこ紐の人形。

 通り過ぎる女子たちが、興味を持たないわけがなかった。


 最初は私を見つけてくすりと笑う。

 けれど、その視線が上に流れていくと、びくりと震えて目を逸らす。

 そんな女子生徒ばかりだ。


 何に怯えているのか。

 私もふと視線を追ってみると――


 クロヤの三白眼。


 ⋯⋯ひえっ。

 反射的に、私もそう思っていた。


「兄貴、ありがとっ!」

「おう」


 ミクは手を振ってから、その流れに向かっていった。

 快活に歩くたびに、まとめられた髪が揺れる。

 友達らしい数人が、ミクの元へ自然と集まっていく。

 流れに溶け込み、ミクの後ろ姿が校内へと吸い込まれていった。


 クロヤは踵を返した。

 バイクを押して道なりに進んでいく。

 学校へと向かう女子生徒の流れに、逆らうクロヤとバイクは目立つ。

 相変わらず視線を向けられるが、クロヤが気にする素振りはない。


 なんで平気なんだろう。

 私なんか誰かにじっと見られると、目を逸らしたくなる。

 何を考えてるのかなって、びくびくしてしまう。


 特に男の人の視線は苦手だ。

 目つきが鋭くて、表情も硬いと、怒ってるのかなって、心が縮こまる。


 ミクの学校から少し離れると、さっきまで周りに満ちていた女子のざわめきが、少しずつ遠ざかっていった。

 代わりに、クロヤの押すバイクの音だけが、やけに大きく響く。


 やがて別の学校が見えてきた。

 けれど、なんだかさっきの明るい空気とは違う。


 嫌な感じがした。

 このまま進んではいけない。

 そんな気がした。


 クロヤは足を止めない。

 そのまま、見慣れているみたいな顔で校門をくぐっていく。

  

 身体の芯が、ひやりとした。

 視界いっぱいに、学生服を着た人たちがいた。

 大きな身体。低い声。

 圧みたいなものが、一気に押し寄せてくる。

 男の人たちだと気づいた瞬間、

 反射的に、身体が縮こまる。 


 ……やっぱり、ここは来ちゃいけない場所だった。



 顔――顔――顔――

 前も、横も、後ろも。

 全部、男の顔ばかりだ。


 どこを見ても、逃げる先にまた別の顔がある。

 逃げたいのに、動けない。

 見られているだけで、身体が固まる。


 私は絶望していた。


 クロヤの机の上。

 私は、そこに置かれている。

 背中に当たるのは、積み上げられた教科書たち。

 二本の一升瓶よりも、ちょっと居心地が悪い。


「こいつ⋯⋯、マジでクロさんのもんなのか?」

 

 身体の芯まで響く太い声。

 顔を上げると、鬼みたいな赤い髪の男がいた。

 じっとこっちを見てくる。

 

「おう。間違いねーよ。だけど、なんでガッコに連れて来たんだろ?」

 

 別の低い声が聞こえた。

 ぼさぼさな髪を逆立てた金髪男が、首を捻った。

 目つきが荒くて、私は思わず意識を逸らす。


「あー、こいつの服を縫うのに、トーマに色々聞きてえからって言ってたわ」


 そっちを見る。

 耳にも、口元にも、金属が光っている男がニヤッと笑った。

 なんだか、近づきたくない。


 すがる思いで席の主を探す。

 ――いない。

 

 クロヤの姿は席になかった。

 ついさっき、私を置いて教室を出て行った。


 クロヤも怖いところはある。

 おもに、あの目つきとか。

 けれど、今のところ私に乱暴したことはない。

 

 聞き慣れない荒い声が、すぐ近くで飛び交う。

 じろじろとした視線が刺さる。

 なにをしてくるか分からない男たち。


 クロヤ。

 お願いだから、早く帰って来て。


「ん⋯⋯、こいつ⋯⋯」

 

 赤髪の男が顎をなでながら、ずいっと顔を近づけてきた。

 鼻息がドレスを揺らす。


 赤髪の男が、口を開きかけた。


 ――ひうっ!

 なにっ!? なにを言うの⋯⋯?


「結構、マブくね?」


 ――まぶ⋯⋯、なに?

 言葉の意味がよくわからない。


「あー、それな」

「金髪がいい感じだよな。俺ほどじゃねーけど」

「てめえの髪は、プリンみてえじゃねえか。染めて出直せや」


 ぎゃははははっ、と笑いの大合唱が起きていた。

 

 なんだろう。

 さっきまでみたいに、身体が固まらない。

 

 悪い気持ちが、こっちに向いていないからだろうか。


 負の感情を向けられると、じわじわと溜まっていくはずの力が、まるで増えない。

 クロヤに拾われてから、誰も私に不快な気持ちを抱かないのだ。

 

 クロヤも、ミクも、ここにいる人たちも。


 ガラガラガラ。

 扉が開いた。

 笑い声がぴたりと止まった。一斉に視線がそちらへ向く。


「⋯⋯クロさん」

 

 男の一人がぽつりと言葉をこぼした。

 静けさの中で、紙をめくる音が妙に耳に残る。

 ふと見れば、教室の生徒たちは一人を除いて、窓側にあるクロヤの席まわりに集まっていた。

 

 ――ぺらり。

 廊下側の席に座る男が、本をめくっている。くいっと眼鏡をかけ直した。


 クロヤが歩くと、床が軋む。

 近づくにつれて、人の輪が自然に割れた。

 ぼさぼさな金髪男が、ニカッと笑った。


「トーマの奴には会えたんすか、クロさん」

「まあな」


 短く返して、クロヤは周囲を一瞥した。


「おめえら、こんなとこで群がって⋯⋯。なんかあんのか?」

「いや、これっすよ。これ。クロさんの新しい拾いもん」


 口元に金属をつけた男が、私を指差す。


「あー、シロか」

「「「シロ?」」」


 なぜかあちこちから、私の名前を呼ぶ声が重なった。


「肌が白いからな」


 クロヤは席に腰を掛けながら、平然と言った。


「あー、⋯⋯そうっすね」

「ははっ⋯⋯。いいんじゃないっすか」


 互いに目配せをした男たちが、乾いた笑いを漏らしていた。


 ――ぺらり。


 廊下側の席から、その音がまた静かに響く。

 本を読んでいた眼鏡の男が、ゆっくりと口を開いた。


「⋯⋯ちょっと、静かにしてくれないか。勉強してるんだ」

 

 一瞬、空気が止まる。


「⋯⋯いきなりなんだよ」


 赤髪の男がそちらへ顔を向け、低い声で唸る。


「いきなりじゃない。教室には、君たち以外だっているんだ」

「てめえ以外は、ここに集まってるけどな」

「とにかく、少しは静かにしてくれ」

「んだよ、空気悪くしやがって」


 眼鏡の男は、再び手元の本へと視線を落とした。

 赤髪の男が睨めつける。

 他の人たちも、眼鏡の男へ無言の圧を高めた。

 空気がピンッと張りつめていく。

 

 私に向けられてないのに、胸の奥がきゅっと締め付けられた。


「⋯⋯今日も勉強か?」

「⋯⋯」

「聞こえてんだろ⋯⋯ガリ勉野郎」


 赤髪の男の舌打ちに、私はビクッとしてしまう。


「今日も勉強⋯⋯、明日も勉強⋯⋯。やることがそれしかねえのかよ?」

「⋯⋯好きでやってるだけだ。君らに関係ないだろ」

「好きっ? ははっ⋯⋯勉強がっ?」


 赤髪の男が肩を揺らして笑う。


「そんなくだらねえこと――」

「おい」


 クロヤが短く響いた。

 たったそれだけ。

 腕を組んだまま、視線を向けることすらしない。

 けれど、赤髪の男は口を閉じ、ちらりとクロヤを見つめた。

 一度だけ息を大きく吐くと、


「悪かったな」


 眼鏡の男がいる方へ、言葉を投げかけていた。

 返事はなかった。

 空気が、すっと引いていく。


 わずかに白けた様子の男たちは、何を言うでもなく席へと散っていった。


 争いがなくて良かった。

 私がほっとしかけた――

 そのときだった。


 胸の奥に、ぬるりとしたものが染み込んできた。


 ずっとからっぽだったのに、黒い塵のようなものが内側に積もっていく。 


 私はこれを知っている。

 嫌な気配が、私に向けられた時に生まれる塵。


 誰が向けてきているのかは、わからない。

 けれど、間違いなくいる。

 この部屋の中に。

 それだけが、はっきりと分かる。



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