表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

5/9

第5話 「手」

「だからこれは、こうなるわけで――」


 教師が黒板にチョークを走らせる。

 白い数字や記号が、少し上斜めに向かって並んでいく。

 

 黒板から意識を逸らして、もう一度、私は教室の様子を伺ってみた。

 

 ノートをとっている生徒がわずか、

 こそこそ話しているのが二人、

 突っ伏しているのがほとんど。


 教師が一瞬だけこちらを見た。

 クロヤと私を、視線が行き来する。

 ため息を一つ。

 何も言わず、背を向けた。

 教師も私を気にかけている。

 けれど、嫌悪とかではなく呆れてるように見えた。


 嫌な気持ちを向けてるのが、誰なのか。

 わからない。

 でも、確かにいる。


 内側に積もる黒い塵が、小さな砂山くらいにはなっていた。


 ――ぞわぞわっ

 この何かに撫でられる感覚には覚えがある。

 ナナシさんが近くにいるようだ。


「⋯⋯なんじゃ、つまらんのう」


 気だるそうなナナシの声が響いた。

 クロヤの前の席を覆うように、黒い靄がじわりと湧き上がる。


 思わず私は教室を見回す。

 クロヤは頬杖をついたまま、机の上の教科書をぱらりとめくる。

 ぼんやりと眺めていたが、ところどころで指が止まっていた。

 教師はやる気のない生徒に、説明を続けていた。


 ⋯⋯誰も、気にしていない。


「ミクのように霊感があって、ようやく違和感を覚える。その程度しか、今はしておらんよ」


 そんなこともできるなんて。


「おぬしと違ってな。ワシは力の使い方を心得ておるからの」


 ナナシが前の机に腰を掛けた。

 生徒と重なっている。

 ナナシも、生徒も、気にした様子もない。

 なんだか気味が悪かった。


「それよりも良かったのう⋯⋯」


 ナナシは口角をわずかにつり上げた。

 言っている意味が、よくわからない。


「ここなら獲物には、困らないじゃろ⋯⋯」


 ⋯⋯獲物。

 その言葉が、胸の奥に沈み込んでいく。


「忘れたのか? ⋯⋯あと一人じゃ」


 ⋯⋯まがつもの。

 この前、言っていたやつ。


「そうじゃ。よく覚えておったの」


 ぱち⋯⋯ぱち⋯⋯と、ナナシが力ない拍手をする。


「おぬし、たくさんの人間を畏れさせてきたじゃろ。それが、あと一人⋯⋯。そうすれば禍つモノになれる」


 まがつものって、なに?


「⋯⋯気になる、か?」

 

 ナナシの縦に細く伸びる瞳孔が、私を捉えて離さない。


「そうじゃのう⋯⋯。ひと言で伝えるならば⋯⋯」


 知ってはいけない。

 そんな気がするのに⋯⋯。


「なにもせずとも、負を溢れさせてなあ」


 ナナシが目をわずかに細める。


「気づいた頃には、周りが勝手に壊れておる」


 ニイッと牙を剥き出しにした。


「⋯⋯そんな物のことよな」


 言いたいことは終わったのか、ナナシはもう私を見ていなかった。


 大きく伸びを一つ。


「ふぁ~あ」


 そしてナナシは欠伸を残し、黒い霧へと形を崩した。

 風もないのに形だけがほどけていく。


「じゃあこの問題を⋯⋯、クロヤ。お前がやってみろ」


 馴染みつつある名前で、我に返った。


 窓越しに遠くを見ていた三白眼が、黒板を鋭く捉えた。

 周囲の生徒らも、どうするんだろうとちらちらと意識を向けてくる。

 

 クロヤが勢いよく立ち上がる。椅子が床を擦る音が響いた。

 不機嫌そうに頭をかき、教壇まで歩いていく。

 

 教師が息を飲んだ。

 黒板へ視線が集まる。


 クロヤがチョークで数字を書き殴っていく。


「これでいいか?」

 

 どうでも良さそうにクロヤは言った。


「⋯⋯正解だ」

「「「おおっ⋯⋯!」」」


 にわかに教室がざわめいた。


「クロさん、勉強してねえのに⋯⋯。相変わらず、なんでわかんだよ」

「この前、聞いてみたら、たまたま教科書で見かけた内容を使ってるだけだってよ」

「⋯⋯は。マジかよ。さすがだよな」

「なっ。クロさん、ヤバすぎだろ」


 こそこそと話す男たちのざわめきは明るい。

 クロヤは興味もなさそうに席へ戻り、勢い任せに椅子へ背を預けた。



 昼間の喧騒が嘘のように、放課後の教室は静かだった。

 窓から入る風が、私の髪を優しく撫でていく。


 部屋にいるのはクロヤと、もう一人の男子生徒。

 黒い塵が溜まる感覚はない。

 

 私はクロヤの机に座らされ、身体には古いドレスの代わりにタオルを巻かれていた。

 

 クロヤの三白眼が、鋭く古いドレスを射抜く。

 針を持つ手を細かく動かしている。

 その隣には前のめりに椅子に座っている、トーマという人がいた。


 茶髪で、首元にチェーンを掛けている。

 雰囲気が柔らかいおかげか、あんまり怖くはなかった。


「破れたとこは、かなりダメージいってるんで、広がらないように⋯⋯、そうそう、うまいっすね」


 トーマの指示に、クロヤは無言で従っていた。

 指先で糸を整え、短く切る。


「で、裏から当て布を入れて⋯⋯、あー、いい感じっすよ」


 針を通していく。

 クロヤの手は少しぎこちない。

 だが、止まることはなかった。


「さすがっす、クロさん。思い切りがいいっていうか⋯⋯迷わないっすね」

「指示がうめえだけだろ」


 トーマへ見向きもせずに、低い声で言う。

 目を丸くしたトーマは、ヘヘッと笑いをこぼしていた。

 

 少しずつ形を取り戻していくドレス。

 破れた時は嫌な気持ちでいっぱいだったのに。

 今は、何度も目で追ってしまう。

 

「とりあえず、右腕のとこはこれでいいな」

「クロさん、お疲れさまっす!」

「残らせて悪かったな」

「いえいえっ。お役に立てたなら、何よりっす」

 

 クロヤは古いドレスの右腕をじっと見つめていた。

 そして――

 フッと、わずかに口元を緩めた。


 綺麗に元通り、というわけではなかった。

 ぎこちなく縫われた場所は、どこなのかわかる。

 私は古いドレスを見つめ続けた。


 ⋯⋯きれい。


 不思議と、そう思っていた。


「一番破れたとこは終わったっすけど、他はどうします?」


 トーマの言う通り、古いドレスはほつれたり、小さな穴がいくつかあった。


「今度また頼めるか?」

「わかりました。もちろん、オレでいいなら、任せてください」


 トーマは屈託のない笑顔で言った。


「ただ、あれだったらオレの親に頼みましょうか? 仕事にしてるだけあって、めっちゃ早いっすよ」

「いや、いい」


 クロヤは私のことを見つめた。

 いつもは怖いはずの目なのに。

 今は怖くなかった。 


「俺がやりてえからな」


 そう言うクロヤは、いつもみたいに無表情だったけど。

 

 頼まれたからでも、仕方なくでもない。

 その言い方だけは、はっきりわかった。


 どうしてか、目が離せなかった。


 胸の奥の方に少しだけ、あったかいものがふわりと浮かんだ。

 

 これはなんだろう?

 

 けれど、それはすぐに、溶けてなくなってしまった。



 私を右腕に抱えたクロヤが、グラウンドを堂々と通り抜ける。

 荷物は私だけだ。

 教科書なんかは全部学校に置きっぱなしらしく、机の中に詰めこまれていた。


 クロヤは歩いているだけ。

 それでも、あちこちから挨拶や明るい声を掛けられる。


 校舎横にある自転車置き場にたどり着く。

 視界に飛び込んで来るのは、黒く重たいバイク。

 あまりにも強い存在感。

 周りにある自転車たちが、どこか遠慮しているように見えた。


 バイクに掛けてある抱っこ紐を、クロヤが手に取る。

 登校時に私が括られていたものだ。


 バイクのヘルメットを被りかけて、クロヤがふと動きを止める。


「⋯⋯」


 眉間に凄みが増していく。

 え、何かあったのかな?

 私、悪いことしてないよね?


「晩飯⋯⋯。何にすっか」


 ⋯⋯よかった。

 怒っていたわけじゃなかった。

 張り詰めていたものが、ほどけていく。


 クロヤは何事もなかったかのように、抱っこ紐を広げていく。

 前向きに私を収めると、ベルトを締めた。

 不思議と、少しだけ落ち着いた。


 クロヤは座席を跨いで、制服の胸ポケットに手を入れて、


「⋯⋯鍵。⋯⋯ゴリ先に預けっぱなしか」


 クロヤは舌打ちを一つ。


「職員室にいっかな」


 髪を乱雑にかき上げる。

 私を抱えて、バイクのシートに降ろす。


「ちょっと待ってろ。すぐ戻る」


 クロヤはそう言い残すと、踵を返した。

 早足で、ずかずかと来た道を戻っていく。


 風が、少しだけ強く吹く。

 ぽつんと。

 バイクの上に、私だけが残された。


 ⋯⋯だいじょうぶ、かな。

 ⋯⋯置いていかないで、ほしかった。


 コツ⋯⋯。


 自転車置き場に、音が響く。

 胸の奥に黒いものが、ちりちりと積み重なる感覚。

 ⋯⋯誰か、いる。

 身体にひやりとしたものが走った。


 視線を上げた。

 自転車置き場の入り口。

 そこには男が立っていた。

 眼鏡が陽を反射して、目元が見えない。


 だが、間違いなく私を見つめていた。

 男は周囲を見回す。

 誰もいないことを確認するように。


 コツ⋯⋯コツ⋯⋯コツ⋯⋯。


 ねっとりとした足音が、迷いなくこちらへ近づいてくる。

 

 男は冷たい視線で、私を見下ろしてきた。

 荒い息が、かかる。

 口元が、ゆっくり歪む。

 

 次の瞬間――


 私の身体を両手で握り込んだ。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ