第28話 繋いだ想い
「シキっ! てめえっ、――ぐっ」
抜けきらない痛みが邪魔をするのか、クロヤの踏み込みは上手く形にならない。
わずかに姿勢を崩す。
刹那、私はすでに動いていた。
クロヤの腕からするりと抜ける。
振り上げた刀を、ヤクモが振り下ろそうかという瞬間。
『シキさんっ!!』
言葉にしても、届かないのはわかってる。
それでも気持ちをぶつけるしかなかった。
『死んじゃダメぇぇぇっ!!』
瞬間。
クロヤも、シキも――届かないはずの私の声で、同時に振り向いた。
叫びながら。
私は全力で、シキの額へ頭からぶつかった。
頭突きの勢いのまま、シキの身体が横へと崩れた。
白刃が鈍く煌めく。
私のドレスの裾だけを、斬り裂いた。
避けられた。でも、まだ終わりじゃない。
ぎぎっと、ヤクモの首が、不自然な音を立てて向きを変えた。
ヤクモの白目がシキを捉えた。
『よくわからないけどっ、私の声っ、聞こえてるんでしょ!』
「⋯⋯」
『早く、立って!』
シキは立たない。動こうとしない。
引きずってでも離れないと、次は当たる。
ぐぐっと念をシキの身体へ向ける。
けれど、砂利の上を少し引きずるだけ。
ダメ⋯⋯重すぎる。
ヤクモが刀を腰元へ構えた。
それと同時。
影が飛び込んできた。
「ふっ!」
クロヤの蹴りが鋭く伸びる。
ヤクモの胸元を容赦なく蹴り抜いた。
背後にあった植木へ、ヤクモが突っ込む。
枝の折れる音が、鈍く響いた。
わずかな距離。
わずかな時間稼ぎ。
植木の中でヤクモが立ち上がろうと、もがく。
その傍らで、クロヤはシキの胸倉を掴んだ。
「てめえ、死ぬつもりかっ!」
「オヤジは⋯⋯、ヤクモは⋯⋯私を恨んでいるのでしょう。私が死ねば、きっと⋯⋯」
その言葉に、私の内で何かが弾けた。
それはクロヤも同じだったようで。
「ふざ――」
『ふざ――』
私は勢い良く飛び込む。
クロヤが頭を大きく振りかぶる。
「けんなっ!」
『けないでっ!』
シキの眉間。
二人揃って、頭突きを叩き込んだ。
クロヤは胸倉から手を離さない。
シキが倒れることを許さない。
瞳は怒りで燃えていた。
「ぐっ⋯⋯なにを⋯⋯」
「見たんだろ、てめえも」
クロヤは強く問いかける。
返答はない。
だが、シキが視線をそらす。
それで十分だった。
『あなたがいなくなって⋯⋯』
「弟に、家族を殺させて――」
私とクロヤの声が、重なった。
『ヤクモが救われると思ってるの!?』
「ヤクモが救われると思ってんのか!?」
シキの瞳が大きく見開かれた。
「⋯⋯ヤクモは私を許さないでしょう。故意でないとしても、オヤジを殺したも同然と⋯⋯」
『あなたは、ヤクモさんの記憶を見て、どう思ったの』
私はシキの目の前で身体を浮かせる。
『何か、伝えたいって思った。⋯⋯そうじゃないの?』
「⋯⋯」
シキは黙ってしまう。
けれど、私から目を逸らさなかった。
『だったら、シキさんが簡単に諦めないでよ』
「しかし、私に出来ることなど⋯⋯」
『一緒に居たいからって、ヤクモさんはずっと頑張ってきたんだから!』
シキの喉が、小さく震えた。
「血がどうとか、役に立つとか、そんなもんどうでもいいだろ」
クロヤがシキの胸倉を掴み直す。
「互いが、一緒に居たいって思えばよ⋯⋯それで十分だろ」
クロヤの低い声。
いつものような圧はない。
感情を押し付けるわけでもない。
けれど、静かに染み渡る。
深い深いところまで。
言葉を並べ立てるよりも。
同じことで迷い、苦しみ、
心から溢れ出た一言には。
本当の強さが、あった。
唇を震わせながらも、シキが何かを言おうとした――。
その刹那。
ぱきり、と。
枝を踏みつぶしながら動く気配がした。
全員が振り向く。
ヤクモが、立っていた。
でも、同じじゃない。
右手に握る刀。
切っ先は、真っ直ぐとシキへ。
その動きは、あまりにも自然だった。
糸で吊るされたようなぎこちなさは、もうない。
左手までも添えて、斬るための構えをとる。
白目を剥いたまま、涙が溢れ出る。
あまりにも、歪な姿だった。
「オマエガ――」
ヤクモの両膝がわずかに沈み込み、
「コロシタァァァ!」
跳躍。
一息で、シキとの距離が消える。
その勢いのままに。
白刃が容赦なく振り下ろされた。
『シキさんっ』
予想外のヤクモの動き。
私もクロヤも反応しきれなかった。
凶刃が届いてしまう。
私は、そう思っていた。
けれど。
シキは身を捩った。
前髪が数本だけ舞う。
右肩に浅い傷を負い、血が舞った。
それでも――避けた。
ヤクモがもう一歩踏み込もうとする。返す刀で、斬り裂こうとしていた。
クロヤがヤクモへと飛び込んだ。
右腕を両手で抑え込もうとしていた。
けれどヤクモの力は、凄まじい。
クロヤごと振り回そうとする。
咄嗟だった。
クロヤの身体に、私は念を送る。
痛めないように。
壊れないように。
支えながら、クロヤごと少しでも重みが増すように。
それでもヤクモが、強引に刀を振るう。
抑えるクロヤの両手を抜けた。
刃が解き放たれる。
だが先ほどより、明らかに勢いがない。
シキが後ろへ飛び退くようにして躱した。
数歩の余力がかろうじて生まれる。
刃と殺意は途切れない。
シキだけに向けられる。
クロヤも、私のことも、いないかのように扱われる。
クロヤがヤクモの背後から飛びかかる。
羽交い締めにして、少しでも一歩を遅らせようとする。
けれど、ほとんど効果はない。
クロヤを引きずるように、ヤクモはなおも踏み込んだ。
私はクロヤを支え続けようとしたが、
「シロっ!」
クロヤの声が飛ぶ。
「シキを支えろ。立て直せっ!」
『でも、そしたらクロヤがっ!』
「狙いは明らかだろっ!」
息を切らしながら、なおも叫ぶ。
「俺が眼中にねえ間は、まだいけるっ!」
『⋯⋯クロヤ。⋯⋯わかった』
ふらつきながら立ち上がろうとしていたシキへ、向き直る。
力を込める。
シキの自重を軽くするために。
「あなたの力ですか⋯⋯。助かります」
シキはどうにか自分の足で地面に立った。
ただ、代わりにクロヤを支えられない。
半人前の私では、二人へ同時に力を伸ばせない。
クロヤの踏ん張りなど、意味を成さない。 そう言わんばかりに、ヤクモは見向きもしない。
一歩、また一歩。
着実に進んでくる。
『シキさん! 決めてっ!』
「な、なにをですか」
『ヤクモさんに、どうしてあげたいのっ!』
決める、そして突き進む。
それはシキさんが決断するしかない。
シキの喉がひゅっと鳴った。
迫りくるヤクモ。
白目を剥いたその姿は、人とは懸け離れている。
けれども。
私には、泣いているヤクモしか見えなかった。
『ヤクモさんは、あなたにとってどういう存在なのっ!』
その言葉が。
シキの奥深くへ、突き刺さった気がした。
「私は⋯⋯」
地面を踏みしめるシキの両足に力がこもった。
「話したい⋯⋯」
一歩。
シキが、自分から踏み出した。
あと一歩で再び刃の間合いに入る距離で。
「ヤクモと、話したい⋯⋯」
シキが、初めて見せる――何かを強く求める瞳。
私が知っていたシキさんは、
眼鏡の奥でどこか冷めきっていて、
どんなことにも熱を持たない氷だった。
今だけは違う。
このまま終わりたくない。
届けたいと。
強い想いが心を燃やしている。
そんな風に見えた。
ヤクモの白目が、ぴくりと揺れた。
右手に握る刀。その腕に添えられた左手が、震える。
止めたいのに、止まれないみたいに。
――その刹那。
「ヤクモっ!!」
横合いからリクドウがタックルを叩き込み、ヤクモの胴へ食らいつく。
「このっ⋯⋯止まりなさいよっ!!」
ミクは刀を握る右腕へ、両腕ごとしがみついた。
背後ではクロヤがなおも身体ごと押さえ込み、三方向から動きを止める。
ヤクモの足が鈍る。
だが、三人掛かりで、ようやくわずかにだ。
「やれやれ、どいつもこいつも無茶ばかり⋯⋯」
ナナシの声が闇夜から降ってくる。
「特に半端者⋯⋯。繋ぎ損ねた余波で周囲まで巻き込みおったな」
言葉は厳しいが、声質はどこか柔らかい。
「さて、怨霊とヤクモ⋯⋯。どちらも壊さぬなら、ワシに出来るのは⋯⋯、おぬしらまとめて重しにするぐらいよ」
ぞわり、と。空気が震える。
「気張れよ、小僧共」
三人が抑え込んだヤクモへ、さらに上から圧が落ちる。
瞬間、ヤクモの足元が沈み、砂利が強く鳴った。
クロヤも、リクドウも。
苦悶の表情で、それでもヤクモから離れない。
刀を持つヤクモの右腕が、しがみついたミクと共に下がってくる。
ミクに加わった圧が、抗する怨霊を上回っていた。
潰すためじゃない。
三人を介して、ヤクモをこの場に縫い留めるためだけの重さだった。
「皆の身体はそう持たん。何をするにしても、手早くな」
『うん』
私はシキへと向き直る。
前へ進もうとしているシキの足は、おぼつかない。
その一歩を止めさせない。
そのためだけに、私は力の全てを注ぎ込む。
「オマエガ、コロシタァァァ!」
「オヤジ⋯⋯。本当に申し訳ありませんでした⋯⋯」
叫ぶヤクモに向かい、苦しそうにシキは顔をあげた。
視線はヤクモへ向いている。
だが、見つめているのは、ヤクモの奥にいる何か。
そう思えた。
「あの日、オヤジへ手を伸ばさなかった罪⋯⋯。それは、死ぬまで背負っていきます」
刀がある。
許さないと叫ぶ怨霊がいる。
縛りを跳ね除ければ、容易く死に触れる距離。
「ですが――」
それでもシキは、もう怯まなかった。
「この子に、罪はありません」
ヤクモの白目が、ぴくりと揺れた。
「誰よりも⋯⋯私たちのことを想ってくれた。
ずっと、繋ごうとしてくれていたんです」
シキの腕が、ゆっくりと開く。
「だから――」
次の瞬間。
シキは、怨嗟ごと。
ヤクモへ、真正面から抱きついた。
「ヤクモを⋯⋯元に戻してください」
「ガァァァァァァァッ!!」
絶叫。
黒い怨気が、ヤクモの身体から噴き出す。
怒り。
憎しみ。
悲しみ。
それらが、ヤクモを中心に溢れ出る。
怨嗟に呑まれないように。
その腕が、ほどけてしまわないように。
私は、シキさんへ力を注ぎ続けた。
暴風のように周囲を荒らす。
けれど――誰一人、ヤクモを手放さなかった。
「ヤクモを、返してくださいっ!!」
「アアァァァ!」
ヤクモが仰け反った。
口元から、絶叫と共に黒が噴き上がった。
「ァァァ⋯⋯」
緩やかに声から勢いが抜け落ちていく。
しがみついていた怒りが、ほどけて離れていくみたいだった。
それを見て、クロヤとミクが一歩下がる。
最後の一塊が離れると、糸が切れたようにヤクモの身体が崩れた。
リクドウとシキが支える。
「ヤクモ⋯⋯。おい、ヤクモっ!」
「⋯⋯息は、あるようです」
シキの一言に、リクドウは肩の力を抜いた。
触れ合う三人の側に、黒い影が音もなく近づいた。
『オヤジさん?』
「そばにいんのか?」
クロヤがぽつりと尋ねてくる。
『うん。三人の隣に⋯⋯』
シキとリクドウが周囲を見回す。
だが、見えるわけもなかった。
「確かに近くにいるっぽいけど⋯⋯」
ミクの鼻が小さく動いていた。
「でも、なんだろ。さっきより、嫌な臭いがしないというか⋯⋯」
「忘れていた大事なものを、少しだけ思い出したんじゃろうな」
黒い影は、三兄弟の側から動かない。
見つめているような。
何かを伝えたいような。
そんな感じがした。
私はふわりと浮かんで、黒い影にそっと近づいた。
ぽそりと、何かを呟いていた。
『オヤジさん⋯⋯、何を伝えたいの?』
私の言葉が届いたかはわからない。
黒い影は掠れた声で呟いた。
今度は、ちゃんと聞こえた。
私はシキへと、ゆっくり向き直った。
「⋯⋯なんと、言ってましたか?」
シキの声は、少しだけ震えていた。
受け取ったその言葉を、そっと伝える。
『三人で⋯⋯仲良くやれよ』
シキは目を見開いた。
ヤクモを抱きしめる腕に、力がこもっていた。
そして――目尻から、一筋の涙がこぼれ落ちた。
「⋯⋯はい」
黒い影が、ふわりと三人から離れた。
はらはらと黒が剥がれ始めた。
淡く白い輝きが、内からこぼれ出る。
「心残りは晴れたかの⋯⋯」
白い影が、ほどけながら夜空へ静かに昇っていく。
輪郭は、もう曖昧だった。
けれど。
小さく笑っていた。
そんな風に思えた。




