表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
27/30

第27話 届かなかった想い

 記憶の襖の向こうにいたのは、ランドセル姿で泣いていた少年ではない。

 制服をパーカーで着崩し、ずっと背丈の伸びたヤクモだった。


 襖を開く。

 寂しそうな背中で座っているオヤジに、後ろから抱きつく。

 わしゃわしゃと頭を撫でられて、心が弾んだ。


 次の襖。

 敵対した組に、単身で乗り込んだリクドウ。

 追いついた時には、そこいらに強面の男たちが倒れていた。

 怖い。足が震えそうになる。

 けど、そんな気持ちを飲み込む。

 相手の胸倉を掴んで、今にも殴り飛ばそうとしているリクドウ。

 その背後から襲おうとしてる奴がいた。

 敵に容赦している暇はない。

 リクドウを守るために。

 ヤクモは笑みを作って、敵へ立ち向かう。


◇ 


 また襖を開く。

 眼鏡の奥にあるシキの瞳は、いつも冷たい。

 見つめられると、心が縮こまる。

 ヤクモが部屋に入っても、一瞥するだけ。

 パソコンを前にして、何かに没頭している。

 声を掛けて、背後からぎゅっと抱きしめてみる。

 触れられる距離なのにどこか遠い。


(なんでも出来る)

(頼りになる)

(かあさんが居なくなって)

(一番、変わったのはシキ兄だ)

(でも⋯⋯)


 強い思いが、胸を締め付ける。

 離さない。

 抱きつく腕に力を込めた。


(一人にしたら、いけない)

(そんな気がする)

 

 ざわざわと胸の奥が揺れる。


(⋯⋯なにか、ないかな)


 考えたヤクモが、ハッとする。


「そうだ⋯⋯写真」


 ぽつりと言葉にする。

 シキがキーボードに走らせていた手を止めた。


「⋯⋯どうしました」

「シキ兄、写真とろうよ。みんなでさ」

「いえ、私は――」

「ほら、いこ」


 否定の言葉を聞く前に、シキの手を強引に引く。


(今じゃないとダメだ⋯⋯)

(やれることは、すぐにやらないと)

(今日いるからって)

(明日も会える保証なんてないんだから)


 そのまま家中を駆け回り、オヤジさんとリクドウまで外へ引っ張り出した。

 鬼頭の看板前に、リクドウを立たせる。


「⋯⋯ったく、なんでいきなり写真なんだよ」

「天気もいいし、写真撮るにはいい日でしょ。ほら、リク兄は怖い顔してないで、笑って笑って」

「ちっ、しゃーねえ。⋯⋯くはっ! こんな感じでいいか?」

「ははっ! 鬼が笑ってるみたい」

「けっ、うるせーよ」


 次はオヤジさんの手を引いて、隣に並ばせた。


「オヤジは、ここ。僕がこんな感じで抱きつくから、ちゃんと立ってて」

「おう」

「出来たら、シキ兄とリク兄と、三人で肩を組んで欲しいけど」


 オヤジさんとリクドウ、シキがなんとなく顔を見合わせる。

 誰も、すぐには返事をしなかった。


「⋯⋯俺たちもいい年だしよ」


 リクドウが、ぽりぽりと頬をかく。

 オヤジさんは頭をかき、シキは静かに眼鏡を掛け直していた。

 照れくさそうな空気が広がっていた。


「ま、今日はいーや。久々だもんね」


 ヤクモが笑うと、空気が明らかに緩んだ。


「だから写真だけは、いいでしょ?」


 あと一人。

 並んでないシキに、三人の視線が集まる。

 シキは小さく息を吐き、オヤジさんに並んだ。


 ヤクモは脚立にカメラを置き、タイマーをセットすると、迷わずオヤジさんへと抱きついた。


 

 現像した写真。

 一枚をオヤジへ渡すと、頭をくしゃくしゃと撫でてくれた。

 一枚をリクドウへ見せると、ヤクモの手からかすめ取った。

「⋯⋯くはっ! 笑える顔をしてやがる」

 そう言ってから手荒く胸元にしまっていた。


 その最後の一枚を持って、シキの自室前に立つ。

 閉じられた襖越しに声を掛けようとするが、あと一歩が踏み出せない。


 波立つ気持ちが伝わってくる。


 ヤクモの視線が写真へ落ちる。

 仲良しとはいえない並び。

 それでも四人が揃った久々の一枚。


(シキ兄、喜んでくれるかな)


 胸の内に、言葉が響く。


(もし良いって言ってくれたら、また撮りたいな)


 ヤクモは嬉しそうなため息を小さく漏らした。


「シキ兄、入るよ」

「⋯⋯どうぞ」


 淡々とした返事に、ヤクモの心が揺れる。

 ぐっと右手を伸ばして、襖を開けた。


 視界に映るのはシキの背中。

 来訪者へ、振り向きもしない。


「何かありましたか?」


 パソコンのキーボードを軽快に叩く音に混じり、声だけが飛んでくる。


「この前の写真が出来たからさ。持ってきたんだ」


 テーブルの向かい側に座る。

 シキの視界に入り込んで、そっと写真を置いた。

 シキの視線を、自然と追ってしまう。

 間違いなく、一度は写真を眺めたのをヤクモは見た。


「そうですか」


 それだけだった。

 胸の奥で、不安がじわりと広がった。


 ヤクモは待った。

 秒針が何度も響いた。


 シキが手を止める。

 こちらを見つめてきた。


「まだ、何かありますか?」

「⋯⋯ごめんね。邪魔しちゃった」


 小さく笑って、ヤクモは立ち上がる。


(ちゃんと写真が撮れたけど)

(シキ兄は、嬉しそうじゃなかった)

(⋯⋯かあさんなら)

(もっと、上手く出来たのかな)


 部屋から出て、閉じた襖の向こうから聞こえてきたのは、またキーボードを叩く音だった。


(難しいね⋯⋯)

(どうしたらいいのかな)

(かあさん、教えてよ⋯⋯)


 その思いだけが、胸の奥に沈んでいった。



 私は襖をいくつも開いた。

 

 変わらず、ヤクモは家族へ手を伸ばしていた。

 リクドウは声をかければ仕方ねえなあと相手をしてくれる。

 オヤジさんが心臓を悪くし、常備薬が欠かせなくなっても、ヤクモは変わらず明るく支えた。

 シキにも懲りずに笑いかけていたけれど、その距離だけは難しいままだった。


 けれど。

 あの日の写真みたいに、四人が並ぶ記憶だけは、もうなかった。

 

 そして、また一枚の襖に踏み込む。


(オヤジ、起きてこないな)


 台所の隣の部屋。

 テーブルに用意した朝食を前にして、ヤクモは頬杖をついていた。


(昨日は組の会合だったから)

(疲れてるのかな)


 壁に掛けられた時計は午前九時を回っていた。


(さすがにそろそろ起こそう)


 立ち上がり、階段へと向かう。

 ぎしと鳴る階段の先。

 誰もいないみたいに、気配がなかった。


(まだ、寝てるんだ)

(今日はどうやって起こそうかな)


 胸に小さく弾むものがある。


「オヤジっ」


 明るい声で呼びかけながら、襖を開いた。


「いつまで、寝て――」


 ヤクモの言葉がしぼんでいく。

 呆然と。

 部屋の中にいるオヤジさんを見下ろす。


 オヤジさんは、うつ伏せだった。

 布団はない。

 何かに手を伸ばすように倒れていた。

 床には、ヤクモがプレゼントした携帯型の薬ケース、そして散らばった錠剤があった。


「⋯⋯オヤジ?」


 ヤクモの呼吸音だけが部屋に落ちる。

 浅く、速くなる。

 ざわざわと、心が波打ち始める。


「ほら、朝だよ。ご飯冷めちゃうって」


 明るく振る舞って、オヤジの肩に手を添えた。

 冷たい。

 どうしようもなく。


 その瞬間、胸の奥が真っ白になった。


「あ⋯⋯ああ⋯⋯」


 動かないオヤジさんにすがりつく。

 離さない。

 行かないで。

 そんな思いがあふれた。


「ああああっ!」


 真っ白な世界に。

 色がごちゃ混ぜに流れ込んでくる。



 襖を開く。

 

 オヤジさんの部屋に置かれた棺。

 ヤクモが覗き込む。

 全てが白かった。

 花も、装束も、肌の色も。


 線香から立ちのぼる煙。


「朝だよ、オヤジ⋯⋯」


 静寂にぽつりと落ちた言葉。

 オヤジさんは、もう起きない。


 視線が、吸い寄せられる。

 飾られた写真の中。

 オヤジさんが、少し困ったみたいに笑っていた。

 胸の奥が、ぐちゃりと歪む。


(返事をしてよ)

(笑ってよ)

(また、頭をくしゃっとしてよ)


 心が震える。

 オヤジさんからの返事は、ない。


(もう二度と、話せないんだ⋯⋯)


 胸の奥にぽっかり空いた穴が、大きくなっていく。



 そこから先にある記憶は、どこか曇っていた。


 ヤクモは変わらず笑っていた。

 リクドウへ声をかけて。

 シキへ懲りずに話しかけて。

 まるで、胸の奥に空いた穴なんて見えないみたいに。


 けれど、本当は違う。


 笑っても。

 声をかけても。

 抱きついても。

 もう、埋まらないものがあった。


 オヤジさん。

 かあさん。

 もう二度と、話せない。

 その現実だけが。

 胸の奥に広がった穴の中で、ずっと消えなかった。


 それに――

 オヤジさんが居なくなってから。

 シキは、もっと遠くなった。

 ただでさえ冷たかった瞳は、ますます温度をなくして。

 抱きついても。

 笑いかけても。

 触れられる距離にいるのに、届かない。


(シキ兄も⋯⋯)

(一人で、穴の中にいるみたいだ)


 どうしたらいいのか、わからなかった。

 かあさんみたいに、上手く出来ない。

 オヤジさんみたいに、大きくもなれない。


 だから、私が家にやってきて。

『コロサレタ』

 黒い影の言葉を伝えたその瞬間。

 胸の奥に空いた穴へ、何かが落ちた。

 ざわり、と。

 諦めかけていた場所が、揺れる。


(⋯⋯見えないだけで、いるの?)


 ぽつりと。

 胸の奥で、声にならない声が響く。


(もう一度、オヤジと)

(かあさんも話せたり、するのかな)


 胸の奥で、すがるみたいな思いが形になる。


(もし、かあさんが)

(シキ兄とも、話せたら)


 少しだけでも。

 あの冷たい瞳が。

 遠くなった背中が。

 戻るのかな、と。


 空っぽだった穴に、そんな願いが落ちてしまった。

 止められなかった。


(欲しい)

(あの人形がいれば)

(もう一度だけでも――)


 そこで、世界が大きく軋んだ。

 気づけば暗闇と襖の空間に戻されていた。

 次の襖が待っているのか。

 そう思ったのだけど。


 灯りが一つ、また一つと潰れていく。


『……っ』


 引き戻される。



 急激に戻った身体の重み。

 クロヤの腕に抱かれた感触。

 冷たい庭の空気。

 オヤジの怨霊に囚われ、白目を剥いたヤクモ。

 ゆらりと歩み、確実に近づいてくる。

 いつの間にか、あと数歩の距離まで迫っていた。


 まだ、終わっていない。

 

「シロ⋯⋯今のは⋯⋯なんだよ」


 クロヤが片手で頭を押さえる。

 苛立ちとは違う。

 胸の奥に、知らない痛みでも残ったみたいな顔だった。


「⋯⋯ヤクモ」


 シキが、立ち尽くしていた。

 眼鏡の奥。

 いつも冷たいはずの瞳が、ひどく揺れている。

 そこで私はようやく気づいた。


『⋯⋯シキさんも、見たんだね』


 私はぽつりと言葉をこぼした。

 クロヤが、息を呑む気配がした。


 長い沈黙。

 やがてシキは、ひどく掠れた声で呟いた。


「あなたは一人で、ずっと――」

「オマエガ、コロシタッ!」


 庭に、怨霊の慟哭が響き渡る。

 シキが吸い寄せられるように、前に出る。

 止めるよりも先に。

 間合いに踏み込んでしまった。


 涙を零しながら、ヤクモが刀を振り上げた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ