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第25話 コロシタ

 廊下沿いの一室に通された。

 台座に飾られた日本刀があった。

 そこは会合の時に使うと説明された部屋だった。


 私はクロヤの胸元で右腕を直していた。

 銃で散らばった身体の破片。

 蔵で拾えるだけ集めてきたけど、足りないところもある。

 薄く伸ばすような感覚で、修復を補うしかなかった。

 

 その間、クロヤの視線がずっと外れなくて、ちょっとやりにくかった。

 

 まだ意識が戻らないクシダは、畳に転がされている。

 相変わらず右手から外せない銃。

 念のためと言って、リクドウは弾倉だけ抜き取っていた。


 ミクはピンセットで、シキの目の周囲にあるガラス破片を丁寧に取り除いていた。

 もちろん完全には難しい。

 それでも目を開けても問題なさそうなところまできていた。


『あ⋯⋯』


 部屋の隅に、何かの気配が生まれた。

 何度か邂逅した黒い影。

 相変わらず輪郭は曖昧だ。

 それでも、これが誰の霊だかわかる。

 オヤジさんだ。


『コロシタノハ、ダレダ⋯⋯』


 瞬間、ぞわりとした感覚が、部屋いっぱいに広がった。

 影が、わずかに膨らむ。


「短時間で随分と進んだのう⋯⋯」


 ナナシの声だけが落ちてきて、私とミクは同時に天井を見上げた。

 部屋の皆もつられて、視線を上へ動かす。


「記憶の抜け落ち方が、かなり歪んでおる」

「⋯⋯つまり?」


 ミクが宙へ問い返す。


「人の言葉は霊にも届く。下手な刺激は避けよ」

「それ⋯⋯誰も口を開かない方がいいんじゃない?」

「時間は稼げるが⋯⋯、さらに抜け落ちれば、やがて理性の残滓すらなくなる」

「そっちも、おかしくなるってことね⋯⋯。なら、避けても仕方ないってことね」

『どうすればいいの?』


 私は聞かずにはいられなかった。

 ナナシが自ら危険だと告げてくる。

 つまり、それだけの状況ということ。


「古来より、現世に居着く霊への手段は二つのみよ」

『二つ?』

「祓うか、自ら天へ昇ることを望むか」

『自ら望む⋯⋯』

「残念ながら、答えはない。残っている想い次第で、いかようにも変わる」


 続きがあるかと、黙っていたのだけど。

 それきり声は途切れてしまう。


 周囲の皆が、ミクへと向き直る。


「色々と危ないところはある。でも、⋯⋯オヤジさんを納得させるには、その日のこと知らなきゃダメそうかな」


 ミクはナナシから聞いた話を、慎重に言葉を選んで、みんなへと伝えた。

 話を聞いた面々は、シキへと視線を移したが、誰も口を開かなかった。

 この場にいて、声を掛けるのは自分らではない。

 クロヤも、ミクも、そう思っていたのかもしれない。


「⋯⋯なあ、シキの兄貴」

「⋯⋯」

「話せること⋯⋯あんだろ」


 リクドウの低い声が、ぽつりとおちる。

 シキがリクドウを真っ向から見つめ、静かに口を開いた。


「⋯⋯誰もオヤジを殺してはいない。それは保証いたします」


 誰も動かない。


「会いに行ってはいました。それは事実です。⋯⋯だからこそ、その人形――シロさんを通じたオヤジの言葉を聞いて、全てが歪んだ」


 ゆっくりと視線が落ちる。


「オヤジの霊も、それを拾うシロさんも、また何を言い出すかわからない。場が混乱する前に、真偽も定かではない言葉を拾ってしまうシロさんを消した方がいい。そう思っていました」

「兄貴は殺してねえんだろ。それどころか、誰も殺してねえって⋯⋯どういう意味だ」

「死にゆくオヤジを、確認していたのは私ですから」

「⋯⋯んだと? おい、まさか――」


 リクドウの肩が、ぴくりと揺れる。


「ええ。発作を起こした時、私はすぐそばにいたんです」

「ふざけてんのか?」

「全て事実。看板に誓いましょう」

「⋯⋯てめえ」

「リクドウ」


 リクドウが腰を浮かしかけたところを、ミクが手で制した。

 首を横へと振る。


 舌打ちをして、リクドウが乱暴に座り直す。

 腕を組んで、顔を背けた。


「なんで⋯⋯、その⋯⋯助けなかったの?」


 ミクがぽつりと言うも、シキは瞳を閉じるだけだった。

 静けさだけが部屋に残る。


「オフクロが生きていた頃は、良かった⋯⋯」


 唐突な一言に、私はついていけなかった。

 他の人たちも似たような顔をしている。

 ミクが頬をかきながら、控えめに口を開く。


「オフクロ⋯⋯、あなたのお母さんのことよね?」

「ええ、私を育ててくれた存在です。朝起きた時、そして就寝前⋯⋯。必ず抱きしめてくれましてね」


 わずかに口元が緩む。


「それさえあれば何もいらない。そんな日々を送れてました」

「⋯⋯そうなんだ」

「ですが、あの人が殺され、組の人間として復讐を終えてからは、全てが変わってしまった」


 小さく息を吐く。


「普通には戻れない。組の中で存在意義を求め、ひたすらに前に進むしかない」


 声は淡々としているのに、どこか乾いている。


「後継ぎの話も、そこに繋がっていました。⋯⋯オヤジも、いずれは私に任せると話をしてくれました」


 わずかに視線が上がる。


「それは、一つの安心でもあった。ですが——」


 静かに続ける。


「聞こえてしまうことがある。リクドウの方がいい。オヤジに似ている。⋯⋯ついていきたくなる」


 空気が、わずかに軋む。

 

 シキの言葉が止まる。

 まるで、思い出したくもない記憶ごと飲み込むみたいに。


「オヤジの隣を歩くリクドウを見て、古株が笑ったことがありました」


 シキの声は、相変わらず淡々としていた。  けれど——だからこそ、胸に沈む。


「『若い頃の鬼頭さんみてえだ』と」


 部屋の空気が、少しだけ静まる。


「褒め言葉だったのでしょう。実際、皆も笑っていた」


 シキの瞳が伏せられた。


「⋯⋯ですが、私は理解してしまった」


 静かな声だった。


「ああ、その言葉は——私には向けられないのだと」


 誰も、すぐには言葉を返せなかった。


「⋯⋯そんなもん、無視すりゃいいだろ」


 リクドウが吐き捨てる。


「兄弟で一番上。頭も回る。オヤジの信頼も厚い。後継ぎにこれ以上、何が必要だってんだ」


 短く言い切る。

 シキは、わずかに首を振った。


「私は——」


 静かに紡がれた言葉が、少しだけ遅れる。


「誰とも、血が繋がっていないのですから」

「⋯⋯冗談だろ?」

「これを知っているのは、オヤジとオフクロ、そして私だけです」

「⋯⋯くはっ。は、はは⋯⋯なんだよそれ」


 乾いた笑いが、すぐに途切れる。


「そんな話、今さら——」


 リクドウの言葉が続かない。

 舌打ちをして、視線を逸らす。


「⋯⋯だから、なんだってんだ」


 吐き捨てるように言うが、その声には力がなかった。


「血が繋がってねえから、なんだ」

「⋯⋯あなたには、わからない」


 拒絶の言葉は、冷たくて静かだった。


「あなたは、生まれた時からここにいる。何もせずとも、ここにいていい」


 リクドウの眉が、わずかに動く。


「では、私は?」

「変わらねえ⋯⋯兄貴だろ」

「⋯⋯そう言っていただけるのは、ありがたい。ですが――」


 シキは、わずかに目を伏せた。


「あなたたちが見ているのは、優れた男という像にすぎない。⋯⋯私が無能であっても、思いは変わりませんか?」


 誰も口を挟まない。


「私は⋯⋯役に立つ間だけ、ここに置いてもらえる人間なのですよ」


 それ以上、言葉は続かなかった。

 しばらく、静かな時間が流れる。


「……疲れてしまったのです」


 ぽつりと落ちる。


「失敗せず歩き続け、組を継ぐことで存在意義を確立しようとしても⋯⋯。リクドウ、あなたはオヤジに似ている。⋯⋯それだけで、すべてを持っていかれてしまう気がしてならなかった」


 視線が、わずかに揺れる。


「あの夜、約束していた時間にオヤジの部屋へ向かった時⋯⋯。発作を起こして、倒れていた。助けようと、手を伸ばしたのですが」


 そこで、止まる。


「⋯⋯ふと、思ってしまった。ここでオヤジが終われば、後を継げる。もう雑音を気にしないで済むのではないかと」


 部屋の空気が、凍りつく。

 それきり、沈黙が落ちた。


 私は黒い影を見つめた。

 変わらず、そこにあり続けるだけ。

 消えもしなければ、動こうともしない。

 声は、どのように届いているのだろうか。

 

 シキが言った通りに、殺してはいない。

 だけど、捉え方によっては⋯⋯。


 痛いほどの静寂。

 それを破ったのは、部屋の中にいる誰でもなかった。


 廊下の向こうで、畳を踏む音がした。

 全員の視線が閉じられた襖へと集まる。


「⋯⋯ねえ、なんで誰も言わないの?」


 襖の隙間から、ヤクモの声が入り込んでくる。

 いつもの軽さは、少しだけ薄れていた。

 襖が、ゆっくりと開く。


「ヤクモ。てめえ、いつからそこに――」

「少し前⋯⋯。それより、シキ兄は発作を起こしたオヤジを助けなかったって⋯⋯ホントなの?」


 ヤクモが立っていた。

 笑ってはいなかった。


「は⋯⋯ははっ。否定しないって⋯⋯聞き間違いじゃないんだ⋯⋯」


 誰も、すぐには答えなかった。


「助けられたのに、助けなかったんだよね。それって⋯⋯」

「おい、ヤクモよせっ!」


 リクドウの制止の声に、ヤクモは引き攣った笑いを浮かべた。

 ヤクモの視線が、シキへ向く。


「それ、シキ兄が殺したのと同じじゃんか!」


 その瞬間。


『シキ ガ コロシタ』


 低く、濁った声だった。

 次の瞬間、その声は部屋中から響く。


『コロシタ、コロシタ、コロシタ——』


 私以外には届いてないはず。

 そのはずなのに。

 ミクは身体をがたがたと震わせ、他の人たちも何かを感じ取ったように宙を見上げる。


 部屋の隅の黒い影が、ぶわりと膨れ上がった。

 覆い被さるように、ヤクモの背後から迫る。


『危ないっ。避けて!』


 私の叫びは届かない。ヤクモは黒い影に取り込まれた。

 蠢く影。

 その全てが、無理やり喉奥へと入り込んでいく。


 がくりと、ヤクモがうなだれる。

 

「お、おい⋯⋯ヤクモ⋯⋯」


 恐る恐るリクドウが手を伸ばした刹那。

 

「コロシタ」


 ヤクモが顔をあげる。

 そこにあった目は、もうヤクモとは別のなにかだった。




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