第24話 見ている世界
シキはミクに懐中電灯を握らせ、クロヤを照らさせていた。
「てめえも、ヤクモも⋯⋯。どうしてシロにこだわる」
「ほう、ヤクモがその人形を欲しましたか⋯⋯」
ミクの浅い呼吸だけが、場におちる。
「危ないところでしたかね」
シキの視線が、ゆっくりと私へ向く。
かすかに細まる目。
獲物に狙いを定めた蛇の目だった。
胸の奥に降り始める――黒い棘。
先ほどクシダから向けられたものと、同じ。
黒い塵は、嫌悪だった。
黒い泥は、欲望だった。
じゃあ、黒い棘は。
「理由など、どうでもいいでしょう」
シキが淡々と告げた。
「余計なことをしなければ、危害は加えません」
口をつぐむクロヤに、首を傾ける。
「⋯⋯信じられませんか?」
「⋯⋯ああ」
「クシダの件があれば、疑うのも当然でしょう。⋯⋯一つ良いことを教えてあげましょう」
歪んだ笑いが、ふっとこぼれる。
「この御時世、死体一つを綺麗に処理するのも、簡単ではありません。手間がかかりますし、無駄も多い」
その声は、温度を感じさせない。
「だからこそ、交渉を提案しているんです」
「クシダは⋯⋯てめえがけしかけた。銃を離せねえように、細工までしてよ」
クロヤの言葉は静かだが鋭い。
「はいでも、いいえでも」
「⋯⋯」
「その答えに、今、意味はありますか」
「⋯⋯ねえな」
「話すべきは、その人形を渡すか⋯⋯否か」
口調は和らぐ。
けれど、眼鏡の奥にある瞳は、どんな感情も映さない。
シキは交渉と言うけど。
話し合うことなんて、何もない。
ミクと私。
どちらがクロヤにとって大切か。
考えるまでもない。
⋯⋯そのはずだった。
「兄貴⋯⋯」
ミクの声が、かすかに震える。
クロヤは動かない。
いつもだったら、もう答えを出しているはずなのに。
腕の中にいる私を、じっと見つめている。
その瞳は、かすかに揺れていた。
「迷う必要が、ありますか」
シキの言葉が迫ってくる。
「妹がとても大事なのは、わかっています」
シキが右手にあるものを、ミクへ押しつける。
「⋯⋯っ」
「ミクっ!」
声にならないミクの呻きに、クロヤが目を見開いた。
「さあ、交換を⋯⋯」
シキの声は冷たい。
わかった。
そう答えるだけでいいのに。
クロヤの声は響かない。
強く噛み締めた唇から、血が滲む。
そこまで⋯⋯私のために、迷ってくれている。
それで、もう十分だった。
『ミク。伝えて』
私の声を拾ったミクだけが、ハッと見つめてきた。
『⋯⋯交換して』
ミクの様子がおかしいことに、シキは気づいていた。
「シロさんは、なんと?」
「⋯⋯交換するようにって」
かすれた音が、どうにか形になって伝わっていく。
「⋯⋯そういうことらしいですが?」
肩をすくめて首を傾げるシキに、クロヤは顔を上げなかった。
私は身体を浮かせ、クロヤの腕からふわりと抜け出した。
クロヤが顔をあげ、手を伸ばしてきた。
けれど、すっと避ける。
指先は、私に届かない。
そのままシキの元へ、浮遊していこうとする。
胸の奥に振り続ける黒い棘は――殺意。
おそらく、そういうものだ。
シキの手に届いたら。
クロヤとミクに、会えることは二度とない。
⋯⋯私は、壊される。
『ミク、ありがとね』
自然と口からこぼれる言葉。
『クロヤにも、伝えて。家に置いてくれて、嬉しかったよって』
「ありがとって、言ってもらえる資格なんて⋯⋯あたしには⋯⋯」
ミクが、うなだれてしまう。
今にも折れてしまいそうな様子だった。
私の行く先を悟られたら、もっと傷ついてしまう。
だから、私は明るい声で伝えた。
『心配しないで。シキさんが私を欲しいから、こうなったんだもの。大切に扱ってくれるよ』
「⋯⋯大切に?」
ミクが何かに気づいたように、顔をあげた。
「ねえ、⋯⋯シキさん。一つ答えて」
シキからの返答はない。
けれど、ミクの口は再び開かれる。
「シロを手に入れて、⋯⋯どうするつもり」
「私の言葉を、信じられるのですか?」
「いいから、早く答えて」
銃口が当たるのも構わず、ミクはわずかに後ろへ首を回し、背後にいるシキに尋ねる。
「もちろん大切にしますよ」
「嘘じゃないのよね」
「もちろんですよ」
「じゃあ――」
ミクの声が真っ直ぐ通る。
「鬼頭組の看板に誓って」
サナを助けた、あの夜が思い出される。
リクドウとミクの交わした約束の言葉。
シキからの返答は、ない。
「誓えないのね」
ミクが小さく息を吐く。
「ごめんね、シロ」
『ミク?』
謝られる意味がわからなかった。
「⋯⋯あたし、自分のことばっかだった」
ミクは小さく苦笑する。
「でも、目が覚めたわ」
その声に、震えはなかった。
「あんた、シロを壊そうとしてる。なら、渡せないわ」
「そんなことを言える立場だと思っているのですか?」
こめかみに銃口を押しつける。
ミクは銃口を頭で押し返し、背後のシキを睨めつける。
「⋯⋯理解できませんね」
シキが、ぽつりとこぼした。
「血の繋がりがあるわけでもない⋯⋯」
ほんの少しだけ。
シキの声が揺れた、気がした。
「たかだか人形。あなたの命より⋯⋯、どう考えても軽い」
「バカじゃないの?」
「⋯⋯なんですって?」
ミクは怯まず、押し通す。
「シロの価値を勝手に決めないで」
「⋯⋯」
「こっちはね、一緒にいるのが、もう当たり前になってんのよ!」
シキから返す言葉は出てこない。
「クロヤ、シロ⋯⋯。あたしが撃たれたら⋯⋯迷わず行って」
「逃げ場もないのに、どこへ行けと?」
「リクドウのとこよ」
「リクドウがあなたたち側につくと?」
「それはわからない。でも⋯⋯」
ミクの強い言葉が視線と一緒に、私たちへ投げかけられる。
「あいつは乱暴だけど、看板に誓える奴だから」
シキの冷たい視線は、ミクに向けられたまま。
それでも、止まらない。
「誓えないあんたより、よっぽど信用できる」
覚悟だ。
一番、怖いはずのミクが決めたのなら。
それを汚してはいけない。
「わかった」
『⋯⋯わかった』
私とクロヤ。
想いは同じだった。
「あなた、正気ですか? 人形と妹を天秤に掛けて⋯⋯、妹が大切なのでしょう?」
「ごちゃごちゃうるせえ」
鋭い視線が、シキを射抜く。
「もう、決めた。あとは動くだけだ」
身体を後ろへ傾けるクロヤ。
「⋯⋯っ!」
シキが咄嗟に反応する。
銃を持つ右手がクロヤへと向けられ――
「こんのっ!」
その動きを、ミクが潰す。
羽交い締めにしていたシキの左腕へしがみつき、全体重で体勢を崩しにかかる。
銃口が、ぶれる。
――今だ。
私は浮かんだ身体を、叩きつけるように滑り込ませた。
眼鏡ごと、その視界を潰すために。
『やぁぁぁぁ!』
無心で、突っ込む。
シキの顔が間近に迫ったその瞬間。
確かに私は見た。
シキの口元が、笑みを浮かべたのを。
硬い感触。
眼鏡が弾ける。
ぐらり、とシキの身体が揺れた。
倒れながらも、その口元は、どこか緩んでいた。
その隙にミクがクロヤへと駆け寄る。
シキが壁に手をつき、どうにか倒れずに踏みとどまる。
割れた眼鏡の奥。
その瞳は、まだこちらを見ていた。
クロヤもミクも、油断なくシキを見つめている。
そんな中、私だけが違和感を覚えていた。
――先ほどまでの黒い棘が、止んでいた。
「はは⋯⋯。すごいですね」
シキの手から力が抜けて、銃が床へと転がった。
「⋯⋯どういうつもり?」
ミクから怪訝そうな声が飛ぶ。
「交渉など無駄のようで。⋯⋯あまりにも、見ている世界が違います」
シキの言葉には、張り詰めたものがなくなっていた。
「⋯⋯いい関係ですね。あなたたち」
意味を捉えかねて、一瞬、誰も動かなかった。
その時だった。
――ドカンッ!
鈍い衝撃音が、蔵の中を震わせた。
ミクが肩を跳ねさせる。
「……っ、なに!?」
「おい! 兄貴たち! ここにいんのかっ!」
一階から飛んでくる声だけで、誰が来たのかわかる。
リクドウだった。
◇
ミクの両手に大事に抱えられて外に出ると、空はすでに色を変えていた。
赤と橙が滲み、端には群青が沈んでいる。
夕暮れだった。
ひんやりとした空気が、熱を奪っていく。
次いで蔵から出てきたのは、クシダを肩に担いだリクドウだった。
一歩踏み出すごとに、ぐったりとした身体が、だらりと揺れた。
「⋯⋯重てえな、こいつ」
ぼやく声に、誰も返さない。
シキは割れた眼鏡の破片が、目元近くにまだ残っていた。
あまりまぶたを動かさない方が良い。
そう結論付け、目を閉じていた。
もちろん一人で動けるわけもない。
クロヤはシキの腕を肩に回し、そのまま支えていた。
何も言わない。
シキもまた、抵抗しなかった。
「⋯⋯すみませんね」
小さくこぼれる声。
それ以上は続かない。
「シロの手。本当に治るの?」
ミクがぽつりと尋ねてくる。
『うん。⋯⋯たぶん』
「⋯⋯そっか」
ミクは少し後ろを眺めた。何か言いたげだったが、言葉にはしなかった。
それでもシキは視線を感じたようだった。
「シロさん、でしたね。その手⋯⋯申し訳ありませんでした」
「シロの手は、クシダがやったことよね? それなのに、あんたが謝るってことは、やっぱり⋯⋯」
ミクが責めるように問いかける。
「ええ。クシダには蔵近くで待たせ、抵抗するなら脅してでも人形を確保しろと命じていました」
「あたしたちを脅すっていうか、命まで狙ってきたけど⋯⋯」
「そこは、私の見誤りでした。想像以上に小心者だったのか⋯⋯。あるいは、追い詰められすぎていたのか⋯⋯。接着剤で銃を固定するなど、私の想定を超えた行動までしていますし。⋯⋯いずれにせよ、責任は私にあります」
「なんで、そんなことしたの。なんで、シロを狙ったの」
ミクの言葉に、シキは黙り込む。
「⋯⋯シキの兄貴。俺も一つ、聞きてえことがある」
リクドウの声が落ちる。
「――あの夜のこと、なんで嘘ついた」
空気が、わずかに張り詰める。
「オヤジに会ってんだろ」
シキは、すぐには答えなかった。
「⋯⋯そこまで言うからには、もう根拠は揃っているのでしょうね」
「ああ」
「先ほどオヤジの部屋にいた時、やはり何か見つけていましたか」
「オヤジが書いてた日記の最後にな。組の集まりのこと、そんで――」
視線を一度だけ落とす。
それから、顔を上げる。
「これから、兄貴に会うってことがよ」
リクドウの言葉を、シキは否定しない。
その一瞬の間だけで、十分だった。
「ここで話すことではありません」
周囲を見渡す。
「場所を変えましょう」
誰も、異を唱えなかった。




