第23話 銃口の先に
「⋯⋯カビの臭いとホコリが酷いわね」
こほっとミクがむせる。
蔵の中は暗い。
開かれた扉、猫しか通れなさそうな小窓。
そこから差し込む光が、かろうじて中の輪郭を浮かべてくれる。
重なった大きな木箱に、タンスや家具。その他にも古めかしい銅像とか、よくわからないものが所狭しと置かれていた。
足の踏み場はある。
見通しは悪いものの、上手く整理されて、一人が通れる道がいくつか伸びていた。
ただ、奥は見えにくいせいか、妙に広く感じた。
光は鈍く、奥の形が掴めない。
このどこかに、何かが息を潜めているかもしれない。
どうしても、踏み込む気持ちが弱くなる。
それでも⋯⋯。
背中に感じるクロヤの存在へ、一瞬だけ意識を寄せた。
行くと一度決めたら、やる。
『ミク』
ミクへ話しかける。
背筋が丸くなっていた。
私の声に、びくりと肩が揺れる。
「シロ? ⋯⋯急にどうしたの?」
『何かに気づいたら、言う。クロヤに伝えて⋯⋯お願い』
ミクは瞬きを繰り返していた。
「わかった。任せて」
丸まっていた背中が、ほんの少しだけ伸びた。
「それでは、行きましょうか」
懐中電灯を、各々が手に取る。
それはシキが屋敷から用意してきたものだった。
カチリ。電気を灯す。
白い光が、埃の粒を浮かび上がらせた。
先頭のシキに続くように、クロヤ、そしてミクの順番で、一階を進んでいく。
木箱があれば、外側からコンコンと叩く。
テーブルの下には、懐中電灯を差し込んで覗き込む。
人が隠れられそうな洋服ダンスは、中身を確かめる。
溜まった埃に、人が触れた跡は見当たらない。
足跡すらない。
「一階には、痕跡らしいものがありませんね⋯⋯」
入り口まで戻ってくると、シキがそうこぼした。
ミクが小さく喉を鳴らした。
皆の視線が、二階へと続く階段に集まった。
「行くしかない、のよね⋯⋯」
「おや、ミクさんは気が引けますか?」
「むしろ、どうしたらそこまで普通でいられるのよ⋯⋯」
「この程度で引いては、仕事になりませんので」
ミクの弱々しい抗議に、シキは肩をすくめる。
「ミク」
差し出されたクロヤの手。
「⋯⋯ありがと。でも、大丈夫」
そんな様子をシキが、じっと見つめていた。
次の瞬間――ぞっとした。
シキの口角が、かすかにあがった⋯⋯気がした。
もう一度見たときには、いつもと同じ顔だった。
見間違い⋯⋯だろうか。
「⋯⋯なによ」
「いえ⋯⋯。なんでもありません」
視線に気づいたミクが小さく噛み付くも、シキは取り合わず、階段を登り始めた。
二階も同じような間取りに、物が置かれていた。
唯一、違うのは床の音。
ぎしり――ぎしり――
どこを踏み込んでも、古びた木の床は丁寧に、軋む。
音を立てずに動くことは、難しそうだった。
「嫌な音ね⋯⋯。床、抜けないわよね⋯⋯」
「この蔵、壁は妙に分厚いのに、床は薄い作りなんです」
シキが淡々と口にする。
「慌てずについてきてくださ――」
バタン。
重々しい音が、言葉を遮った。
一階扉から差し込んでいた光が遠ざかる。
「ひ⋯⋯ひひ⋯⋯」
耳にこびりつくような、甲高い音。
クロヤが手持ちの懐中電灯を消す。二階から身を乗り出して、階下をのぞき込む。
放射状に伸びる光が、ゆっくりと左右に揺れながら階段を照らす。
ヒタ――ヒタ――。
隠すつもりもない音が、階段へと近づいてくる。
人影が、階下に浮かび上がる。
「ひひひっ⋯⋯」
引き攣った声。
笑っているはずなのに、どこか壊れていた。
うつむいている。
笑う度に、身体が小さく揺れる。
だが、顔は見えない。
⋯⋯誰だろう。
そう思った直後。
勢いよく顔をあげた。
「お前らが⋯⋯悪いんだぁ⋯⋯」
クシダ。
そうわかると同時。
右手を二階へと向けてきた。
その手にあるのは、初めて見る黒いもの。
先端に、穴がある。
そして私の胸の奥で。
黒い棘が一斉に振り注いできた。
「っ! 下がれっ!」
クロヤがミクを抱えるようにして、床に倒れ込む。
刹那に弾ける閃光と轟音。
ぱらぱらと破片が天井から降ってくる。
――ギシ、ギシ、ギシ。
二階の奥へ、足音が遠ざかっていく。
ふと見れば、シキの姿がない。
「行くぞ!」
クロヤが叫んだ。
ミクの腕を掴み、無理やり引き起こす。
そのまま引きずるようにして、階段から離れた。
◇
床板が鳴るのも構わず、階段から一番離れた隅まで駆け抜けた。
息が上がっているミク。
手が震えていて、口を押さえることすら出来なさそうだ。
息の漏れ出る口を、クロヤが自分の服の裾で優しく塞いでいた。
「ひ⋯⋯ひひっ、出ておいで⋯⋯怖いことしないから、さ」
遠いが、明らかに床音が響いた。
対角線の天井に、懐中電灯の明かりが、ちらついている。
「⋯⋯動けるか?」
耳元でささやくクロヤに、ミクが首を横に振った。
「腰が⋯⋯抜けて、力が⋯⋯入らない」
「⋯⋯わかった」
「ごめん⋯⋯」
「任せろ」
迷いのない言葉は心強い。
ただ、動けないミクをクシダは待ってくれない。
それなりに広いとはいえ、さっと歩くだけならあっという間だろう。
階段の方から、時折ぎしりと動く気配がする。
ここに来ちゃったら、どうすれば⋯⋯。
そう思ったのだが。
階段辺りから音が離れない。
迷いがある。
そんな感じがした。
クロヤも階段方向を眺めていた。
見る、というより聞き耳を立ててるようだった。
すっと視線がミクへ向けられる。
「シロは何ができる」
「音を作ったり⋯⋯、物を動かしたり⋯⋯。あたしが知ってるのは、そんなとこ」
「あってるか?」
クロヤの鋭い瞳に、私が映し出される。
うん。そんな思いを込めて。
すぐさまクロヤの右手を撫でた。
「ミクは持ち上げられるか?」
左手を撫でる。
「⋯⋯サナを背負った時⋯⋯持ち上がんなかったけど、支えてはくれた」
「今も、そんなもんか?」
右手を撫でる。
「⋯⋯今から話すことを、しっかり頭にいれろ」
座り込んだミクが心配そうに見上げる中、クロヤが短く息を吐いた。
◇
力を、自分へと向ける。
クロヤの両手から、ふわりと身体が離れる。
まだ慣れない空中での制御。
しかも薄い暗闇の中で、ふらりふらりと揺れながら、蔵の天井近くまで昇っていく。
木箱や家具は天井までは届かない。けれど、大人が隠れるには十分すぎる高さで、その合間を縫うように、階段へ続く通路がいくつも枝分かれしていた。
階段近くで、忙しなく左右へ動く灯り。
クシダの姿はちょうど物陰にあって見えないけれど、居る場所を教えてくれていた。
少しだけ、じっと待つ。
ぎしり。
壁際の通路で、クロヤの靴が床を鳴らした。
灯りが勢いよく向きを変え、縫いつけられたみたいに動かなくなる。
上からなら、階段を起点にした位置関係が、ようやく見えた。
階段の前にクシダがいて、対角線上の角――奥まった通路にはミクが座り込んでいた。
音を鳴らした壁沿いの通路の方へ、クシダの灯りが寄っている。
だが、わかるのはクシダまで。
息を抑えて動かなければ、暗闇に溶け込める。
シキも二階のどこかにいるはずなのに、見つけられなかった。
ただどこの通路を使おうと、床が軋めば同じこと。
どの辺りにいるかは、伝わってしまう。
クロヤの靴が床を鳴らす。
その音だけが、壁際を進んでいく。
「ひ⋯⋯ひひっ⋯⋯。大丈夫だよ。逃げないでね⋯⋯」
わずかに揺れる懐中電灯。
クシダの足音が一歩ずつ、靴音のする方へと吸い寄せられていく。
ぎしり⋯⋯。
隅に近いところにある重ねられた木箱の影で、靴音は止まった。
懐中電灯の光が、そこに張り付く。
まだ距離はあるのに、クシダの足音も、止まる。
乾いた破裂音――そして閃光が二度、蔵の中に弾けた。
木箱から破片が砕け散る。
「馬鹿だなあ⋯⋯。木箱の隅から、靴だけ見えてたよ?」
にちゃあとしたクシダの声。
ぎしっ、ぎしっと、早足の音が響いた。
動かない靴先。
クシダが勢いよく角の先を覗き込む。
部屋の隅が見える位置へ、私もゆらりと動く。
「は⋯⋯?」
ぽつりとこぼして、クシダが立ち尽くす。
私の真下に見える光景。
呆然としたクシダが見下ろすのは、転がっている片方の靴。
クロヤの姿は、ない。
クシダの背後にある通路の一つ。その床に影がちらついた。
そして、動く。
ゆっくりと、音を殺して。
這いつくばって進んでいたクロヤが、立ち上がった。
数歩の距離を、クロヤは迷いなく踏み込んで――
ぎしぃ!
「な、なん――」
振り向いたクシダ。
「ぎゃ!?」
拳に顔面を撃ち抜かれ、クシダが後方に吹き飛んだ。懐中電灯が宙を舞い、物にぶつかる。
その様子をみて、ほっとする。
あの危険な銃も、これで終わりだと思った。
だが、クシダは倒れ込まない。
踏ん張り、右手を突き出した。
「こ、殺されて、たまるかあっ!」
乾いた音が、続けざまに弾ける。
一度。
二度。
破裂音と閃光が走る。
「ぐっ!?」
短いが、苦しそうなクロヤの声。
視界がハッキリしなくてもわかる。
クシダが足を踏み直し、体勢を立て直している。
そして銃を握っている右手に、左手を添えた。
ふらふらしていた銃口が、ピタリとクロヤを狙い定めた。
ダメ!
そう思った時には、私の身体はすでに動いていた。
クロヤの身体を、横から体当たりで押しのけて――
ズガンッ!
撃ち抜かれる。
右腕が砕けた。
それでも、止まっちゃいけない。
この人は放っておいたら、またクロヤを狙う。狭い空間で、クロヤも自由には動けない。
危険だ。
すぐさまクシダの視界に飛び込んだ。
「な、なんだ!? や、やめろっ!」
やっきになって左手で、私の身体を払おうとしてくる。
それでもクシダの顔から絶対に離れない。
背後で、こちらへ踏み込んでくる気配。
「シロ。右だ」
その声に、私は身体をすっとズラす。
クロヤの右拳は、すでに放たれていた。
床を這う位置から、一気に加速。
突き抜ける勢いで、顎をかち上げた。
クシダが崩れ落ちる。
白目を剥いて、今度こそ動かなくなった。
ふよふよとクロヤの胸元に寄ると、抱きとめてくれた。
ちょっと力を使いすぎてしまった。
「シロ⋯⋯、右腕が⋯⋯」
クロヤの声がわずかに沈んだ。
壊れた右腕を見つめていると、クロヤとの出会いが過ぎる。
でも、あの時とは気持ちが違う。
右腕一本で、クロヤが守れたのだから。
「直せんのか?」
すぐには難しいかもしれない。
けれど、安心してもらうために、クロヤの右手のひらを撫でる。
「そうか⋯⋯」
呟く声には、少しだけ温かいものがあった。
それよりも。
クロヤこそ、大丈夫だろうか。
背に、そっと触れた。
「⋯⋯ありがとよ。肩をかすっただけだ」
その言葉にほっとする。
ただ、まだ気を抜いちゃいけない。
クシダの右手を見つめた。
銃を取り上げようと念を込める。
けれど、どうしてだろう。
銃が、手から離れない。
クシダが握っているわけじゃない。
間違いなく、腕から力が抜けている。
クロヤも違和感を覚えたのか、膝をついて銃を見つめた。
「⋯⋯どうなってんだ。銃と手が、なんかで張り付いてやがる」
一瞬、静まり返る。
――ぎし。
どこかで、床が鳴った。
「きゃっ……!」
ミクの短い悲鳴。
クロヤが顔を上げる。
「ミク!」
ミクのいた場所は、あの角の先。
勢いよく角を曲がる。
そこにいたのは――
「兄貴⋯⋯ごめん」
無理に立たされたミク。
「十分、見せていただきました」
ミクを左腕で羽交い締めにしているシキ。
「交渉といきましょうか」
その右手には、銃が握られていた。
「ミクさんと、その人形を引き換えましょう」




