第22話 決めるということ
シキの後についていきながら、クシダの捜索をしていく。
初めに向かったのは、私たちが家に到着した直後に盗み聞きした部屋。
ヤクモとクシダが話をしていた場所だ。
そもそもクシダは手痛い失敗をして、その代償として家に連れてこられたらしい。
この部屋で強制的に過ごさせ、組員が味わった現象の検証をさせていたとのこと。
ボストンバッグと服。
それがこの部屋にクシダがいた痕跡だった。
「っていうか、ヤクモはクシダの居場所を知らないの?」
ミクが何気なく言葉にする。
「それは私も確認しました。クシダの扱いはヤクモに一任していたので」
「それで、なんて言ってたの?」
「この部屋から出るな。そう伝えてあった、と」
「⋯⋯いなそうだけどね」
「誰が見ても、同じ結論でしょうね」
「いきなり飛び出してくるのだけは、やめてよね⋯⋯」
ミクはぶつぶつと言いながらも、真面目に探していた。
押し入れを覗き込んだり、天井裏を確認したり。
大人が入れそうもない備え付けのタンスを、念のため一つずつ引き出してみたり。
複数の目で探しても、いなかった。
そこからは一部屋ずつ、しらみつぶしに探すこととなった。
手足を動かしているクロヤたち。
私も出来ることをしよう。
とはいえ、念で何かを動かすとかは、オヤジさんの霊の件もあるので、紛らわしそうだ。
何かないか。
考える。
『ナナシ。いるんだよね』
――ぞわっ。
内側を撫でられる感覚。ナナシと繋がった。
「なにようかの」
声だけが身体の内側で響く。
ミクが振り返る様子はない。
ナナシと繋がった私だけに届いているようだ。
「ミクも忙しそうじゃしな」
『相変わらずこうなると、思ってることが筒抜けだね』
「そういう繋ぎ方じゃからな。それで、なんじゃ」
『クシダのこと。ナナシならどこにいるか、わかるかなって』
「ほう。ワシを頼るか。じゃが、ええのか? クロヤたちは真面目に自分たちで探しとるがの」
『なんでクシダがいないのか、わからないけど⋯⋯。変なことを考えてるなら、早く見つけた方がいいかなって』
シキの背中をちらりと見る。
この人も、ヤクモもリクドウも、私には理解できない人たちばかり。
『クシダだけじゃない。この家の人たちは、やっぱり怖い⋯⋯』
「かっかっかっ。なりふり構わぬ姿勢は良いの」
楽しそうな声だけが響く。
「しかし、残念ながらクシダの居場所は、わからん。この家は霊の気配で満ちておる。人の気配が紛れる。その上、ワシもずっとおぬしらの側にいたゆえな」
『そうなの?』
「ワシは万物を見通すわけでも、全ての心を覗けるわけでもない」
『私の心が見えるのに?』
「それはワシらが近い存在ゆえ、繋がれるだけじゃ。下手に人へと繋げば廃人と化すぞ」
廃人。初めて聞く言葉だ。
おかしくなってしまうということだろうか。
「シロよ⋯⋯。人をどう思う?」
『⋯⋯難しいなって』
「ワシとて同じよな。人の心理とは、理解しがたい」
『ナナシも、そうなんだ⋯⋯』
「正直な⋯⋯。人の霊ごときは、我の相手にならん。怨霊になれば、また別じゃがの」
『もしかして⋯⋯、オヤジさんの霊を退治しようと思えば⋯⋯』
「人の霊ごときは塵芥よ。じゃが現状それは悪手とワシは考える。なぜかわかるか?」
『それは⋯⋯』
この家で見てきた人たちのことを思い出す。
答えを待っているのか、ナナシは静かだった。
『なにも解決しない⋯⋯』
ナナシからの否定は、ない。
『それをしてもリクドウたちの思いは、もう収まらない。もしかしたら、クロヤたちに向いちゃうかも⋯⋯』
「人の想いとはな、力になることがある」
ミクがサナを助けたいと決断した時のことが思い出された。
「じゃが、呪いにもなりうる」
『⋯⋯うん』
私たちは踏み込み過ぎてしまった。
みんなの想いが絡みつき、後戻りは出来ない。
どうにか出来る場面があったとしたら、関わらないことだった。
――ここはあまり勧めんのう。
思い返せば、あれはナナシの優しさだったと気づく。
リクドウが私たちにこだわっていたけど、ここまでややこしくはなかった。
あの瞬間なら、まだ引き返せたかもしれなかった。
でも、そこはもう――通り過ぎてしまった。
「すでに事は力で捻じ伏せれば、歪みを生じる領域となっておる」
『歪み⋯⋯』
「霊を排したところで、三兄弟は救われん。むしろ執念が深まる。
それこそ呪いのようにな」
ナナシの声は静かだった。
「歪んだ想いがクロヤたちへ向けば、今度は人ごと捻じ伏せることにもなる。じゃが、ミクの心に傷を残す。あるいはクロヤも歪むやもしれん」
静かだが、胸の奥に響く言葉だった。
「ほんに人の機微とは難しい。弱いかと思えば強い。じゃが、強いかと思えば、脆い」
わずかに楽しそうな声音だ。
「出口は全てと向き合い、苦難を乗り越えた先にしかないとは思うが⋯⋯さて、どうなるかの」
少しだけ、意地の悪そうな気配がした。
先には暗闇が待ち構えているようで、不安だけが募っていく。
「解決は不可能⋯⋯そう思うか?」
『⋯⋯どうかな』
「悩み⋯⋯、決断する。それはなかなかに辛いことじゃが――」
ナナシが少し間を開けてから、言った。
「おぬしは、一人ではない」
その言葉にハッとする。
クロヤ、そしてミクと過ごしてきた日々。
胸の奥で、何かが少しだけほどけた気がした。
◇
建物内を一通り回ったが、クシダの影も形も見当たらなかった。
「庭の方も見ていきましょうか」
シキの一言で、建物周りの探索へ切り替わった。
玄関から出る。
相変わらず四方にそびえ立つ塀が、閉塞感を強めていた。
ジャリ。
靴が庭の砂利を踏み鳴らす度に音が鳴る。
威嚇音は聞こえない。
けれど、どうしてもあの時の記憶が蘇って、警戒してしまう。
大きな平たい石があれば、ミクはそこを歩くようにしていた。
クロヤは気にせず砂利のあるところを進んでいたが。
庭にある池を覗きこめば、うっすらと自分たちの顔が映っていた。
水面の下で、鯉がゆらりと動く。
その一匹が、すっと浮かび上がり、顔の映るあたりへ、口を突き出した。
ばしゃり、と水が揺れる。
映っていた顔が、大きく歪んだ。
丸く刈り込まれた木や、手入れされた松の影を調べる。
当然、誰もいない。
風が抜ける。
枝葉がかすかに擦れ合う音だけが、静かに残っていた。
庭を見渡しても、目につくものはなかった。
整えられた景色が、ただ広がっているだけだった。
そのまま奥へと足を進める。
視界の先に、蔵が見えた。
背の高い、二階建て。白い壁はくすみも少なく、この家の中でもひときわ存在感がある。
近づくにつれて、その大きさがはっきりしてくる。
大きめの一軒家ぐらいはありそうだ。
鬼頭宅そのものの存在感は、揺るがない。
それでも、この蔵から目を離せなかった。
蔵の入り口で、足が止まる。
扉は、わずかに開いていた。
「なぜ、鍵が⋯⋯」
言いながら、シキがかすかに眉根を寄せる。
『蔵の鍵は掛かっている。ヤクモが言ってたよね?』
「そうよね⋯⋯」
皆の視線が扉に吸い寄せられる。
存在したはずの鍵がない。
少なくとも何者かが開けたのは確かだ。
「クシダが壊した⋯⋯とか」
「ここの錠前は人間の力で壊せるような、やわな造りはしてません」
シキは静かな声音で言い切る。
「唯一の鍵は――私が持っています」
ヤクモや、リクドウでもないことになる。
つまりは⋯⋯。
「――霊の仕業。そういうこと?」
「私に聞かれても困ります。あなたの方が専門なのでしょう?」
シキが小さく肩をすくめた。
ミクが視線を下げて、口元に手を添える。
「そうね。オヤジさんの霊が開けた。そう考えるのが自然なのかも」
ミクの言葉に、誰もすぐには返さない。
ほんのわずかな沈黙。
「⋯⋯クシダがいない。その理由かもしれませんね」
「どういうこと?」
「この家は確かに広い。ですが、皆でこれだけ探して、見つからないのも異常だと思いませんか?」
シキが、扉から目を逸らさずに言った。
その視線をミクが追う。
「まさか⋯⋯。中にいる、とか?」
「自らなのか、連れ込まれたのか⋯⋯。それはわかりませんが⋯⋯」
シキはそこで言葉を切った。
入る、とまでは言わない。
だけど、無理もないことだ。
オヤジさんの霊が開けたとして、何が待ち受けているのかわからない。
――それでも。
隠し金庫のことが、頭をよぎる。
あれも、偶然とは思えなかった。
何かを教えようとしているような気がした。
この扉も、同じなのだろうか。
「⋯⋯さっきみたいなこともあるし、入ってみる?」
クロヤと私にだけ聞こえる声で、ミクがぽつりと言葉を落とした。
「兄貴は、どう思う?」
ミクの問いかけにも、クロヤの視線は扉に向けられたままだ。
二呼吸ほどおいてから、クロヤは呟いた。
「正直――」
低く、短い声。
「良くはねえな」
いつもより、少しだけ重い。
「ただ⋯⋯蔵から離れる。それも、大差ねえ感じもする」
「どっちもまずいって⋯⋯」
クロヤの言葉が、じわりと染みてくる。
「ミク。臭いは、どうだ?」
「臭いは充満してるけど⋯⋯。今んとこ強い臭いは感じないかな。まあさっきみたいに、急に来るかもしれないけど」
「シロは、なんかあるか?」
『さっきみたいに黒い何かは、見てないよ』
「何も見てないって」
「そうか⋯⋯。少し、考える」
私の声をミクが拾って、届けてくれる。
クロヤが顎ヒゲに手を添えて、わずかに視線を落とす。
抱っこ紐の中から、クロヤを見上げた。
一瞬だけ、視線でシキを確認してから、口元が小さく動く。それは側にいる私にしか聞こえない声の大きさだった。
「ナナシ⋯⋯。聞こえるか。」
「ほう。クロヤから話しかけられる日がくるとは⋯⋯」
ナナシからも、ひそりとした声だけが返ってくる。
ナナシの姿はない。他の誰にも、声すら届いてないようだった。
クロヤに伝わるかわからない。
けれど、側に来たよという意味をこめて、クロヤの右手を撫でる。
「⋯⋯蔵の中。可能な限り早く、見たもんをシロに伝えてくれ。シロは一通り聞いたら、俺の手を押せ」
「少し待て」
クロヤの言葉に、ナナシが応える。
わずかな間を空けて、ナナシの声が聞こえた。
戻ってくるまでに、そう時間は掛からなかった。
「霊はおらん。じゃが、人はハッキリせん。中は箱やタンスが積まれておる」
淡々とナナシが伝えてくる。
「⋯⋯敷地全体で霊の気配が濃い。この中じゃ、人は紛れるの」
『箱とかあるなら⋯⋯隠れてるかも』
「じゃな」
ナナシのやり取りを終えて、私はクロヤの手を押した。
クロヤがすっと顔をあげる。
「どうするか、シロが決めてくれ」
「クロヤ?」
『え⋯⋯?』
クロヤの言葉に、私とミクが止まる。
「俺たちは、それに乗る」
クロヤの視線が、ほんの一瞬だけシキをかすめた。
「兄貴?」
「なるほどの⋯⋯」
戸惑うミク。
何かを感じ取ったナナシ。
『ナナシ? どういう――』
「すまぬ。これ以上の言葉は、濁る」
それだけ言い残すとナナシは姿を消してしまった。
クロヤ、そしてミクから視線が集まる。
私が⋯⋯、決めるの?
二人を危険にするかもしれないのに?
どうして⋯⋯。
どうして、私なの?
行くか、引くか。
どっちかが少しでも安全なら、そっちを選んだのに。
⋯⋯怖い。
自分だけが危ないなら、まだいい。
でも、二人の行く先を背負うのは、重すぎるよ。
クロヤ⋯⋯、私には無理だよ。
風が通り抜けた。
ミクの視線が、私とクロヤを行き来する。
すると、クロヤがふっと息を吐いた。
「キツイ役目だよな。けどよ、今だけは⋯⋯頼む」
口を開いたクロヤの声は、静かだった。
「それが一番いい。そんな気がすんだ」
私の頭に、クロヤの手が触れた。
「そんかわり、シロだけに責任は押しつけねえ。俺たちも出し切る」
その温もりが、ゆっくりと胸の奥に染みていく。
重さは、消えない。
怖さも、そのままだ。
それでも――
少しだけ。
ほんの少しだけ、足場ができた気がした。
「行くか?」
そんな問いかけに、私はクロヤの右手を撫でた。




