第21話 壊れていくもの
隠されていた金庫を前にして、固まってしまう。
まずいものを見てしまったのでは。
興味よりも、そんな思いが胸を満たした。
けれど、リクドウの様子もおかしかった。
私たちと同じように、動こうとしない。
金庫をじっと見つめるばかりだ。
――触れていいものなのか。
そんな空気だけが、はっきりとあった。
「開かねえ。⋯⋯当たり前か」
相変わらず、クロヤは躊躇うことを知らない。
真っ先に空気を動かし始める。
金庫に並んだ番号を適当に押したり、引っ張って開けようとしていた。
「リクドウ。それっぽい数字、ねえのか」
「あ、ああ⋯⋯」
ようやくリクドウの時間が動き始めた。
「番号か⋯⋯」
「こういうのって⋯⋯、定番なのは誕生日とか?」
ミクの一言で、リクドウがオヤジさんや三兄弟の誕生日をぽつりぽつりと紡ぎ出す。
でも、どの数字も、ぴくりとも反応しない。金庫は頑なに口を閉ざしたままだった。
「どれも違えか⋯⋯」
どこか諦めたような様子のリクドウが、重いため息をついた。
そんな時、ふと過ぎるものがあった。
『ね⋯⋯、お母さんは?』
「お母さん? 確かに試してないわね⋯⋯」
「オフクロか⋯⋯」
一度、目を閉じてから、
「やってみるか⋯⋯」
リクドウの太い指が、先ほどまでより丁寧に数字を押していく。
いくつかの組み合わせを試してみて――
カチャリ。
金庫から小さな音が漏れた。
リクドウへと視線が集まる。だけど、金庫を見つめるばかりだ。
「⋯⋯開けるぞ」
一言をおいてから、クロヤが手を伸ばす。
額縁、そして金庫。
リクドウですら知らされてない場所に、何を秘めていたのだろう。
けど、本当に見てもいいのかな⋯⋯。
クロヤも同じなのか、珍しく一呼吸挟んでから、開けた。
『⋯⋯本?』
一冊だけ、金庫の中で静かに眠っていた。
古めかしくて重厚なそれを、クロヤが手に取った。
リクドウへと視線を送ってから、クロヤが開く。
――あいつは、アルバムなんて作ってやがった。
――写真だのなんだの、こまめに残してな。
――俺にはあんな器用な真似はできねえ。
――だからまあ、せめて文で残してみるか。
「これ⋯⋯、たぶん日記よね」
『日記って、なに?』
「今日はこんなことがあった、とか……そういう思い出を残しておくものね」
ミクの言葉になんとなく納得する。
ヤクモの部屋で見せてもらったアルバム。
写真の代わりに、文字を並べる。
そういうものなのだろう。
――今日はリクドウの入学式。
――普通の生活を、たくさん楽しめるといいな。
――あいつと、そんな話をした。
「オヤジ⋯⋯」
リクドウは呟いて、文字をなぞっていた。
日付けは毎日あるわけじゃなかった。一週間以上空いてることも多い。
でも、怖い三兄弟の父親が書いたとは思えないほど、普通のことが書いてあった。
――ヤクモが歩けるようになった。
――リクドウが体育祭のリレーで一番になった。
――シキが有名な大学の受験で首席をとった。
――喜んでるあいつを見ると、こっちまで嬉しくなる。
どれも綺麗で、文字が生き生きとしていた。
読んでいるだけで、胸の奥があったかくなる。
次のページには、どんなことが書いてあるのかな。
そんな風に楽しみにしてしまう私がいる。
パラリ。
ページをめくり――
視線が、止まった。
そのページの文字は震え、シミのような跡があった。
――あいつが、殺された。
そのページは、たった一文だった。
ページをめくりたくない。
私はそう思ってしまう。
それでもリクドウは指を滑らせた。
シキに、リクドウに、ヤクモのこと。
三人について書いてあることは、普通じゃなくなった。
組としての抗争、そして報復。
三兄弟に関わる内容が、暗くて重いものへ変わっていく。
――日陰者の子に、普通は無理なのか。
――もう、戻れねえ。
――あいつが、最後の歯止めだったんだろうな。
ページをめくるたびに、何かが壊れていくようだった。
続きを読むのが憚られた。
関係ない私たちが、安易に触れちゃいけない。
そう思ってしまった。
クロヤも、ミクも、自然と目を離していく。
リクドウだけがページをめくり、視線で追っていく。
一行。
また一行。
そして、何かを確かめるように目が止まった。
「⋯⋯リクドウ?」
ミクが声をかける。
でも、返事はない。
ページをめくる手が、止まった。
そのまま、数秒。
動かない。
やがて、ぱたんと日記を閉じる。
「どうしたの――」
ぎし、と。
階段を踏む音が、どこかで鳴った。
全員の動きが止まる。
もう一度。
ぎし。
ゆっくりと、音が近づいてくる。
リクドウが、ちらりと入口を見て、
「⋯⋯部屋を元に戻せ」
ぼそりと呟いた。
「ちょっと、なんで――」
「急げ」
ミクの言葉に被せるように言って、日記をズボンのベルトに挟み込んで、服の下に隠していた。
金庫の扉を押し戻す。
さっきより、少しだけ雑な手つきだった。
額縁を戻した、その瞬間だった。
「こんなところにおそろいで⋯⋯」
部屋に訪れたのはシキだった。
眼鏡の奥で、シキの目が細められる。
口元は確かに少しだけ緩めているけれど。
それが、どうしても笑っているように見えなかった。
「⋯⋯クシダを探していたのですが。ここにもいないようですね」
「⋯⋯クシダ?」
ミクが少しだけ嫌そうに名前を口にした。クロヤとリクドウも顔を見合わせた。
「誰も知らないようですね。それで⋯⋯、あなたがたは、ここでなにを?」
「オヤジが殺されたってんなら、手掛かりでもねえかなって思ってよ」
リクドウが頭をかきながら答えた。
「何かありましたか?」
シキの視線が、リクドウへと向けられる。
「⋯⋯なんかねえかって思ったけどよ」
真っ向から受け止めたリクドウが、声色一つ変えずにぽつりと返した。
「オヤジが死んだ時、三人で色々と調べたもんな。⋯⋯意味なかったわ」
えっ⋯⋯。
声が出せたなら、そう聞こえてしまっていただろう。
ミクもわずかに目を見開いていた。
「もとから物も多くねえし⋯⋯、オヤジが死んでんのも、心臓の発作で、飲み薬が間に合わなかったから。それで納得できちまう状態だったもんな」
「その通りでしたね」
リクドウが、ふと視線を落とした。
「確かオヤジ⋯⋯会合途中で『疲れた』って言って、あのまま二階に上がったよな」
「ええ」
「そのあと、誰かと顔合わせたって話も聞いてねえし」
「そのまま上がって、それきりですね」
「⋯⋯だよな」
リクドウが腕を組む。
「そうなると⋯⋯、シロが聞いたっていう黒いやつのぼやき。そいつが、そもそもオヤジなのかってことにもなんのか⋯⋯」
「⋯⋯可能性の一つではありますがね」
そう言われてしまえば、確実なものはないのだけれど。
でも、黒い影がオヤジさん以外には結びつかなかった。
隠された金庫の場所。
そこにたどり着いたのは、偶然には思えなかった。
口を閉ざしたリクドウ。
私は額縁を見つめた。
どうして⋯⋯金庫や日記のことを、伝えなかったのだろう。
シキに言えば、何かわかることがあるかもしれないのに。
「⋯⋯ちっと頭、冷やしてくるわ」
リクドウが部屋から出ていく。シキは目で追っていた。
リクドウが廊下の角を曲がって姿を消すと、シキの視線がこちらへ流れてくる。
「あなたがたは、どうしてこちらの部屋に?」
静かな瞳だった。
感情がわからない。
塵も蔦も棘も――何も、生み出さない。
「ヤクモの部屋で一息ついて、貸してくれた部屋に戻ろうとしてたの。そしたら、なんか物音がしたから⋯⋯」
「なるほど。リクドウがいたわけですね」
「ま、そんなとこ」
シキの言葉にミクがうなずく。
「なら、今は少し手が空いてますね?」
「え? まあ、ヒマには違いないけど」
口ではそう言いつつも、ミクは警戒した猫みたいに、じりと身を引いた。
「難しいことではありません。それに、あなた方にも関係のあることですから」
シキが眼鏡を掛け直しながら言った。
「クシダを探すのを手伝っていただけませんか」
「うわ⋯⋯」
ミクが心底嫌そうな顔をする。
私たちがクシダを見かけたのは、ヤクモと一緒に部屋から出ていったのが最後だ。
そういえば、ヤクモに家を案内されてる時も、一切それらしい気配はなかった。
「なんでクシダなんかを探してるのよ?」
「少し話をしようかと。ですが、姿が見えなくてですね」
「ふーん……」
ミクは気のない返事をする。
「あなたがたにとっても、クシダを探すのは悪い話ではありません」
「⋯⋯なんでよ?」
怪訝そうに尋ねる。
「リクドウから聞きましたが、あなたがたはクシダと対立していたのでしょう?」
「まあ、ね⋯⋯。でも、確実にあっちが悪いんだから」
「それは立ち位置の問題ですので、私からはなんとも⋯⋯。ただ、この状況下で、あなたがたの確執を持ち込まれては困ります」
眼鏡の奥の瞳は、変わらず静かだった。
「なので、先に釘を刺しておこうかと。あなたがたも、その方がなにかと良いでしょう?」
「言いたいことはわかる。けど⋯⋯、出来れば顔も見たくないのよね⋯⋯」
ミクの肩に力が入る。
シキは、ミクの言葉に特に反応を示さなかった。
「居場所がわかれば、それで終わりです。私は、手数が欲しい。あなた方にとっては、少なくともここでの諍いは遠ざけられる。お互いに有益な話ではありませんか?」
静かな声で言い切る。
ミクが言葉を失ったまま、唇を噛む。
何か言い返そうとして、言葉が続かないようだった。
ミクのクシダに対する気持ちは、私だって同じだ。
なるべく会いたくない。
「⋯⋯わかった」
クロヤの低い声が、代わりに答えた。
「兄貴⋯⋯?」
「行くぞ」
短くて、逃げ場のない言葉。
ミクが顔を歪める。
「⋯⋯はあ!? ちょっと――」
「今は、見えねえもんが多すぎる」
被せるように、クロヤが言う。
「特にクシダだ。どこまで俺たちを意識してんのか、わからねえ」
ミクが何か言いかけて、口を閉じる。
「ミクは嫌だろうが、一度向き合って、今のあいつを見といた方がいい」
それ以上は、何も言わない。
立ち上がる音だけが、やけに大きく響いた。
「⋯⋯兄貴のいいたいこと、なんとなくわかったわ」
ため息まじりのミクに向けて、シキがわずかに目を細める。
「それでは、よろしくお願いします」
淡々とした声だった。




