第19話 それだけだ
軽い歩調のヤクモは、こちらを振り返りもしない。
ついてくることを疑ってないようだった。
お風呂場から台所へ移動していく。
「ほら、ここに包丁があるからね」
「あ、そう」
ミクが嫌そうに包丁から目を逸らす。
「こっちには酒瓶、ハサミ。こっちには――」
明るい様子で説明を済ませると、すぐに次の廊下へ移った。
廊下も長ければ、閉じられたふすまも多い。
ただ、関係ない部屋も多いのか、ほとんどを素通りしていく。
「あそこに蔵もあるけど、物が多いし、鍵が掛かってるから⋯⋯。とりあえず今は家の中ね」
廊下の窓越しに見える、蔵と呼ばれた建物。
庭の奥、木々の向こうにある。
もう一軒の家みたいな大きさで、二階建ての高さがある。
白い壁がぼんやりと浮かび上がっていて、距離があるのに妙に目を引いた。
「この部屋は会合の時に、ふすまを開け放して使うんだ。それで日本刀があそこね」
部屋の奥まで気安く歩み寄ると、日本刀を抜き放ち、クロヤへと向けてくる。
刀身はもう少しで首筋に触れそうだった。
「オヤジの愛刀なんだ。⋯⋯綺麗だよね」
ほんのわずかでも、手元が狂えば――そう思った瞬間、身体の奥が冷たくなる。
「本物だよ。せっかくだし、持ってみる?」
「ああ」
鞘と刀を受け取り、クロヤが刀身を傾けた。蛍光灯の光を弾いている。
「ねえ、さっきから物騒なものばっかり⋯⋯。なんのつもりよ」
気味が悪そうに、ミクがぽつりと呟く。
「だってさ」
ヤクモが肩をすくめる。
「君ら、いつ何が飛んでくるかわかんないんでしょ。そういう物の場所、ちゃんと知ってた方がいいかなって」
「言いたいことは、わかるけど⋯⋯」
「それに、こんぐらいで物騒なんて大袈裟だね。銃じゃないんだからさ」
「じゅ、銃⋯⋯? あ、あるの?」
「あるに決まってるでしょ」
「ほんと勘弁して欲しいわ⋯⋯。てか、帰らせて欲しいんだけど⋯⋯」
「ははっ! そんなことしたら、首輪つけて引きずり戻すから」
冗談のような声で言うヤクモは、笑ってない目で私のことを射抜いた。
――ずずず、と。
胸の奥に、黒い蔦が這い上がってくる。
「そしたら、次に行こっか」
日本刀を元あった場所に戻すと、ヤクモはくるりと背を向けた。
胸の奥にちらついた蔦が、何事もなかったみたいに消える。
⋯⋯さっきも一瞬だけ感じたやつ。
ヤクモに見られた瞬間、勝手に生まれてきた。
嫌悪の塵とも、欲望の泥とも違う。
もっと、別のなにか。
じわじわと絡みつくみたいだった。
ヤクモを視界に入れたくない。
首輪をつけて、引きずり戻すなんて。
⋯⋯なんで、あんなことを平気で言えるんだろう
それにあの目。
冗談みたいな声だったのに、ひとつも笑っていなかった。
それが怖い。
どうして、あんなふうに言えるのか。
どうして、あれで普通にしていられるのか。
わからない。
「ここから二階だよ」
ヤクモが足音を響かせて、階段を登っていく。二階へ続く道は、少しだけ薄暗かった。
クロヤとミクの足音が重なる。
一つは慎重で、一つは堂々としていた。
登りきったところで、すぐ右手にある部屋に招かれた。
「はい、到着! ここが僕の部屋だね」
『ここが⋯⋯ヤクモの⋯⋯』
ふすまが開かれるまでは、危ないものが転がってるのかなと警戒していた。
視界に飛び込んできたのは。
ちゃぶ台に本棚、たたまれた敷布団。
この家に来て、初めて普通だなと思えた空間だった。
「はい、座布団」
「あ⋯⋯、どうも」
ぽかんと立ち尽くすミクが、座布団を受け取り、慎重に一歩を踏み入れる。
クロヤは座布団をちゃぶ台前に置き、あぐらをかいた。
「喉が渇いたよね? 冷たいのと温かいの、どっちがいいかな?」
「⋯⋯え。あたしは喉、渇いてな――」
「俺は冷たいので頼む」
「兄貴? ⋯⋯飲むの?」
信じられないといった表情をクロヤへ向ける。
「全部にビビるな。いざって時に反応できねえ」
「そ、そうかもしれないけど⋯⋯」
「出した奴が目の前にいる。わかりやすいだろ」
「じゃあ⋯⋯、あたしも冷たいので」
「オッケー。じゃ、くつろいでてね」
気分を害した様子もなく、ヤクモは部屋から出て行こうとする。
廊下に姿が消え――
「あっ、忘れてた」
柱の影から顔だけひょっこり出してきた。
「押し入れのふすまは開けない方がいいよ。⋯⋯危ないからさ」
笑顔で物騒な言葉を残すと、軽い足音が遠ざかっていった。
「⋯⋯なんか、すごいわね。あの子」
『ミクと同じ年くらいに見える。でも、話してると雰囲気が違う』
「あれ⋯⋯。黙ってニコニコしてたら、絶対モテるわ」
たまっていた緊張を捨てるように、ミクは大きなため息をついた。
「この部屋も、パッと見ると友達の家みたいだし⋯⋯。あれ?」
『ミク、なんかあった?』
ミクの視線が、本棚へと注がれる。
大きい順に整理された本たち。中央の段には、小物が飾られている。
「や、こんな揃ってるのに、写真立てだけがさ」
『倒れてるね』
伏せられた写真立てだけが、本棚の中で浮いていた。
本棚へ近づいたミクは、背中を丸めて触れようか迷ってる猫みたいだった。
ヤクモのことを考えると、その気持ちはなんとなくわかる。
だから、代わりに私の力でゆっくりと写真立てを起こした。
「少し若い頃っぽいけど、あの三兄弟ね。⋯⋯ヤクモはまったく変わってないし」
『この髪の白くなってる人がオヤジさん⋯⋯かな?』
門の看板前に並んでいる写真だ。
真ん中にはオヤジさん。少しだけ距離はあるが、その左右にリクドウとシキが立っている。
オヤジさんは不器用そうな顔で、けれどほんの少しだけ口元が緩んでいた。
リクドウは肩をすくめるように立ちながら、どこか照れくさそうだ。
シキは七三に整えた髪も眼鏡もきっちりとしていて、仮面でも被っているみたいに無表情だった。
その中で、一番目を引いたのはヤクモだった。
パーカーの上から制服を羽織るように着崩しながら、場違いなくらい満面の笑みを浮かべている。
自らオヤジさんの腰元へぎゅっと抱きつき、まるで離すものかと言わんばかりだった。
きっちり着る気のない制服。
軽そうな格好。
なのに、その笑顔だけは誰より強かった。
「リクドウと似てるわね。噂のオヤジさん。シロが見たのも、こんな感じだった?」
『私が見たのは、黒い影で⋯⋯。顔は見えなかったから⋯⋯』
「そっか」
ミクが写真を見つめながら、首を傾げた。
「シキもヤクモも、オヤジさんと似てないわね⋯⋯」
「母親似なんだよ」
『ひゃ!?』
振り返れば入り口に居たのは、にっこり笑顔のヤクモだった。片手に小型の刃物を握っていた。
「な、なによっ!?」
「そんなに慌てて、どうしたのさ」
しれっと言い、お盆をちゃぶ台へと置いた。
グラスのコップが三つとリンゴが乗せられていた。
「え、と⋯⋯。勝手に写真を見てごめんなさい」
「あー、そんなこと。別に好きに見ればいいよ」
「そう?」
ちゃんと許可を得たからと言わんばかりに、ミクは写真と目の前にいるヤクモを見比べている。
「ヤクモって、学生なの?」
「そう見える? でも、その写真は六年くらい前のだよ」
「マジ? 今のヤクモと、ほとんど同じに見えるわ」
信じられないと、ミクがヤクモを前にして目をぱちくりさせていた。
「アルバムとか、見る?」
本棚から一冊を取り出して、クロヤへと差し出してきた。
クロヤが受け取ったアルバムを、私の念でパラリとめくる。
ミクも側にやってきて、アルバムに視線を落とす。
ヤクモはシャリシャリとリンゴの皮を剥き始めていた。
「赤ちゃん。小さくて可愛いわね」
『私ぐらい⋯⋯、もっと小さいのかな?』
「そばに眼鏡を掛けた子がいるけど⋯⋯。きっと、シキね。ヤクモと、かなり年齢が離れてそう」
赤ちゃんが女の人に抱えられ、眼鏡をかけた男の子がのぞき込んでいる写真があった。
眼鏡の男の子――シキは、もうずいぶん大きい。
水色で、「三雲誕生」とやわらかい文字が書かれていた。
「シキ兄、僕が生まれた時にはもう小六だったし」
「一回りも離れてるのね。じゃあ、リクドウは?」
「リク兄は六つ上だよ」
「シキとリクドウって、思ったよりも離れてたんだ。今の姿だと、全然わかんないわ」
『言ってた通り、ヤクモはお母さん似だね』
パラリ――パラリ――
ページをめくるたび、写真の中の皆が少しずつ大きくなっていく。
シキは制服姿になり、リクドウもヤンチャな雰囲気が強くなっていく。
ヤクモも小学校に入学し、無邪気な笑顔のまま、少しずつ大きくなっていった。
「なんというか⋯⋯普通の家族に見えるわ」
『⋯⋯あれ。でも、続きがないね』
「ここで終わってるみたい⋯⋯」
ランドセルを背負い、学校へ向かおうとしているヤクモの写真で、ページは途切れていた。
けれど、その姿はもう小学校に上がったばかりの幼さじゃない。
背丈もずいぶん伸びていて、次の制服も遠くなさそうに見えた。
ただ、それ以降の写真は、なかった。
「リンゴ、おいしいよ」
「⋯⋯うめえな」
クロヤとヤクモが、小分けにされたリンゴを頬張っている。
ミクもリンゴを摘んで、口へと運ぼうとしていた。
「写真はそこまでしかないよ」
ヤクモは咀嚼していたリンゴを飲み込んだ。
「オフクロ、殺されちゃったからさ」
ミクがリンゴをかじる音が、小さく響いた。
誰も、すぐには言葉を返せなかった。
リンゴを噛む音だけが、やけに大きく聞こえる。
――しばらくして。
「ねえ」
ヤクモが、ぽつりと声を落とした。
「その人形、僕にゆずってくれない?」
「⋯⋯は? なに言ってんの?」
ミクが問い返す。
「んー、言い方が悪かったね。もちろんただじゃない。それなりのお金は用意するからさ」
「意味わかんないんだけど⋯⋯」
「ね、いいよね?」
ヤクモが、少しだけ笑みを深くした。
わずかに前のめりになってくる。
ミクは上手く言葉を返せないようだった。
「その話をするなら――」
クロヤが言いながら、ゆっくりと私を見つめた。
「まずシロに聞け。こいつはモノじゃねえ。意思がある」
一瞬だけ、空気が止まった。
「金とか、関係ねえ。シロがお前と居たいか、居たくねえか。それだけだ」
「⋯⋯へえ」
ヤクモの視線が、ゆっくりとこちらへ向く。
楽しそうでも、怒っているわけでもない。
ただ、興味を持ったような声だった。
「じゃあ⋯⋯君が決めてよ」
逃げ場のない言い方だった。
ミクが息を呑むのがわかる。
クロヤは何も言わない。
視線が、全部こっちに集まってくる。
――どうするのか、を。
『……やだ』
考えるより先に、言葉が出た。
胸の奥に、さっきの蔦の感触が残っている。
『行かない』
はっきりと、言い切る。
「⋯⋯嫌だって」
ミクが拾いあげてくれて、伝えてくれる。
「ははっ! 君らしか聞こえないのに、それを信じろって?」
「シロ。俺の時と同じにしろ。右手は『はい』左手は『いいえ』だ。もう一度聞く。撫でてやれ」
クロヤは私への確認というより、ヤクモに言い聞かせているようだった。
「ヤクモんとこに行くか?」
「⋯⋯っ! これ⋯⋯」
ヤクモが自分の左手へ、視線を落とした。
「わかったろ。それが答えだ」
「⋯⋯そっか。残念だな」
諦めたかのような言葉。
だけど、また蔦が絡まるように胸の奥に湧き上がってくる。
私に向けて、なにかしらの感情が向けられている。
間違いなく、この人から。
『怖い……』
胸の奥に絡みついてくる。
『なんで……』
言葉がうまく出てこない。
ただ、こっちを意識しているのがわかる。
「シロ⋯⋯、大丈夫? なんかあった?」
『その人⋯⋯私のことを、たぶんまだ欲しがってる気がして⋯⋯』
「クシダの時の泥みたいなやつ?」
『⋯⋯うん』
「そうなんだ」
ミクが、ヤクモをまっすぐ見た。
「ねえ。シロのこと⋯⋯まだ諦めてないの」
「⋯⋯へぇ。そういうのもわかるんだ」
両手で頬杖をついて、私の目を覗き見てくる。奥まで見通されそうで、気持ちが悪かった。
「でも⋯⋯心が読めるわけじゃなさそうだね」
「んなことより」
クロヤが言葉を押し込んだ。
「しつけえのはナシだ。シロが嫌がってんだろ」
「見た目と違って、君は随分と優しいみたいだね」
ヤクモの視線がクロヤを捉えた。
「この人形が⋯⋯そんなに大事なのかな? 意思があるから、情でもわいてるのかな?」
「⋯⋯何が言いてえ」
「回りくどいのはお好みじゃないか⋯⋯。じゃあ、ハッキリ言うけど、僕はその人形が欲しい――」
ニコッとヤクモが笑った。
「どんな手を使ってもね」
表情とはまるで合わない、冷たい声だった。
鬼頭組の看板が、思い出される。
見た目に惑わされてはいけない。
この人は、危険な世界の住人なのだから。
どうして私に固執するのか、わからない。
でも、このままだとクロヤたちに何を仕出かすかわからない。
二人が傷つくのは、もっと嫌だ。
それなら、いっそのこと⋯⋯。
「そうか」
クロヤの言葉は揺れない。
いつものように、どっしりとした声だった。
「なら、先に俺を潰すしかねえな」
「⋯⋯なんだって?」
「シロが嫌だって、言ってんだ。無理やりなんて、認めねえ」
笑顔のままヤクモが固まった。
「連れていこうともな。俺は取り返しにいく。どんな手を使ってもな」
「出来るわけが⋯⋯」
「やる。そう決めた」
「はっ⋯⋯」
真っ直ぐと射抜くクロヤの瞳。
笑い飛ばしきれないヤクモがいる。
「人形に、なんでそこまで⋯⋯」
「⋯⋯なんで、か」
誰も口を挟まない。
呼吸音だけが、繰り返される。
しばらくして。
クロヤがゆっくりと口を開いた。
「雨の日に拾った。最初はなんとなくだ」
クロヤの言葉に、あの日の雨の匂いが思い出される。
見た目は怖かった。
でも、触れてくる手はやさしかった。
「けど手入れしてるうちに、そこにいるのが当たり前になってた」
私は服の右袖を見つめる。
相変わらず、縫ったあとがわかる。それが嬉しかった。
「全部聞いたわけじゃねえが、見てねえとこでも勝手に動いて、助けられた。
⋯⋯思い当たる節は、いくつもある」
屋上から落ちた時。
あの瞬間のことを、思い出す。
クロヤが助かった時は、ほっとした。
「俺は⋯⋯こいつと居たい。シロも同じだろ。⋯⋯それだけだ」
クロヤの言葉は静かだ。
それでも胸の奥まで響いてくるようだった。
「⋯⋯へえ」
ヤクモの声が、少しだけ落ちる。
「そういう繋がりも、あるんだね」
私の奥に絡みつく蔦が⋯⋯、すっと引いていく。
「⋯⋯そっか」
ヤクモがすっと身体を起こし、天井を仰ぐ。
部屋の空気が、ほんの少しだけ変わった気がした。




