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19/30

第19話 それだけだ

 軽い歩調のヤクモは、こちらを振り返りもしない。

 ついてくることを疑ってないようだった。

 お風呂場から台所へ移動していく。


「ほら、ここに包丁があるからね」

「あ、そう」


 ミクが嫌そうに包丁から目を逸らす。


「こっちには酒瓶、ハサミ。こっちには――」


 明るい様子で説明を済ませると、すぐに次の廊下へ移った。

 廊下も長ければ、閉じられたふすまも多い。

 ただ、関係ない部屋も多いのか、ほとんどを素通りしていく。


「あそこに蔵もあるけど、物が多いし、鍵が掛かってるから⋯⋯。とりあえず今は家の中ね」


 廊下の窓越しに見える、蔵と呼ばれた建物。

 庭の奥、木々の向こうにある。

 もう一軒の家みたいな大きさで、二階建ての高さがある。

 白い壁がぼんやりと浮かび上がっていて、距離があるのに妙に目を引いた。


「この部屋は会合の時に、ふすまを開け放して使うんだ。それで日本刀があそこね」


 部屋の奥まで気安く歩み寄ると、日本刀を抜き放ち、クロヤへと向けてくる。

 刀身はもう少しで首筋に触れそうだった。


「オヤジの愛刀なんだ。⋯⋯綺麗だよね」


 ほんのわずかでも、手元が狂えば――そう思った瞬間、身体の奥が冷たくなる。


「本物だよ。せっかくだし、持ってみる?」

「ああ」


 鞘と刀を受け取り、クロヤが刀身を傾けた。蛍光灯の光を弾いている。


「ねえ、さっきから物騒なものばっかり⋯⋯。なんのつもりよ」


 気味が悪そうに、ミクがぽつりと呟く。


「だってさ」

 

 ヤクモが肩をすくめる。


「君ら、いつ何が飛んでくるかわかんないんでしょ。そういう物の場所、ちゃんと知ってた方がいいかなって」

「言いたいことは、わかるけど⋯⋯」

「それに、こんぐらいで物騒なんて大袈裟だね。銃じゃないんだからさ」

「じゅ、銃⋯⋯? あ、あるの?」

「あるに決まってるでしょ」

「ほんと勘弁して欲しいわ⋯⋯。てか、帰らせて欲しいんだけど⋯⋯」

「ははっ! そんなことしたら、首輪つけて引きずり戻すから」


 冗談のような声で言うヤクモは、笑ってない目で私のことを射抜いた。

 ――ずずず、と。

 胸の奥に、黒い蔦が這い上がってくる。


「そしたら、次に行こっか」


 日本刀を元あった場所に戻すと、ヤクモはくるりと背を向けた。


 胸の奥にちらついた蔦が、何事もなかったみたいに消える。


 ⋯⋯さっきも一瞬だけ感じたやつ。

 ヤクモに見られた瞬間、勝手に生まれてきた。

 嫌悪の塵とも、欲望の泥とも違う。

 もっと、別のなにか。

 じわじわと絡みつくみたいだった。

 

 ヤクモを視界に入れたくない。

 首輪をつけて、引きずり戻すなんて。

 ⋯⋯なんで、あんなことを平気で言えるんだろう


 それにあの目。

 冗談みたいな声だったのに、ひとつも笑っていなかった。

 それが怖い。

 どうして、あんなふうに言えるのか。

 どうして、あれで普通にしていられるのか。

 わからない。


「ここから二階だよ」


 ヤクモが足音を響かせて、階段を登っていく。二階へ続く道は、少しだけ薄暗かった。

 クロヤとミクの足音が重なる。

 一つは慎重で、一つは堂々としていた。

 

 登りきったところで、すぐ右手にある部屋に招かれた。


「はい、到着! ここが僕の部屋だね」

『ここが⋯⋯ヤクモの⋯⋯』


 ふすまが開かれるまでは、危ないものが転がってるのかなと警戒していた。

 視界に飛び込んできたのは。

 ちゃぶ台に本棚、たたまれた敷布団。

 

 この家に来て、初めて普通だなと思えた空間だった。


「はい、座布団」

「あ⋯⋯、どうも」


 ぽかんと立ち尽くすミクが、座布団を受け取り、慎重に一歩を踏み入れる。

 クロヤは座布団をちゃぶ台前に置き、あぐらをかいた。


「喉が渇いたよね? 冷たいのと温かいの、どっちがいいかな?」

「⋯⋯え。あたしは喉、渇いてな――」

「俺は冷たいので頼む」

「兄貴? ⋯⋯飲むの?」


 信じられないといった表情をクロヤへ向ける。


「全部にビビるな。いざって時に反応できねえ」

「そ、そうかもしれないけど⋯⋯」

「出した奴が目の前にいる。わかりやすいだろ」

「じゃあ⋯⋯、あたしも冷たいので」

「オッケー。じゃ、くつろいでてね」


 気分を害した様子もなく、ヤクモは部屋から出て行こうとする。

 廊下に姿が消え――


「あっ、忘れてた」


 柱の影から顔だけひょっこり出してきた。


「押し入れのふすまは開けない方がいいよ。⋯⋯危ないからさ」


 笑顔で物騒な言葉を残すと、軽い足音が遠ざかっていった。


「⋯⋯なんか、すごいわね。あの子」

『ミクと同じ年くらいに見える。でも、話してると雰囲気が違う』

「あれ⋯⋯。黙ってニコニコしてたら、絶対モテるわ」


 たまっていた緊張を捨てるように、ミクは大きなため息をついた。


「この部屋も、パッと見ると友達の家みたいだし⋯⋯。あれ?」

『ミク、なんかあった?』


 ミクの視線が、本棚へと注がれる。

 大きい順に整理された本たち。中央の段には、小物が飾られている。


「や、こんな揃ってるのに、写真立てだけがさ」

『倒れてるね』


 伏せられた写真立てだけが、本棚の中で浮いていた。

 本棚へ近づいたミクは、背中を丸めて触れようか迷ってる猫みたいだった。

 

 ヤクモのことを考えると、その気持ちはなんとなくわかる。

 だから、代わりに私の力でゆっくりと写真立てを起こした。


「少し若い頃っぽいけど、あの三兄弟ね。⋯⋯ヤクモはまったく変わってないし」

『この髪の白くなってる人がオヤジさん⋯⋯かな?』


 門の看板前に並んでいる写真だ。


 真ん中にはオヤジさん。少しだけ距離はあるが、その左右にリクドウとシキが立っている。

 オヤジさんは不器用そうな顔で、けれどほんの少しだけ口元が緩んでいた。

 リクドウは肩をすくめるように立ちながら、どこか照れくさそうだ。

 シキは七三に整えた髪も眼鏡もきっちりとしていて、仮面でも被っているみたいに無表情だった。


 その中で、一番目を引いたのはヤクモだった。

 パーカーの上から制服を羽織るように着崩しながら、場違いなくらい満面の笑みを浮かべている。

 自らオヤジさんの腰元へぎゅっと抱きつき、まるで離すものかと言わんばかりだった。


 きっちり着る気のない制服。

 軽そうな格好。

 なのに、その笑顔だけは誰より強かった。


「リクドウと似てるわね。噂のオヤジさん。シロが見たのも、こんな感じだった?」

『私が見たのは、黒い影で⋯⋯。顔は見えなかったから⋯⋯』

「そっか」


 ミクが写真を見つめながら、首を傾げた。


「シキもヤクモも、オヤジさんと似てないわね⋯⋯」

「母親似なんだよ」

『ひゃ!?』


 振り返れば入り口に居たのは、にっこり笑顔のヤクモだった。片手に小型の刃物を握っていた。


「な、なによっ!?」

「そんなに慌てて、どうしたのさ」


 しれっと言い、お盆をちゃぶ台へと置いた。

 グラスのコップが三つとリンゴが乗せられていた。


「え、と⋯⋯。勝手に写真を見てごめんなさい」

「あー、そんなこと。別に好きに見ればいいよ」

「そう?」


 ちゃんと許可を得たからと言わんばかりに、ミクは写真と目の前にいるヤクモを見比べている。


「ヤクモって、学生なの?」

「そう見える? でも、その写真は六年くらい前のだよ」

「マジ? 今のヤクモと、ほとんど同じに見えるわ」


 信じられないと、ミクがヤクモを前にして目をぱちくりさせていた。


「アルバムとか、見る?」


 本棚から一冊を取り出して、クロヤへと差し出してきた。

 クロヤが受け取ったアルバムを、私の念でパラリとめくる。

 ミクも側にやってきて、アルバムに視線を落とす。


 ヤクモはシャリシャリとリンゴの皮を剥き始めていた。

 

「赤ちゃん。小さくて可愛いわね」

『私ぐらい⋯⋯、もっと小さいのかな?』

「そばに眼鏡を掛けた子がいるけど⋯⋯。きっと、シキね。ヤクモと、かなり年齢が離れてそう」


 赤ちゃんが女の人に抱えられ、眼鏡をかけた男の子がのぞき込んでいる写真があった。

 眼鏡の男の子――シキは、もうずいぶん大きい。

 水色で、「三雲誕生」とやわらかい文字が書かれていた。


「シキ兄、僕が生まれた時にはもう小六だったし」

「一回りも離れてるのね。じゃあ、リクドウは?」

「リク兄は六つ上だよ」

「シキとリクドウって、思ったよりも離れてたんだ。今の姿だと、全然わかんないわ」

『言ってた通り、ヤクモはお母さん似だね』


 パラリ――パラリ――


 ページをめくるたび、写真の中の皆が少しずつ大きくなっていく。

 シキは制服姿になり、リクドウもヤンチャな雰囲気が強くなっていく。

 ヤクモも小学校に入学し、無邪気な笑顔のまま、少しずつ大きくなっていった。


「なんというか⋯⋯普通の家族に見えるわ」

『⋯⋯あれ。でも、続きがないね』

「ここで終わってるみたい⋯⋯」

 

 ランドセルを背負い、学校へ向かおうとしているヤクモの写真で、ページは途切れていた。

 けれど、その姿はもう小学校に上がったばかりの幼さじゃない。

 背丈もずいぶん伸びていて、次の制服も遠くなさそうに見えた。

 ただ、それ以降の写真は、なかった。


「リンゴ、おいしいよ」

「⋯⋯うめえな」


 クロヤとヤクモが、小分けにされたリンゴを頬張っている。

 ミクもリンゴを摘んで、口へと運ぼうとしていた。


「写真はそこまでしかないよ」


 ヤクモは咀嚼していたリンゴを飲み込んだ。


「オフクロ、殺されちゃったからさ」


 ミクがリンゴをかじる音が、小さく響いた。


 誰も、すぐには言葉を返せなかった。

 リンゴを噛む音だけが、やけに大きく聞こえる。


 ――しばらくして。


「ねえ」


 ヤクモが、ぽつりと声を落とした。


「その人形、僕にゆずってくれない?」

「⋯⋯は? なに言ってんの?」


 ミクが問い返す。


「んー、言い方が悪かったね。もちろんただじゃない。それなりのお金は用意するからさ」

「意味わかんないんだけど⋯⋯」

「ね、いいよね?」


 ヤクモが、少しだけ笑みを深くした。

 わずかに前のめりになってくる。

 ミクは上手く言葉を返せないようだった。


「その話をするなら――」


 クロヤが言いながら、ゆっくりと私を見つめた。


「まずシロに聞け。こいつはモノじゃねえ。意思がある」


 一瞬だけ、空気が止まった。


「金とか、関係ねえ。シロがお前と居たいか、居たくねえか。それだけだ」

「⋯⋯へえ」


 ヤクモの視線が、ゆっくりとこちらへ向く。

 楽しそうでも、怒っているわけでもない。

 ただ、興味を持ったような声だった。


「じゃあ⋯⋯君が決めてよ」


 逃げ場のない言い方だった。

 ミクが息を呑むのがわかる。

 クロヤは何も言わない。


 視線が、全部こっちに集まってくる。


 ――どうするのか、を。


『……やだ』


 考えるより先に、言葉が出た。

 胸の奥に、さっきの蔦の感触が残っている。

『行かない』


 はっきりと、言い切る。


「⋯⋯嫌だって」


 ミクが拾いあげてくれて、伝えてくれる。


「ははっ! 君らしか聞こえないのに、それを信じろって?」

「シロ。俺の時と同じにしろ。右手は『はい』左手は『いいえ』だ。もう一度聞く。撫でてやれ」


 クロヤは私への確認というより、ヤクモに言い聞かせているようだった。


「ヤクモんとこに行くか?」

「⋯⋯っ! これ⋯⋯」


 ヤクモが自分の左手へ、視線を落とした。


「わかったろ。それが答えだ」

「⋯⋯そっか。残念だな」


 諦めたかのような言葉。

 だけど、また蔦が絡まるように胸の奥に湧き上がってくる。

 私に向けて、なにかしらの感情が向けられている。

 間違いなく、この人から。


『怖い……』


 胸の奥に絡みついてくる。


『なんで……』


 言葉がうまく出てこない。

 ただ、こっちを意識しているのがわかる。


「シロ⋯⋯、大丈夫? なんかあった?」

『その人⋯⋯私のことを、たぶんまだ欲しがってる気がして⋯⋯』

「クシダの時の泥みたいなやつ?」

『⋯⋯うん』

「そうなんだ」


 ミクが、ヤクモをまっすぐ見た。


「ねえ。シロのこと⋯⋯まだ諦めてないの」

「⋯⋯へぇ。そういうのもわかるんだ」


 両手で頬杖をついて、私の目を覗き見てくる。奥まで見通されそうで、気持ちが悪かった。


「でも⋯⋯心が読めるわけじゃなさそうだね」

「んなことより」


 クロヤが言葉を押し込んだ。


「しつけえのはナシだ。シロが嫌がってんだろ」

「見た目と違って、君は随分と優しいみたいだね」


 ヤクモの視線がクロヤを捉えた。


「この人形が⋯⋯そんなに大事なのかな? 意思があるから、情でもわいてるのかな?」

「⋯⋯何が言いてえ」

「回りくどいのはお好みじゃないか⋯⋯。じゃあ、ハッキリ言うけど、僕はその人形が欲しい――」


 ニコッとヤクモが笑った。


「どんな手を使ってもね」


 表情とはまるで合わない、冷たい声だった。


 鬼頭組の看板が、思い出される。

 見た目に惑わされてはいけない。

 この人は、危険な世界の住人なのだから。


 どうして私に固執するのか、わからない。

 でも、このままだとクロヤたちに何を仕出かすかわからない。

 二人が傷つくのは、もっと嫌だ。

 それなら、いっそのこと⋯⋯。


「そうか」


 クロヤの言葉は揺れない。

 いつものように、どっしりとした声だった。


「なら、先に俺を潰すしかねえな」

「⋯⋯なんだって?」

「シロが嫌だって、言ってんだ。無理やりなんて、認めねえ」


 笑顔のままヤクモが固まった。


「連れていこうともな。俺は取り返しにいく。どんな手を使ってもな」

「出来るわけが⋯⋯」

「やる。そう決めた」

「はっ⋯⋯」


 真っ直ぐと射抜くクロヤの瞳。

 笑い飛ばしきれないヤクモがいる。


「人形に、なんでそこまで⋯⋯」

「⋯⋯なんで、か」


 誰も口を挟まない。

 呼吸音だけが、繰り返される。


 しばらくして。

 クロヤがゆっくりと口を開いた。


「雨の日に拾った。最初はなんとなくだ」


 クロヤの言葉に、あの日の雨の匂いが思い出される。

 見た目は怖かった。

 でも、触れてくる手はやさしかった。


「けど手入れしてるうちに、そこにいるのが当たり前になってた」


 私は服の右袖を見つめる。

 相変わらず、縫ったあとがわかる。それが嬉しかった。


「全部聞いたわけじゃねえが、見てねえとこでも勝手に動いて、助けられた。

 ⋯⋯思い当たる節は、いくつもある」


 屋上から落ちた時。

 あの瞬間のことを、思い出す。

 クロヤが助かった時は、ほっとした。


「俺は⋯⋯こいつと居たい。シロも同じだろ。⋯⋯それだけだ」


 クロヤの言葉は静かだ。

 それでも胸の奥まで響いてくるようだった。


「⋯⋯へえ」


 ヤクモの声が、少しだけ落ちる。


「そういう繋がりも、あるんだね」


 私の奥に絡みつく蔦が⋯⋯、すっと引いていく。


「⋯⋯そっか」

 

 ヤクモがすっと身体を起こし、天井を仰ぐ。

 部屋の空気が、ほんの少しだけ変わった気がした。



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