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18/30

第18話 最後に残るもの

 胸の奥に押し寄せていた黒の奔流は、次の瞬間には、ほとんどが霧散した。

 細かな塵だけが、湧き上がり続けている。


「へぇー、すごいこと言うね」


 口火を切ったのはヤクモだった。


「誰かの霊⋯⋯みたいのが、話しかけてきた。それ、嘘じゃないんだよね?」


 表情と声はやわらかいのに、視線が私を強く射抜いてくる。

 歪な組み合わせ。

 どんな感情なのか読めない。

 

 クロヤの右手を圧でなぞる。


「嘘はついてねえ、だとよ」

「ふーん⋯⋯」


 ヤクモの視線は、代わりに答えてくれたクロヤに流れた。互いに目を逸らさない。


「ま、いいや。クシダ、行くよ」


 くるりと踵を返し、後頭部で両手を組み合わせると部屋から出ていく。

 その後を、クシダが慌てた様子で追いかけていった。


 胸の奥に湧き続けていた細かな塵が、ふっと遠のいて、感じられなくなった。


「ねえ、リクドウ」


 ミクがリクドウへ話しかける。

 けれど、顎を撫でるばかりで反応がない。


「ねえってば!」

「⋯⋯悪い。ちと考え事してたわ」

 

 ミクの強い投げかけで、ようやく言葉を返してきた。

 さっきまでの軽さが、ほんの少しだけ消えている。


「あんたの言うとおり、家のこと見たでしょ? ⋯⋯もう、帰っていいわよね」

「あー⋯⋯」

 

 頭をかきながらリクドウは、わずかに考える素振りをした。

 そして――


「帰さねえ」

「ちょっと! 話が違うじゃない!」

「事情が変わったからよ。とりあえず、ゆっくりしていけや」


 勢いよく立ち上がり、見下ろしてくる。

 じっと見つめた後、何も言わずに廊下へ踏み出した。重量のある足音が遠ざかっていく。


「ちょ、リクドウ! あたしたち、どうすればいいのよ!」


 ミクの叫びは虚しく響くばかりだ。


「⋯⋯殺された、ですか」


 眼鏡を掛け直したシキが、ぽつりと呟いた。


「ええと、シキさん⋯⋯だっけ?」


 ミクがシキへと向き直る。


「あなた、お兄さんなんでしょ? だったら、あたしたちが帰れるよう、あいつに言って聞かせてよ」

「それは難しいでしょう」

「どうしてっ!」

「その人形が見たという黒い影が⋯⋯、殺されたと言ったからです」


 眼鏡の奥にある瞳が、冷たく光る。


「私自身は、いまだ半信半疑ではありますが⋯⋯。霊というものがいて、この家に居ついているのならば⋯⋯。それは、オヤジ――私たちの父親でしょう」

「あなたたちのお父さん?」

「組員から不可解な報告があがるようになった時期、オヤジの亡くなったタイミング。加えて、なぜか私たち兄弟には無害」


 瞳を閉じて言葉を並べていくシキ。

 迷いがない。

 必要なものだけを正確に取り出し、不要なものには一切触れない。

 そんな思考の流れが、そのまま言葉になっているようだった。


「あなた方の言葉を借りるなら、オヤジがこの家に憑いてる。⋯⋯霊とは、簡単に生まれるものですか?」

「⋯⋯ママから聞いた話だと、人が霊になるのは、よほど心残りがあるらしいわ」

「オヤジの死は、組の誰もが不慮の事故だと結論付けた。⋯⋯しかし、そうではなかった可能性が示唆された。息子たちが何を考えるか、わかるでしょう?」

「真相を知りたい⋯⋯」

「⋯⋯いえ」


 フッと口元を崩して、シキが私を見つめた。

 温もりなど微塵もない瞳だった。


「犯人に、償ってもらう」


 ゆっくりとした動きで、シキが頬杖をついた。


「⋯⋯こちらの世界なりの方法で」 


 感情が抜け落ちたシキ。その冷たさから、視線が離せなくなる。

 ミクの喉が小さく鳴っていた。


「さて⋯⋯私も一仕事しましょうか。オヤジの死んだ日は、組の会合がこの家でありました。それぞれの動きを、正確にまとめなければなりません」


 シキがゆるりと立ち上がる。


「そうですね、この部屋を貸し出しましょう。ゆっくりと、くつろいで結構です」


 こちらの返答を待たず、シキは障子を閉めた。

 その音だけが、妙に響いた。



「どうにかして、帰れないかな」


 部屋の隅で膝を抱えたミクが、重いため息をついた。


 その隣には、壁に背を預けたクロヤがいる。

 側にいるからよくわかるが、クロヤは休んでいるようにみえて、一瞬たりとも気を緩めていない。

 絶えず目配せをしつつ、周囲とミクを気にかけていた。


 クロヤも休めたらいいのに。

 でも、そうできない気持ちもわかる。


 さっきの短い時間で、胸の奥に湧いたのは、今までとは違う黒いものだった。

 それに誰が何を考えているのか、わからない。


 私も、すぐに離れた方がいいと思う。

 それが出来ればの話だけど。


「随分な歓迎じゃったな」


 ナナシの声だけが降ってくる。

 顔をあげて姿を探すミクを前にして、クロヤも何かに気づいたようだ。


「ねえ、ナナシ。あの霊⋯⋯」

「親父殿のことか?」

「あたしには、見えないし、聞こえなかった⋯⋯。臭いだけは、わかったんだけど⋯⋯」

「所詮はまだ人域の霊⋯⋯。才能任せのミクだけでは、拾いきれんのも道理よな」

「あたしの力が足りないっていうの?」

「くっくっ⋯⋯。誇示するほど鍛えておらんじゃろ」

「それは⋯⋯まあ、そうだけどさ⋯⋯」


 ナナシの小さな笑いに、ミクがわずかに口を尖らせる。

 

「心配はいらん。随分と堕ちておった⋯⋯。嫌でも見えるようになるのに、時間はかからん」

「⋯⋯どういうこと?」


 恐る恐るといった様子で、ミクが尋ねる。


「人肉が腐敗するように、人霊も堕ちていく」


 ナナシの声は静かだった。


「人の霊⋯⋯。生前の記憶が残るうちは良い。じゃが、徐々に理性も記憶も、失くしていく。さっきのあれも、そうじゃな」


 さっきの黒い影を思い出す。

 ⋯⋯あれが、人。

 とてもそうには見えなかった。

 考えて話している素振りはなくて、ただ反応しているだけのように見えた。 


「そして最後に残った感情のままに、動く」


 ナナシの声が、静かに落ちる。

 ――重く、粘りつくようなそれだけが。


「結果、害をなすものを怨霊――ワシはそう呼んでおる」

『⋯⋯怨霊』

「あれは末期に近い」


 部屋に、しんとした静けさが落ちる。

 ミクが何か言いかけて――


「おい。盗み聞きは、よくねえ。だったよな」


 クロヤが鋭く言った。

 その瞬間。

 ガラリ、と障子が開いた。

 そこにいた人影。


「ははっ、気づくんだ。やるね」


 薄く笑うヤクモがたたずんでいた。


「なんか君だけ喋ってたけど、頭おかしい感じ?」


 軽い調子のまま、部屋の中を一通り見渡す。


「⋯⋯なんの用」


 ミクの言葉は冷たい。

 ヤクモが悪びれもせず肩をすくめる。


「殺された⋯⋯。そんなこと聞かされたらさ」


 首を傾げて下から覗き込むように、私へ視線を向けてきた。


「ちょっと気になるでしょ?」


 その一言に、空気がわずかに沈む。

 けれどヤクモは気にした様子もなく、くるりと背を向けた。


「しばらくここに居るんでしょ?」


 ひらひらと手を振る。


「家の中、案内してあげるよ」

 


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