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17/30

第17話 異質な家

 クロヤがつけた抱っこ紐に、私は身を委ねていた。


 和風の大きな門が閉ざされている。

 塀の位置が遠く、どこまでがこの家の敷地なのか、ひと目では掴めない。


 門の脇にある看板。

 そこに書かれた文字を見た瞬間、胸の奥がわずかにざわついた。

 ――鬼頭組。

 ただの文字なのに、なぜか触れてはいけないもののように感じた。


 クロヤが門を押すと、重さはあるようだが抵抗もなく開いた。

 そこから見える光景を、クロヤとミクが並んで眺める。


 手入れされた広い庭。

 砂利が敷き詰められ、歩くための大きな飛び石が置かれていた。


 庭は、思っていたよりも奥まで続いていた。

 その奥に、明らかに広い日本家屋がたたずんでいる。

 さらに奥――

 木々の合間に、もう一つ、建物の影がかすかに覗いていた。


「これは、なかなかの臭いね⋯⋯」


 隣で目を細めたミクが、ぽつりとこぼした。


「臭い?」


 クロヤがミクへ問いかける。


「兄貴には初めて言うけどさ。あたしね、霊的なものが臭いでわかんのよ」

「そうか」


 クロヤは一度だけ、すん、と鼻で息をした。

 それから、すぐにまた門へ視線を向けた。


「きちんと嗅ぎ取れて偉いの」


 ナナシの声がする。

 宙からにゅっと手が伸びて、ミクの頭を撫でた。


「じゃが⋯⋯、ここはあまり勧めんのう」

『⋯⋯どうして?』

「色々なものがな⋯⋯混ざりあっておる」

『色々⋯⋯』

「霊⋯⋯人⋯⋯、一度絡まれば、容易にはいかぬ。おそらくは、な」


 ナナシの低い声が落ちる。

 私は思わずクロヤの手のひらを強く押した。

 ミクの時と同じ合図だ。


 つい、とクロヤの視線が落ちてきた。


「⋯⋯ヤバいのか?」

「あ⋯⋯、うん」


 何かを考える素振りをしたミクが、私を見つめた。


「あたしも、ナナシも、そう思ってる」

「ナナシ⋯⋯。そうか。いんだよな」


 クロヤは一瞬だけ、空いた空間へ視線を向けた。

 誰かの気配を確かめるみたいに。


 私のことだけじゃない。ナナシという存在もいる。クロヤにはそう伝えている。

 クロヤは、感じられない。

 霊感がなければ、ナナシが力を強く溢れさせない限り、微塵も存在を感じられないらしい。


 クロヤにとっては見えない。

 けれど確かに存在している。

 馴染むには、少し時間が掛かりそうだった。


「それでも、飛び込むかの?」


 ナナシは気だるそうに尋ねてくる。


『⋯⋯』

「⋯⋯行くしかないでしょ。リクドウが逃がしてくんないし」

「すでに一つは絡まっておるゆえ。そう考えるのも致し方ないが⋯⋯」


 クロヤが一歩、門の中へ踏み出す。

 ジャリ、と。砂利を踏む音が鳴った。


「さすが兄貴って感じだよね⋯⋯」


 少し遅れて、ミクが続く。

 ジャリ。


 ――ギィ……。


 背後で、門が動いた。

 振り返る間もなく。


 ――バタン。


 重たい音が、背中を打つ。

 その瞬間。

 外の気配が、すっと遠のいた。


「風で閉まった⋯⋯。そんなわけ、ないよね。あはは⋯⋯」


 ミクが乾いた笑いを漏らす。

 クロヤが門に近づいて、ぐっと押す。

 扉は開く。

 閉じ込められたわけではない。

 それでもミクの瞳が不安に揺れる。


 クロヤは油断なく周囲を見回し、門を閉めた。


 大きな飛び石を踏んで、家を目指す。

 先頭を自ら歩くクロヤが、はたと止まった。


 カチ⋯⋯カチカチカチ⋯⋯。

 足元から聞こえてくる。

 ミクが身体を縮こまらせた。


 砂利たちが小さく震え、ぶつかりあっていた。

 生き物が威嚇しているかのようだった。

 襲い掛かってくるわけではない。

 それでも、心に不安が染み込んでくる。


 一歩が出なくなったミクを、クロヤが手を引いた。

 


 ガラガラッ――ピシャン。


 屋内へと入り、引き戸を強く閉める。

 砂利の音が遠くなり、消えた。

 薄暗い家屋に、ミクの荒い息遣いだけが響く。

 

 なぜだろうか。

 たった一枚の扉しかないのに、空気が変わった。

 そんな気がしてしまう。


 足音が聞こえてきた。

 廊下の角の先。

 木の床を踏み鳴らすそれが、近づいてくる。


 腰がわずかに引けながらも、ミクは廊下をのぞき見ていた。


「⋯⋯くはっ! 逃げ出さねえで、来たか」

「⋯⋯なんだ。あんたか」


 リクドウを前にして、ミクがほっとため息をつく。


「リクドウさ⋯⋯。霊的なもんは胡散臭いとか言ってたけど⋯⋯」


 ミクが嫌そうに引き戸の方を見る。


「外のあれ見ても、なんも思わなかったの?」

「あん? 外がどうかしたか?」

「⋯⋯ちょっと来てよ」


 呆れた様子のミクが、リクドウを引っ張って外へ連れ出した。

 玄関前に立たせて、その後ろに隠れながら様子をうかがっている。


「なんもねえぞ」

「ウソ⋯⋯、なんでよ⋯⋯」


 砂利の一粒すら、ピクリともしない。


「⋯⋯くはっ! ま、嬢ちゃんも組の奴らと似たような目にあった。そういうことだわなぁ」

「どういうこと?」


 ミクの声が、わずかに強くなる。


「組の連中だけだと。音が鳴ったり、勝手に物が動いたり⋯⋯まぁ、散々って話だ」

「でも、あんたがいると?」

「見ての通りだ。砂利一つ動かねえ」


 リクドウが肩をすくめる。


「まあ、正確にはヤクモとシキの兄貴がいても、反応しねえんだがな」


 軽く言い切る。


「だから組員どもが、勝手に騒いでるだけにしか見えなくてな。ラリってんじゃねえって殴って、ついには全員追い出した」

「⋯⋯雑すぎない?」

「くはっ! ま、そんときゃまだ信じてなかったからよ。けどな――」


 リクドウの目が、ほんのわずかに細くなる。


「この前のアレ見てな。さすがに考え変えたわ」

「信じないでくれた方が、あたしたちはありがたいけどね⋯⋯」

「くはっ! そりゃ無理な話だ。⋯⋯まあ、ゆっくりしていけや」


 首で大雑把に『上がれ』と示してくる。


 先に動いたのはクロヤだった。

 迷いなく上がり框に踏み出して、ミクへ手を差し伸べる。


「いくぞ」

「あ⋯⋯、うん」


 ミクはクロヤの手をとった。

 少しだけほっとした様子をしていた。

 クロヤがいて良かったと、私は思った。


 そんな二人のことを、じっと見つめるリクドウ。


「なによ⋯⋯。どうせビビってる姿が笑えるとか、思ってんでしょ?」

「あー⋯⋯。ま、そんなとこだな」


 リクドウは踵を返して、廊下を踏み鳴らしながら進んでいく。


「なによ、あいつ⋯⋯。調子狂うわね」

『私も、そう思う。でも、それより⋯⋯いいの?』

「なにが?」

『置いていかれたら、さっきみたいなのが来るかも⋯⋯』

「それは⋯⋯勘弁だわ」


 小走りで、リクドウの後を追いかけ始める。片手はクロヤから離れなかった。


 廊下を進んでいくと、障子の閉じられた部屋から声が漏れ聞こえた。


「――で? なにも起きなかったけど?」


 誰かが軽い調子で言った。

 女性のように高くはないが、男性のように太いものでもない。

 混ざり合った中性的な声。


「僕さ⋯⋯。嘘って嫌いなんだよね⋯⋯」

「ほ、本当です。昨日は⋯⋯、いきなり飛んできて⋯⋯」


 私はもう一人の声に違和感を覚えた。

 ミクも同じように感じたのか、足を止めて障子を見つめた。


「⋯⋯ほんとかなあ?」


 少しだけ間。

 ぎし、と何かが軋む音。


「っ――や、やめ、それ以上は指が折れ――」


 押し殺したような声。

 それから、息を詰める気配。

 ぴたり、と音が止まる。


「⋯⋯でさ」


 軽い声が、何事もなかったみたいに続いた。


「盗み聞きって、よくないと思うんだよね」


 障子の向こうで、気配がこちらを向く。

 隠す気もない足音が迫ってきて、障子が勢いよく開かれた。


 視界に飛び込んできたのは、背の低い人影。

 

 ゆるく羽織ったパーカーに、細い脚。どこにでもいそうな格好だった。

 

 ミクに向かって、その人は楽しそうに笑う。


 次の瞬間。


 指が、一直線にミクの目を狙った。

 考えが追いつかない。

 危ない――そう思った時には、すでに終わっていた。

 

「へえ⋯⋯。面白いね、君⋯⋯」

「⋯⋯」


 クロヤに手首を掴まれたまま、その人は薄く笑う。

 無表情のクロヤを前にしても、その笑みは崩れない。

 不穏な空気を察したのか、リクドウが頭をかきながら戻ってきた。


「ヤクモ⋯⋯。よせ」

「な、なんなのよこの子⋯⋯」


 ミクがクロヤの背後に隠れる。


「弟が急に悪かったな。少しでも怪しい奴には、容赦なくてよ」

「怪しいって⋯⋯あんた⋯⋯」

「俺の客だ」


 リクドウが、ヤクモを見下ろしながら言った。


「リク兄の客かあ。ならいいけど」


 空気が変わった。

 ヤクモはぎゅっとリクドウへ抱きつく。


「⋯⋯んだよ。さっきもやったろ」


 面倒くさそうに言いながら、リクドウは片手でヤクモの頭を軽く押し返した。


「別にいいでしょ」

「ったく⋯⋯」

「それで、この人は?」


 子供みたいな仕草なのに、こちらを見る目だけは妙に冷たかった。

 ヤクモと呼ばれたその人は、クロヤのことを値踏みするように見つめた。


「どっかの組の偉い人⋯⋯その息子とか?」

「ちげえ。カタギだ」

「それでこの動きかあ⋯⋯。なんか変な人形も持ってるし⋯⋯」


 ヤクモから向けられる視線。

 絡みつくようで、思わず隠れたくなってしまう。


「ほら、もういいだろ。離れろって」

「しょうがないなあ」


 ようやくヤクモがリクドウから離れた。

 

「ちょうどいい、ヤクモも来い。そこで座り込んでるビビリも連れてな」


 リクドウが発したそいつという言葉に、皆の視線が自然と男へ集まる。

 見たことのある顔だ。


 ⋯⋯クシダ?


 間違いない。憔悴したクシダは、ジャージ姿で、社長としての面影は欠片もなかった。

 

 ミクもクシダを見て、何か言いたげに口を開きかけ⋯⋯、そこでやめていた。


「迷惑料を身体で払わせてんだ。ま、気にすんな」

 

 目ざとく気づいたリクドウが、吐き捨てるように言った。


「さっさと行くぞ。シキの兄貴を待たせてるからよ」



「シキの兄貴、入るぜ」


 言うと同時に障子を開け、リクドウが部屋にずかずかと入り込んでいく。

 眼鏡を掛け、七三に整えた髪の男が、部屋の奥に座っていた。


「返事を待たないのなら、聞く意味はないでしょう」


 眼鏡の男――シキは手にした紙の束に視線を注ぐばかりで、こちらを見向きもしない。


 ヤクモが軽い足取りで、ふらりと入り込む。

 部屋に入るなり、ためらいなくシキの背へ抱きついた。


「⋯⋯仕事中です」

「シキ兄、相変わらずかたーい。少しぐらいいいでしょ」

「鬱陶しいですよ」

「冷たいなあ」


 淡々と告げながらも、振り払うことはしない。ヤクモは肩をすくめて、するりと離れた。


「おう。許可が出たぜ。全員入れよ」

「⋯⋯全員?」


 訝しげに眉を寄せ、シキが眼鏡を掛けなおす。

 

 クロヤが一歩、部屋の中へ踏み込む。

 手を引かれるまま、ミクも続く。

 少し遅れて、クシダが重い足取りで中へ入った。


 それぞれが畳へと腰を降ろす。


「⋯⋯リク。随分と都合のいい解釈ですね」


 紙の束を整え、シキは横に置いた。


「それで、どのような要件でしょうか」

「昨日、話したじゃねえか。この家で起きてる意味わかんねえ問題。それを解決できそうな奴らを、見つけて来たってよ」

「あー、リク兄、言ってたね。除霊師がなんたらとかさ」

「こいつらが、その除霊師ってやつだ」


 リクドウの雑な紹介に、場に沈黙が落ちた。


「リク兄⋯⋯。いくら馬鹿だからって、詐欺に騙されたら、僕らの商売あがったりだよ?」


 ヤクモが軽く言う。


「⋯⋯あれを、本気で言っていたんですか?」


 シキが視線を上げた。


「弟と言えど、無様な真似をすれば⋯⋯。それなりの対処をいたしますよ」


 それだけで、空気が一瞬だけ、張り詰める。


 この家は変だ。

 外で起きたことも、うまく飲み込めない。

 ヤクモも、シキも――普通じゃない。


 なのに。

 一番怖いのは、普通じゃないこと全部が当然になってる、この空間だった。

 

「おいおい、難しく考えんなって。その目で見りゃあ一発だろ」

 

 リクドウは喉の奥で、くはっと雑に笑った。


「ほら、お前ら。なんかやってみせろよ」

「一つだけ言っとく。親が除霊師なだけで、あたしたちは専門家じゃないから⋯⋯」


 弱々しく呟いて、ミクが私を見つめた。


「シロ。頼める?」

『⋯⋯うん』


 天井で、足音が鳴った。

 コツ、コツ、と。 誰かが歩くみたいに。

 クロヤとミクを除いた全員が、一斉に天井を見上げる。

 クシダだけが、ガタガタと震え縮こまっている。


 テーブルにある灰皿に、意識を向ける。

 灰皿が、ふわりと浮いた。

 そのまま、空中で止まる。

 

 ヤクモが即座に腰を浮かせ、灰皿の周りに手を伸ばした。


「へぇ⋯⋯。マジでタネも仕掛けもないってやつだね⋯⋯」


 口角を吊り上げ、興味津々と瞳を輝かせている。


「この人形にな……。憑いてるらしいぜ」


 リクドウが顎でしゃくる。

 ――視線が、一斉に私へ集まった。


 そのときだった。


「⋯⋯なに、この強い臭い」


 呟いたミクが、むせこんだ。


 私の背後に、何かの気配が生まれた。

 黒い影。

 輪郭は曖昧で、ただ人の形らしいものだけがそこにある。

 音もなく、近い。

 息が、かかる距離。


『……コロサレタ』


 耳元で、囁かれた。


『⋯⋯誰に、殺されたの?』

『⋯⋯』


 私は思わず聞き返した。

 返答はない。

 ただ、感覚でわかる。

 この黒い影は、私やナナシと近い存在だということが。


「こほっ⋯⋯。シロ⋯⋯今の言葉⋯⋯」


 絞り出すような声でミクが問いかけてくる。

 私はハッと我に返った。

 黒い影も、溶けるように消えていく。


 ミクと私の会話を邪魔をしてはいけない雰囲気に、他の誰も口を開かない。

 けれど、ミクは先を聞いてはこなかった。

 耐えきれなくなったリクドウが、ずいっと前のめりになる。


「おい、なんかあったなら俺たちにも教えろや」

「あたしには聞こえなし、見えない⋯⋯。でもシロには、聞こえたのよね?」

『うん』

「シロ⋯⋯、何があったか話してもらっていい?」

『え、と⋯⋯。人みたいな影が見えて⋯⋯』

「人みたいな⋯⋯影」

『殺されたって⋯⋯聞こえた』

「本当に、そう言ったのね⋯⋯」

『⋯⋯うん』


 ミクは聞いた言葉を一度噛み締めるように、目を閉じた。

 そして言葉を続ける。


「殺された。そう言ったんだって」


 ミクの言葉が場に落ちた瞬間。


 胸の奥に、黒いものが押し寄せてきた。

 鋭い棘がいくつも刺さり、

 蔦が絡みつき、

 塵が湧き上がる。

 ばらばらだったそれが、一気に集まってくる。


 八つの目が、私を捉えて離してくれなかった。


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