第14話 好きだから
どうしよう⋯⋯。
どうしたらいいの。
私が何かして、男たちを怒らせたらマズい。
でも、このままじゃ大変なことになる気がする。
どちらも選べないまま、状況だけが悪くなっていく。
「まったく、ふざけたことをしてくれるね⋯⋯」
「離してっ!」
クシダがミクを無理やり引きずっていく。
ミクの抵抗は、ないも同然に扱われていた。
「どうやって、僕の家を調べたのやら⋯⋯」
「⋯⋯」
「⋯⋯後ろにいたよな。あの気味の悪いバイク。あれか?」
白い車の後部座席。
私の身体越しにミクを押し込み、続くようにクシダ社長が乗り込んでくる。
私は逆側のドアを見つめる。そこにミクの手が届くことはない。
わずかな距離。
けれど、そこには黒いスーツの男がいる。
目元にある深い傷跡が印象的な男が、タバコをふかしながら、気だるそうに背を預けていた。
興味のない瞳が、ミクへと向けられている。
ぐったりしたサナは、運転役の男に、助手席に押し込まれていた。
クシダ社長がドアを強く閉め、ミクは身体をビクリと震わせた。
運転役の男が後部座席へ手を差し出すと、クシダ社長は胸ポケットから取り出した鍵を渡す。
運転役の男は家へと向かっていった。
「さて、ミクちゃん⋯⋯。どういうつもりだったのかな?」
どろり。
重たいものが、胸の奥に満ちていく。
クシダ社長の声音には、怒りがにじみ出ている。
笑みを浮かべているが、わずかに頬を引きつらせていた。
「どういうって⋯⋯、むしろ、あたしの方が聞きたいわよ⋯⋯」
声が、わずかにかすれる。
ミクは助手席のサナへ、一度視線を向ける。
「サナっちを⋯⋯、こんなにして⋯⋯」
「ははっ」
ミクの思いを踏みにじるように、クシダ社長は笑った。
「なにが、おかしいの⋯⋯」
「いや、だってさ⋯⋯。こうなったのは、サナちゃんの自業自得なのにさ」
クシダ社長は、もはや取り繕おうともしない。
「読者モデルで一番になって、もっとその先に行きたい。そんな夢があるらしいね」
嘲りの視線でサナを見つめる。
「擦り寄ってきたのは、サナちゃんだよ」
「そんなの⋯⋯、あたしの時みたいに、そそのかしたんでしょ」
「だとしても、選んだのは彼女だから」
クシダ社長が笑う。
ミクの指先が、わずかに震えた。
「ま、読者モデルレベルで、ミクちゃんに負けてるようじゃ、はなから上にいけるわけないけどね」
「なにそれ⋯⋯酷い」
「それでも、スタイルはいいからさ。少しは、相手してあげようと思ってたのにね」
「少しって⋯⋯」
「ずっとは無理だね。少し遊んだら、おしまいだよ」
「⋯⋯酷い」
ミクに視線を向けてくる。
「まあ、それでもさ、余計なことをしなければ、遊ばれるだけで済んだのにね」
ひゅっと、ミクが小さく息を吸った。
「あたしたちを、どうするつもりなの」
「さあ⋯⋯。僕は怖いオトモダチに頼んだだけだから⋯⋯」
クシダ社長が口元を歪める。
「首を突っ込まなければ、ミクちゃんもこんなことに巻き込まれなかったのにね」
そう言いながら、クシダ社長は車のドアロックを掛けた。
私に触れるミクの指に力がこもる。
全部が、気持ち悪い。
今すぐにでも念で突き飛ばしてやりたい。
だけど、後ろに傷跡のある男がいる。家に向かった運転役の男も、すぐに戻ってくるだろう。
上手くいかなくて、男たちの怒りがミクに向けられたら。
私だけの力じゃ、どうにもならない。
「本当に馬鹿だね。サナちゃんを助けに来たんだろうけど⋯⋯」
「⋯⋯」
「嫌いだって言ってたよ。サナちゃんは、君のこと⋯⋯」
「あたしのこと⋯⋯」
助手席のサナがわずかに身じろいだ。
でも、言葉は出てこない。
「もっと相手を見る目を養わないと」
車内が、しんと静まる。
「嫌われてる。そう分かってれば、助けに来て、こんなことに巻き込まれなかった」
クシダ社長の笑みが、さらに深まる。
「⋯⋯そうだろう?」
視線が、ミクを逃がさない。
クシダ社長はニヤニヤとしていた。
ミクが悲しそうにするのを期待している。
そんな顔だった。
でも――。
私に添えられてるミクの指に、ぐっと力が入った。
「嫌われてても、関係ないから」
「⋯⋯は?」
「私はサナっちが困ってるなら、助けたい。そんだけ」
強く言い切った。
ミクの視線は真っ直ぐに、クシダ社長を射抜いている。
頑張れ。
そんな思いを胸に念を込め、ミクの指を包み込む。
「嫌われてる相手を助ける? ⋯⋯怖くなって頭がおかしくなったのかい?」
「なにもおかしくない」
そんな言葉に、クシダ社長はわずかにたじろぐ。
「あたしは、サナっちのことが好きだから」
かすれてなどいない。
真っ直ぐな声だった。
「そ、そんな強がったって⋯⋯。サナちゃんのせいで、君は酷い目にあうんだ。それでもそんなことが言えるのかい」
「それはサナっちのせいじゃない」
「は、はあっ? なにを言って――」
言葉を遮るように、ミクは胸に手を当てた。
「道を選んだのはあたし」
ミクの言葉が車内に落ちる。
クシダ社長は理解できないものを前にしたように、呆然としていた。
「くはっ!」
初めて聞く声。押さえ切れなかったような笑いが、一瞬漏れた。そんな感じだった。
目に傷跡のある男が、かすかな光を帯びた瞳でミクを捉えていた。
「おい、クシダ。すぐに誰かのせいにするてめえとは、大違いだなぁ」
男はくっくっと笑いながら、クシダへ眼光をぶつける。
クシダの肩がわずかに揺れた。
「⋯⋯」
なにも言い返せない。
けれど、その視線がゆっくりとミクへ向く。
「⋯⋯っ、調子に乗るなよ」
押し殺した声。
次の瞬間、ミクの胸倉を掴んだ。
「なんだその目は⋯⋯馬鹿にするなっ!」
乱暴に引き寄せ、振り上げられる腕。
そんなことはさせない。
私は念を溜める。
クシダに向かって解き放とうとして――
低く、唸るような音が近づいてくる。
次の瞬間、強烈な光が車内を貫いた。
白いヘッドライト。
――今度こそ、一つ目。
目の前が、焼き付くように白くなる。
「っ――!?」
クシダが思わず顔を背けた。
振り上げられていた腕が、止まる。
――今だ!
カチッ。
ロックが外れる音。
次の瞬間、ドアを解き放った。
ミクが息を呑む。
だが、迷いはない。
クシダを車外へ蹴り飛ばす。
肩をぶつけるように、自らも外へ飛び出した。
「兄貴っ! もうっ、遅いよっ!」
「悪い。撒かれた」
悪態をつきながらも、ミクがクロヤへと駆け寄る。
まだ危険は去ってないが、ミクの声にわずかな安堵の色がにじむ。
「サナっちは車の助手席にいる」
「おう」
そんなやりとりをしていると、目元に傷跡の残る男が、車から悠然と降りてきた。
空気が、かすかに張り詰める。
社長の家の方からも、荒々しい足音が迫ってくる。
運転役の男と、トイレに閉じ込めたはずの強面の男のものだ。
「おい、クシダぁ! てめえ、なに逃がしてんだ!」
夜の住宅街に、すごい剣幕をした強面の男の声が響く。
「ひっ! ぼ、僕は悪くないっ! その小娘が暴力を振るって、逃げ出したんだ」
表情を引きつらせながら、クシダは指を向けてくる。
あまりにも情けない姿に、さっきまでミクを脅していた人と同じなのか、疑いたくなる。
「どいつか知らねえが、ふざけた閉じ込め方しやがって!」
強面の男が目を血走らせ、地面を踏み鳴らしながら躊躇いなく距離を潰してくる。
クロヤの視線がゆらりと相手を捉えた。
瞬間、運転役の男は足を止めた。
「おい。待て」
「殺す」
短い制止は、頭に血が上ってる男へは届かない。
「とりあえず一発殴ら――」
「邪魔だ」
吐き捨てるようなクロヤの一言。
風を切る拳が容赦なく顔面へ。
男の身体が、宙に跳ねた。
地面に転がると、横たわったまま動かなくなる。
「油断しやがって、馬鹿が⋯⋯」
運転役の男は、派手なシャツをめくりあげ、右腰に手を伸ばした。
抜き放ったのは、鈍い輝きを宿した短刀。
右手に構えて、じりじりと詰め寄ってくる。
クロヤは一歩も引かず、運転役の男から目を外さない。
やがて男が足を止めた。
視線が真っ向からぶつかりあう。
圧力も、距離も。
刃物の分だけ、男が有利。
私は男の足だけを見つめた。
踏み出す一歩。その一瞬だけを捉えるために。
踏み出す。
その瞬間。
私は念を解き放った。
男の身体が、後ろへ引かれる。
「っ――!?」
体勢が崩れる。
クロヤの踏み込み。
その音に迷いはない。
拳が顎を打ち抜いた。
男の身体がぐるんと半回転し、倒れ込んだ。
「シロ、なんかやったっしょ」
ミクの小声が落ちてきた。
右手のひらをなぞっておく。
「やるじゃん」
ミクは悪戯っぽい笑みを浮かべた。
私の頭に、軽く手を当ててくれる。
「ひ⋯⋯、ひぃぃぃ! こ、こっちに来るなっ!」
クロヤが距離を詰めると、クシダの情けない声が漏れ出た。
「り、リクドウさん! 見てないで、助けてくださいよっ!」
目に傷跡のある男――リクドウにクシダはすがりついた。
「うるせえなあ⋯⋯」
それだけで、クシダの身体がびくりと止まる。
リクドウは気だるそうにタバコを咥え、火をつけた。
紫煙をゆっくり吐き出しながら、冷えきった目をクシダへ向ける。
「聞いた話じゃ、ガキ相手に裸の写真だなんだで脅しかけて、楽しんでたんだろ。それが都合悪くなったからって、俺らまで巻き込みやがって⋯⋯」
「ひっ⋯⋯、そ、それは⋯⋯」
クシダの喉が、ひゅっと鳴った。
「ぼ、僕はただ⋯⋯、少し遊ぶつもりだっただけで⋯⋯。でも、サナが急に警察に言うとか騒ぎ出して――」
「だから、面倒になる前にどうにかしてくれって、ヤクモに泣きついたのは誰だ?」
言葉を失う。
クシダの顔が、目に見えて青ざめていく。
「ヤクモの頼みじゃなきゃ、こんなクソみてえな尻拭い、誰がやるかよ」
タバコの煙を、クシダへと吹きかけた。
「あー、そろそろ限界だぜ」
リクドウの手は速い。
あっと思った時には、すでにクシダの喉元を掴んでいた。
「一回、死んどくか?」
リクドウの腕が、ゆっくりと持ち上がっていく。
身体が宙釣りになって、クシダの足は地面を求めて暴れまわっていた。
私に触れるミクの手が小さく震えていた。
無理もない。私だって、同じような気持ちだ。
リクドウは獣だった。
下手に近づけば喉元を食いちぎられる。
そんな空気が漂っていた。
こういう時は、息を潜めるしかない。
そのはずなのに。
クロヤの足は、なぜか止まらない。
「おい」
クロヤの言葉は、低く短い。配慮の気配など微塵もない。
「あん?」
リクドウの眼光が圧をそのままに、クロヤへ流れていく。
クロヤが殺されちゃうっ。
それでも、なけなしの気持ちを振り絞る。
すぐに突き飛ばせるよう、念を溜める。
「勝手に殺すな」
「んだと? てめえ⋯⋯、さっきの一発は見どころあったのによ。結局は命が大事だの言う甘ちゃんか? だったら、興醒めだぜ、おい⋯⋯」
獣の視線が鋭さを増す。返答を間違えれば、喰らいついてきそうだ。
けれど、クロヤの瞳は揺るがない。
「ケリ、つけてねえ」
「⋯⋯は? なんのことだ?」
リクドウが眉根を寄せている。
「うちの妹がな」
クロヤの一言が、夜の静寂に染み渡っていく。
「⋯⋯くはっ!」
口元を歪め、リクドウが笑った。
「やっぱ最高じゃねえか、てめえ。⋯⋯ほれ」
リクドウが無造作に力を抜くと、クシダは地べたに転がった。
酸素を求めて、何度も呼吸を繰り返す。
「ミク」
クロヤに名前を呼ばれ、ようやくミクの時間が動き始めた。
はっとしたように顔を上げ、私を揺らしながら車へと走る。
助手席のドアを開けると、サナの身体がぐらりと傾いた。慌てて肩を支える。
「サナっち⋯⋯大丈夫。帰ろ」
力は入らないけれど、意識はある。
ミクは歯を食いしばりながら、ゆっくりとサナを車から引き出した。
そのまま支えながら、数歩。
――止まる。
振り返った。
クシダは地面に転がったまま、まだ息を荒げている。その傍らに、リクドウが立っていた。
夜の空気が、ひどく静かだった。
「⋯⋯サナのこと、連れて帰るから」
はっきりとした声。
「あんたたちも⋯⋯もう関わらないで」
視線は逸らさない。でも、手は少し震えていた。
それでも、引かない。
リクドウの口元が、わずかに歪む。
「それは約束できねえなあ。嬢ちゃんたちが、今回のこと話すかもしれねえからな」
低い声の圧が、そのまま落ちてくる。
「私たちはこのことを誰にも言わない。約束する。だから、そっちも守って」
芯のある声が、真っ直ぐに投げられる。
「⋯⋯くはっ。可愛いお願いじゃねえの」
口元に手を添えたリクドウは、肩を揺らしていた。
「貸し一つだ。今回は引いてやる。手は出さねえ。クシダにも守らせる。うちの組の看板に誓うぜ」
「看板に誓う? なにそれ?」
「うちの組のしきたりでよ。――看板に誓ったことは、絶対に嘘にしねえ」
「ふーん⋯⋯、変なの」
リクドウはしゃがみ込み、クシダの肩に腕を回した。
「わかったな、クシダ」
低く囁く声。
クシダの身体がびくりと震えた。
「ミク、帰るぞ」
「うん」
クロヤの言葉に小さくうなずき、ミクは一度も振り返ることなく、その場を後にした。
◇
夜道に影が二つ伸びている。
「代わるか?」
「ありがと。でも、あたしがやる」
サナは安心したのか、すやすや寝息をたてていた。
そんな彼女が居る場所は、ミクの背中だった。
ミクだって心も身体も疲れているだろうに。
右によろり、左にふらり。
抱っこ紐で一緒に揺られながら、ひやりとする足取りを見つめる。
「そうか」
クロヤは短く言った。路肩に置こうとしたバイクを、再び手で押していく。
暗いからはっきりしないけど。
口元がわずかに緩んでいる。
そんな風に見えた。
やりきりたいというミクの思い。
私にミクの代わりはできない。
それでも手伝うくらいなら、きっといいよね。
サナの身体が浮かぶように念を込める。
もちろん一人を支えるなんて、まだ無理だけど。
少しぐらいは軽くなるはず。
「シロ、ありがとね」
ぽつりと。
上から柔らかい声が落ちてきた。
夜風だけが、静かに通り過ぎていった。




