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第12話 灯りの残る家

「それで、どうしたのかな?」


 クシダ社長は、柔らかく笑った。

 社長室にある立派なテーブル。

 その向こう側に、革の椅子をしならせたクシダ社長がいる。


 視線は、常に私の頭の少し上。

 ミクを狙い続けている。


 ミクが居心地が悪そうに座りなおす。

 それでも、外れない。


「急に来たのに、時間とってくれてありがと、クッシー」


 ミクは真っ直ぐな視線を、クシダ社長へ向けている。


 客用のソファーに深く座り、ゆっくりとだが手をしきりに動かし、私を撫でている。

 まるで私がちゃんとここにいるか、確かめているようだった。


「この前してくれた話⋯⋯ちゃんと考えて来たんだ」


 そこで区切って、ミクが小さく息を吐く。


「あたしさ、モデルとして、ちゃんと上に行きたいって思っててさ」

「なるほど⋯⋯」

 

 ほんの少しだけ間が空く。


「いいね。前向きな子は、嫌いじゃないよ」


 どろり。

 胸の奥で、泥がわずかに重くなる。


「でも、どうしようかな⋯⋯。昨日なら、時間がとれたんだけど、しばらく忙しくてね」

 

 椅子をゆっくりと回して、クシダ社長は背後の大窓から外を眺める。


「タイミングって、大事だからさ」


 どろりどろりと、私の奥に注がれていく。


「えー、クッシーとあたしの仲じゃん」


 ミクは、わずかに身を乗り出した。


「そんなこと言わないでよー」

 

 ミクの頬が、わずかにこわばる。

 それでも、どうにか笑みを浮かべていた。


 クシダ社長が向き直る。

 そのまま、ミクの瞳を覗き込んだ。


「⋯⋯ははっ」


 手で覆っていた口元が緩む。


 身体に勢いをつけて、椅子から立ち上がり、ミクの隣まで来た。


 ソファーに身体を預けるように、隣へ沈み込む。

 ミクの身体がわずかに弾んだ。


「いいよ。そこまでいうなら――」


 クシダ社長の手がミクの肩へと伸びる。


「特別に、時間を作ってあげる」


 黒い泥の勢いは、底が見えない。



 あの時の会話が、頭に浮かんだ。

 ミクが助けたいと決断して、クロヤと向き合っていた直後のこと。


「サナが車に乗ったって話、あったよね」

「⋯⋯ああ」


 少しだけ間があいた。


「人を一人、隠すのってさ」


 ミクが言葉を選ぶように、ゆっくり続ける。


「そんな簡単じゃないよね」

「楽じゃねえな」


 クロヤは短く返す。


「だよね」


 ミクが視線を落とす。


「生きてるなら⋯⋯どっかに閉じ込めないといけない」


 クロヤは何も言わない。


「⋯⋯一度でもその、車で連れてったなら」


 ミクの声が、少しだけ低くなる。


「もう一回、行くかもって」


 沈黙が落ちた。


「⋯⋯かもな」


 クロヤは否定しなかった。

 ミクの指先が、わずかに動く。


「⋯⋯だったらさ」


 ほんの少しだけ、顔を上げる。


「その車、追えたら――」


 言いかけて、止まった。

 クロヤの視線が向く。


「⋯⋯まあ、そんなの無理か」

「やりようはあんだろ」


 短い声だった。

 それ以上は、続かなかった。



「クシダ社長、ご飯美味しかったよ。ごちそうさま」


 ミクの声が頭上から落ちてくる。


「いやいや、たいしたことじゃないよ」


 クシダ社長が、軽く手を振りながら応えた。


 すっかり夜に染まった景色。

 窓越しには、昼間の雰囲気とは異なる賑やかさがある。

 居酒屋へ誘う店員に、酔っぱらった仲間に肩を貸す人⋯⋯。

 

 信号が青に変わると、黒い車は静かに進み始めた。

 街の明かりが、後ろへ流れていく。


「それにしても、あまりたくさんは食べないんだね。ミクちゃんは元気だから、少し意外だったな」


「いやあ、あたしって、食べるとすぐに体重が増えるんで⋯⋯。美味しいのを、ちょっとずつ摘ませてもらっちゃった」

「そうなの? でも、とてもスタイルが良く見えるけど」

「あははっ、クッシーったら、上手なんだから」


 車内に、軽い笑いが広がる。

 ――どろり。


「でもさ、僕はもう少し食べてもいいと思うんだ」


 赤信号を前にして、ゆっくりと速度を落としていく。

 止まったところで、クシダ社長が少しだけ身体を寄せてきた。


「その方が――」


 その動きに合わせて、手がミクの膝に触れた。


「好みだからさ」

 

 クシダ社長が、ふっと口元を緩める。

 

「あー、そうなん?」


 ミクの指先が、わずかに強く私を掴む。


「じゃあ、前向きに考えてみよーかな」

「⋯⋯素直なところも、君の魅力の一つだね」


 クシダ社長の手は、ハンドルへと戻っていく。


 車がぐいっと進み、私の身体がかすかにミクへ押し付けられた。


 それからしばらくは静かだった。

 車の振動と、ミクの胸の鼓動。

 それだけが、やけに強く伝わってくる。


「この後、時間ある? もう少し話をしたくてさ」


 クシダ社長の口元が歪む。


「うちに来る?」


 ふと、そんな言葉が落ちる。


「こんな遅い時間に? おうちの人に迷惑かかっちゃわない?」

「まあ、うちは一人だしさ」


 軽く笑う。


「誰もいないから、ゆっくり話せるよ」


 ミクが返そうとした、その前に、


「⋯⋯ああ、いや。今日はやめておこう」


 言葉を引っ込めるように、クシダ社長は小さく首を振った。


「明日⋯⋯。そう、明日なら、たぶん大丈夫かな。それでいいかい?」

「⋯⋯うん、わかった」


 私はクシダ社長の横顔を見つめた。

 何かに気づいて、警戒された。

 そう思ったのだけど。


 どろりとした欲望は消えない。

 むしろ、わずかに濃くなっている。


 なにかあるのかもしれない。

 連れていきたいはずなのに、

 そうもいかない理由が。


 ミクの左手が、スマホを軽く弄る。

 視線は画面を捉えていない。

 前を向いたまま、横目でクシダ社長を追っている。


 ミクの左手が、スマホごとわずかに膝から外れる。

 

 背中越しに私へ伝わってくる鼓動が早い。


 クシダ社長が右折確認で、すっと視線をそちらへ向けた。


 ミクの左手が滑るように落ちていく。

 ドアポケット。

 ほんの一瞬、手が止まる。


 それから、何事もなかったように左手が戻った。

 そのまま指先が、少しだけ強く私を掴んだ。


 他愛もない会話が続く。

 やがて車は駅前で止まった。


「今日はありがとう、クッシー」

「こちらこそ楽しかったよ。またね」


 ミクが軽く手を振ると、クシダ社長は片手をあげてくれた。

 ドアが閉まる。


 黒い車は、そのまま夜の街へ溶けていった。



 寝静まった住宅街。

 夜の帳が下りた中で、その邸宅は唯一の明かりを灯し、不気味にたたずんでいた。


 コンクリートの塀は家を囲い、外界を拒絶しているようだ。


 塀は高い。

 だが、その内側に広さは感じない。

 すぐ向こうに、家の影が迫っている。


 さっと見回ったところでは、中へ繋がっていそうなところは、正門とシャッターの閉められた駐車スペースぐらいか。

 

 人影はないが、正門では監視カメラがしっかりと睨みを利かせていた。


 クロヤとミクは、少し離れた電信柱の陰に潜んでいた。

 今はミクが抱っこ紐をつけ、私を運んでくれている。


「あそこにクシダ社長の車があんだよね」

「ああ」


 クロヤがスマホに目を落とす。

 私にはわからないが、画面の地図でミクのスマホ位置を見ているらしい。


 クシダ社長の家らしきところには、たどり着けた。

 だけど、問題はここからだった。

 本当にここで合っているのか。

 サナはいるのか。

 そもそも、どう動けばいいのかもわからない。

 今は、様子を見るしかなさそうだった。


 せめて、何か一つでも変わらないか。

 そう思いながら、しばらく眺めていると、遠くからエンジン音が近づいてきた。

 ミクの腕が、わずかに強張る。


 ヘッドライト。

 壁をなぞるように、光が流れた。


「⋯⋯来る」


 クロヤが低く言う。


 白い車が、塀に沿うように停まった。

 運転席から男が一人、降りる。

 派手なシャツにチェーンを下げている。


 一度、周囲を見回す。


 慣れた様子で門へと向かった。監視カメラを気にする素振りもない。

 門を開け、ライトに照らされる玄関に立つ。


 インターホンを鳴らしたわけでもないのに、玄関扉が自然と開いた。


 中から出てきたのは、クシダ社長だった。外の様子を確かめるように。

 なぜか、スーツのままだ。


 クシダ社長と男は、短く言葉を交わした。

 クシダ社長は玄関の電気を消し、男の後についていく。


 男が白い車の後ろのドアを丁寧に開ける。

 クシダ社長はしっかりと頭を下げてから、後部座席へと入っていった。


 白い車のフロントライトが灯った。ゆっくりと、走り出した。


 クロヤが、すぐにバイクへとまたがる。


「えっ、兄貴?」

「ミク、お前はここで様子をみとけ」

「兄貴はどうすんの」

「あの車を追ってみる。雰囲気が普通じゃねえからな」


 夜も遅い時間に、クシダ社長がスーツで対応する。

 ――普通じゃない。

 私もそう思った。


「動くな。三十分で戻る」


 それだけ言い残すと、闇夜に飛び込み、バイクの音が遠ざかっていった。


 ミクは電信柱に身体を預け、私の頭に手を乗せた。

 右手首にある腕時計の秒針が、よく聞こえる。


 そうしてどのくらいが経ったろうか。


 ミクがふと家を見上げた。

 二階の一室だけ、光が漏れ出ている。


「⋯⋯なんで、二階だけ」

 

 ぽつりと呟いた。


 次の瞬間、二階のカーテンが、ほんのわずかに揺れた。

 風じゃない。

 誰かが、そこにいるみたいに。


 そういえば、と私も思った。

 クシダ社長の車の中で、あの人は「家は一人だ」と話していた。

 さっきも出かける時に、玄関のライトを消していた。


 なのに。


 二階の電気だけが、ついている。

 ⋯⋯誰か、いる?


「シロ。兄貴には悪いけど⋯⋯。ちょっと手伝って」


 一人で行くのは危ない。

 そう思って左手を撫でた。


「なんとなく、言いたいことはわかるよ。兄貴を待つ。あたしも、それは考えた。でもさ――」


 ミクの視線が灯りのついた窓へと向かう。


「車の中で、あいつが言ってたよね。明日ならって。それってつまり、今日なんかするってことじゃない」


 言われてみれば、たしかにそうだった。

 あの時の違和感が、胸の奥で嫌な形に繋がっていく。

 

「何を隠してるのかは、わからない。でも、今ならクシダが家にいないってのは、間違いないでしょ」

 

 今しかないのかもしれない。

 そう思うと、完全には止めきれなかった。

 少しためらいながら、ミクの右手をなぞった。


「どうにかして、家の中に入ろう」


 ミクは一歩を踏み出した。



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