第11話 決断
ミクのテーブルは化粧品と雑誌がほとんどで、教科書なんかは隅っこに少しあるだけだった。
そんなテーブルには異質なものが二本。
私がお願いして並べてもらった一升瓶だ。
サナがいなくなった噂を聞いて、そわそわしてしまう気持ちまで、少しだけ支えてくれる気がした。
「サナっち⋯⋯、どこに居るのよ⋯⋯」
そう呟くミクは、壁を背にして、ベッドに足を投げ出していた。
枕を抱え込む腕に、力がこもっていた。
そんなミクを見つめて思う。
私はミクがいなくなったら、心配になる。 困っていれば、助けたいと思える。
サナから感じた黒い塵。
あの時、私がミクのものだとわかった瞬間、生まれるようになった。
つまりは、そういうことだろう。
そのことはナナシを通じて、ミクにも伝えてあった。
そんな相手なのに。
どうして⋯⋯。
私のことを嫌ってた人たち。
捨てたり、屋上から落とそうとしたり。
都合よく助けてって言われても、そんな気持ちになれない。
「そんな女、放っておけばええ」
ナナシは床に寝そべって、片腕で頭を支えていた。
ナナシには、ここに至るまでの経緯を、ミクが真剣に伝えてあった。
けれど、ナナシは退屈そうに欠伸をするばかり。
「嫌われてる相手をどうにかしたいなぞ、偽善がすぎんかの」
「⋯⋯そうかもしれないけどさ」
ミクはそう言いながら、どこか遠くを見ていた。
『ミクはサナのこと嫌いじゃないの?』
ふと思い返せば、ミクがサナの悪口を言う姿を見たことがなかった。
ミクがふるふると首を振ると、後ろ髪がゆらゆら揺れた。
「むしろ好きだよ」
『えっ⋯⋯。そうなの?』
思わず聞き返してしまう。
「みんなに挨拶したり、ファッションとかの勉強もちゃんとしててさ、一番になるぞって感じがすごいなって」
ミクは、ふっと肩の力を抜いた。
「昔さ『絶対ミクに勝つから』って、いきなり言われた時はびっくりしたけど。
そっからメイク室でも隣になるようになってさ。
あたしはノリだけで読モやってるとこあったから。
サナみたいな人、初めてだったんだ」
私はミクに魅入ってしまった。
お日さまがあるわけじゃないのに、輝いているように見える。
すごいな。
素直にそう思えた。
「惚れた腫れたの話より、よほど愉快じゃの」
ナナシがあぐらをかいて座り直す。
「だからさ、サナみたいな子が、急にいなくなんの、なんか嫌なんだよね」
「かっかっかっ! よきかな人の子よ」
ナナシが牙をむき出しながら笑い、ミクの頭をぽんぽんと撫でた。
「なれば一つだけ、教えてやろうぞ」
ナナシの視線がミク、そして私へと流れてきた。
「負の感情は一つではない。必然、我らに向けられ溜まるそれも、形は変わるものよ」
黒い塵。そして黒い泥。
クシダ社長は、なにを思っているのだろう。
「泥は欲望の証。油断すれば抜け出せぬ底なしよ」
「なによそれ⋯⋯」
ミクの手にぎゅっと力がこもる。
「せいぜい気をつけることじゃな。くかかっ!」
ナナシの姿が消えても、声だけが不気味に反芻された。
部屋の空気が、少しだけ重くなる。
さっきの言葉が、どこかに引っかかっている。
――抜け出せない底なし。
もし、本当にそうだとしたら。
クシダ社長に下手に踏み込むのは⋯⋯。
胸の奥が、ひやりと冷えた。
ミクの手にも、さっきより強く力がこもっている。
コンコン。
控えめなノックの音が、部屋に響いた。
「入るぞ」
◇
クロヤが部屋に入ってきても、ミクはすぐには話さなかった。
枕を抱える腕に、少しだけ力がこもる。
何から言えばいいのか。
どこまで言っていいのか。
ミクの口は、なかなか開かなかった。
やがて、ぽつりぽつりとミクは話し始めた。
扉の横に寄りかかり、クロヤは腕を組んだまま目を閉じている。
「そんでさ、サナが乗ったかもしれない車と、似たようなやつがスタジオにもあったらしくて⋯⋯」
ミクの断片的な情報に、クロヤは相槌一つすら打たなかった。
正直なところ、私はクシダ社長が怪しいと思っていた。
実際のやりとりも、車のこともある。
それに、クロヤには伝えられないけど、黒い泥のことも、ナナシが言っていた底なしの欲もある。
繋がっている。
そう考えてしまっている。
でも、それは絶対じゃない。
サナが連れていかれたのを、見たわけじゃない。
それは思い込み。
そう言われたら、なにも言い返せない。
「だから、クシダ社長が怪しいって思うんだけど⋯⋯」
同じものを見てきた私たち。
ミクの感じてることは、私が言いたいことそのものだった。
空気が、しんと静まる。
ミクがうかがうような視線を向けた。
クロヤはまだ、一言も話さない。
「⋯⋯で?」
クロヤの一言。
あまりにも短い。
だが、強い。
ああ⋯⋯。これじゃ、足りないのか。
やっぱり、言い切れない⋯⋯。
私はそう思った。
ミクは目を見開き、それからしょんぼりと背中を丸めた。
「そう、だよね。疑うのは、ちょっとやりすぎだよね。ごめん。今のはわす――」
「ちげえ」
クロヤは短く言い切った。
「ミクはどうしてえんだ」
「どう⋯⋯って」
ミクが口ごもる。
クロヤの言葉の意味が、私にもわからない。
「逃げるか――潰すか――」
ゆっくりとクロヤが顔をあげる。
「めんどくせえ相手に付き合う必要はねえ。ただ、尻尾巻いて逃げんなら、触れさせんな。全力だ」
鋭い視線が、ミクを射抜いた。
「潰すんなら徹底的にだ。顔も見たくねえ。そこまで刻み込め」
「兄貴⋯⋯」
ミクは、視線を逸らさない。
「クシダ社長⋯⋯、まだ犯人とは限らないけど⋯⋯」
「んなことは、どうでもいい」
「どうでもいいって、なによ⋯⋯」
「ミクが感じたもんを、俺は信じるだけだ」
静かに、けれどじわっと染みていく言葉。
ミクは瞳に湧き上がってきたものを、腕で乱暴に拭った。
そんな姿に、私の思いはぐっと押される。
私は、サナを助けたいわけじゃないけれど⋯⋯。
私も手伝う。
そんな気持ちで、ミクの手にぎゅっと圧を飛ばす。
ハッとしたミクが、私に視線を向けた。
「サナが何かされてんなら⋯⋯」
ミクは手を強く握り込む。
「助けたい」
ミクが私へ視線を向け、それからクロヤへ流した。
「手伝って」
「おう」
――うん。
◇
翌日は学校が休みだった。
ミクはクシダ社長の会社があるビルの前に、私を抱えて立っていた。
道行く人や、ビルに吸い込まれていく会社員らしい人たちが、ちらちらと私たちを横目で眺めていく。
昨日の撮影スタジオとは違う、静かなオフィス街。
ここに、クシダ社長がいる。
「あの⋯⋯クシダ社長に、お話があって」
受付の女性が顔を上げる。
私を抱えたミクを見て、少し驚いていた。
名前と、昨日クシダ社長とスタジオで話したことを伝えると、女性は電話を手に取った。
「⋯⋯少々お待ちください」
内線が一本入る。
短いやり取り。
それだけで終わった。
「どうぞ。今、お時間あるそうです」
あっさりと通された。
ミクは一瞬だけ戸惑い、それから小さく頭を下げる。
「ありがとうございます」
案内され、エレベーターに乗る。
五階を目指して動き始めたエレベーター内で、ミクは私を撫でた。
――やんなら徹底的にだ。
そのためには、相手が動くのを待っているわけにはいかない。
サナのこともあるからと、ミクはすぐにでも行動に移す決断をしていた。
クロヤはバイクで近くに待機してくれている。
エレベーターを降りて、廊下を進む。
前社長の時に一度だけ来たことがあるらしく、ミクの歩みに迷いはない。
ドアの前で立ち止まる。
ノックを二回。
「⋯⋯どうぞ」
中から声が返ってきた。
ミクがドアノブに手をかけた。
「来ると思ってたよ」
扉がわずかに開いたその先で。
クシダ社長が、にやりと笑った。




