第92話「鎖と、歌と」
水盤の中の海の王を見下ろしてる。
黒い鎖が体に巻きついてる。五本。両腕、両脚、首。それぞれに黒い金属の鎖。
俺は〝査定〟を使った。
——反応あり。知の王の塔や焦土帯と違って、ここでは査定が使える。
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〝査定〟
対象:黒い鎖(五本)
種別:魔力拘束具
製作者:宮廷魔導士派
効果:対象の魔力スキルを封じる
* 警告:
この鎖には罠が仕込まれています
力で破壊した場合、
蓄積された歌の魔力が暴走し、
半径五十メートルの全生物の
意識を奪います
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……罠。
力で壊すと歌の魔力が暴走する。半径五十メートルの全生物の意識を奪う。
この塔の中は——俺たち全員がその範囲内だ。
〝みんな、鎖に手を出すな〟
「どうした」
ガルドが聞いた。
〝罠がある 力で壊すと、歌の魔力が暴走して俺たち全員の意識が吹き飛ぶ〟
「全員!?」
〝全員〟
「じゃあ壊せないのかよ」
〝力では壊せない 別の方法がいる〟
マリウス派、嫌なことをする。鎖を付けるだけじゃなく、外せないように罠まで仕込んでる。
俺が来て鎖を外すことを、想定してたんだ。
『マリウス派にとって、この鎖は保険だ。海の王の歌の力を吸い取りつつ、誰かが外そうとしたら暴走させる。外すには——鎖の魔力構造を理解して、罠を解除してから壊す必要がある』
博士が分析した。
〝罠の解除方法は〟
『鎖に蓄積された歌の魔力を、安全に放出するか、別の場所に移すか。いきなり壊すと一気に解放されるが、ゆっくり抜けば暴走しない』
〝ゆっくり抜く方法は〟
『……浄化だ。歌の魔力は、浄化系のスキルで中和できる可能性がある。巫女の祈りのような』
リーリア。
俺はリーリアを見た。
「リーリア、〝巫女の祈り〟の浄化版——フロストの街で精神魔法を解除した、あれ」
「うん。できるけど……」
リーリアが水盤に近づいて、鎖を見た。
「この鎖の魔力、すごく濃い。私の浄化で中和するには……一本ずつ、ゆっくりやらないとダメかも」
〝時間がかかるか〟
「一本に三十分くらい。五本で二時間半」
二時間半。長い。でも——安全に外せるなら。
「ただ——問題がある」
リーリアが眉を寄せた。
「浄化してる間、私は動けない。鎖に手を当て続けないといけない。途中で止めたら、魔力が逆流して危険」
リーリアが二時間半、鎖に手を当て続ける。その間、他のことはできない。
そして——リーリアの魔力が持つかどうか。
「魔力は……正直、五本分は厳しいかもしれない。三本目くらいで枯渇すると思う」
〝三本で魔力切れか〟
「ごめんなさい……」
〝謝るな 三本外せるだけでも大きい〟
残り二本はどうするか。
アイが回復してくれるとしても、リーリアの魔力総量には限界がある。
〝博士、浄化以外の方法は〟
『一つだけ考えられる。歌の魔力を、歌で中和する方法だ』
〝歌で?〟
『鎖に蓄積されているのは、海の王の歌の魔力だ。同じ性質の歌で〝共鳴〟させれば、暴走を抑えたまま魔力を放出できる。音楽でいう〝ハーモニー〟のようなものだ。荒れた波に、穏やかな波をぶつけて打ち消す』
歌で中和する。
でも——誰が歌う?
俺には声がない。
ガルドの歌は聞いたことがない。たぶん音痴だ。
レグナは骸骨だから声帯がない。
ガウルは犬だから遠吠えしかできない。
リーリアは浄化に集中してる。
博士は収納の中だ。
残るのは——
チョン。
「俺?」
チョンが目を瞬いた。
〝チョン、歌えるか〟
「歌? 歌は……うーん、パカラ村の子守唄なら知ってるけど」
「子守唄で構わない」
レグナが言った。
「歌の魔力に対抗するのに、技術はいらない。必要なのは、心を込めた歌だ。チョンの歌には——心がある」
「でも、俺、歌うまくないよ」
〝上手い下手は関係ない 海の王の歌に寄り添うように歌えばいい〟
「寄り添う?」
〝海の王は苦しんで歌ってる チョンが横で歌えば、海の王が落ち着くかもしれない〟
チョンが水盤を見た。海の王が鎖に縛られて、苦しそうに歌ってる。
「……やってみる」
◇
作戦を決めた。
リーリアが浄化で鎖を三本外す。
残り二本は——チョンが歌で魔力を中和しながら、俺が〝空間収納〟で鎖の金属部分だけを抜き取る。
歌で魔力を鎮めてる間に、物理的に鎖を消す。博士の知識と俺のスキルとチョンの心の合わせ技。
ガルドとレグナとガウルは、周囲の警戒。マリウス派が来る可能性がある。
「了解」
「うむ」
「ガウ」
三人がホールの入り口に散った。
リーリアが水盤に手を入れた。海の王の右腕の鎖に触れた。
「〝巫女の祈り〟——浄化」
淡い光がリーリアの手から広がった。鎖の黒い魔力が、少しずつ中和されていく。
ゆっくり。焦らず。
じわじわと、鎖の黒い色が薄くなっていく。
十分。二十分。三十分。
カチン、と音がした。右腕の鎖が——外れた。
海の王の右腕が自由になった。
「一本目、外れた」
リーリアが息を吐いた。顔色が少し悪い。魔力を使ってる。
「次、左腕」
リーリアが左腕の鎖に手を当てた。浄化を再開。
また三十分。
カチン。左腕の鎖が外れた。
「二本目……」
リーリアが膝をついた。
「アイ、お願い……」
「ぷるん」
アイがリーリアに張り付いて、魔力を回復させてる。でも、回復速度と消費速度のバランスが厳しい。
「もう一本……いける」
リーリアが右脚の鎖に手を当てた。三本目。
三十分。
カチン。三本目が外れた。
リーリアが——倒れた。
「リーリア!」
チョンが駆け寄った。
「大丈夫……。魔力が……もうない……。ごめんね、ここまでが限界……」
〝十分だ よくやった 休んでろ〟
アイがリーリアに張り付いて、回復を続けてる。
残り二本。左脚と首の鎖。
俺とチョンの番だ。
◇
チョンが水盤の縁に座った。足をぶらぶらさせて。
「タカラ、俺が歌って、その間にタカラが鎖を抜くんだよね」
〝そうだ おまえの歌で鎖の魔力を鎮めてる間に、俺が空間収納で鎖の金属を消す〟
「歌い始めたら、途中で止まっちゃダメなんだよね」
〝ダメだ 止まると魔力が暴走する〟
「……わかった。止まらない」
チョンが深呼吸した。
海の王を見た。水盤の中で苦しんでる女性。
チョンが——歌い始めた。
子守唄。
パカラ村の子守唄。サガがチョンに歌ってくれてた、あの歌。
チョンの声は——上手くない。音程がちょっとずれてる。リズムもちょっと遅い。
でも——心がある。
歌に、心がある。
チョンの歌が、水盤の水に触れた。
水が——震えた。
海の王の歌と、チョンの歌が、重なった。
二つの歌が——共鳴し始めた。
海の王の苦しそうな歌が、少しだけ穏やかになった。
チョンの子守唄に、寄り添うように。
鎖の黒い魔力が——揺れてる。荒れてた波が、穏やかな波に打ち消されていく。
今だ。
〝空間収納〟。
俺は左脚の鎖に蓋を向けた。
鎖の金属部分だけを——ゆっくり、収納に吸い込んでいく。
魔力が鎮まってるから、暴走しない。チョンの歌が、魔力を抑えてくれてる。
鎖が——薄くなっていく。金属が消えていく。
チョンが歌い続けてる。
途切れない。止まらない。
一番終わって、二番。パカラ村の子守唄は三番まである。
鎖が——消えた。四本目。
残り一本。首の鎖。
チョンが三番に入った。声が少しかすれてきてる。でも止まらない。
俺は首の鎖に蓋を向けた。
〝空間収納〟。
首の鎖は——太い。他の四本より太い。金属の量が多い。
吸い込むのに時間がかかる。
チョンの歌が——三番の終わりに近づいてる。
歌が終わったら、魔力が戻る。暴走する。
間に合うか。
俺は収納の出力を上げた。魔力を注ぎ込んで、吸い込み速度を上げる。
鎖が——半分になった。
チョンが三番の最後のフレーズに入った。
あと数秒。
鎖が——残り三分の一。
チョンが最後の音を伸ばしてる。長く。苦しそうに。でも止まらない。
鎖が——消えた。
最後の一本が、消えた。
チョンの歌が——終わった。
水盤の水が、静かになった。
海の王の体から、全ての鎖が消えた。
五本の鎖、全て除去。
チョンが——息を切らした。
「はあ……はあ……。終わった……?」
〝終わった〟
「鎖……取れた?」
〝全部取れた〟
チョンが——にかっと笑った。
「やった……」
パカッ。
〝おまえの歌のおかげだ〟
「歌、下手だったけどね」
〝下手でも、心があった〟
「えへへ」
チョンが照れた。
◇
水盤の中の海の王が——動いた。
目を開けた。
青い目。海のような、深い青。
海の王が——口を開いた。
歌った。
今度は途切れない。かすれない。
澄んだ声。透き通る声。海の底に響くような、深くて広い歌声。
全員が——聞き入った。
ガルドが入り口から振り返った。
「なんだ、この声……。すげえ……」
「ガウ。体が震える。けど、怖いんじゃない。気持ちいい」
レグナが蒼い炎をちろちろさせた。
「……美しい。これが、海の王の歌か」
リーリアが目を潤ませた。
「祈りの歌……。やっと、届いてる……」
海の王の歌が——塔全体に響いた。壁のサンゴが光った。貝殻の照明が明るくなった。
塔が——生き返ってる。
海の王が——水盤の中から、ゆっくりと、身を起こした。
上半身が水面から出た。
銀色の髪が水面に広がってる。青い目が——俺を見た。
「…………」
海の王が、歌をやめた。
静寂。
そして——微笑んだ。
「ありがとう」
声が——歌じゃなく、言葉。
「鎖を、外してくれたのね。あなたが——蓋を開ける者?」
〝そうだ〟
「そして——」
海の王がチョンを見た。
「あなたが、歌ってくれた子?」
「は、はい。チョンです」
「素敵な歌だった。子守唄。私の歌に、寄り添ってくれた」
チョンが真っ赤になった。
「へ、下手だったと思うんですけど……」
「上手いとか下手とかじゃない。心があった。私には、それが一番嬉しかった」
海の王が——チョンに手を伸ばした。水の中から。
チョンが、その手を握った。
「冷たい」
「ごめんね。ずっと水の中にいたから」
「ううん。大丈夫。握っててあげる」
海の王が——笑った。優しい笑い方。
パカッ。
◇
【次回】海の王との対話。なぜ海の王だけが、自分から封印を望まなかったのか。八百年前の真実。




