第91話「泡の中の旅」
船を岬の近くに停泊させた。
バルトが船を見守ってくれる。
「俺は船の上で待つ。何かあったら、合図を出してくれ」
〝合図って、海の中からどう出すんだ〟
「魚人族に頼め。あいつらが水面に出てきて知らせてくれるだろう」
〝了解〟
「宝箱。無事に帰ってこいよ。ドルトンの借金、まだ残ってるからな」
〝借金の心配かよ〟
「ははは」
バルトが笑った。
メンバーを確認する。
俺、ガルド、レグナ、ガウル、リーリア、アイ、チョン。
チョンを連れていくか迷った。海中だ。危険が陸より格段に上がる。
「俺も行く。約束したもん」
チョンが真っ直ぐ俺を見てる。
〝……危険だぞ〟
「知ってる。でも、海の王が苦しんでるんでしょ? 俺、役に立てるかもしれない」
知の王の塔で試練を解いたのも、灰守の名付けで心を開いたのも、チョンの力が大きかった。
〝わかった だが俺のそばから離れるな〟
「うん!」
◇
魚人族が七匹、海面に浮かんでる。
リーダーらしき魚人が、俺たちに手を伸ばした。
「泡を、作る。一人ずつ、包む」
魚人が両手を合わせて——光る水の球体を作った。直径二メートルくらいの、透明な泡。
泡の中に空気が充満してる。息ができる。
「入って。この中なら、沈まない。呼吸もできる」
ガルドが恐る恐る泡に触れた。手が入った。泡の膜を通り抜けて、中に入れる。
ガルドが泡の中に入った。
「おっ……浮いてる! 水に浮いてる!」
泡がガルドごと、海面にぷかぷか浮いてる。
「すげえ、海の上にいるのに濡れてない!」
一人ずつ、泡に入った。
レグナが入った。蒼い炎を灯したまま。泡の中で蒼い炎が揺れてる。
「……水に囲まれているのに、蒼炎が維持できる。泡の中は乾いているのか」
「泡の中は空気。外の水は泡に触れない」
魚人が説明した。
ガウルが泡に入った。
「ガウ。匂いは——泡の中は空気だから嗅げる。でも外の海の匂いは入ってこない」
リーリアとアイが一つの泡に。チョンが一つの泡に。
俺は——
「宝箱は、大きいな。少し大きい泡を作る」
魚人が、俺用の大きな泡を作ってくれた。直径三メートル。宝箱サイズ。
俺が泡に入った。
……浮いてる。
パンドラボックスが、泡の中で浮いてる。
ぷかぷか。
「タカラ、かわいい! 泡の中で宝箱がぷかぷかしてる!」
チョンが自分の泡の中から叫んでる。
〝かわいくない〟
「かわいいよ!」
〝かわいくないって〟
パカッ。
泡の中でパカパカしたら、泡がびりびり震えた。蓋の開閉の振動が泡に伝わる。
「あ、タカラがパカパカすると泡が揺れる! 面白い!」
〝面白くない 泡が割れそうだ パカパカ控えるか……〟
海の中でパカパカできないのは、ちょっとストレスだ。
◇
魚人族が泡ごと俺たちを引っ張って、海中に潜り始めた。
海面が頭の上を過ぎていく。
青い世界。
最初は明るい。太陽の光が海面から差し込んで、水がキラキラしてる。
十メートル潜ると、少し暗くなる。
二十メートル。もっと暗い。
三十メートル——
「うわぁ」
チョンが声を上げた。
サンゴだ。
海底一面に、色とりどりのサンゴが広がってる。赤、橙、黄、青、紫——宝石みたいに光ってる。
サンゴの間を、魚が泳いでる。光る魚。群れで動いてる。
「きれい……。タカラ、きれいだよ……」
〝ああ、きれいだ〟
本当にきれいだ。ダンジョンの海底洞窟にいた頃は、こんな景色は見えなかった。あの頃は暗い洞窟の中で、ただ宝箱として転がってただけだから。
いや——あの頃の記憶は、もう薄い。ミミックとして目覚めた頃の記憶はあるけど、その前のダンジョンでの記憶は曖昧だ。
サンゴの森を抜けると——
塔が見えた。
白い石の塔。半分が海上、半分が海中。海中の部分は——サンゴと貝殻に覆われてる。
八百年間、海の中で、サンゴが塔を覆い尽くしたんだ。
白い石の上に、色とりどりのサンゴ。貝殻が壁に張り付いてる。海藻が揺れてる。
塔そのものが——海の一部になってる。
「蓋を開ける者。ここが、入り口だ」
魚人が、塔の海中部分にある扉を指差した。
扉は——開いてる。半開きだ。
「封印が……弱まっている。だから、扉が開いている」
封印が弱まってる。マリウス派が何かした影響か。
俺たちは泡ごと、扉の中に入った。
◇
塔の中に入ると——
水がなかった。
扉を抜けた瞬間、海水が消えて、空気の空間に変わった。
泡が——パチンと弾けた。
全員が、塔の中の床に着地した。
「おっ! 水がない!」
ガルドが足元を見た。乾いた石の床。
「塔の中は、海水が入ってこない仕組みか」
レグナが壁を見た。
「結界が張ってある。海水を弾く結界だ。八百年経っても、まだ機能している」
結界。塔の中だけは、海の中でも空気がある。
俺は泡から解放されて、床にどすん。
パカッ。
パカパカできる。海中ではパカパカが封じられてたから、嬉しい。
「タカラ、パカパカ復活してるね」
〝復活した〟
「よかったね」
〝うん〟
チョンが笑った。
塔の中を見回す。
白い石の壁。でも、壁にはサンゴの模様が刻まれてる。装飾。知の王の塔には何もなかったけど、こっちには装飾がある。海の模様。
天井が高い。ドーム型。天井に——貝殻が埋め込まれてて、自ら光ってる。照明代わり。
貝殻の光で、塔の中が淡い青白い光に包まれてる。
きれいだ。
通路が奥に伸びてる。一本道。
俺たちは通路を進んだ。
◇
通路を歩いてると——音が聞こえてきた。
遠くから。
歌だ。
歌声。
低くて、優しくて、悲しい歌。
言葉は分からない。人間の言葉じゃない。でも、歌だとわかる。メロディがある。
全員が足を止めた。
「……何だ、この歌」
ガルドが呟いた。
「ガウ。匂いは……分からない。でも、耳に入ってくる。体の中に染み込んでくるみたいだ」
レグナが蒼い炎をちろちろさせた。
「……この歌声。魔力を帯びている。海の王の歌か」
海の王は「歌で語る」魔王。博士から聞いてた。
歌が——近づいてくる。俺たちが通路を進むにつれて、音が大きくなる。
でも——歌が、途切れ途切れだ。
声がかすれてる。苦しそう。
歌いたいのに、歌えない。そんな歌。
『封印が壊れかけているせいだろう。海の王の歌は、封印の安定と連動している。封印が乱れれば、歌も乱れる』
博士が言った。
チョンが目を閉じて、歌を聞いてる。
「……悲しい。この歌、すごく悲しい」
〝何が悲しいんだ〟
「歌いたいのに、歌えない。声が出ないんだと思う。俺にはわかる——声が出ないのって、つらいから」
声が出ない。
……俺も、声がない。蓋文字でしか喋れない。
声が出ない者同士の共感。チョンの「心の素質」が、海の王の苦しみを感じ取ってる。
リーリアが手を合わせた。
「この歌……〝巫女の祈り〟に似てる。祈りの構造を持ってる」
〝祈り?〟
「歌には色々な形がある。戦いの歌、喜びの歌、悲しみの歌。この歌は——祈りの歌。誰かに届けたいのに、届かない祈り」
祈りの歌が、届かない。
封印のせいで。マリウス派が封印をいじったせいで。
パカッ。
〝急ごう 海の王を助けないと〟
◇
通路の奥に——大きなホールがあった。
ドーム型の天井。壁一面にサンゴの装飾。床に貝殻のモザイク。
美しい空間だ。知の王の図書館とは違う美しさ。海の美しさ。
ホールの中央に——
水がある。
円形の水盤。直径十メートル。水が満たされてる。透き通った水。
水盤の中に——誰かがいる。
水の中に、影が見える。
人の形。女性の形。
長い髪が水の中で揺れてる。目を閉じてる。口が動いてる——歌ってる。
水の中で歌ってるのに、歌声が聞こえる。水盤の水が歌を伝えてる。
海の王。
女性だった。
若い女性に見える。二十代くらい。銀色の長い髪。透き通る肌。耳がヒレのように伸びてる。
目を閉じて、苦しそうに歌ってる。
体に——黒い鎖が巻きついてる。
封印の鎖じゃない。もっと新しい。黒い金属の鎖。
〝あの鎖、封印の一部か?〟
『……違う。あれは——新しい鎖だ。八百年前のものではない』
博士の声が硬い。
『マリウス派が……付けた鎖だ。海の王の歌を封じるために。知の王の意識を引き抜いたのと同じ手法——海の王の歌の力を、鎖で抑え込んでいる』
マリウス派が——既に手を出してた。
海の王を鎖で縛って、歌を封じてる。
だから歌が途切れ途切れだったのか。歌おうとしても、鎖が抑えてる。
「……ひどい」
チョンが水盤の縁に立って、海の王を見下ろした。
「鎖で縛って、歌を止めてる。ひどいよ、こんなの」
〝ああ ひどい〟
パカッ。
〝あの鎖を、壊す〟
◇
【次回】海の王を縛る鎖を壊す。でも——鎖には罠がある。マリウス派が残した、最悪の仕掛け。




