第84話「にこにこの使者」
芽吹の里を出発して二日目。
焦土帯を北に戻ってる。来た時より地面が冷めてて、歩きやすい。ところどころ翠兎が走った跡に、細い草が生えてる。焦土帯が、少しずつ変わっていく。
蓋の上にシロ(仮)が乗ってる。まだ降りない。もう諦めた。
「ガウ。タカラ、前方から人が来る。馬に乗ってる。一人。人間の匂い」
一人で馬に乗って、焦土帯に入ってくる人間。冒険者か、旅人か。
近づいてきた。
白い服の男。若い。二十代前半くらい。にこにこしてる。
……にこにこ。
嫌な予感がする。
男が馬を止めた。俺たちの前で。
「やあ、こんにちは。あなたが蓋を開ける者殿ですね?」
丁寧な口調。綺麗な服。宮廷の人間だ。
〝誰だ〟
「失礼しました。私はカシス。マリウス様の使者として参りました」
マリウス。
やっぱりか。
ガルドが一歩前に出た。拳を握りかけた——でも止まった。
「使者? あの宮廷魔導士の?」
「ええ。マリウス様から、蓋を開ける者殿への親書をお預かりしております」
親書。手紙。
カシスが懐から封書を取り出した。紫の封蝋。マリウスの印だ。
ガルドが俺を見た。
「タカラ、どうする」
〝受け取るだけ受け取る 中身を見てから判断だ〟
カシスが封書を差し出した。俺は蓋で挟んで受け取った。
……宝箱が手紙を蓋で受け取る絵面。カシスがちょっと戸惑った顔をしたけど、すぐにこにこに戻した。
ガルドに読んでもらう。
◇
『蓋を開ける者殿
お久しぶりです。マリウスです。
先日は、式典で不快な思いをさせてしまい、
誠に申し訳ございませんでした。
弟子の管理が不十分であったことを、
深く反省しております。
さて——良い知らせがあります。
私は、自らの過ちを認め、
宮廷魔導士としての職務を見直しました。
そして王より、「魔物との共存政策の推進」を
新たな任務として拝命いたしました。
つまり——あなたと同じ方向を向いて
歩むことになったのです。
つきましては、あなたの活動への
全面的な支援を申し出たく存じます。
物資、情報、人員——必要なものがあれば、
宮廷の力でお手伝いいたします。
今後とも、よろしくお願いいたします。
マリウス』
…………。
ガルドが読み終わって、眉をひそめた。
「全面支援? 急にどうした、あいつ」
〝博士〟
『聞いていた。分析する』
博士が、収納の中から意見を出した。
『マリウスの行動パターンは〝損失の最小化〟だ。筆頭を一時停止されたことで、影響力が低下した。それを回復するために、新しい任務を王に申請した。〝魔物との共存政策の推進〟——これは、タカラの活動を自分の管轄下に置くための口実だ』
〝つまり、また首輪をかけようとしてるのか〟
『直接的な首輪ではない。〝支援〟という形で接近して、タカラの情報を吸い上げ、行動を把握しようとしている。支援者の立場を取れば、タカラの拒否は〝善意を断る非礼〟に見える』
……前と同じ構図か。「行っても行かなくてもマリウスの思い通り」。
今回は「受けても断ってもマリウスの思い通り」。
受けたら情報を吸われる。断ったら「善意を断った」と政治的に不利になる。
〝三つ目の選択肢を考えないとな〟
『うむ。提案がある』
〝聞く〟
『受けろ。ただし、条件をつけろ』
〝条件?〟
『〝支援を受けるが、報告義務は負わない〟。マリウスからの物資や情報は受け取るが、こちらの行動を報告する義務はない。一方通行の支援だ。マリウスが本当に善意なら、この条件を飲めるはずだ。飲めないなら——裏がある証拠になる』
……なるほど。試すのか。
俺はカシスに蓋文字を出した。
〝マリウス殿の支援のお申し出、ありがたく思う〟
カシスがにこにこした。
「それは素晴らしい。では——」
〝ただし、条件がある〟
カシスのにこにこが、ほんの一瞬、固まった。すぐに戻した。
「条件、ですか。お聞かせください」
〝支援は受ける ただし、俺たちの行動について報告する義務は負わない〟
〝マリウス殿が支援してくれるのは自由だが、俺たちの活動はこちらの判断で行う〟
〝つまり、一方通行だ 物資は受け取るが、情報は出さない〟
カシスが——にこにこのまま、少し考えた。
「……なるほど。合理的なご提案ですね」
〝マリウス殿が本当に共存政策を推進したいなら、この条件で十分なはずだ 俺たちが自由に動いて塔を解放すれば、結果的に共存政策は進む〟
「ごもっともです。では——」
カシスが、にこにこを少しだけ引っ込めた。
「本件は、マリウス様に持ち帰って検討いたします」
〝お待ちしている〟
カシスが馬に乗って、去っていった。
にこにこの背中が遠ざかる。
◇
カシスが消えてから、ガルドが大きく息を吐いた。
「あいつ、マリウスの弟子か?」
〝たぶんそうだろうな〟
「にこにこしてたな。師匠に似てるぜ」
「ガウ。あいつの匂い、マリウスと同じ系統だった。冷たい匂い。計算してる匂い」
ガウルが鼻を鳴らした。
博士が言った。
『カシスという男——おそらく、マリウスの情報収集役だ。使者という名目で、タカラの現在地や同行者の構成、保有スキルなどを視覚的に確認しに来た。手紙は口実だ』
〝もう見られたな 俺たちの構成は〟
『そうだ。だが、カシスが持ち帰れる情報は〝見た目〟だけだ。収納の中身——博士の存在、知の王の断片の保護——これらは把握できない。宝箱の中身は外からは見えない』
宝箱の中身は外から見えない。
これ——めちゃくちゃ重要だな。
俺がパンドラボックスである最大の強みは、戦闘力でもスキルでもなく——「中に何が入ってるか、外からは分からない」こと。
宝箱の本質。中身が見えない箱。
マリウスがどれだけ情報を集めても、俺の収納の中身は把握できない。博士の存在も、知の王との繋がりも、エルナの手紙も、チョンの手紙も——全部、俺の中にある。
パカッ。
〝宝箱でよかった〟
「何が」
〝中身が見えない箱で〟
ガルドが笑った。
「おまえ、時々しみじみ宝箱であることを喜ぶよな」
〝宝箱が好きなんだよ 自分のこと〟
「……まあ、いいけどさ」
チョンがカシスが去った方角を見てた。
「タカラ。あの人、笑ってたけど、目が笑ってなかった」
〝よく見てたな〟
「マリウスって人と同じだった。目が冷たい」
チョン、観察力が鋭くなってる。
「でも、タカラなら大丈夫だよね」
〝なんで〟
「だって、タカラの中身は、あの人には見えないから」
〝……そうだな〟
パカッ。
マリウスとの戦いは、まだ続いてる。でも——俺には俺の武器がある。宝箱の中身。誰にも見えない、俺だけの宝物。
◇
焦土帯を抜けた。
緑のある大地に戻った。草原が広がってる。チョンが「緑って、いいなぁ」と呟いた。焦土帯を歩いた後だと、ただの草原がとんでもない贅沢に見える。
シロ(仮)が蓋の上で耳をぴくぴくさせてる。草原の匂いが気になるらしい。
「ガウ。あの兎、草原に降りたがってないか」
〝降りたきゃ降りていいんだぞ〟
シロ(仮)が——降りない。蓋の上で耳を寝かせた。ここがいいらしい。
「タカラ、もう家族だな、その兎」
ガルドが笑った。
〝家族っていうか、居候だろ〟
「居候じゃなくて、中身だ。宝箱の中身」
ガウルがまた同じことを言った。
……まあ、いいか。中身が増えるのは、宝箱として悪くない。
ベイルの街に向かう。ドルトンに報告して、それからパカラ村へ。
道中、リーリアが俺の横を歩いてた。
「タカラ」
〝なんだ〟
「記憶のこと……大丈夫?」
〝記憶?〟
「その……塔の扉を開けるときに、差し出したもの」
〝…………〟
何を差し出したんだっけ。
もう、思い出せない。
「……ごめん、変なこと聞いた」
〝いや、いいよ 俺は大丈夫だ 何を差し出したか覚えてないけど、今の俺は——ここにいる〟
リーリアが小さく笑った。
「うん。タカラは、ここにいるね」
〝ここにいる〟
パカッ。
◇
【次回】焦土帯を抜ける直前、南端の街に立ち寄る。そこにも——マリウスの影が伸びていた。




