第80話「黒い箱」
見えた。
焦土帯の果てに——建物が立ってる。
白い石の塔——じゃない。
黒い。
全部、黒い。
黒い石の直方体。知の王の塔と同じ四角い形だけど、色が真逆。窓がない。装飾もない。ただの黒い石の箱。
でかい。高さ二十メートルくらい。幅十メートル。
「……黒い」
ガルドが呟いた。
「今まで全部白い塔だったのに」
白い塔が三つ。黒い塔が一つ。
この塔だけが、違う。
チョンが俺の横で足を止めた。
「タカラ。あの塔……宝箱に似てる」
〝え?〟
「黒い四角い箱。タカラの体と同じ形だよ」
…………。
言われてみれば。
俺は黒と金の宝箱。塔は黒い直方体。
確かに——似てる。
パカッ。
〝……巨大な宝箱、みたいだな〟
「うん。でっかいタカラみたい」
〝巨大化した覚えはないぞ〟
「ふふ」
◇
塔に近づいた。
表面の石に触ってみた。
熱い。
焦土帯の地面と同じ熱さ。この塔も、八百年前の魔力で焼けてる。
ガウルが鼻を近づけた。
「ガウ。匂いは……なし。完全に無臭。地面よりも匂いがない」
扉がある。黒い石の扉。
俺の蓋を当てた。
蓋裏が——
反応しない。
あれ。
もう一回当てた。
反応しない。
〝扉が反応しないぞ〟
『代替条件が出てこない、ということか。今までの塔は〝先の塔を解放した者〟という条件で開いたが——この塔は、それでは開かないのかもしれない』
博士の推測。
俺は蓋裏を凝視した。何か表示が出てないか。
…………。
出た。
文字が、ゆっくりと浮かんでくる。
──────────────────
第四の塔
この扉は、代替では開かない。
蓋を開ける者よ。
おまえの中で最も大切なものを、
ここに差し出せ。
差し出した者にのみ、扉は開く。
* 差し出したものは、
二度と戻りません。
──────────────────
最も大切なもの。
差し出す。
二度と戻らない。
「……おい、タカラ。何て書いてある」
ガルドが聞いた。
俺は蓋文字で、蓋裏の表示をみんなに見せた。
全員が読んだ。
全員が、黙った。
「最も大切なものを差し出せ、って……」
ガルドが顔をしかめた。
「何を差し出せってんだ。仲間か? スキルか? 命か?」
レグナが腕を組んだ。
「物理的なものではないだろう。蓋裏に表示されている以上、タカラの〝収納〟に関わるものだ」
収納に関わる。
俺の収納に入ってるもの——食料、水、装備、武器、魔石、チョンの手紙二枚、エルナの手紙、博士、亡霊公の骨。
どれが「最も大切」か。
食料は大切だけど、別の場所で調達できる。装備も同じ。
博士は大切だ。でも博士は知の王の断片であって、俺のものじゃない。知の王に返す約束がある。
チョンの手紙。
…………。
いや、手紙は物理的なものだ。蓋裏の表示は「収納に関わる」とレグナが言ったけど、もっと抽象的な意味かもしれない。
「おまえの中で最も大切なもの」。
俺の中。宝箱の中。
俺の中にあるものって、何だ。
スキル。仲間の記憶。冒険者時代の経験。ミミックとしての本能。
……あるいは、もっと根本的なもの。
〝博士〟
『なんだ』
〝「最も大切なもの」って、具体的に何のことだと思う〟
『……正直に言えば、分からない。この塔の仕組みは、知の王の知識に含まれていない。だが——推測するなら』
博士が、少し間を置いた。
『〝捨てる〟がこの塔のテーマだ。最も大切なものを捨てる。それは——おまえ自身の〝核〟を差し出す、ということではないか』
〝核?〟
『おまえにとって、一番手放したくないもの。一番失いたくないもの。それを捨てられるか、という問いだ』
一番失いたくないもの。
仲間?
いや、仲間は「差し出す」ものじゃない。仲間は俺の所有物じゃない。
スキル?
パンドラ? 万蓋? 査定?
強力なスキルは確かに大切だけど、それが「最も大切」かって言うと——違う気がする。
もっと根っこにあるもの。
俺の——アイデンティティ。
俺は何者か。
宝箱だ。パンドラボックスだ。蓋を開ける者だ。
でも——それ以前に。
俺は、元人間だ。
冒険者のカイルだった。人間として生まれて、人間として育って、冒険者として旅をして——ミミックに食われて死んで、ミミックとして転生した。
人間だった頃の記憶。冒険者だった頃の知識。仲間がいた頃の感覚。
それが俺の「核」だ。
ミミックとして転生した後も、俺が俺でいられたのは——人間だった記憶があるからだ。
その記憶を、捨てろっていうのか。
〝…………〟
パカッ。
パカッ、パカッ。
考えてる。考えるときのパカパカ。
◇
全員が俺を見てる。
「タカラ?」
ガルドが声をかけた。
〝……ちょっと待ってくれ〟
「何を差し出す気だ?」
〝……まだ決めてない〟
「決めてないなら、急ぐ必要はない。考える時間を取ろう」
ガルドが、焦土の地面に座った。
「こういう時は、急いでもろくなことにならねえ。座れ、みんな」
全員が、塔の前に座った。
黒い塔の前に、ホブゴブリンと骸骨とウォーウルフと巫女とスライムとホブゴブリンの子供と——宝箱が座ってる。
チョンが俺の横に座った。
「タカラ、何を考えてるの?」
〝……人間だった頃のことを考えてる〟
「人間? タカラって、昔、人間だったんだよね」
〝そうだ 冒険者のカイルっていう名前で、旅をしてた〟
「どんな旅だった?」
〝……普通の旅だった 仲間がいて、ダンジョンに潜って、魔物を倒して、酒場で飯を食って〟
「楽しかった?」
〝楽しかった〟
「今は?」
〝…………〟
〝今も楽しい〟
「じゃあ、どっちも大切なんだね」
〝ああ〟
「でも——どっちかを捨てなきゃいけないの?」
〝……そういうことかもしれない〟
チョンが、膝を抱えた。
「俺だったら——何を捨てるかな」
「ガウ。俺は砂漠での鬱憤なら捨てていい」
「それは捨てたくないもんじゃないだろ」
ガルドが突っ込んだ。
「ガウ。じゃあ、何だよ。ガルドは何を捨てられる?」
「俺は……うーん。プライド? いや、プライドは捨てたくないな」
「我は——」
レグナが蒼い炎をちろちろさせた。
「我は、対話の王への忠義を捨てるか、と聞かれたら——捨てたくはない」
「リーリアさんは?」
「私は……お母さんと一緒にいた記憶かな。でも、それは捨てたくない」
全員が、「捨てたくない」を言ってる。
当たり前だ。大切なものは、捨てたくないから大切なんだ。
パカッ。
俺は——蓋裏の表示を、もう一度読んだ。
〝おまえの中で最も大切なものを、ここに差し出せ〟
……最も大切なもの。
冒険者カイルだった記憶か。
仲間との絆か。
パンドラのスキルか。
それとも——もっと根っこの、もっと深いところにあるもの。
俺が——宝箱である理由。
「蓋を開ける者」としての誇り。
それを捨てたら——俺は、ただの箱になる。
……いや。
待てよ。
「差し出す」と「捨てる」は、同じか?
差し出す。誰かに渡す。
捨てるのは「なくなる」こと。差し出すのは「誰かに託す」こと。
……違う。
この扉は「捨てろ」とは言ってない。「差し出せ」と言ってる。
差し出す先がある。
誰に?
第四の魔王に、か。
名を棄てた魔王。全てを焼いた魔王。全てを悔いた魔王。
あいつが——俺の最も大切なものを、受け取りたがってる?
いや、受け取りたいんじゃない。
「差し出す覚悟があるか」を試してるんだ。
対話の王は「語り合う覚悟」を試した。
戦の王は「武で挑む覚悟」を試した。
知の王は「学ぶ覚悟」を試した。
第四の魔王は——「手放す覚悟」を試してる。
全てを焼いた魔王が、知りたいのは——「おまえも、何かを手放せるか」。
自分が全てを失った王が、挑戦者にも同じ痛みを求めてる。
……なるほど。
分かった気がする。何を差し出すか。
パカッ。
〝決めた〟
全員が俺を見た。
「決まったのか」
〝ああ〟
「何を差し出すんだ」
俺は蓋裏に手を——いや、蓋を当てた。
蓋文字を出した。
〝俺の中で最も大切なもの——〟
〝それは、「人間だった記憶」だ〟
ガルドが目を見開いた。
「タカラ、それは——」
〝冒険者カイルだった頃の記憶。仲間がいた記憶。人間として旅をした記憶。剣を握った感覚。仲間と笑った夜。酒場で飯を食った朝〟
〝俺が俺でいられた理由。人間だったから、今の仲間を「仲間」だと思えた。人間だったから、魔物の苦しみが分かった〟
〝それを差し出す〟
広間——いや、焦土帯が静まった。
「タカラ……。それを捨てたら、おまえは——」
ガルドの声が震えてた。
〝大丈夫だ〟
〝人間だった記憶を差し出しても、俺は俺だ〟
〝俺が仲間を仲間だと思ってるのは、人間だったからじゃない〟
〝今の俺が、おまえたちと一緒に旅をして、一緒に蓋を開けてきたからだ〟
〝カイルの記憶がなくなっても、タカラの記憶は残る〟
〝俺は——宝箱として、ここにいる〟
パカッ。
俺は扉に蓋を当てた。
蓋裏の表示が変わった。
──────────────────
差し出すもの:
「人間だった記憶」
* この記憶は二度と戻りません
* 実行しますか?
──────────────────
〝実行〟
◇
蓋の中から——何かが、抜けていった。
温かいもの。懐かしいもの。
仲間の笑い声。酒場の喧騒。剣の重さ。盾の冷たさ。パーティリーダーの声。
——「カイル、おまえは荷物持ちじゃないぞ。仲間だ」
——「カイル、明日はダンジョンの三層だ。気をつけろよ」
——「カイル、おまえの戦術眼、たいしたもんだ」
声が——遠くなっていく。
映像が——薄くなっていく。
顔が——ぼやけていく。
カイル。
俺の、前の名前。
消えていく。
最後に残ったのは——リーダーの声だった。
——「カイル。おまえが死んでも、おまえの仲間は覚えてるからな」
……ありがとう、リーダー。
覚えてる——いや、もう覚えてないかもしれない。
でも——いいよ。
俺は、もう、タカラだから。
◇
…………。
あれ。
俺は——何を考えてたっけ。
蓋裏を見た。
表示が変わってた。
──────────────────
差し出し完了
扉を開きます
──────────────────
扉が——ゆっくりと、開いた。
黒い石の扉。重い音。
ガルドが俺を見てる。
「タカラ……大丈夫か」
〝大丈夫だ 何で?〟
「おまえ、今、少し動きが止まってた」
〝そうか?〟
「ああ」
〝なんだか、軽くなった気がする〟
「軽い?」
〝うん。何かが抜けた感じ。でも——何が抜けたか、思い出せない〟
ガルドが、ちょっと悲しそうな顔をした。
「……おまえ、冒険者の頃の話、もう覚えてないのか」
〝冒険者?〟
「カイルっていう名前で、旅をしてた頃の」
〝…………〟
カイル。
聞いたことがある気がする。でも——思い出せない。
〝……ごめん、よくわからない〟
ガルドが唇を噛んだ。
チョンが俺の蓋を握った。
「タカラ。俺が覚えてる。タカラが教えてくれたこと、全部覚えてる」
〝ありがとう、チョン〟
「タカラは、タカラだよ。何を忘れても」
パカッ。
……うん。そうだな。
俺は、タカラだ。
何を差し出したか、もう分からないけど——俺は、ここにいる。
仲間がいる。蓋がある。収納がある。
大丈夫だ。
黒い扉が、開いてる。
〝行こう〟
◇
【次回】黒い塔の中。名を棄てた魔王が、待っている。




