第79話「灰の中の、記憶」
焦土帯に入って三日目。
景色が変わらない。赤黒い地面、黒い岩、クレーター。たまに焦げた木の残骸がある。八百年前は森だったんだろう。
水がない。
川も池も、地下水すらない。大戦の魔力が地面を焼いて、水脈まで蒸発させてしまったらしい。
俺の収納に入れてある水の備蓄が、命綱だ。
「タカラ、水」
ガルドが手を出す。俺が収納から水筒を出す。ガルドがごくごく飲む。
「ぷはー。収納の中だと温度が保たれてるから、ぬるくならないのがいいな」
〝便利だろ〟
「便利だけど、俺が水を飲むたびにおまえの蓋開けるの、なんか変な絵面だな」
〝そこは気にするな〟
チョンも水を飲んだ。
「タカラ、水あと何日分ある?」
〝三日分くらい〟
「三日……。塔はあと何日で着くの?」
〝わからん〟
「わからないの!?」
〝博士にも地図がない〟
『すまない。南の焦土帯の地理情報は、知の王の知識に含まれていない。石碑の方角に進むしか、手がかりがない』
石碑が示した方角。南南東。それだけを頼りに歩いてる。
ガウルが鼻をひくひくさせた。
「ガウ。匂いが——だいぶ変わってきた。焦げの匂いが薄くなって、別の匂いがしてきた」
〝何の匂い〟
「……灰。純粋な灰の匂い。焦げた木の灰じゃない。もっと——何かが完全に燃え尽きた後の匂い。何もかもなくなった匂い」
何もかもなくなった匂い。
ガウルの表現が、やけに詩的だ。犬の鼻は時々、匂いを言葉にするのが上手い。
◇
歩いてると、地面に何か落ちてるのが見えた。
近づく。
……剣だ。
赤錆びた剣。刃こぼれして、柄が腐食してる。でも、原型は残ってる。
それだけじゃない。
周囲に——もっとある。
剣、槍、盾、弓、杖、鎧の欠片。
武器と防具が、焦土に散らばってる。
大戦の痕跡だ。
「……戦場の跡か」
ガルドが呟いた。
「八百年前の武器が、まだ残ってる」
レグナが一本の剣を拾い上げた。
「……この剣の形。我が生きていた時代の、騎士団の標準装備に似ている」
〝八百年前の騎士の剣か〟
「うむ。この地で、人間と魔物が——殺し合ったのだ」
レグナが剣を静かに地面に戻した。
「この剣の持ち主は、もういない」
チョンが黙って武器の残骸を見てる。
「タカラ」
〝なんだ〟
「この人たち、何のために戦ったの?」
〝……魔王を封じるため、だったんだと思う〟
「魔王を封じるために、こんなにたくさんの人が死んだの?」
〝そうだ〟
「…………」
チョンが、錆びた剣のそばにしゃがんだ。
「この人、戦いたくなかったかもしれないのに」
…………。
パカッ。
子供の言葉は、時々刺さる。
◇
武器の散らばる戦場跡を通り過ぎると——建物の残骸が見えてきた。
壁だけが残ってる。屋根はない。焼け落ちたんだろう。石壁だけが、八百年の風雨に耐えて、まだ立ってる。
村だ。
かつて、ここに村があった。
焦げた壁。崩れた門。井戸の跡。畑だったらしい区画。全部、黒く焦げてる。
「ここ……人が住んでたんだ」
チョンが建物の残骸を見回した。
「八百年前までは、普通の村だったんだろうな」
ガルドが壁に手を触れた。
「大戦で焼かれたか。住んでた人たちは——逃げられたのか」
レグナが首を振った。
「この規模の焼却では……おそらく、逃げられなかっただろう」
……重いな。
俺は、村の跡を歩いた。ズズズで。
建物の一つに——地下室がある。
階段が焼け残ってた。石造りだから。
降りてみた。
地下室は狭い。三畳くらい。壁に棚があって、棚の上に——木箱がある。
木箱。
焦げてない。地下だから火が届かなかったんだ。
開けてみた。
中に——手紙があった。
紙が変色してるけど、文字は読める。人間の文字だ。
ガルドに読んでもらった。
『この手紙を読む者へ。
私の名はエルナ。この村の住人だ。
大戦が始まった。南から火が近づいている。
逃げる時間はない。
この地下室に、家族の記録を残す。
夫の名はロド。農夫だった。
息子の名はタル。まだ三歳だった。
私たちは、ここで暮らしていた。
何も悪いことはしていなかった。
誰かがこれを読んでくれることを祈る。
私たちが、ここにいたことを。
覚えていてほしい。
エルナ』
…………。
広間が、静まった——いや、もともと静かだった。地下室。
エルナ。ロド。タル。三人の家族。
この地下室に、手紙だけ残して、焼かれた。
パカッ。
俺は——手紙を、収納に入れた。
〝覚えておく〟
〝エルナ、ロド、タル おまえたちがここにいたこと 覚えておく〟
チョンの目が潤んでた。
「タカラ……」
〝行こう〟
地下室を出た。
焦土帯は——こういう場所だ。
八百年前の戦争の、消えない傷跡が、あちこちに残ってる。
◇
村の跡を出て、さらに南へ。
ガウルが急に耳を立てた。
「ガウ。来る。何かが——いくつも」
地面が——揺れた。
足元の焦土が、ぼこぼこと盛り上がった。
出てきた。
灰色の——なんだこれ。
人型。でも人間じゃない。灰でできてる。全身が灰の塊。目も口もない。手足だけがある。身長は人間と同じくらい。
五体。
ガルドが拳を構えた。
「なんだこいつら」
俺は〝査定〟を使った。
——反応なし。
〝査定が効かない〟
「マジか」
〝蓋裏辞典〟は——
蓋裏を確認。
表示なし。
〝辞典もダメだ〟
博士は?
『私にも不明だ。焦土帯固有の存在だろう。知の王の知識に含まれていない』
全部効かない。本当に情報ゼロ。
灰の人型が——動き始めた。
ゆっくり。ゆっくり、こっちに近づいてくる。
攻撃してくる感じじゃない。ただ、近づいてくる。
ガルドが前に出た。
「ようし、情報がなくても、殴ればわかる。〝覇拳〟!」
ガルドの拳が、一体目の灰の人型の胸を直撃した。
ドゴッ!
灰の人型が——崩れた。灰が散って、地面に落ちた。
……倒した?
灰が——集まり始めた。
散った灰が、ゆっくりと、元の形に戻っていく。
五秒で——完全に元通り。灰の人型が、何事もなかったかのように立ってる。
「は? 戻った?」
ガルドが目を見開いた。
「殴っても戻るのかよ!」
レグナが蒼い炎を放った。
「〝蒼き炎の薙〟!」
蒼い炎が灰の人型を包んだ。
灰が燃えた——いや、燃えない。灰だから。灰はもう燃えた後のものだ。燃えるものがない。
「……灰を燃やすことはできぬ、か」
レグナが蒼い炎を引いた。
ガウルが〝銀牙疾走〟で駆け抜けた。銀の牙を叩き込む。灰が散る。五秒で戻る。
俺が〝フロストエッジ〟で凍らせてみた。灰が凍った。でも——氷の中で灰が動いてる。氷を内側から砕いて、元に戻った。
「これ、どうすんだ……」
ガルドが困惑してる。
チョンが——灰の人型を見てた。
「タカラ。あの人たち、攻撃してこないよ」
〝え?〟
「俺たちに近づいてくるけど、殴ったり蹴ったりしてこない。ただ……近づいてくるだけ」
……言われてみれば、そうだ。
灰の人型は、殴られても蹴られても焼かれても凍らされても——反撃しない。ただ、元に戻って、また近づいてくる。
攻撃意志がない。
「あの人たち、何か言いたいのかもしれない」
チョンが灰の人型に近づこうとした。
「チョン、待て!」
ガルドが止めようとした。
でもチョンは——灰の人型の前に立った。
「こんにちは。俺、チョン」
灰の人型が——止まった。
チョンの前で、動きを止めた。
手を——伸ばしてきた。灰の手。
チョンの頭に、そっと触れた。
「……あ」
チョンが目を見開いた。
「タカラ、この人……泣いてる」
〝泣いてる?〟
「声は聞こえないけど、手から、泣いてる気持ちが伝わってくる。すごく悲しんでる。すごく……寂しがってる」
灰の人型。
八百年前に焼かれた人の——残留思念か。
体は灰になった。でも、思いだけが残って、この焦土帯を彷徨ってる。
攻撃してこないのは、敵じゃないから。
近づいてくるのは、誰かに触れたいから。
寂しいから。
「タカラ。この人たち……倒しちゃだめだよ」
〝……ああ〟
「だって、もう死んでるんでしょ。二回殺したら、かわいそうだよ」
パカッ。
……そうだな。
灰の人型が五体、俺たちの周囲にいる。敵意はない。ただ、寂しそうに立ってる。
俺は蓋文字を出した。大きく。
〝俺たちは通り過ぎるだけだ〟
〝でも覚えておく おまえたちが、ここにいたこと〟
灰の人型が——ゆっくりと、下がった。
道を開けた。
そして——地面に溶けるように、消えていった。
焦土に還った。
◇
灰の人型が消えた後、全員が黙って歩いた。
しばらくして、ガルドが口を開いた。
「タカラ。この土地、やばいな」
〝やばいな〟
「武力が通用しない。情報もない。敵も味方も分からない」
〝ああ〟
「でも——チョンが一番活躍してるな、今回も」
チョンが照れた。
「俺は何もしてないよ。あの人たち、ただ寂しかっただけだし」
「それを感じ取れるのが、おまえの才能だ」
レグナが言った。
「チョン。おまえの感受性は、武の素質にも知の素質にも劣らぬ。〝心〟の素質だ」
「心?」
「武力で通じぬ相手。知識で分からぬ相手。そういう存在に対して、心で触れられるのは——稀有な才能だ」
チョンが、ちょっと不思議そうな顔をした。
「俺、ただ話しかけただけなんだけどな」
……そうだな。でも、それができるのがチョンだ。
パカッ。
焦土帯を、さらに南へ。
第四の塔が——まだ見えない。
でも、灰の匂いが濃くなってきてる。ガウルが「近い」と言ってる。
何を捨てられるか——その問いの答えを、まだ俺は持っていない。
でも、この焦土帯が教えてくれてる気がする。
八百年前にここで死んだ人たちが、何を残して、何を失ったのか。
その記憶が、答えに繋がる。
パカッ。
〝行こう〟
◇
【次回】焦土帯の果てに、塔が見えてきた。でも——それは白い石の塔じゃなかった。黒い。全部、黒い。




