第78話「知らない場所へ」
出発の朝。
パカラ村の広場に、また全員が集まった。
もう何度目だろう、この光景。みんなが見送ってくれて、俺たちが丘を下りていく。
グリンが叫んだ。
「タカラ! また留守中に新入りが増えてたら、俺の判断で入れるからなー!」
〝任せた〟
サガが杖を振った。
「帰ってきたら、チョンに文字の稽古をつける。知の王殿から教わった古代文字、ワシにも教えてくれ」
「うん! 先生に教わったこと、全部伝えるよ!」
チョンが張り切ってる。
グラドルが枝を揺らした。
「南か。遠いな」
〝遠い〟
「気をつけろ。南の焦土帯は、グラドルの根が届かない距離だ。何かあっても、振動では伝えられぬ」
〝了解〟
レイスが敬礼した。
「俺は村で待機する。マリウスが動き出したら、すぐに連絡する」
〝頼む〟
◇
南へ向かう。
メンバーはいつもの六人と一箱と一匹と一声。
俺、ガルド、レグナ、ガウル、リーリア、アイ、チョン。そして博士。
街道を南に。
ベイルの街を通り過ぎた。ドルトンに挨拶だけして、すぐに出発。ドルトンが「南の焦土帯には、ギルドの支部がない。気をつけろ」と言ってた。
ギルド支部がない。つまり、冒険者の情報網がない。宿もない。街もない。
ベイルから南に三日ほど歩くと——風景が変わり始めた。
草原が枯れてきた。緑が茶色に変わる。土が乾いてる。空気が乾燥してる。
砂漠の乾燥とは違う。砂漠は「砂」だったけど、ここは「焼けた土」だ。
赤黒い地面。ところどころに、黒い岩が転がってる。焦げた岩。
「なんだ、ここ……」
ガルドが顔をしかめた。
「草も木もない。風が熱い。砂漠とは違う暑さだ」
砂漠は太陽の熱だった。ここは——地面そのものが熱い。
ガウルが鼻をひくひくさせた。
「ガウ。匂いが……焦げてる。地面から、焦げた匂いがする。八百年経っても、まだ焦げてる」
八百年前の戦いの痕跡。大戦で焼かれた大地が、まだ冷めきっていない。
チョンが黙って歩いてる。はしゃがない。
「タカラ、ここ……怖い」
〝怖いか〟
「うん。雪山は怖くなかった。きれいだったから。でもここは……なんか、悲しい感じがする」
悲しい。
子供の感覚って、鋭いな。八百年前に焼かれた大地の悲しさを、チョンが肌で感じてる。
博士が言った。
『南の焦土帯について、私の知識はほとんどない。知の王の記録には〝八百年前の大戦で最も激しく焼かれた地域〟とだけある。第四の魔王についての情報は——名前すら記録されていない』
〝名前もないのか〟
『名前がない、のではなく——名前が消されている、と言うべきか。知の王の記録から、意図的に削除されている痕跡がある』
〝誰が消した〟
『わからない。知の王自身が消したのか、大賢者が消したのか。あるいは——第四の魔王自身が、自分の情報を消したのか』
自分の情報を消す魔王。
知の王が「情報を拒絶する存在」と言ってた意味が、少しわかってきた。
情報がない、のではなく——情報を自ら消している。
俺の〝査定〟も〝蓋裏辞典〟も、使える情報がないかもしれない。
……これは、今までで一番難しい旅になるかもしれないな。
パカッ。
◇
南に進むほど、地面が熱くなる。
ガルドが靴底を気にしてる。
「おい、靴の底が溶けかけてるんだが」
〝マジか〟
「マジだ。この地面、まだ熱いんだよ。砂漠は太陽で熱かったけど、ここは地面そのものが……」
リーリアも足が辛そうだ。
「タカラ、この熱、魔力を感じる。ただの熱じゃない。何か、魔力で維持された熱だ」
魔力で維持された熱。
『おそらく、八百年前の大戦で使われた魔法の残滓だ。地面に染み込んだ魔力が、今でも熱を発し続けている。この残滓が尽きるまで——あと数百年はかかるだろう』
数百年。
八百年前の魔法が、まだ地面を焼き続けてる。どれだけの魔力を使ったんだ、大戦の時。
「ガウ。匂いがどんどんおかしくなってる。焦げの匂いと——何か別の匂いがある。苦い。鉄みたいな」
〝鉄?〟
「血の匂いに似てる。でも、もっと古い。何百年も前の血の匂いが、まだ残ってるみたいな」
……八百年前の血が、まだ匂いとして残ってる土地。
この場所で、どれだけの命が失われたんだろう。
チョンが俺の横を歩きながら、黙って地面を見てる。
「タカラ。ここで、いっぱい死んだんだね」
〝ああ〟
「魔物も? 人間も?」
〝たぶん、両方〟
「…………」
チョンが、ぎゅっと俺の蓋を握った。
「俺、ここの魔王も助けたい。怖いけど」
〝……ああ、助けよう〟
◇
さらに南へ進むと——地形が変わった。
平らだった焦土が、凹凸のある荒野に変わった。
巨大なクレーター。直径百メートルくらいの、ぼこっと凹んだ地面が、いくつも並んでる。
大戦での爆撃の跡だ。
「なんだこれ、月面みたいだな」
ガルドが唸った。
「この穴、全部魔法の着弾跡か?」
『おそらく。大戦では、Sランク以上の魔導士が何十人も動員されたと聞く。この規模の破壊は、それに相当する』
博士の知識が「聞く」レベル……か。確実な情報がないなんて、珍しいな。
クレーターの一つに降りてみた。
底に——何かがある。
黒い石碑。高さ二メートルくらい。
石碑に文字が刻まれてる。
……読めない。
俺の蓋文字でも、リーリアの巫女の知識でも、レグナの八百年分の経験でも——読めない文字だ。
「レグナ、この文字知ってるか」
「……知らぬ。我が生きた時代には存在しなかった文字だ」
博士は?
『私にも読めない。知の王の知識に、この文字は含まれていない』
知の王が知らない文字。
〝蓋裏辞典〟は?
蓋裏を確認——
表示なし。
蓋裏辞典も反応しない。
……マジで情報がない。
査定も、博士も、辞典も、全部効かない。
今まで俺を支えてきた情報系スキルが——全滅してる。
この土地そのものが、情報を拒絶してる。
チョンが石碑に近づいた。
「これ、何の文字だろう」
チョンが石碑の表面に手を触れた。
——瞬間。
石碑が——光った。
赤い光。薄い、血のような赤。
チョンが驚いて手を引っ込めた。
「わっ!」
石碑の文字が——動き始めた。
読めない文字が、ゆっくりと、形を変えていく。
知らない文字から——蓋文字に。
俺の蓋文字と同じ形の文字に変わっていく。
全員が石碑を見つめた。
文字が、完全に変換された。
──────────────────
ここに眠る者、名はなし。
名を棄てた者。
全てを焼いた者。
全てを悔いた者。
蓋を開ける者よ。
おまえが来たなら、問う。
知ることも、戦うことも、
語ることも——ここでは意味をなさない。
おまえは、何を捨てられるか。
──────────────────
……名を棄てた者。
名前がない魔王。名前を自分で消した。
そして——問い。
「おまえは、何を捨てられるか」。
対話の王は「許して送り出す」だった。
戦の王は「武で語って認められる」だった。
知の王は「知で語って蓋を開ける」だった。
第四の魔王は——「何かを捨てる」?
捨てるって、何を?
ガルドが腕を組んだ。
「……何を捨てられるか、って聞かれてもな。捨てたくないもんばっかだけど」
「ガウ。スキルを捨てろってことか? それは困る」
レグナが目を閉じた。
「……おそらく、物理的なものではない。もっと抽象的な——価値観や、信念の話だ」
チョンが首を傾げた。
「捨てる……。知らないことを知ろうとするのが旅だ、ってタカラが言ってた。でも、〝捨てる〟は〝知る〟の反対だよね」
反対。
知ることの反対が、捨てること。
……深いな。
今までの三つの塔は、何かを「得る」旅だった。対話の力、武の力、知の力。
第四の塔は——「捨てる」旅?
何を捨てるのか。
まだ分からない。
パカッ。
〝行こう 答えは、蓋を開けた先にある〟
◇
【次回】焦土の奥へ進む。石碑が示した方向に、第四の塔がある。情報がない旅。何かを捨てる旅。タカラにとって最も難しい試練が、始まろうとしている。




