第73話「蓋を開けて、中に残る」
通路の奥に——部屋があった。
白い石の部屋。でも、今までの殺風景な迷路とは全然違う。
壁一面に——本棚がある。
白い石の壁に、木の本棚が設置されてて、そこにぎっしりと本が詰まってる。革装丁の古い本。巻物。石板。木簡。ありとあらゆる形態の記録物が、この部屋に収められてる。
天井が高い。三階分くらいの高さの壁を、本棚が埋め尽くしてる。
「すげえ……。図書館だ、これ」
ガルドが呟いた。
「ガウ。本の匂い。古い紙の匂い。八百年分の」
部屋の中央に——机と椅子がある。
椅子に——座ってる人がいた。
本を読んでた。
俺たちが入ってきたのに気づいて、顔を上げた。
……若い。
見た目は二十代半ばくらいの男性。銀色の長い髪。眼鏡をかけてる。白いローブ。
でも——体が半透明だ。向こう側の本棚が透けて見える。
知の王。
実体がない。魂だけの存在。八百年の封印の間に、体は消えたんだろう。知性だけが残った。
知の王が、本を閉じた。
「ようこそ、蓋を開ける者」
穏やかな声。博士の声に似てるけど、もう少し若い。
「試練を突破したか。三問とも、見事だった。特に二問目と三問目は——」
知の王がチョンを見た。
「この子供が答えたのだろう?」
チョンがびくっとした。
「は、はい」
「素晴らしい知性だ。まだ磨かれていないが、原石の輝きがある」
知の王が微笑んだ。
「名前は?」
「チョンです」
「チョン。覚えておこう」
知の王が、俺を見た。
「そして、おまえが宝箱か」
〝そうだ〟
「蓋文字で喋るのか。面白いな」
〝声がないんでな〟
「だが、文字で語るのは——文字で考えているということだ。声で語るよりも、深い思考を経ている」
〝そんな大層なもんじゃない〟
「謙遜か。知性ある者の美徳だ」
知の王が椅子から立ち上がった。
半透明の体がゆらゆら揺れてる。風が吹いてるみたいに。
「さて——用件は聞いている」
〝博士から聞いたか〟
「私の断片を、おまえの収納に入れているだろう。断片の意識は、薄いが繋がっている。おまえたちのことは、ほぼ全て把握している」
全部筒抜けか。
「マリウス派が私の断片を引き抜いたこと、おまえがそれを取り返してくれたこと、フロストの街の子供たちを救ったこと——すべて知っている」
〝じゃあ話が早い〟
俺は、まず一つ目の用事を済ませた。
〝返す〟
収納から——水晶柱を出した。
知の王の意識の断片が封じられた水晶柱。
部屋の床に、どすん、と置いた。
知の王が——水晶を見た。
半透明の手を、水晶に触れた。
水晶が光った。
中から、金色の光が流れ出て——知の王の体に吸い込まれていく。
断片が、本体に戻っていく。
「ああ……」
知の王の声が、変わった。深みが増した。
「戻ってきた。私の一部が」
知の王の半透明の体が、少しだけ、濃くなった。
向こう側の本棚が、少し見えにくくなった。
知の王が目を閉じて、深く息を——吸うフリをした。実体がないから、実際には吸ってない。
「……ありがとう。これで、思考力が元に戻った。断片がない間、三割ほど処理能力が落ちていた」
〝三割で困る知性ってどんだけだ〟
「私の三割は、人間の賢者数十人分に相当する。それが欠けると、不便だ」
……規模がおかしいよ。
『ただいま、本体』
収納の中から——博士の声。
あ、まだいる。
〝博士、本体に戻らないのか〟
『いや、本体が望めば戻れるが——』
知の王が首を振った。
「戻さない」
〝え〟
「断片は、おまえの中にいた方が良い」
〝どういうことだ〟
知の王が、微笑んだ。
「私は、この塔から出る気がない」
◇
全員が目を見開いた。
「出ない……?」
ガルドが聞き返した。
「ああ、出ない。ここは、私にとって最高の空間だ。八百年分の書物がある。思考に最適な温度と湿度がある。邪魔するものがない。完璧な書斎だ」
知の王が両手を広げた。図書館全体を示す仕草。
「封印は解いてくれて構わない。この地域の魔物の力を、元に戻してやりたい。だが——私自身は、ここにいる」
〝……いいのか、それで〟
「良い。むしろ、外に出る理由がない」
知の王が、チョンを見た。
「この子のように、知りたがる者がたまに訪ねてきてくれれば——それだけで十分だ」
チョンがきょとんとしてる。
「俺?」
「おまえの知性は磨けば光る。時間ができたら、また来るといい。教えたいことが山ほどある」
チョンの目がきらきらした。
「来ていいの!? またこの塔に!?」
「歓迎する。私は暇だからな」
八百年の暇を持て余してる魔王が、ホブゴブリンの子供に授業をしたがってる。
……シュールだけど、微笑ましいな。
「それと——」
知の王が俺を見た。
「断片——おまえたちが〝博士〟と呼んでいるあれは、おまえの収納に残す」
〝マジで?〟
「マジだ。おまえたちの旅に、知識の支援が必要だろう。博士は私の知識の三割を持っている。旅の道中で、いつでも質問できる。辞書代わりだと思ってくれ」
〝辞書……〟
『辞書は少し格が低いが、まあ、概ねそうだな。何でも聞いてくれ』
博士がタカラの収納に常駐する。
これは——めちゃくちゃ便利だ。
移動する図書館。知識の宝箱。
……宝箱の中に図書館が入ってる。
俺って何でも入る箱だな。
「ただし——」
知の王が人差し指を立てた。
「博士の知識は、私の三割だ。残りの七割は、ここにしかない。だから——本当に難しい問題に直面した時は、ここに来い」
〝了解〟
「私は逃げない。ここから動かない。いつでも待っている」
知の王の顔が——穏やかに笑った。
八百年孤独だった魔王が、初めて「来てくれ」と言ってる。
パカッ。
〝来るよ 約束する〟
「ああ。楽しみにしている」
◇
封印の解除。
知の王が、塔の中央の床に手を当てた。
「封印を解く。私の意志で」
床に光が走った。白い光が塔全体に広がっていく。
「封印の解除は、蓋を開ける者の権限ではなく、私自身の権限で行う。封印の構造が他の塔と異なるからだ」
〝他の塔と違うのか〟
「第一、第二の塔は、大賢者が外から封じた。第三の塔は——私が自分で閉じた」
〝自分で?〟
「八百年前、大賢者が来た時——私は自分から封印に応じた。外に出る必要がなくなったからだ。大賢者に〝力で封じてくれ〟と頼んだのは、私の方だ」
……自分から封印された魔王。
対話の王は暴走して封印された。戦の王は戦をやめたら封印された。知の王は自分から封印を望んだ。
七人の魔王が、みんな違う理由で封印されてる。
「封印を解除する。ただし、私はここに残る。封印の枠組みだけを外して、この地域の魔物の力を元に戻す」
知の王が——両手を広げた。
塔全体が白い光に包まれた。
蓋裏に通知が来た。
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第三の塔の封印——解除
氷山地帯の魔物の本来の力、解放
* 知の王は塔に残留
* 博士(知の王の断片)は
収納に常駐
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封印解除。
三基目だ。
残り四基。
◇
あと一つ。
〝知の王、レグナの魂の欠片が、この塔にもあるらしい〟
「ああ、ある。この塔の通路の一つに封じてある。回収してやろう」
知の王が手を振った。
空中に——蒼い光の球体が現れた。レグナの魂の欠片。
球体がレグナの方に飛んでいった。
レグナの胸に吸い込まれた。
「……っ」
レグナが一瞬、体を強張らせた。そして——蒼い炎がぶわっと燃え上がった。
今までで一番大きい炎。
「……戻ってきた。さらに、戻ってきた」
〝今何割だ〟
「……九割五分。ほぼ完全体だ」
九割五分。
レグナの蒼い炎が、氷山の湿度を物ともしない密度で燃えてる。さっきまで七割だったのが、九割五分。圧が全然違う。
「残りの五パーセントは——おそらく、残りの塔のどこかに」
〝他の塔を回れば、完全体に戻れる〟
「うむ」
レグナの蒼烈将軍の名は伊達じゃない。ほぼ完全体の蒼い炎は、もう湿度のハンデを受けてないみたいだ。
知の王がレグナを見て、微笑んだ。
「蒼の炎の将軍か。対話の王の側の者だな。完全体に近い蒼炎は美しいな」
「……感謝する、知の王よ」
「礼には及ばぬ。私が勝手に封じていただけだ」
◇
知の王が、最後に俺を見た。
「蓋を開ける者。最後に一つ、贈り物をしよう」
〝贈り物?〟
「私の知識の一部を、おまえの蓋裏に刻む。これから先の旅で役立つ知識だ」
知の王が、半透明の指を俺の蓋裏に触れた。
じわっと、何かが流れ込んでくる。
情報。大量の情報。
蓋裏に新しい表示が現れた。
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知の王からの贈り物
新規能力:〝蓋裏辞典〟
* 蓋裏に知の王の知識の一部を刻印
* 未知の魔物・魔法・地形に遭遇した際
蓋裏に自動で解説が表示される
* 査定が使えない環境でも機能する
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〝蓋裏辞典〟。
蓋裏が——図鑑になった。
未知のものに出くわしたとき、自動で解説が表示される。査定とは別系統。査定が使えない環境(知の王の塔のように情報探知が封じられた場所)でも動く。
これは——すごいぞ。
今までの〝査定〟は「相手のステータスを数値化する」能力だった。この〝蓋裏辞典〟は「相手の背景・生態・弱点・歴史を解説する」能力。数値じゃなく知識。
査定と辞典の二刀流。
「この先の旅で——知識が命を救う場面がある。備えておけ」
〝ありがとう、知の王〟
「ふふ。礼を言われるのは慣れていないが——悪くない気分だ」
知の王が、椅子に座り直した。
「さて、私は読書に戻る。八百年目の、続きの章を読まねば」
……八百年目の続き。あんた、ずっと同じ本を読んでるのか。
「千二百巻ある本でな。まだ半分も終わっていない」
千二百巻。八百年で半分。
……規格外だな、知の王の読書量。
「チョン」
知の王がチョンを見た。
「また来い。おまえに教えたいことがある。文字の読み方から始めよう」
「文字? 蓋文字は読めるよ! タカラに教わった!」
「蓋文字ではない。人間の文字だ。古代文字も。魔法文字も。全部教えてやる」
チョンの目がまた輝いた。
「やった! 先生!」
「先生、か。博士よりは良い呼び名だ」
『本体、私にだけ格の低い呼び名をつけるのはやめてくれ』
「格の問題ではない。愛称だ」
『愛称……まあ、いいか』
知の王と博士が、本体と断片で会話してる。
……仲が良いんだか悪いんだか。
◇
塔を出た。
外は——雪が止んでた。
空が青い。雲が切れて、日差しが差してる。
氷山の雪が、きらきら光ってる。
「きれいー!」
チョンが両手を広げた。
俺は——底面の氷の板を展開して、雪の上を滑走。もう沈まない。
パカッ。
三基目の塔。知の王。
戦わず、語り合って、封印を解いた。知の王は消えなかった。塔に残った。博士が俺の中に残った。
三回とも、違う浄化だった。
第一の塔:対話して、許して、送り出した。
第二の塔:武で語って、認めてもらって、消えた。
第三の塔:知で語って、蓋を開けて、中に残った。
七人の魔王が、七通りの結末を迎える。
あと四基。
蓋裏を見た。
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解放済みの塔:3基
残り:4基
* 第四の塔の位置情報が
解放されました
第4の塔:南の焦土帯
──情報取得中──
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南の焦土帯。
八百年前の大戦で焼かれた、不毛の大地。
……次は、そこか。
パカッ。
〝帰ろう〟
「おう」
「ガウ」
「うむ」
「はい」
「うん!」
全員が頷いた。
まずはパカラ村に帰る。
報告して、休んで、準備して——
次の蓋を開けに行く。
◇
【次回】パカラ村への帰路。レイスからの急報が届く。王都で何かが動いている。




