第71話「宝箱、雪に沈む」
フロストの街を出た。
ギルド支部長が見送ってくれた。「気をつけろ、あの山はこの時期、特に荒れる」って。
ありがたい忠告だけど、行かないわけにはいかない。
俺たちは北へ向かった。氷壁の頂。雪山の中腹にある、第三の塔。
メンバーは、俺、ガルド、ガウル、レグナ、リーリア、アイ、チョン。
それと——収納の中に、博士(知の王の意識の断片)。
合計七人と一箱と一匹と一声。
にぎやかなパーティだ。
◇
街道を出て、山道に入った。
雪が深い。三十センチくらい積もってる。
ガルドが防寒着の襟を上げた。
「さっむ……。なんでこんな寒い山に塔を建てたんだ、大賢者は」
『封印に適した地形を選んだだけだ。氷山は魔力の流れが安定しており、封印の維持に向いている』
収納の中から博士が解説した。
「うわっ、宝箱の中から声がする」
ガルドがびくっとした。
〝博士だ 知の王の断片 収納の中にいる〟
「いや、知ってるけど。急に喋るから驚くだろ」
『すまない。解説する癖がある』
「癖て」
博士、しゃべりたがりだ。
チョンが雪を手ですくった。
「冷たーい! でもきれーい! タカラ見て、雪って白くてきれい!」
〝見てる〟
チョンが雪玉を作った。
「えい!」
ガルドの背中に投げた。
「つっめて! おいチョン!」
「えへへ!」
子供が雪山ではしゃいでる。
……まあ、楽しんでるうちはいいか。
ガウルが横をすいすい走ってる。毛皮で寒さを防いでて、雪の上も走れる。犬の足は雪を掴む。
「ガウ。最高だ、雪山。匂いがめちゃくちゃクリアだ。空気が澄んでるから、匂いが遠くまで届く」
ガウル、元気だな。砂漠で鬱憤が溜まってた分、雪山で全開になってる。
「五キロ先の魔物の匂いもわかる。三種類いる。氷狼が八匹、氷牙熊が一匹、あと……知らない匂いが一つ」
〝知らない匂い〟
「人間でも魔物でもない。冷たい匂い。氷そのものみたいな」
……雪の魔人か。博士が言ってたやつ。
レグナが歩いてる。蒼い炎をかなり絞ってる。
「……湿度が高いな。蒼炎の出力が、通常の六割程度しか出ない」
〝六割か〟
「戦闘になったら、長期戦は避けたい」
レグナのハンデ。雪山では蒼炎が弱る。
砂漠ではガウルが弱った。雪山ではレグナが弱る。環境ごとに誰かにハンデがつく。
でも、その分、別の誰かが活きる。今回はガウルの番だ。
◇
山道を登り始めて一時間。
俺に問題が発生した。
ズズズができない。
雪が深すぎる。ズズズで進もうとすると——沈む。
ズズズズ……ずぼっ。
パンドラボックスが、雪に埋まった。
蓋だけが雪の上に出てる。
「…………」
ガルドが振り返った。
「タカラ、何してんの」
〝沈んだ〟
「沈んだって」
〝雪が柔らかすぎて、ズズズの推進力で沈む〟
ガルドが口を開けて、閉じて、もう一回開けて——笑った。
「ぶはっ! ハハハハハッ! 宝箱が雪に埋まってる! 蓋だけ出てる!」
〝笑うなよ〟
「いや、無理だろこれ、おもしれえ!」
チョンが走ってきた。
「タカラ大丈夫!? 掘り出すね!」
チョンが雪を両手で掻いて、俺を掘り出してくれた。
「よいしょ、よいしょ」
〝ありがとう〟
「えへへ。タカラ、雪苦手なんだね」
〝苦手ってか、重力に逆らえない〟
パンドラボックスは七十センチのでかい箱だ。平面ならズズズで高速移動できるけど、柔らかい雪では底面が沈む。砂漠の砂でも少し遅かったけど、雪はもっと深い。
博士が収納の中から言った。
『底面に氷の板を作れば、沈まないのではないか』
〝氷の板?〟
『〝フロストエッジ〟を底面に薄く展開して、氷の面を作る。スキーのように滑走できるはずだ』
……なるほど。
俺は底面に意識を向けた。〝フロストエッジ〟を、刃じゃなく薄い板として展開する。
底面に——薄い氷の層ができた。
雪の上に——浮いた。
ズズズズッ!
滑った。雪の上を、氷の板で滑走してる。
速い。雪がなかった時より速いかもしれない。氷の板が雪の上を滑るから、摩擦がめちゃくちゃ少ない。
「ガウッ!? タカラ速くなった!?」
〝博士のおかげだ〟
『どういたしまして』
宝箱がスキーで雪山を滑走してる。
……絵面はともかく、便利だ。
ガルドが感心した。
「おまえ、今まで何やってたんだ。最初からこれやれよ」
〝思いつかなかったんだよ〟
「博士に教えてもらうまで気づかないって、おまえ冒険者の知識はどうした」
〝冒険者時代、雪山に行ったことないんだよ〟
「あー」
ガルドが納得した。
パカパカ。
雪山を滑走する宝箱。パカパカしながら。
シュールだけど、快適だ。
◇
二時間後。
ガウルが急に足を止めた。
「ガウ。来る。氷狼。八匹。正面から」
全員が構えた。
雪の中から——灰色の影が、八つ、現れた。
氷狼。普通の狼より一回り大きい。毛が白に近い灰色で、目が青い。牙に霜がついてる。
博士が解説した。
『氷狼。Cランク相当。群れで動き、リーダーを中心に連携する。リーダーは体が一回り大きく、額に青い印がある』
〝どいつだ〟
「ガウ。あいつだ。一番後ろの、でかいやつ」
ガウルが一番後ろの氷狼を指した。確かに、一匹だけ大きくて、額に薄い青い光がある。
「ガウ。タカラ、俺にやらせてくれ」
〝お〟
「砂漠で鼻が使えなくて、悔しかったんだ。雪山で取り返す」
〝いいぞ やれ〟
ガウルが——前に出た。
「スキル——〝銀牙疾走〟!」
銀色の光がガウルの体を包んだ。
ガウルが走り出した。雪の上を。
雪山のガウルは——速い。毛皮が雪を弾いて、足が雪を掴んで、空気の澄んだ山で匂いが全部わかる。視界も聴覚も嗅覚もフルで使える。
まさに、ガウルの領域だ。
氷狼の群れが、ガウルに向かって散開した。
前衛の三匹が突進してくる。
ガウルは——真正面から突っ込んだ。三匹の間を縫うように走り抜ける。
銀色の残像が、三匹の横を通過した。
通過した瞬間、三匹の足元の雪が——銀色に光った。
残光だ。〝銀牙疾走〟の走行跡が残光として残る。
三匹が残光に触れた。
「キャンッ!」「キャンッ!」「キャンッ!」
足が痺れて、三匹とも転んだ。
残り五匹が、ガウルを囲もうとした。
ガウルが——ぐるぐる走り始めた。五匹の周りを。
銀色の残光の輪が、五匹を囲む。
「残光の檻!」
銀色の光の輪で、五匹が閉じ込められた。中から出ようとすると痺れる。
リーダーの氷狼が——光の輪を突破しようとした。額の青い印が光る。
氷の息を吐いた。
ブリザードブレス。
銀色の光の輪に、氷の息がぶつかった。光の輪が——凍った。
凍った残光は、もう痺れない。ただの氷だ。
「ガウッ!? 残光を凍らせた!?」
リーダーが凍った輪を踏み砕いて、外に出た。
他の四匹もリーダーに続いた。
群れが再結集して、ガウルに向かってくる。
「ガウ……。リーダー、やるな」
ガウルが構え直した。
リーダーの氷狼が、氷の息を吸い込んだ。もう一発、来る。
ガウルが——加速した。
最高速。
銀色の光が体から風になった。
「〝銀牙疾走〟——最高速!」
銀色の牙型の衝撃波が——飛んだ。
リーダーの氷狼に、正面から。
リーダーが氷の息を吐いた。ブリザードブレスと銀の牙がぶつかった。
氷と銀がぶつかって——銀の牙が、氷を貫いた。
「ギャンッ!」
リーダーの額に、銀の牙が直撃した。青い印が砕けた。
リーダーが——倒れた。気絶。
残りの七匹が、リーダーが倒れたのを見て——散った。
博士の言う通り。リーダーを倒せば散る。
ガウルが立ち止まった。銀色の光が消えていく。
「ガウ……はあ、はあ……」
息が荒い。でも——尻尾が振れてる。
「やった。雪山で、初勝利」
パカッ。
〝見事〟
「ガウ。砂漠の借り、返したぜ」
ガウル、いい笑顔だ。犬の笑顔って分かりにくいけど、尻尾が物語ってる。
チョンがガウルに駆け寄った。
「ガウルかっこよかった! 銀色でびゅーんって!」
「ガウ。へへ」
犬が褒められて照れてる。
……氷狼のリーダー、生きてる。気絶してるだけだ。殺してない。
パカラ村のルール。ガウルもちゃんと守ってる。
◇
さらに二時間、山を登った。
標高が上がってきた。空気が薄くなる。木が減る。岩と雪だけの景色。
リーリアが息を切らしてる。
「はあ……はあ……。高いところ、空気が薄い……」
〝大丈夫か〟
「大丈夫。でも、もう少しで限界かも」
アイがリーリアに張り付いて、体温を保ってる。スライムの体温調節能力、便利だな。
チョンも足が遅くなってきた。子供の体力には限界がある。
「タカラ……足が重い……」
〝収納に入るか?〟
「……もうちょっと頑張る」
チョン、意地っ張り。
博士が解説した。
『塔まであと半日ほどだ。山の中腹に入れば、塔の周辺は魔力で温度が安定している。寒さは和らぐ』
〝半日か 今日は途中でテントを張ろう〟
ガルドが頷いた。
「そうしよう。無理して登っても仕方ない。チョンもリーリアも限界だ」
◇
山腹の岩場にテントを張った。
収納から、テント、寝袋、食料、水を全部出した。宿の時に仕入れた装備がここで活きる。
焚き火を起こした。ガルドが木を集めて、レグナが蒼い炎で——
「……点かぬ」
レグナの蒼い炎が、弱々しくちろちろしてる。湿度で出力が落ちてる。
「すまぬ。普段なら一瞬なのだが」
〝いいよ 別の方法でやる〟
俺は〝ファイアランス〟を極小で撃った。木に当てる。
ぼっ。
火がついた。
「タカラ、着火に砲撃使うなよ」
「便利だからいいだろ」
焚き火を囲んだ。
夕食。収納から食料を出す。ベイルの街で買った干し肉、パン、スープの素。雪を溶かして水にして、スープを作る。
チョンがスープを飲んだ。
「あったかー! おいしー!」
ガルドが干し肉を齧った。
「明日、塔に着くのか?」
『このペースなら、明日の午後には塔に到達するだろう』
博士が答えた。
「博士、塔のことで聞きたいんだけどさ」
ガルドが言った。
「その塔、入ったら何が起きるんだ。迷路って聞いたけど」
『知の王の塔は、迷路型だと言った。各分岐点に知の試練がある。正答すれば正しい通路に進める。誤答すれば行き止まりか、罠の道に入る』
「罠って、どんな罠だ」
『知の王の罠は、物理的なものではない。精神的な罠だ。心を惑わせる幻覚、記憶を狂わせる霧、論理を破壊する空間——すべて知性を攻撃する罠だ』
「物理攻撃じゃないのか……。覇拳で壊せない罠って、一番困るぞ」
「ガウ。鼻でも嗅げない罠だろうな」
ガルドとガウルが、そろって困った顔をした。
レグナが目を閉じた。
「知の試練か。我は八百年前から生きている分、知識はあるが——知の王の問いに答えられるかは、自信がない」
〝俺は冒険者時代に戦術問題は解いてたけど、純粋な知識テストは苦手だ〟
チョンが手を挙げた。
「俺も知らないことばっかりだけど、知らないなら知らないって正直に言えばいいのかな」
……チョン、時々いいこと言うな。
博士が笑った。
『実は、知の王の問いには〝知らない〟と正直に答えることが、正解になる場合もある。知ったかぶりが一番の不正解だ』
チョンが目を輝かせた。
「じゃあ俺、役に立つかも!」
「ガウ。……まさか、チョンが一番適性あるのか」
「え、そうなの?」
博士が答えた。
『子供の柔軟な知性は、知の王の試練に向いている。マリウス派が子供を集めていたのも、そういう理由だ。ただし——子供は犠牲として使おうとしていた。あなたたちは、違うだろう?』
〝違う チョンは仲間だ 犠牲にする気はない〟
『ならば、チョンの存在は、むしろ有利に働く。知の王は、子供の知性を高く評価する。チョンが試練に参加すれば、知の王は好意的に反応するかもしれない』
チョンがぱあっと笑った。
「タカラ、俺、役に立てる!」
〝ただし、危険な場面では下がれ 約束だ〟
「わかった!」
チョンの出番が、いよいよ来るのかもしれない。
知の試練は、戦力じゃ解けない。
知識と、柔軟さと、正直さ——そういうもので挑む。
〝力で蓋を開ける〟第二の塔とは、根本から違う旅になる。
◇
夜。
テントの中で、みんなが寝た。
チョンが俺の中で眠ってる。収納の中の暖かさがちょうどいいらしい。
博士と、小さな声で会話。
〝博士〟
『なんだ』
〝おまえの本体は、八百年、孤独だったのか〟
『孤独——という感覚は、知の王にはない。我々は知性の中で完結している。本を読むのに友人は要らない、と言えばわかるか』
〝わかるけど、寂しくないか〟
『…………』
博士が、少し黙った。
『寂しい、という言葉の定義を、八百年かけて考えた結果——本体は、こう結論づけた』
〝どう〟
『〝対話の相手がいないことは、知識の不在よりも苦しい〟と』
〝それ、寂しいってことだろ〟
『……そう、かもしれんな』
博士の声が、いつもより低い。
八百年、誰とも語り合わずに。知識は無限にあるけど、話す相手がいない。
戦の王と同じだ。戦の王は「強き者と語り合いたかった」。知の王は「賢き者と語り合いたい」。
みんな、誰かと語りたいんだ。
パカッ。
〝俺が行くよ 語りに〟
『……ああ。楽しみにしている——と、本体も思うだろう』
パタン。
明日、塔に着く。
◇
【次回】山の中腹に、白い塔が見えた。第三の塔。知の王の塔。扉を開けると——迷路が、始まる。




