第35話「おまえも、一人だったのか」
暗い。
収納の中は、いつもは暖かくて静かな空間だ。
でも今は——冷たい。
【残響の核】に近づいてるからだ。
奥に行くほど温度が下がる。リーリアが俺の横でぶるっと震えた。
「寒い……。でも、大丈夫」
アイがリーリアにくっついて回復の光を出してる。
ぷるん(あったかくする)。
ありがとう、アイ。
もっと奥へ。
暗闇の中に——赤黒い光が見えてきた。
脈打ってる。心臓みたいに。ドクン、ドクン、って。
残響の核だ。
近づく。
核が——反応した。
◇
赤黒い光が膨れ上がった。
暗闇の中に——形が現れた。
人の形。
でかい。三メートルくらいの、黒い影の人型。
目がない。口がない。でも——声が出た。
『——来たか』
低い声。地鳴りみたいな。
『蓋を開ける者。おまえが来るのは、わかっていた』
わかってたのか。
蓋文字を——出そうとして、やめた。
ここは収納の中だ。蓋裏じゃないぞ。
でも不思議なことに、思ったことが伝わってる。
収納の中では、格納したものと意識が繋がるのか。
ここは収納中の意識の世界――魔王の【残響の核】が眠っている場所。
〝おまえは、魔王の残響だな〟
残響……影……欠片……怒り。好きに呼ぶがいい』
〝お前は、怒ってるのか〟
『怒っている。何百年も……ずっとな』
影の体から、黒いモヤが噴き出した。
冷たい……怒りっていうもの自体が、形になったみたいな冷気だ。
リーリアが、ぎゅっとアイを抱きしめた。
『閉じ込められた、一人で。何百年も、何も見えず、何も聞こえず、何も触れず……ただ、怒りだけがあったのだ』
何百年分の孤独……か。
その苦しみは、俺には到底理解できそうもないだろう。
失ったものを探して、見つからなくて、でもやめられない……レグナみたいな感じか。
『おまえは何をしに来た。殺しに来たか。それとも——また閉じ込めに来たか』
〝どっちでもない〟
『ならば、何だ』
〝話しに来た〟
『……話す? この魔王である、我にか?』
〝大賢者が言ってた おまえの怒りの理由を聞けって だから聞きに来た〟
しばしのあいだ、沈黙が続いた。
『……理由など、とうに忘れた。覚えているのは怒りだけだ。何に怒っていたのかも、もうわからん』
怒りの理由を忘れてる……いや、怒りだけが残ってる、のか。
何百年も一人でいたら、そうなるのか。
俺にはその怒りがどれだけ辛いものなのかも分からないけど、でも、
〝じゃあ、教えてやるよ〟
『何?』
〝おまえの部下から聞いた、魔王の望みは——人間と魔物が対等に暮らせる世界だったんだ〟
影が——びくっと動いた。
〝でも対話が通じなくて、力に頼って、暴走した。大陸が焼けた。たくさん死んだ……人も魔物も〟
『……』
〝それを止めるために、大賢者が封印した。おまえは閉じ込められたんだ……何百年も〟
黒いモヤが——少し薄くなった気がする。
俺の話を、聞いてくれてるのか。じゃあ、もうちょっとだけ。
〝おまえの部下は、生きてたぞ〟
『部下……だと?』
〝レグナ。四将軍の一人。おまえと同じように封印されて、何百年もスケルトンになって、ダンジョンの通路を歩き回ってた〟
影がぐらりと、揺れたような……気がした。
〝五歩歩いて、止まって、振り返って、それを何百年も繰り返してた……おまえを探してたんだ。知性を奪われても、体が覚えてて。ずっとおまえを探してたんだって〟
『レグナが……あいつが……まだ……』
魔王の声の質感が変わった。
怒りだけじゃなくて、もっと優しい思いが込められた……何か。
『……あいつに、最後に言ったのだ。すまなかった、と』
知ってる。レグナが教えてくれた。
〝届いてたよ あいつ、ちゃんと覚えてた〟
黒いモヤが、ぼろぼろ剥がれ落ちていく。
中から——別の色が見え始めた。
赤黒じゃない……もっと淡い、暖かい色。
『……』
影が——小さくなっていく。
三メートルだったのが、二メートルに。人間くらいのサイズに。
黒いモヤがほとんど剥がれた。
中にいたのは——
人の形だった。普通の、人の形。
顔はぼんやりしてて、はっきり見えない。でも——怒ってる顔じゃなかった。
疲れた顔だ。
すごく疲れた顔。
『……そうか。あいつ、覚えてくれていたか』
うん。
『我は……何に怒っていたのだったか……ああ……そうだ。対等に、なりたかっただけだ……それだけだったのに……なぜ、こうなったのだ……』
リーリアが前に出た。
「あなたの声、聞こえてたの。塔の中で……十年間、毎日」
影が、リーリアを見つめた。
『……巫女か。おまえが……我に魔力を送り続けていた者か』
「うん。送ってた。でも同時に……あなたの苦しんでる声も聞こえてた。ずっと」
『…………聞こえて、いたのか。誰かに、聞こえていたのか……』
リーリアの目から涙がこぼれた。
「聞こえてたよ、ずっと。でも、ごめんね……何もできなかった。怖くて」
『……謝るな。我こそ……すまなかった。おまえに、あんな役目を押しつけて……十年間も……』
影の声がかすれてた。
きっと……いや、絶対に泣いてる。
怒りの残響が、泣いてるんだ。魔王はまだ、泣けることを忘れてなかった。
〝なあ〟
影が俺を見た。
〝おまえの望みは、俺と同じだ 人と魔物が、対等に暮らせる世界〟
『……』
〝俺は今、それをやってる。ゴブリンと、コボルトと、小さな竜と、虫と、スライムと、人間と、骸骨と、宝箱が、一つの村で暮らしてるんだ〟
影が目を丸くした、ように見えた。
表情があいまいだからわからないけど。
〝おまえが間違えた方法じゃなく、別の方法でやってる 話して、蓋を開けて、一緒に暮らす〟
『…………蓋を開けて……か。おまえは……宝箱、ミミックだったな』
〝そうだ 蓋を開けるのがミミックの仕事だ〟
影がふっと笑った。
『面白い奴だ。宝箱が……我の夢を、継ぐのか……』
継ぐっていうか、勝手にやってるだけだけどな。
『……疲れた。もう、いい。もう十分だ』
影の体が、光り始めた。
黒が消えて、淡い金色に変わっていく。
『……我を、送り出してくれるか。蓋を開ける者よ』
送り出す……どうやって?
大賢者の言葉を思い出してみる。
確か、魔王を成仏させるには……許して、送り出せって。
許す——って、何を?
暴走したことを? 大陸を焼いたことを? たくさんの命を奪ったことを?
俺にそんな資格があるのか? 俺、ただのミミックだぞ?
……。
資格なんて、たぶん誰にもない。
でも——この何百年もの孤独を終わらせてやれるのは、今ここにいる俺だけだ。
パカッ。
蓋を開けた。
収納の中なのに、蓋を開ける感覚がある。
心の蓋を開けてるんだろう。
〝行けよ〟
影が俺を見た。
〝もう怒らなくていい、もう一人じゃなくていい。これからは、俺があんたの意志を継ぐよ。だから……もう安心して、眠っていい〟
影の体が——ほどけていく。
光の粒になって、消えていく。
最後に、声が聞こえた。
『ありがとう……蓋を開ける者よ……レグナに伝えてくれ……もう、休むと……』
光が消えた。
暗闘の中が、あったかくなった。
【残響】が、いなくなった。
冷たさが消えた。
収納の中に、いつものあったかさが戻ってた。
◇
目を開けた。
外の光が見える。蓋を開けてる。
いつの間にか、蓋が開いてた。
「タカラ!」
ガルドの声が聞こえた。
「おい、大丈夫か! ずっと動かなかったんだぞ! 二時間も!」
二時間。
そんなに経ってたのか。
リーリアが中から出てきた。
すぽん。
目が真っ赤だ。泣いてたんだな。
「……終わった。残響は……いなくなったよ」
全員がほっとした顔をした。
ガウルが尻尾を振った。「ガウ。タカラの中の匂い、変わった。あの嫌な匂いが、消えてる」
蓋裏を確認。
──────────────────
〝収納〟── 特殊格納
格納中:
魔王の残響(核)
状態:浄化完了
* 残響は消滅しました
* 浄化により微量の魔力が
外殻に還元されました
──────────────────
浄化完了。
消滅。
……消えたのか。あいつ。
消えた、っていうよりは——解放された、って言うべきかな。
怒りから、孤独から。
パカッ。
レグナのほうを見た。
レグナが——俺を見てる。蒼い炎がゆらゆら揺れてる。
〝レグナ〟
「……何だ」
〝あいつが言ってた レグナに伝えてくれ、って〟
蒼い炎が——ぐわっと燃え盛った。
〝もう休む、って〟
レグナは、何も言わなかった。
何も言わずに、空を見上げた。
蒼い炎だけ、ぱちぱちと燃えてた。
チョンがレグナの脚にしがみついた。
「レグナ……だいじょうぶ?」
「……ああ。大丈夫だ」
大丈夫じゃなさそうだけど——レグナはそれ以上何も言わなかった。
それでいいだろ。
これはレグナと王の、二人だけの話だ。
◇
夜。
焚き火を囲んでる。
今日は、誰もはしゃいでない。
静かだ。
でも、悪い静かさじゃない。
戦いが終わって、残響が消えて、村が守れて。
みんな疲れてて、でも安心してて。
その安心が、静かさになってる。
リーリアが俺の横にいる。
「ねえ、タカラ」
パカッ(なんだ)。
「あの残響の最後の言葉……〝おまえも一人だったのか〟って聞こえた気がしたけど、違った?」
…………そうだったか?
言われてみれば——最後の最後に、そんな声が聞こえた気もする。
おまえも一人だったのか。
ああ……俺も一人だったよ。
冒険者の頃、パーティを失ってから。ソロで生きて、ソロで死んで、宝箱に生まれ変わって。
でも——もう一人じゃない。
中にリーリアがいる。アイがいる。
外にガルドがいて、ガウルがいて、サガがいて、チョンがいて、グリンがいて、レグナがいて、グラドルがいて。
百五十匹以上の仲間がいる。
俺はミミック……宝箱だ。
中にみんながいる。
一人になりようがない。
「じゃ、おやすみ。入るね」
すぽん。
アイがぷるん(おやすみ)。
パタン。
中が——あったかい。
残響がいなくなって、いつもの温度に戻ってる。
いや——前よりあったかい気がする。
パタン。
おやすみ。
明日から——塔の本体に挑む準備を始めよう。
残響は練習だった。本番はこれからだ。
でも——やり方はわかった。
蓋を開けて、話して、許して、送り出す。
宝箱にしかできない戦い方。
俺だけの戦い方だ。
◇
【次回】レイスが大賢者の隠し文書をさらに解読した。浄化の方法はわかった。でも——塔の本体に到達するためには、もう一つ問題がある。塔はまだ封印が残ってる。しかも中に入るには——リーリアの力が必要になる。リーリアが、もう一度塔に戻る。今度は——囚人としてじゃなく。




