第101話「渓谷の底に、塔がある」
山岳地帯に入って二日目。
砂漠を砂帝蠍で抜けた後、東の山に入った。標高が上がるにつれて空気が薄くなる。でも氷山ほどじゃない。
緑がある。木がある。鳥が鳴いてる。焦土帯や砂漠の後だと、緑のある山がすごく贅沢に感じる。
チョンが山道を元気に歩いてる。
「タカラ、山の空気って気持ちいいね!」
〝焦土帯の後だとな〟
「焼けた匂いじゃないのがいい」
ガウルが鼻をすんすんさせてる。
「ガウ。動物の匂いがいっぱいする。鹿、兎、鳥。山は生きてるな」
ガルドが隣を歩いてる。砂帝蠍から降りてからは快調だ。
「タカラ、渓谷まであと何日だ」
〝博士〟
『このペースなら明日の昼頃に着く。マリウスの部隊の到着予想は明後日。一日の余裕がある』
〝一日のリードだ〟
「一日あれば十分だ。塔の前に着いて、入り口を確認できる」
レグナが蒼い炎をちろちろさせてる。山の空気は程よく乾いてて、蒼炎の調子がいい。
「この山は蒼炎と相性がいいな。出力は九割五分。ほぼ全力で使える」
レグナ、ここでは強い。海とは大違いだ。
リーリアが山の花を摘みながら歩いてる。アイがぷるんと肩の上にいる。
「この花、薬草に使えるかも。アイ、匂い嗅いでみて」
「ぷるん」(いい匂い)
平和な山歩き。これが戦いの前の静けさだと、分かってるけど。
◇
三日目の昼。
山道が——突然、途切れた。
崖だ。
目の前に、巨大な渓谷が口を開けてる。
でかい。幅が五百メートルくらい。深さが——見えない。底が霧に包まれてて、どこまで深いか分からない。
渓谷の両壁は、垂直の岩肌。手がかりが少ない。
「うわー……」
チョンが崖の縁から覗き込んだ。
「深い……。底が見えない……」
〝離れろ 落ちるぞ〟
「大丈夫、しっかり立ってる」
〝子供は言うこと聞け〟
「はーい」
チョンが一歩下がった。
天蓋の渓谷。
名前の由来は——上を見ると分かった。渓谷の上に、岩のアーチが何本もかかってる。天然の橋。渓谷の上空を覆うように岩が組み合わさって、天蓋みたいな構造になってる。
太陽の光が、天蓋の隙間から細く差し込んで、渓谷の中を柱のように照らしてる。
「すげえ景色だな」
ガルドが崖の縁に立って、渓谷を見下ろした。
「で、塔はどこだ」
〝底にあるはず 博士〟
『渓谷の底に塔がある。霧の下だ。降りる必要がある』
〝降りる方法は〟
『渓谷の壁面に、大賢者が作った階段が刻まれているはずだ。八百年前の記録では、西壁側に下り階段がある』
西壁。俺たちがいるのは北側だ。西に回り込む必要がある。
ガウルが匂いを嗅いだ。
「ガウ。人間の匂いがしない。マリウスの部隊は、まだ来てない」
〝よし 先行できてる〟
「ただ——」
ガウルが眉を寄せた。
「渓谷の底から、変な匂いがする。古い魔力の匂い。それと——何かが住んでる匂い」
渓谷の底に何かがいる。
塔の守護者か、それとも——第六の魔王か。
◇
西壁に回り込んだ。一時間くらい歩いた。
壁面に——階段があった。
岩を削って作られた、幅一メートルくらいの階段。渓谷の壁面に沿って、ジグザグに下りていく。
古い。八百年前の階段。でも、石造りだから崩れてない。
「ここを下りるのか」
ガルドが下を覗いた。霧で先が見えない。
「何段あるんだ」
『記録では、約千段』
「千段!?」
「ガウ。千段って、何メートルだ」
『約三百メートル』
「三百メートルの崖を、階段で下りるのか」
〝下りるしかない 行くぞ〟
先頭は俺。ズズズで階段を下りる。
……あ、ズズズで階段は危ない。雪山の時みたいに、がたんがたんする。
ガルドが俺を見た。
「タカラ、持ち上げてやろうか」
〝…………〟
「荷物扱いじゃないぞ。仲間を運ぶだけだ」
〝……頼む〟
ガルドが俺を抱えた。七十センチの宝箱を、ホブゴブリンが抱えて階段を下りる。
パカッ。
〝ありがとう〟
「いいよ。おまえ軽いし」
〝軽くはないだろ〟
「まあ、重いけど。岩より軽い」
微妙な褒め方だ。
全員で階段を下り始めた。千段。長い。
チョンが数えてる。
「いち、にー、さん、し……」
「全部数える気か」
「千まで数える!」
「途中で飽きるぞ」
「飽きない! ごー、ろく、なな……」
百段目で飽きた。
「……やっぱ数えるのやめる」
「だから言っただろ」
◇
三百段目くらいで、霧の中に入った。
視界が悪くなる。五メートル先が見えない。
湿度が高い。レグナの蒼炎が少し弱くなった。
「渓谷の底は湿度が高いか。海ほどではないが、蒼炎の出力が八割に落ちる」
ガウルが鼻を嗅いだ。
「ガウ。霧の匂いが——普通の霧じゃない。魔力が含まれてる」
魔力の霧。
『大賢者の結界の名残だろう。渓谷の底を霧で覆うことで、外部からの侵入を防ぐ仕組みだ。霧自体は無害だが、方向感覚が狂う可能性がある』
〝方向感覚か〟
「ガウ。匂いで追える。俺の鼻なら、霧の中でも方向が分かる」
ガウルの鼻が頼りだ。
五百段。六百段。七百段。
霧がどんどん濃くなる。チョンがガルドの腕にしがみついてる。
「ガルド、怖い」
「大丈夫だ。俺がいる」
「うん」
八百段。九百段。
そして——千段目。
足が——平らな地面についた。
渓谷の底だ。
霧の中。何も見えない。でも、足元は平らな石の床。整備されてる。
「ガウ。前方、百メートル先に——建物がある。でかい。石造り」
百メートル先。
霧の中を歩いた。ガウルの鼻を頼りに。
五十メートル。
三十メートル。
十メートル。
霧の中から——輪郭が現れた。
灰色の石の塔。
でかい。今までの塔よりでかい。高さ四十メートルはある。幅も広い。渓谷の底いっぱいに広がってる。
そして——形が違う。
今までの塔は直方体か柱型だった。この塔は——
二つに分かれてる。
左右に分岐した、Y字型の建物。
入り口が一つ。中に入ると、途中で道が二つに分かれる構造が、外観からも分かる。
「……二股の塔か」
ガルドが見上げた。
「選択の塔、って博士が言ってたな。二つの道があって、片方を選ぶともう片方が閉じる」
『そうだ。この塔は——入った瞬間から、選択を迫られる。どちらの道を選ぶか。何を選び、何を捨てるか。それが、第六の塔の試練だ』
第四の塔(灰守の塔)は「捨てる」がテーマだった。
第六の塔は「選ぶ」がテーマ。
似てるようで、違う。「捨てる」は一方的な喪失だけど、「選ぶ」は片方を取って、もう片方を手放すこと。
何を選ぶか。何を手放すか。
入り口に——文字が刻まれてた。
──────────────────
この塔に入る者よ。
全ての選択には、代償がある。
得るものの裏に、失うものがある。
二つの道のうち、一つしか歩けない。
おまえは、何を選ぶか。
──────────────────
パカッ。
〝入るぞ〟
「おう」
「ガウ」
「うむ」
「はい」
「うん!」
俺は——扉に蓋を当てた。
蓋裏が反応。
──────────────────
第六の塔の封印術式を検出
通常解錠:塔守の資格+巫女の魔力
代替解錠:第一〜第五の塔を解放した者
* 代替条件を満たしています
解錠を実行しますか?
──────────────────
実行。
ゴゴゴゴ……。
扉が開いた。
中から——乾いた空気が流れてきた。霧のない、澄んだ空気。
入る。
マリウスより先に。
◇
【次回】塔の中。最初の選択。二つの道。そして——マリウスの部隊の足音が、渓谷に響き始める。




