19話 丑の刻参り
深夜――丑三つ時に白装束を纏い、藁人形へ釘を打ち込む呪術「丑の刻参り」
古くから“人を呪い殺す儀式”として語られてきたそれは、本当にただの迷信なのでしょうか。
※本作では、「丑の刻参り」という風習を、観測された現象として再解釈しています。
「お兄ちゃん、遅い!
ん?お兄ちゃん何かあった?」
3人に合流すると、美羽が何かあったことを察したのか修二の顔をきょとんとした表情で、少し不安そうに見上げる。
「時守さんと、会ってね…」
修二は美羽から視線を右下に逸らし、気まずそうに言った。
「時守さんって、あの日修二くんが掴み掛かった人だよね?
なにも…ないのよね。」
由美子は柔らかく眉を下げ、気遣うように視線を向ける。
「ああ」
短く答える声は、わずかに硬かった。
何かを押し込めるように、視線を落とす。
「そう、なら良かった。
どこに行く?」
由美子はそれ以上は聞かず、少し間置いてから、柔らかく微笑んだ。
「え?なにも…
聞かないのか?」
思わずそんな言葉が漏れた。
「だって、話せないことなんでしょ。
それにせっかく気分転換に来たのに、もったいないよ。」
「そうだぞー。
それに、話したくないことを無理に聞く必要もないしな。」
悠真は頭の後ろに手を組み、3人の少し前を歩きながら言った。
「美羽もお兄ちゃんに意地悪する人の話なんて聞きたくないもん。」
美羽は少し頬を膨らませ、ぷいっと顔を逸らした。
「……すまない」
修二はわずかに眉を寄せ、言葉を押し出すように呟いた。
「そういうときは、ありがとう。でしょ」
由美子は足を止め、修二の前に立つと、少しだけ頬を膨らませるように言った。
「ありがとう、みんな。」
修二は眉を寄せ、少し口角を上げて言った。
胸の奥に引っかかっていたものが、少し軽くなった気がした。
一瞬だけ、誰も何も言わなかった。
「よし!じゃあ行こう。」
由美子はすぐに表情を緩めると、くるりと背を向けて歩き出す。
その後ろを、美羽がちょこちょこと追いかけていった。
少し前を歩いていた悠真も振り返り、「おせーぞ」と手を振る。
ーー
修二たちはアミューズメント施設で、ひとしきり遊んだ後、美羽ちゃんを家に送った。
「今日はありがとうございます。
美羽もちゃんとお礼言ったの?」
母親はそう言って、美羽の背中を軽く押した。
「お兄ちゃん、お姉ちゃん、悠真もありがとう。
また遊ぼうね〜」
美羽は満面の笑みで手を振る。
「ああ、」
「うん、またね。美羽ちゃん」
「おう、じゃあな」
それぞれ軽く手を振りかえし、3人は帰路についた。
「あ、由美子さん
今日の夜時間ありますか?」
事務所への道すがら、修二は思い出したように声をかけた。
「ごめんなさい、修二くん
私今日は用事あるの。」
由美子は両手を合わせて、眉を下げて申し訳なさそうに言う。
「そうですか…仕方ないですね
今回の依頼は1人で行くことにします。」
修二はわずかに視線を落とし、小さく息をはいた。
「なぁ、修二
それ、俺がついて行ってちゃダメなのか?」
その会話に割り込むように、悠真が口を挟んだ。
「ダメだ!
由美子さんは助手として、俺が雇ってるから可能な日は同行してもらってるだけで、
本来は1人やるものなんだから。」
今回の仕事は危険な可能性が高い。あの事件に巻き込まれたばかりの悠真を関わらせるわけにはいかない――
「なら、助手として連れてってくれよ〜
普段修二がどんなことをしてるのか気になるしさ、
由美子さんもいいだろう?」
悠真は軽い調子のまま子供のように身を乗り出して頼み込む。
さらに、当然のように由美子へ視線を向け、同意を求めた。
「まぁ、修二くんはまだ左手が万全じゃないし
私はいいと思うけどな。」
由美子は人差し指を口元に当て、修二へ視線を送る。
「はぁ……
わかったよ。今回だけだからな!
それに…お前は大丈夫なのか?ほら、この前も急に帰ってただろう……」
修二はため息をつき、しぶしぶ同行を認めた。
それでも不安を拭えず、釘を刺すように悠真をじっと見据える。
「今日は大丈夫だ!
母さんが家にいるからな。」
悠真は片目を閉じ、親指を立てて自信ありげに笑った。
「なんだそれ……
まぁいい、10時に行くから用意しておけよ。」
修二は呆れたように肩をすくめた。
「了解しました。」
悠真は修二に向かってふざけたような敬礼をし、一度家に帰って行った。
その背中を見送りながら、修二はわずかに眉をひそめた。
ーー夜10時
ブォォォォ
エンジン音が夜道に響く。
カチャ
「はぁ、着いた。」
いつも通りバイクをレンタルして、悠真と共に山道の入り口までおよそ2時間。夜の空気が冷たく、周囲は静まり返っていた。
「なぁ修二お前いつもこんなに遠くまで来ているのか?」
悠真はヘルメットを脱ぎ、少し驚いたように尋ねた。
「いや、普段は心霊写真の分析か事故物件の調査とかだよ。
郊外に行く時は滅多にないな」
修二は肩の力を抜くように笑った。
「へぇ、そうなのか。
今回はどんな依頼なんだ?」
「この映像の人物の調査、まぁ見てもらったほうが早いか。」
修二はスマホを取り出し、雲母から送られた映像を見せた。
「え?これの調査かよ……
こいつ金槌みたいなの持ってないか?
それに追いかけてきてるし、こんなヤバいやつの調査なのかよ……」
悠真は眉をひそめ、わずかに目を見開く。
その声には隠しきれない怯えがあった。
「まぁ本当に危ないやつならあの時みたいに逃げればいいさ
今回は手ぶらじゃないしな。」
ポケットからスリングショットを取り出し、手のひらに乗せて見せた
「なんだよそれ、パチンコか?」
「スリングショットな。これで、」
「これで襲われそうなら、相手に打ち込むってわけか!」
「違うよ。
そんなことしたら犯罪になるだろう。
変なやつに遭遇したら、その辺にある石とかで気を逸らしてる隙に逃げられるだろう?」
修二は少し困ったように眉をひそめ、悠真に言った
(それに今後口裂け女のような危険な影に関わるなら、逃げる手段はいくつあっても足りない……)
「あーそういうことか
さすが修二だな。」
「そうでもないよ。とりあえず行こうか。」
2人は映像が記録されている場所まで行くため、山道を上がって行った。
ーー山道の道中
山道は街灯一つなく、電波も届かない。
道はライトがないとまともに歩けないほど、凸凹で最低限道として舗装されている程度だった。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ修二
少し休まないか?」
30分ほど歩いたころだろう、悠真が根をあげ出した。
「映像の目的地まであと少しなんだ
頑張ってくれ。
それに、あの日はあんなに走り回ってたじゃないか。」
修二は悠真に容赦なく、歩みを進めようとした。
「いや、あれは緊急時で……
状況が違う。はぁはぁ……」
悠真は大きく前かがみになり、膝に手をついたまま荒い息を吐く。
「はぁ、わかったよ
少し休もう。」
修二は小さくため息をつき、肩の力を少し抜いた。
「ありがとう、助かるよ。」
悠真はその場に腰を落とし、座り込んで息を整える。
しばらくすると--
コン!……コン!……コン!
と遠くから何かを打ち付けるような音が聞こえる
「なぁ、修二この音って……」
「ああ、多分あの音だ。
悠真はここで休んでてくれ、
俺は少し見てくる。」
悠真を残し、音のする方へ歩みを進める。
「ちょ、なに考えてるんだよ。
明日でも良いじゃんか
調べるだけなんだろう?なら、こんな危ない目に会う必要はないだろう。」
真剣な顔で修二の腕を掴んで言った。
「……」
悠真の言うとおりだ。でも、影に関係があるとしたら、調べないわけにはいかない……
「なぁ、悠真
何かあればすぐに引き返すから行かせてくれ。
絶対に危ないことしない。約束する。」
修二は音のする方から目を逸らさないまま静かに言った。
「…わかった。止めても行きそうだしな。」
悠真はしばらく黙ったあと、掴んでいた腕をゆっくり手を離す。
「俺はここで休憩してるから絶対に戻ってこいよ。」
釘を刺すように言い、修二の背中を見送った。
「ああ、ありがとう。」
修二は後ろを振り返ることなく暗い森の中へ歩みを進めた。
ザァ、ザァ、ザァ
木々の擦れる音だけが、静かな森に響いている。
ライトを消し、気配を殺すようにゆっくり歩いていく。
足元に神経を集中しながらゆっくりと音のする方へ近づく。
木の何本かには、鋭い何かを打ち込み、抜かれたような跡が残っていた。
「一体何をしていたんだ…」
修二は低く呟く。
コン!…コン!と一定の間隔で鳴り響くその音に導かれるように歩みを進める。
「なんだよ、これ…」
夜目にも慣れてきたころ-
ようやくそれの正体が見えてきた。
そこには、藁人形に釘が打ち付けられていた。
しかも、一つではない。
いくつも藁人形の顔には、人の写真が貼り付けられていた。
「おい、これって」
思わず声が漏れる。
藁人形のいくつかは"影"が纏わりついていた。
だが、今まで見てきた影とは明らかに違う
重く濁ったような黒、纏わりついているというより、染み込んでいるような-
そんな、気配があった。
影が纏わりついているものは、どれも刺された場合、致命傷になる箇所ばかりだった。
心臓、目、喉、
同じ場所を、何度も何度も叩きつけるように打ち付けられている。
中には刃物で顔写真そのものを引き裂いているものまであった。
「気持ち悪い…」
思わず喉の奥が引きつる。
(人ひとりが、ここまで憎悪を抱けるものなのか?)
吐き気が込み上げる。
(たぶん、間違いない…)
しかもかなり長期間、続けられている。
コン…コン!
響いていた音がふいに止んでいた。
「あのーすみません、
誰かいますか?」
暗闇から男性のこの空間に似合わない丁寧な口調が響き渡る。
足跡が近づく……
まずいバレたか?あいつは目撃者を決して逃さないだろう。
どうする…
心臓が早鐘のように打ち始める。
修二は自分の胸元に違和感を覚え、胸ポケットに手を差し入れた。
「そうだ…」
これで意識を逸らせれば!
胸ポケットからスリングショットを取り出し、
修二は足元の小石を拾い上げる。
遠くの木に狙いを定めて、ゴムを引き絞る。
-放つ。
カン!カン!…カン!
乾いた音が森に響いた。
近づいてくる足音がぴたりと止まる。
「…そっちにいらっしゃいますか?」
ザァ、ザァ、ザァ、
足音が遠ざかっていく。
その隙に木の影からそっと覗き込むと月明かりに照らされた男の背中が見えた。
白装束に身を包み、右手には金槌、左手には釘を持ち、裸足で森の中を歩いていた。
-間違いない。
そのとき、男が立ち止まり、ゆっくりと辺りを見渡す。
「すみません、どなたか、いますか?」
悪寒が走る
まずい、気づかれたか?
心臓の鼓動がさらに早くなる。
男がこちらに向かって歩き出す。
「そちらにいらっしゃいますか〜?」
その瞬間-
ザザザ…
と遠くで何が動く音がした。
「やっぱり〜こっちかな?
すみませんー!」
ザァ、ザァ、ザァ、
歩き去る音を確認し、そっと胸を撫で下ろす。
服装と言動からしてほぼ間違いない
丑の刻参りだ。
捕まれば--きっと殺される。
(早く戻らないと…)
音を立てないように慎重に悠真の元へ戻る
そのとき-
「…まさか」
藁人形に貼られているのは、雲母さんの写真だった。
まだ傷ついていないけど、このままではまずい。
(早く伝えないと…)
修二は足音を殺しながら、急ぎ悠真の元へ戻った。
ーー山道
「あ、修二
遅かったな」
山道には悠真が未だ座り込んで修二を待っていた。
「まずい、悠真早く逃げよう
なるべく、音を立てないように慎重に行こう」
修二は声を潜め、短く言った。
「だから、言っただろう……」
悠真は小さく呆れたように呟く。
「ああ、すまない…」
返す言葉もない…けど今はそれどころじゃない。
なるべく音を立てずに山道を駆け降りる。
足元の石が転がるたびに、心臓が跳ねる。
ようやくバイクに辿り着き、鍵を差し込んだ。
カチャ
ブォォン!
「よし!早く行こう」
「ヤバい、急げ!」
悠真が後ろを振り向くと白装束の男がこちらに向かってきていた。
「すみませんー!
待ってくださいー!」
夜道の奥から、白装束の男が金槌片手に距離を詰めてくる。
「ああ、行くぞ!」
キュルキュル!キュルキュル!
「くそっ…エンジンが!」
「悠真!落ち着いてかけろ!」
「あーわかってる!」
「すみません!
待ってください!」
距離がみるみる縮まっていく。
ブォォン!
「かかった!修二!」
「ああ、いくぞ!」
ブォォォン!
「待てや!糞どもが!」
男の怒号が夜に響く。
俺たちは男の怒号を背に、バイクを全力で走らせた。
ミラーには月明かりに照らされた男の顔
その目を、俺は忘れられなかった。
殺意と憎悪の混じったあの目を……
ーー翌朝
いつもの事務所での雰囲気にそっと胸を撫で下ろす。
「はぁ、昨日はヤバかったな」
悠真はどこか楽しげに昨日の出来事を振り返る。
「ああ、本当に焦ったよ」
軽く目を伏せ、コーヒーを口に運ぶ。
「待って、修二くん……
もしかして、また危ない目に?自分から?」
お茶を入れている由美子の手がぴたりと止まった。
「いや、その不可抗力といますか、俺も悠真も悪気はなかったんです。」
修二はコーヒーを飲む手を止め、慌てて言い訳をする。
「そんなことは知ってます!
あの時もそう、なんで自分から危ないところに行くの!」
目は鋭く、修二を睨みつける。
ピンポーン!
部屋にチャイムが鳴り響く。
「あ、きっと依頼人の雲母さんですよ。
昨日のこと聞きにきたんでしょうね。」
由美子さんの視線から逃げるように立ち上がり、玄関へ向かう。
「はーい」
ドアを開ける。
そこに立っていたのは、真鍋ともう一人の男だった。
「真鍋警部補、急にどうしました?
それと、そちらにいるのは…」
「はい、佐野と言います。
巡査です、よろしくお願いします。」
「はい、よろしくお願いします。
それで要件は…」
空気が、さっきまでとは違う。
「先日、雲母さんが刺殺されました。
直近で雲母さんが訪れた場所へ聞き取り調査をしております。協力できますね?」
「は?」




