第九話 されど不幸の星の下・1
幸せになんかなっちゃうと音楽なんて作れない。でも、ミュージシャン自身が幸せじゃないと音楽で人を幸せになんてできない……。
――悩ましいところですね。
ただ、リスナーとしての視点とクリエイターとしての視点と、あと生活者としての視点はそれぞれ違う。違うのが当たり前なんですが。そしてたぶんおれは……音楽が、何よりもの最優先事項ではない。
――生活がかかってますからね。
そう。生きていかなくちゃいけないですからね。本当に。
「海川さーん」
久しぶりにすずかけにやってきた史生にそう挨拶して、栄吉はそちらへと向かっていく。それまで話していたゆかりは入れ替わろうと思い事務室へ入っていった。
「お久しぶりです」
「久しぶり~。元気だった?」
「元気でしたよ。木下さんたちは?」
「相変わらずです。利用者さんが次々にちらほらと増えたりしてます」
「それは良かったです」
と、史生が椅子に座ったので、栄吉もそうする。
「お子さんは?」
「二歳になりました。そろそろ育休も終わりだし、リハビリ的にちょっと来てみました」
「じゃ、あんまり長居はしないわけだ」
「そうですねぇ。誰かいるかな~? と思って来ただけですし」
「真っ昼間だし、今のところぼくしかいないです。直亮くんはお家だし、丈くんは仕事だし。ああ、そういえば一志くんがすずかけやめちゃいました」
「小説家になったんですってね。川上さんから聞きました」
「そうなんです~ぼくも頑張らないと」
「今日は、お仕事は」
「お休みです。ぼくが休んだんです」
「お仕事は、どうですか?」
「うーん」と、栄吉は腕を組む。「やはり”普通の会社員”というのがね」
「ダメですか?」
「単純に純粋に、合ってない。いつも言ってましたけど」
「合う仕事が見つかるといいんですけど」
「だからミュージシャンにしておけば良かったのになぁ」
対話が始まるだろうかと史生はやや身構える。
「病院の方はどうですか?」
「順調ですよ。最近、調子が良くて」
「話とかも」
「でも、やっぱりゲイ関連の話はダメですね」
「ダメですか」
「およそあらゆる話でキャッチボールができる先生なのに、こと同性愛のことでは何もできなくなります。恋愛とかセックスとかに関する話だから、自分にもできるだろうと思っちゃうっていうのは万人にあるあるなんですが、先生よお前もかと……」
「わたしも対応できてなさそうですね」
「でも、多少人間不信の方が自立できます」
「そうですか?」
「自分を助けてくれる役割を担っているからといって、必ずしも助けてくれるとは限らない。それはあのA型職員どもの功績」
本格的な対話の気配を感じたので史生は完全に仕事モードに入った。
「就労支援の職員さんとトラブルがあったって話を聞きましたけど」
「そう。利害関係のある人に助けてもらえないぐらいなんだから、利害関係のない人に助けてもらえなくても当然なのかなって。――でも、そう思っていたら、まあいっかとか、自分は自分とか、あるいは他人のことをいちいち気にするとかはなくなるのかなって」
「誰かに助けを求めると、助けてもらえなかったときにその人のせいにしちゃいますし」
「そこまでいって、ようやく”自分を助けられるのは自分だけ”ってなるんでしょうね」
「そこに中途半端に到達して、自分が他人に助けられているって自覚のない人もいますけどね」
「だから――ぼくが音楽ができなかったのは、音楽の学校に行かせてくれなかった親のせいっていう客観的事実より、家出をしなかった自分のせいだって、そう極端なことを考えようと思う」
「極端ですね」
「十九歳のときに、生まれて初めてデモテープを送ったことがあるんです」
「凄いじゃないですか」
「でも、レコード会社に届かなくて。確認したら届いた形跡がないって。だから郵便局に調べてもらったら、行方がわからないって。だから会社の電話番号を控えたからお教えしましょうかって」
「凄い」
「でも、聞かなかった。電話、しなかったんです。東京の大企業に電話をすることが怖かったから。だから結局――音楽の才能なんてなかったのだろうな」
「そうとは限りませんよ」
「それこそ、六十曲もストックがあるのなら毎週のように送れば良かったんです。二曲入りを毎週送ったら半年間送れて、っていう」
「それは、病気が絡んでたからできなかったんでしょう?」
「煙草だってそうです。シンガーとして、ぼくの場合明らかに禁煙した方が歌えるっていうのにやめられなかった。海川さんは?」
「わたしはやめました。妊娠をきっかけに」
「だから――そうすれば、親を憎む気持ちが今後どうなるかはわからないけれど、少なくとも親と音楽を切り離すことはできる」
「できますか」
「それだけでも、充分救いになる」
「救われるなら何より、だと思いますよ」
「でも、ちょっと……ちょっとだけ、寂しいかも」
「寂しいですか」
「親をただのおじさんとおばさんであり、一生をかけてまで戦う相手ではないと思えば思うほど、自分が普通の、特別でも何でもない、平凡な、ただの自立した一人の人間であることを自覚していく……」
「それが大人になるってことなんでしょうか」
「でもだからこそ、ちゃんと、クリエイターになれそうな気はします」
「なれるといいですね。応援しています」
「ところで海川さん」
「はい。何でしょう」
というわけで、二人は別の話題に移っていく。気がつけば連日の欠勤のストレスに苛まれていた栄吉は落ち着いていた。




