第八話 忘らるる想い・4
「ところで諸君。期末の勉強の方はどうなっているかね?」
演奏を終え、感想を言い合っている中、突然純輝がそう言って、しかし純輝の性格はみんなある程度分かっているのでまず雅哉が答えた。
「ぼちぼちかな」
「天才少年には聞いてない」
「酷いな猪瀬くん」
「いやでも古屋ならどうせまた一位だろう」
「そんなことはないよ。試験はコンディションも運の要素もあるし、また一位が取れるかどうかなんてそのときになってみないとわからないよ。それこそ猪瀬くんだってそうなんだよ」
「うう。それは同意だけど」
「二人とも上位だもんね」成績優秀者の二人の言い合いを聞いていて、亜月はくすくす笑った。「わたしは頑張らないと」
「小津野は壊滅的でも何でもないじゃないか」
「大和田くんは壊滅的?」
「まあ、まあ、まあ。瀬戸は?」
「おれは壊滅的だよ。三人の頭脳と知性がマジで欲しい」
「でもさあ。そうは言うけど、瀬戸も大和田も、二人とも体育とか家庭科とかはばっちりじゃん。音楽も美術もさ」
「それが何だって言うんだ」
という理一に、純輝は笑いながら、しかし真剣な表情であった。
「その辺で上位っていうのは、生活をする上で無視のできるものではないだろ?」
理一は困ってしまった。
「そう言われても……何と言ったら良いのやら」
「いやでも真面目な話、おれたち、最終的には数学とか国語とかじゃなくて、働くってことをしなきゃいけないわけだしさ」
「おいおい猪瀬。ぼくの存在理由を否定しないでくれ」
はは、と笑う優作に、純輝は言う。
「否定はしてないけど、当事者本人が笑ってるのがいい理由でしょう」
「数学的思考は大切だし、国語力がある程度ないと社会では生きていけない」
「でもなるようになるでしょ。先生は成績良かったの?」
「それは~……」
ちょっと答えに窮してしまった優作を見かねて、雅哉はちょっと質問してみた。
「先生はどうしてミュージシャンにならなかったんですか?」
「え、どうして?」
「いやだって。今の反応だと、成績はさほどだったようですし、せっかく音楽ができてたなら目指してもいいのにって」
「まあ、そもそもそんなに夢見てたわけじゃないっていうのもあるけれど……」しかし素直な感想を優作は言った。「音楽じゃ稼げないからねぇ」
「え、そう?」
と怪訝そうな顔をする純輝に、優作も怪訝そうな顔をした。
「成功できるのは一握りだ。サザンとかミスチルとか」
「う~ん。そういうウルトラモンスターは無視していいと思うんですけどね。年収三百万のミュージシャンを目指すとかで良かったんじゃないの」
「そんなに甘い世界じゃないよ」
「日置航也とかは? ローカルだし、それぐらいなんじゃない?」
という亜月に、理一は反駁した。
「いや。日置航也は地元の人間なら、少なくとも名前を聞いたことはあるというレベルだし、何といってもラジオの冠番組があるぐらいだから、もしかしたら年収四桁を超えてもおかしくない」
純輝はびっくりした。
「えっ。そんなに稼げるの? それじゃ全国区のメジャーアーティストより稼げてるんじゃないの」
「そう思うよ」
「へえ~。じゃあチャートとかランキングとかそういうの目指す必要はないね」
理一はちょっと考えた。
「何を大切にするかだろ。金よりも幅広く万人に自分の音楽を届けたいっていう場合、やっぱりローカルは不利だよ」
「日置航也は最近子どもが産まれたって言ってたし、もう挑戦はできないだろうしね」と、雅哉がうんうんと頷きながら言った。「やっぱり生活が大切だよ」
「もちろんだ」
「おいおい古屋。瀬戸も……」と、優作は二人をたしなめた。「生活が大切なのは何よりだけど、高校生なんだからもっとチャレンジ精神を持たないと」
「え――先生は、チャレンジしなかったんでしょう?」
純輝にそう言われ、優作はちょっと困ってしまった。
「それはそうなんだけど」
「矛盾を感じる」
「大人は矛盾しているの」
「でも、先生は、先生をやりたかったんでしょう?」
という剛に、うーんと優作は唸ってしまった。
「違うんですか」
「いや。最終目標ではあったけれど。それはそうなんだけど。教師になりたくてなりたくて仕方がなかったというと、それは、難しいな……」
「先生は”先生”、楽しくないの?」
という純輝に優作は首を振った。
「そんなことはないよ。やりたいことであったのは間違いないし」
しかし”やりたくてやりたくて堪らなかった”仕事ではないのも間違いなかった。だが教師としてもちろんそんなことを生徒には言わない。
「う~ん……おれは何をやりたいんだろう?」
話題を変えなければならないと思って優作は言葉を返す。
「やりたいことをやればいいじゃないか。ここは進学校だけど、一流大学が全てじゃないんだよ。教師がこんなことを言うのもあれだが」
「やりたいことねぇ……とりあえず大学には行くとして。そのための努力はしてるけどね」
「それなら何よりだ」
「古屋なら東大か京大か?」
「ぼくは農学部」
「ああ、それいつも言ってるね。まあ古屋なら自分次第か」
「どうだろう……たぶんそうはならないと思うけど、親がお金を出してくれない可能性はゼロではないんじゃないかなんて」
「そりゃないでしょ」
「ないとは思うけど、これだけ期待されてると考えてしまうんだ。かといって全部自分の努力だけで大学には行けないだろう?」
「あ~まあね。学費を丸ごと全部稼ぐっていうのはリアリティないね。奨学金は返さなきゃいけないしね。あ~。そうだな、やっぱ親には感謝だよなぁ」
「そう思うね。親が学校に行かせてくれてるんだし、そもそも生活させてもらえてるんだし……」
「二人とも、なんか、立派だね」
「小津野さんだってそう思うだろ」
「思うけど、でも、わたし、二人の話聞いてて、世の中そこまで自分次第努力次第ではないんだなって。自分が高校に入れたのは自分が勉強したからだなんて思ってて、なんか反省っていうか。大人だなって」
「受験自体はおれも苦労したし、ここにいる全員苦労したわけだけどね」
「それはそうなんだけどね」
「小津野さんも、もし今後何かやりたいことがあったら、それができたらいいなぁ」
「それは親次第……って言っちゃうのが、ちょっと苦しいけどね」
「うー。心臓のことは気をつけるしかないものなぁ。だからその上でってことだけど。でも小津野さんのやりたくない仕事をしてもしょうがないじゃん? ねぇ先生? あれ先生、どしたの」
先日からずっと気になっていたこと、なぜか気になっていた”何か”が、この五人の会話からようやく気づくに至った優作だった。
「いや、何でもない。みんないろいろ考えてるなぁって」
「だって生きているんだもの」
純輝のその返答に、気づきはいよいよはっきりした。
本当は音楽の学校に行きたかったのよね。
ずっとそんなことを言っていた兄のことを、自分は気にしているのだ――と。




