第八話 忘らるる想い・3
「古屋くーん」
と雪尋に呼ばれ、雅哉は、はい、と答えて診察室へと入っていく。
「よろしくお願いします」
「どうぞ」
「はい」
雅哉は椅子に座る。
「どうですか?」
「いい感じです。学校は楽しいし、バイトは楽しくないこともあるけど苦痛ではないし」
「人間関係は?」
「みんな親切です。親も兄弟も友達も先生も。不満はないです」
「恋愛は?」
「好きな子と一緒にいるのは楽しいし。話を聞いてくれる”先輩”もいるし」
「ばっちりだね」
「でも、こないだ」
「うん」
「友達に――バンドのメンバーなんですけど。男同士で好きって言うのは気持ちが悪いなんて言われちゃって」
「残念だったね」
「それが結構、引っかかってて」
「引っかかるだろうさ。君を気持ちが悪いって言われたことになるのだから」と、パソコンから画面を外して雪尋は雅哉と向き合った。「結果的に」
「でも、仕方がないんでしょうね」
「仕方がないだろうね。男同士が好きって言うのを気持ちが悪いと思う人を止めることはできない」
「ちょっと難しい、という感じなんでしょうか?」
「難しい、というのは、頑張ればできる、ということだ。その友達がどうかはさておき、無理なものは無理だよ」
「その子には、発達障害の弟がいるんです」
「だから?」
「分かってもらえなくて残念だなって。形は違えど同じマイノリティなのに」
「発達障害に関しては分かってもらえるかもしれないけどね」
「IQが十違うと話が通じないって言うじゃないですか」
「科学的な話というより、経験則の話だけれど」
「いえ、その子とぼくのIQがどうとか、そういうことではなくて――でも、そういうことって、あるのかなって。チャンネルが合わないっていうか……ぼくはどうも、昔から、相手と話が通じなくて困るっていうことがあって。その子に同性愛の話が通じる可能性はもしかしたらあるかもしれないけど、その相手がぼくでは通じるものも通じないんじゃないか、って」
「IQが十違うと話が通じない、というより」
と、雪尋は机に両肘をおいて顎に手をやる。
「はい」
「ものの考え方や持っている知識、あるいは抽象化のレベルにある程度距離があると、会話のコストが急激に上がってしまうんだよ」
ちょっと考え、すぐに雅哉は反応する。
「例えば、数学が得意な人同士なら”群論”という言葉が通じるけれど、みたいな」
「そういうこと。そうじゃない人には何を言っているのかさっぱりわからない。だからわかるように説明する必要がある。それはやっぱり、ざっくり言えばコスパが悪いんだね。わかりやすく伝えようと、思えば思うほど、情報量が多いことであればあるほど、通じなくなる――」
「わかりやすく説明できたらいいなとは思いますが」
「ただ大人ならある程度の努力をする必要があるのかもしれないけれど、いくら賢いとはいまだ高校生になったばかりの君に”相手に分かるように分かりやすく話す”というのは相当酷だろうと思うよ」
「その子は……何となく、話せば分かってくれそうな気はするんです。きちんと話をすれば」
「期待はしすぎない方がいい」
「期待というより、予測として、分かってくれるんじゃないかって」
「君次第、とは言えないね」
「親に対しても、将来は農業をやりたいんですけど、それも分かってくれそうな気はするんです。予測として。最終的には分かってもらえるはずだと思うんです」
「それも君次第とは言えない」
「でも、いくら実力や才能があったところで、本人にやる気がなければしょうがない」
「あるいは、いくらやる気があっても、実力や才能がなければ、どうにもならない」
「そういうのは育てたり鍛えたりっていうことはできないんでしょうか」
雪尋はまっすぐ雅哉を見つめる。
「それは、君次第だ」
やっぱり農業がやりたい、と、強くそう思う雅哉だった。




