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フォレスト  作者: 横谷昌資
第四部 または寂しさの輪郭(かたち)
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第七話 約千をこえて・2

 今の若者は社会の歯車になんかなりたくない、と言うけれど、実際には、社会の歯車にすらなれない人がたくさんいます。

 かつて母が生きていた頃、母方の親戚と毎年新年会をするという習慣が我が家にはあり、あるとき挨拶で叔父の言っていたセリフを栄吉は今でも覚えている。

 もちろんよくある今どきの若者はという説教に過ぎないのだが、しかし栄吉は、なるほど、と頷いていた。

 栄吉は音楽で社会貢献がしたいと思っていた。音楽をすることで世の中の役に立ちたい。音楽をやることとそれで世の中の役に立つことが具体的にどのようにリンクするのかはよくわからないというのが正直なところではあったのだが、しかし、何らかの形で社会にとって有益な存在になりたかったし、つまり歯車の一つとして生きていたかった。

 だから、あのセリフが、もし、ミュージシャンなんてそんな甘い夢を見るのはやめて現実的に生きて社会の歯車になれ、という意味だったのなら、やはりあの叔父も、引いては血族の連中は、やはり誰も自分の話になど興味がなかったということなのだなと栄吉は強く思う。


 普通の四年制の大学に普通に行って普通の会社で普通の正社員として普通に就職してほしい。

 実際にそのようなセリフを何度も言われてきた栄吉だった。

 しかしそれが自分にとっては到底実現不可能なことだったのは動かせない。

 栄吉にとっては”普通の会社員”というのはあり得ない非現実的な夢であった。

 それは、日々同じことを同じリズムで繰り返す、ということが、とんでもなく難しいのだ。

 今、勤めている就労支援A型はとても素晴らしい職場だった。作業内容、仕事内容は自分に合っているし、職場環境も待遇もいい、人間関係にも恵まれていると思っている。それを言うなら五年前に脱引きこもりしてから働いてきた様々な会社も、今となってはどこもかしこにも同じような感想を抱いているし、誰も彼もがいい人たちだったと思える。自分でそう思えるのだ。

 でもダメなのだ。

 朝、決まった時間に起床し、準備をし、決まった時間に家を出て、職場に着き、一定時間働き、帰宅する、という一連の流れが自分の中でどうしても定着しない。一定のルーティンで動くということが栄吉にはとんでもなく難易度の高いことなのだ。

 だから、生々しいリアルの生活を考えたときに、自分にはミュージシャンが適切だと思った。具体的なミュージシャンのライフスタイルまでは実際になってみたことのない栄吉にはよくわからないところではあるのだが、しかし少なくとも自分のスタイルを基準に考えれば、例えば作曲をする日、作詞をする日、歌を歌う日、タレントとしてトークをするとか、そういった変化のある日常を過ごすことになるのではないだろうかと思った。少なくとも毎朝決まった時間に起きなければならないという制約はないのだろうと思っていた。

 それが自分にとって働きやすい働き方だと考えていた。

 今の職場、この五年間の職場たちがどれだけ良い職場だと自分自身でそう思えていても、”合っていない”ものはどうにもならない。”向いていない”ものは、どうにもならないのである。


 だからミュージシャンにしておけば良かったのに。


「音楽なんてそんな夢みたいな話はもうやめよう」

「音楽じゃ食えないからねぇ」

 ……栄吉が音楽を諦めたのはもちろん血族のせいではないのだが、しかし会う度に何かを言われる度にモチベーションを削がれていたのも事実である。

 ただ、リアルな目的のもと音楽を夢見たのと同じように、リアルな目的のもと、音楽を諦めた。


 発病のきっかけとなった”例の事件”も大いに関係はしているものの、もっと現実的かつ実際的な理由だった。

 音楽って、何だかんだ若い人たちのもの。

 もともと頭によぎっていたことではあるのだが、四十歳になっていよいよ実感するようになった。

 具体的な何かがあったわけではない。

 ただ、それが”おじさん”になった、ということなのだろうと今では思う。

 音楽という商品は、主として子ども若者をターゲットにしている。大人になってから新しいスターの音楽を聴く、ということは、もちろん想定されていないわけではないにしろ主なマーケットとしては扱われていない。演歌や歌謡曲といったジャンルならまだしも、自分のやっていたロックを”おじさん”が新しく聴くことになるとは思えなかった。

 だから、自分のお客様となるのは基本的には若い人たちだと思った。

 それが四十歳をとうに超えた自分にはとても叶えられる気がしなかった。

 十代や二十歳そこそこで活動開始し、そして四十歳になっていく、というのとは違う。そういう場合ファンもリスナーも年を重ね大人になっていくからこの人たちはスーパースターなのである。しかしもう四十歳を過ぎた自分が今さらロックの世界でニュースターとして活躍できるとはとても思えなかったし、それこそ非現実的な夢想物語にしか思えなかった。数年前から新山一斗というアラフォーのミュージシャンが活動を開始したが、誰もがアラフォーで成功できるわけではない。新山一斗が成功しているのは新山一斗だからであって、それ以上でもそれ以下でもないのである。

 しかし四十歳まで、ざっと三十年間、およそ音楽しかやってこなかった栄吉には、それを諦めたあとどのように生きていけばいいのかを考える必要があった。”普通の会社員”が無理なのはわかっている。それではどうすればいいのか。あるいはそれは音楽の延長線上にある何かか――と考えたとき、小説を書いてみようと思い至った。もともと十代の頃、音楽ほど本格的ではないにしろ音楽と並行して夢見ていた職業であったし、音楽一辺倒になってからも趣味として設定を考えてきた日々が栄吉にはあった。というわけで何となく小説を書いてみたら意外と何千文字も書くことができ、それをWeb小説投稿サイトにアップロードしてみたらなかなか反応がもらえたのでこれはいけるのではないかと手応えを感じ、そして今栄吉は日々小説を書いている。

 小説家という仕事は、いくつになっても目指せるという極めて珍しい仕事だ。なぜなら小説のターゲットは老若男女を問わないから。もちろん商売をする以上はメインターゲットを定めなければならないが、しかし例えば少女漫画愛好家の中年男性などいくらでもいる。つまり小説家という仕事はその分、音楽よりマーケットが広い。それなら今からでも、四十歳をとうに過ぎた自分でも目指せるかもしれない。そう思って日々執筆していると、ちらほらと感想がもらえたり評価がもらえたりして、自分は”いける”のではないかと強く思うようになっていく。

 だから自分は、絶対に小説家になってみせる。

 だからぼくは、絶対に、働いてみせる。


 もう決して「いち労働者としての生活」を血族の連中に奪われてなるものか。ぼくは連中を絶対に許さない。許さない。たとえこの先、小説家になることができたとしても、ぼくは連中を永久に憎み続ける。ぼくの人生を返してくれ。返してくれ。

 ぼくは連中に”働く”ということを奪われた。それはすなわち、”生きる”ということを奪われたということだ。

 だからぼくは――絶対に、働いてみせる。

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