第五話 腹ぺこの果ては・4
「だから結局、『今、何の話をしているのか?』という話だから。おれのお客様にも小説家をやってるって人ちらほらいるけど、クリエイターとしての話と人間としての話だと考え方が違ってくるって話題にときどきなるしね」
ファミレスで食事をしながら栄吉は自分の唯一のゲイ友達である文彦とコミュニケーションを取っていた。
「おっしゃる通り」
「前提の共有が大切っていう、そういう話だよ。金の亡者と言われてもそれは友達の言うように言ってろって一蹴していればいいのさ。まあもちろん、そんな攻撃なんかを君が受けないのが一番だけど」
「ありがとうございます」
「いえいえ」
文彦は五年前マッチングアプリで初めて出会ったゲイであり、しばらくやり取りをしたのちリアルで会い、その当日にセックスをし、つまり栄吉の初体験の相手であり、そしてそのあと友達になった、美容師をしている五十代の既婚者である。今は体の関係は一切ない。
文彦としては「セックスした人と友達になったことはないから不思議な感覚」とのことだったが、栄吉の友達然とした態度から今では自分たちを繋げているのはあくまでも友情だと文彦も思うようになっていた。そんな文彦の感覚が栄吉からすればむしろ不思議だった。たかだか一回や二回セックスした程度で友達になれないというのは潔癖すぎるのではないかと思っていた。しかしどうやらそういう発想の自分は少数派のようであり、大部分のゲイは何だかんだセックスを特別なものだと捉えているようで、ということを文彦とのコミュニケーションから学んだ栄吉は自分の倫理観は壊れているのではないかと多少心配したことがある。
だからあのとき一夜を過ごしたあの子も、自分と違って相当ショックだったんだろうな、と、今ではそう客観視できるようになっている。
「前提の共有ですか」
「そう。議論をする上では無視できない」
「この間YouTubeで、ショート動画なんですけど、死刑囚の人権についての討論番組の切り取りが流れてきたのですね」
「また燃えそうな」
「リベラルっぽい人が、どんな人にでも人権は保障されているのだから、だからその上で処理すべきみたいなことを言ったのですね」
「燃える燃える」
「そしたらご家族を殺されたご遺族の方が相当キレそうになっていまして」
「一方は”構造”の話をしていて、一方は”具体例”の話をしているわけだから、分かり合えないのは道理だ」
「切ないことよ」
「そうだね。でも仕方がない。おれだって家族が殺されたら絶対にこんなことは言っていられないだろう」
「それにしても私たちは普段、感情論は何も生み出さないとか、冷静に論理的に思考するのが大切とか言ってるのに、死刑制度の是非とかになると途端にみんな感情論者になるのよね。そういうときはロジカルシンキングが残酷な人間の所業のよう」
「人間なんてダブルスタンダードなものさ。マルチスタンダードでちょうどいいぐらいだ」
「一貫性があるっていうことと、融通の効かない頑固者であることはどう違うのだろう」
「そういうことだね」
「またまた血族の連中の話なんですがね」
「はいはい」いつものことだった。「どうぞ」
「ぼくの同い年のいとこも音楽の学校に行きたかったらしいんですよね。まあそいつとはもう二度と会うことないといいなと願ってますけど」
「はいはい」
「だから、彼の親は、ぼくの”チャレンジぐらいしてみたかったな”という気持ちすら、わかるわけにはいかなくなっているのだろうなって。自分が子どもの夢を奪ったという事実に目を向けたくて仕方がないから。そのためにはぼくをいくら殺しても構わないと思っている……」
「でも、それは栄吉くんには関係のないことだ」
ふう、と、軽くため息をつく。
「不登校だからしょうがない。病気だからしょうがない。思春期だからしょうがない。ヒキニートだからしょうがない。そう言って、誰もぼくと真正面から向き合ってくれなかった。確かに彼らは前提を共有していたけれど、その前提こそが狂っていた――っていう、すみませんねぇいつも同じ話ばっかりで」
コーヒーを一口飲んで、しばし考え込み、やがて文彦は言った。
「おれも孫のできる年齢まで生きてきた中、家族と折り合いの悪い人たちっていうのにたくさん出会っては別れてはしてきたけれど、どうもみんな、不健康なんだよね。きちんと話をしないとか、大事なことに向き合わないとか」
「している、と言うかもしれないなぁ、あの連中なら。少なくともそのつもりでいてそう」
「だからお前の被害妄想だってね」
「言いそう言いそう」
「だから――そういうことだね」
「まさにまさに」
「論理基盤が異なっているわけだから、あなたたちが分かり合うのは相当な奇跡であろう」
ふと栄吉は、あなたたちとは誰のことを言っているのだろうと思った。
「まあ、そうですね」
「相手に歩み寄ろうっていう努力が見えないのは良くないし、自分の意見を分からせようって姿勢ではむしろ分かってもらえないし」
「だから、仮にお互いに、自分なりにそれなりに努力をしても、それでも根底の部分でどうしても融合できないのであれば、それはもう一緒にいるべきではないんでしょうね」
「もちろんビジネスの世界だったり、あるいは差別とか戦争とかっていう複雑な要因の絡むあるいは社会的な話だとまた違ってくるだろうけど、基本的な人間同士の営みとしては『では、さようなら』でいいんじゃないかな。相手のことが気に入らないから攻撃をするなんて愚の骨頂」
「あるいは、最低限の付き合いとかかしら」
「さよならをベースにね。『もう、いい』――みたいな」
栄吉は脱力した。
「人間界って大変だなぁ」
「でも案外、猫は猫で大変なのかもしれないよ」
「猫はのほほんの世界で生きているものだと思いたいものだ」
ふふ、と二人で笑い合う。
「……でも」
「ん?」
やがて栄吉は、祈るようにこう言った。
「それでも、努力は大切なんじゃないかって、そう思いたいものだ」
その言葉を聞いて、文彦は完全に同意する。
「そうだね。おれもそう思いたいな」
その”努力”が、果たして自分にとってはどんな努力なのかは、わからないけれど。




