第五話 腹ぺこの果ては・3
土曜日の夜。
「――だからさ。やっぱり何だかんだ言って、”普通の人”じゃないと小説家なんかやっていけないわけよ」
スマホのスピーカー越しに聞こえる一志の声に、栄吉は、うんうんと頷く。
「根底の部分で真面目というか」
「そうそ。例えば挨拶がきちんとできるとか、自分の生活を自分でコントロールすることができたり、周囲の人たちとの調和みたいなものを大切に扱える人みたいな。そういう普通の人ね。やっぱり我々の業界は社会なわけだから、当然、社会人としてちゃんとしている人じゃないと社会じゃやっていけないわけ」
「論理的です」
「で、そうなると結果的にどうなるかというと――周りにいい人たちが続々と集まってくるんだね、これが」
「類友理論、朱赤理論に基づき」
「いやま、さすがに自分をいい人だとまでは言わないけど、でもやっぱこう、ちゃんとしている人にはちゃんとした人が集ってくるのはあるあるなわけで。だからかつてぼくの周りにゴミみたいな人間しかいなかったのはやっぱりぼくがゴミみたいな人間だったからって考えた方が自然だと思うし妥当だと思うんだよね」
”ゴミみたいな人間”というのは、一志の血族の連中のことを指しているのかな、と、栄吉は思う。
「やっぱり、ぼくはこんないい子なのにどうして周りにはゴミどもが集まってくるんだろう? って考えるよりそう考えた方が理にかなってるよね」
「理論的です」
「で、話戻して、いい人が今、ぼくの周りにはたくさんいるんだよ」
「それは、いいこと、なのでは?」
「そう。それはそうなの。ありがたいことだし素晴らしいことだし、何と言っても、気楽だよね。でもねぇ。これまで出会ってきたゴミどものことを思うと、こんな風に思うわけよ」
「どんな風に?」
「自分の感覚では絶対にこんな発想にはならない、っていう人に会っておくと、後々ネタになるのよね」
「それはぼくも同感です」
「でしょ? でーもー。だからといって嫌な人に会いたいとはもちろん思わないわけだし、積極的に悪いことをしようなんてやはりぼくは思わないわけよ。そんなことを思って実践する小説家もいるのかもしれないけどぼくはそうではない」
「ぼくもそうではないです」
「結局、そんなことになったら生活にならないわけだしね」
「常識的だとつまらない。でも非常識だと仕事として続かない」
「そうそう! さすが栄ちゃん。だからさぁ、デビューして五年目ぐらいまでの人の小説なりあるいは音楽なりが名作になるのは、作った人がまだまだ人間として未熟で、非常識だからなのではないかとぼくは思うわけ」
「いい意味でも、悪い意味でも」
「そうそう。でもぼくはもう普通におじさんで、それも四十歳をとうに過ぎてからデビューしたわけで、だから自分のことを常識的すぎてちょっとつまらないかな、思うんだけど、だからこそ何というか、つまらないを面白くする、っていうそういう面白さがぼくにはあるんではないかと」
「それは、例えばどんな面白さ?」
「いつまでも変わらない味を提供します。例えばそういう面白さ」
「確かに、高級フレンチは飽きるけど家庭のお惣菜は飽きないみたいな」
「ぼくのお話で『ゴーストハンター』とか『バミュトラ』とか、いろいろ小説書いたけど、手を変え品を変えいろいろやってるけどやってることは全部同じだからね。人と人との心の交流みたいな。で、それこそがぼくの武器なわけで、その武器で読んでくれる人たちに何らかの価値を提供できているならこんな嬉しいことはないよね」
「やっぱり作家活動し始めたら感想ってもらえます?」
「うんうん。ぼくまだ今度二冊目を出すレベルだけど、もらった感想ずうっと読み返すもんね。なぜ書くのかって言ったらこの人たちのために書きますって答えていこうって思うよ」
「客に媚びたものなんかろくなものじゃないとかいう意見もありますが、どうなんでしょう」
「それはもう一言で言ってろって話なんだけど、ただそれでいくと、小説のために自分の生活や日常や人生を犠牲にするつもりはさらさらないからね、ぼく。やっぱり初心を大切に、生活者としての小説家をずっと目指している」
「でも世の中いろいろな人がいますよね」
「そうだね。世の中広いから、自分の小説の追求のためには自分の人格などどうでもいいって小説家の人も中にはいると思う。あるいはそういう作家さんの熱狂的ファンっていう人もたくさんいるんだと思う」
「そういう人たちからすると、一志さんとかぼくとかみたいなのは金の亡者みたいに映るんでしょうかね」
「だから、そういう人とぼくらは関わるべきじゃないよね。それぞれ別々の世界でそれぞれに生きていくべきだと思う。で、それをお互いに邪魔しないっていうことを、つまり、共に生きるってことだと思うの」
「分かり合えたらそれは素敵なこと。分かり合えなかったら、それはそれで仕方のないこと」
「ゲシュタルトの祈りだね。さすが栄ちゃん」
早口でお喋りで、つまり多弁の一志であるが、滑舌がいいので話自体はすんなりと頭に入ってくる。栄吉にとって興味深い話題ならなおさらである。
一志とはもともとすずかけで出会ったのだが、すぐに小説家デビューして、そして本を一冊出したと思ったら家を売って、今は八王子のアパートで生活している。すずかけと縁が切れてしまうことだけを残念がっていたが、しかし自分の夢の方をやはり大切にしたくてそう決意したのだった。まだ小説家としての生活が軌道に乗っているわけではないのに大丈夫だろうかと同じく小説家志望の栄吉は心配したが、「もうやりたいことだけやって生きていこうと思う」とのことで、当の一志は家の売却金を貯金として、障害年金と日雇いの仕事で稼いだ金で質素に作家生活を営んでいるようだった。今ではこうやってたまに電話でやり取りをしている仲である。
自分も、もしミュージシャンになることができたなら、今住んでいる一戸建てを即刻処分して東京に引っ越しをすることは明白だったのだが――もし今後小説家になることができたら、たぶん、ある程度仕事が軌道に乗るまでは、今の家に住みながら今のA型の仕事をしながらやっていくのだろう、と思う。
自分にとっての小説は一志にとっての小説と違って「やりたくてやりたくて仕方のないこと」ではない。それは音楽だ。しかし音楽はやめてしまった。だから、こんな社会不適合者の自分でもコンスタントに稼げる仕事で、かつ音楽の延長線上にある仕事というと何だろうと思ったら、もともと中学生の頃まで、それも高校生までは音楽と並行で夢見ていた小説家が良いのではないかと思い立ち、書き始め、するとすぐに読んでくれた人たちからちらほらと反応がもらえたので手応えを感じ、そして今、栄吉は日々小説を書いている。
しかし一志と違って「やりたくてやりたくて仕方のないこと」などでは、ない。
それこそ、やらなければならないことだからやっている、という感覚が、近い。
そしてだからこそ、音楽より小説の方が自分にとって”仕事”として行えるものなのではないだろうかと、何となく栄吉はそんな風に思っている。
相変わらずスマホ越しに創作談義を続ける一志に対して栄吉はまるでこの人こそ自分の本当の兄弟なのではないかと思うし、それこそ多少生まれた時間のズレた双子なのではないかという感想をもいつも抱いている。一志とは共通点が多い。似たような人生を歩んでおり、細かいディテールは違えど辿ってきた歴史がどことなく共通している。両親を比較的早くに亡くしていることもそうだし、実家の一戸建てを相続して一人暮らしをしていたというのもまるで同じである。そして、自分と同じように”血族の連中”を憎んでいる――あるいは幼い頃から最低限のリスペクトを得られていないと体験してきた日々のエピソードはそれぞれ似たようなものになるのだろうか? とにかく、もしも精神的双子というのがあるのであれば自分にとっての精神的双子はまさにこの一志だと思う。
でも、血族に対する憎しみ、という点で、一志はどうやら決着がついているようだった。それは、彼は親を憎んでいるし兄弟を憎んでいるし親戚を憎んでいるし、というその上で生活を営んでいる、ということである。以前主治医の雪尋が、「憎んでるなら憎んだままでいいんだけど、それで日常生活に支障が出ることが問題なんだよ」、ということを自分に説明してくれたことがあるが、まさにその通りだと思う。自分は血族を憎むことで生活に支障が出ているが、しかし一志は生活に支障が出ていないどころかむしろエンジンになっているようなのだ。「ぼくは闇の小説家なのさ」とかつて冗談めいて言っていたことがあるが、あながち間違ってはいないのだろう。確かに一志は憎しみや怒りといった負の感情から物語を紡いでいくのが基本的なスタイルのようであった。
自分は、どうなんだろう、と、栄吉は思う。
血族の連中を――特に、親を憎んでいる。そこは一志と変わらない。だけど……それが辛いという気持ちも確かにある。憎まないで済むならやはり憎まないでいたい、と思う。やはり憎悪は強力なパワーを持っている分、体力も精神力も削られてしまう。一志は果てしない憎悪のエネルギーを持っているようなのでそのスタイルで問題ないようなのだが、自分はどうやら違っているように栄吉には思えていた。それはやはりざっと三十年間続けていた音楽に関しては決して負の感情だけから創作なり表現なりをしてきたわけではないということから来ている。だからこそ、小説は音楽の代わりではないにしろ創作活動としては根底の部分で共通しているということから、自分は負の感情をベースに動くタイプのクリエイターではないという思いがどうしても強かった。
だから、こんなことでは――一志のようにはなれない、と思う。
自分のこの創作のスタイルでは小説家にはなれないだろうし、なっても長続きしないんじゃないかと思う。そこは一志と決定的に違う部分だ。一志は”自分のスタイル”を獲得しているが、自分はそうではない――木下栄吉のスタイルとは、どういうスタイルなのだろう。ここが感覚的にでも掴めないと、自分が小説家の夢を叶えるなどということは到底できないと、半ば栄吉はそう信じていた。
「聞いてる~? 栄ちゃーん」
一志の声に反応して、我に返った。
「すみません、ちょっと飛んでました」
「若いのに~」
「そんなに年齢変わらないでしょう。で、何でしたっけ」
「うん、あのねぇ」
一志とは共通点が多い。
違うところは、一志にとっての小説家の夢はあくまでも小さい頃からの夢であるということで、そしてそれを叶えたということ。
そして、栄吉がゲイであるということ。
特に後者は結構無視できない、と栄吉は思っていた。他人と会話をするとき、自分が同性愛者だとバレないように計算しながらする必要があり、そうなると自然と話題自体を避けるようになり、結果、自分一人で抱え込んでしまうことになるからだ。実際、一志にカミングアウトはしていないから意図的に恋愛や結婚の話は巧妙に操作しなければならない。それは端的に面倒なことだったが、自分の安全のためにしなければならないことだった。もちろん一志はそれを受け入れてくれるかもしれないが、しかし受け入れてくれないかもしれない。そんな葛藤を抱えて、もし後者のパターンになってしまった場合、自分は仲のいい友達を失うことになる。そんな友達なら失って良かったんだよ、などと言われるかもしれないが、しかし、そういう問題ではない。自分のプロフィールのある一部が自分の全てだと誤解されるのは単純に苦痛だったし、だからこそそれは自分の全てを否定された気分になる……栄吉にとって自分がゲイであるということはそういった言わば”面倒臭いこと”であった。
今は、病院関係者はもともととして、すずかけのスタッフ、それからアプリで出会った今のところ唯一のゲイ友達など、オープンにできている相手はたくさんいるが、五年前以前までは大変だった。誰も話をする相手がいなくて、社会から閉ざされている感覚になって――そこが解消されたことは何よりだった。だからこそ今、ゲイとしては比較的平穏無事な生活を続けられている。だからこそ、この親切な一志によってそれをめちゃくちゃにされるという可能性の方を実現させるのは、何としてでも避けたかった。いつかちゃんと話ができたらいいなと思いながら、一志は今、多弁な一志と話をし続ける。
そう。例えばいつか、大好きなあの子のことを仲良しの友達と話せたらいいな、と、そう思いながら。




