第五話 腹ぺこの果ては・2
「小津野家はどうだった?」
放課後。音楽室で五人を前に優作がそう訊ねると雅哉が答えた。
「いい方々でした」
「それは良かった」
「おばさんに、ぼくらのことを安心してもらえたみたいで」
「善哉善哉。瀬戸は? 春樹くんの話とかしたかい」
「はい」と、理一は答えた。「といっても、何だか断片的だったんですけど」
「というと?」
「天才――だったみたいで。家に帰ってから親父とそんな話はしなかったけれど、気にはなっちゃって」
「話してみたらいいのに~父と息子の会話」
純輝がベースのヘッドで自分を小突くので、うるせぇ、とかわす。
すると優作は神妙な顔になった。
「うん……そうだね。天才音楽家、だったね。具体的に何がどう、というのは、難しいのだけど、トータルで、全ての能力が優れていた、というのかね」
「でも」と、理一。「やめたわけだから今となっては関係のないことです」
「そうねぇ。非常~にもったいないと思ったけど。まあ、横山さんもね~、いろいろ頑張ってたんだけど、こればっかりは本人次第だしねぇ」
その名を聞いて――理一は静止した。
「横山?」
と、純輝が訊ねたので優作が答える。
「うん。瀬戸のお母さんの旧姓。ちなみに原さんと横山さんとぼくはゼミが同じでね」
「原さん?」
「わたしのお母さん」
亜月の回答に純輝は納得する。
「なるほど。で、瀬戸のおばさんが何だって?」
「一番のファンだったんだよね。おれたちのというか、春樹くんのだけど。春樹くんがプロになるのを本当に応援してて。この音楽は全世界の人たちに届けなきゃっていつも楽しそうだったなぁ」
「ふーん。好きなものがあるっていいことだ。な、古屋」
話を振られ雅哉は笑顔で応えた。
「そうだね。毎日が楽しくなるしね」
「学校行くのもそれが目的になっちゃったり」
「猪瀬くん、好きな子がいるのかい?」
「募集中~。誰かいい子いないかなぁ~」
「猪瀬は実は割とモテてるだろう」
「大和田はいつも何気なくおれを上げてくれてマジで好きー」
「よせよ気持ち悪い」
「でもぼくもみんなのことが好きだよ」
「古屋も好きー。小津野さんのことは、セクハラになりかねないからノーコメント~」
「”好き”って難しい言葉だよね。わたしつくづくそう思う」
「好きな人とかいないの?」
「これセクハラ?」
「えっ」
「まあいないけど。猪瀬くんと違って、募集中ではないけど」
「で、まあそれはさておき。小津野さんのおじさんおばさんが結ばれて、瀬戸のおじさんおばさんが結ばれて……優作先生は?」
「ノーコメント」
「え~。恋バナしようよ~」
「子どもにはまだ早い」
「彼女ぐらいいるんでしょ~?」
「う~ん……。あ。ノーコメント」
「あ! いるんだ! どんな人? どんな人?」
「さて。そろそろ茶道部の方を見てこないと」
「逃げないで~」
「いや、本当にちょっと見てこないとまずいんだ。ここのところ君たちに付きっ切りで、本来の茶道部がおざなりになってたからね。それじゃちょっと」
と言って、優作は音楽室をそそくさと出て行った。
「あの”そそくさ”だと、逃げたな」
「よしましょうよ人のプライベートを詮索するのは」
「小津野さんは気にならないの? それは嘘でしょ」
「それは嘘だけど」
「優作先生の彼女、どんな人なんだろ。結婚とかするのかなぁ。なあ瀬戸」と、そこで純輝はいよいよ気づいた。「おい瀬戸。どうしたんだよぼんやり」
「え」
我に返る。
「具合でも悪いのかい」
そう心配そうな顔をする雅哉に、理一は、
「いや。何でもない」
と答える。
しかし雅哉の心配はちょっと止まっていない。
「明らかに何でもなさそうだけど」
「いや古屋。本当に、ちょっと飛んでただけだよ」
「本当に?」
うん、と、頷く。
それで理一に表面上異変が見られなかったことでとりあえず雅哉たちは納得はしたようで、そこで、よし、と、純輝は改めて全員と向き合った。
「ところで。話は変わるけど、おれたちのバンド名どうするよ」
「一組バンドでいいんじゃないか」
「いやいやいや大和田」
「いやしかし、別にこの五人でプロを目指すとかじゃないわけだし、バンド名なんて必要ないだろう?」
「そうかもしれないけどせっかくバンド組んだんだから名前つけたい~」
「バンド名ねぇ」と、雅哉は考える。「この部屋の中の何かの名前を付けるとか」
純輝は呆れた。
「バンド名が”机”ってわけにはいかないだろ」
「それはそう」
「じゃあ、せっかく海川航平の絵が飾ってある音楽室だから、海川航平由来のものとか」
という亜月の提案に、純輝は、手を叩いた。
「それいいね! せっかくだしね。じゃ、差し当たりあの絵のタイトルは?」
と、一同は壁の渚の絵を見る。
一瞬の沈黙のあと、亜月が応えた。
「知らない」
「小津野さーん。ファンなんでしょ?」
「海川航平は、あまり絵にタイトルを付けなかったそうだぞ」
と、そこで剛が会話に登場したので、純輝はおやと思う。
「あれ、大和田も海川航平のファン?」
「弟が好きなんだよ。うちにいくつか画集もある」
「へえ」
「猫のみむの名前も、海川航平の絵から取ったんだ」
「ふーん。どこでどう繋がるかわかんねーな本当に。じゃ、その画集の中から、何かなかった? これ! みたいな、気になるポイントのアップした何か」
「気になるポイントのアップした何か……と言われても」
「今、パッと頭に浮かんだのは何?」
という雅哉に促され、剛の頭にある英単語が浮かんだ。
「フォレスト――だな」
「フォレスト?」
怪訝そうな顔をする純輝と雅哉に剛は説明した。
「海川航平の口癖だったらしい」
「森がどうしたって?」
「わからん。ただ実際、画集のタイトルがフォレストだ」
「フォレスト1とか2とかね。その画集ならわたしも持ってるよ。それはお姉さんが名付けたみたいだけど」
「フォレスト……」
「You can't see the forest for the trees」
という雅哉に、純輝は、む、と反応した。
「木を見て森を見ず?」
「さすが猪瀬くん」
「ええと、あなたは木のために森を見ることができない……」
「大和田くん。それは美しくないよ」
「そりゃ古屋は数学の解答もいつもエレガントだと褒められているが」
「ま、いいや。でも――うん、フォレスト、いいと思う。いいと思う!」
「じゃ、わたしたちの名前は、フォレストにしちゃう?」
「しちゃおうしちゃおう。それはなんていうか、物事を俯瞰で見ることの大切さを音楽で表現するのだ」
「こじつけたね~」
「瀬戸もいいだろ?」
「……」
「おーい」
そこで気づく。
「あ。うん。いいと思うよ。フォレストで」
「何だよ”で”って。それよりマジで気分悪いんじゃないのか? 大丈夫?」
「いや。いや、フォレストが、いいんじゃないかな」
「おっけ。よしっ、じゃあ――フォレスト、始動! おー!」
と、純輝は右腕を天井高く上げたので、四人もつられて、おー、と叫んで手を上げた。
というわけでバンド「FOREST」が今ここに誕生したのであった。
というわけで五人は、じゃあそろそろ始めるか、という純輝の一言を皮切りにそれぞれの楽器を手に練習に入る。それはもちろん理一も同じだった。しかし、さっきの優作の言葉をきっかけに、今までどうして気づかなかったのかわからない母親の旧姓を思い出し――絶大な、ある種の気持ちの悪さを抱いていた。
横山。
――横山。
あのアメーバ机は、母の珠枝と何か関係がある……。
それはどうやら、確定事項のはずだ、と、理一は、そう確信していた。




