第五話 腹ぺこの果ては・1
――ハングリー精神というのはやっぱり必要不可欠?
そうですね。飢餓感は大切です。
――それは欠落を埋めるために充足を求める、みたいな。
まさにその通りで、少なくともおれの場合は、自分のその欠落を埋めるために音楽を、引いては創作活動、何かを表現するということをやっているところがあると思うので、だから……例えばそのコアの部分がもしも満たされたらもう音楽をやらなくなるかもしれないというか、できなくなるかもしれないと思う。
「試験のときから気になってた子と見事同じクラスになれて」
「良かったじゃないか」
「しかも部活に誘われて。音楽部なんですけど。その子はギターを弾く子で……それが、凄くかっこいい」
「いいねぇ。おれも高校生になりたいな」
「でも、やっぱり、中学生のときと同じで、恋なのかどうなのかよくわからなくて」
「クエスチョニングの状態だから揺れるのは当然だろうけど、あんまりそこ、区別しなくていいんだよ。好きは好きなんだろう?」
「好きは好きです」
「それなら……それが一番だよ」
「休憩しますか」
一通りセックスを終えて”トモさん”がそう提案する。
「そうですね」
と言いながら文彦はソファへと移動し、煙草を吸い始める。
「……」
くす、と、苦笑する。
「何か?」
「いえ。ちょっと思い出し笑い」
逢瀬の真っただ中で雅哉のことを思い出すとは、まだ高校生のあの子に惚れているというのはないとして、よっぽどおれはあの子のことが心配なんだな、と、思う。
「……」
好きは好きです。それなら、それが一番だよ。
そんなやり取りを思い出すと、今、不倫の真っただ中にいる自分がまさしく屑な人間に思えてくるし、事実そうだと思う。
ところがこの”トモさん”は、自分とのセックスをどうやら”不倫”だとは捉えていないようだった。それはスポーツであり、あるいはエンターテインメントであり、または単なる性欲処理。それがトモさんにとっての男同士のセックスの意義。だからこそ、妻も子どもも別に裏切ってなどいない、ということに結果的になる。なぜなら”これ”は、スポーツなのだから。男同士で全裸になってお互いを貪り合う《《というスポーツ》》。トモさんにとってそのような認識でしかない以上、それは、それ以上でもそれ以下でもない。
トモさんは文彦と同じで既婚者であり、しかし文彦と違い異性愛者である。しかし男同士のセックスを好んでいる。そういう人である。この世界にはいろいろな人がいる。トモさんはそのいろいろな人の中の一人である。それ以上でもそれ以下でもない。
自分と同じように。
クイーンのフレディ・マーキュリーがゲイだ、いやバイセクシャルだ、という終わらない”議論”があるが、これは要するに、男としかセックスできない男なのか、それとも女ともセックスができる男らしい男なのか、という異性愛規範に基づいた下卑た話である。しかしそれはさておき、ゲイとして生まれていろいろな男たちと関わってきた文彦からすれば、そんなのは単に、女とのセックスが大好きなゲイだったのかもしれないし、それこそ男同士のセックスを好むノンケだったのかもしれない。フレディはヘテロロマンティック・ホモセクシュアルだったのかもしれない。カテゴライズは意味のないものであるが、わかりやすいものではある。結局のところフレディ本人が死んでしまった以上、”真相”はわからない。性的指向は結局のところどこまでいっても本人の自己申告が全てである。それ以上でもそれ以下でもない。
そう。それ以上でもそれ以下でもない。同性同士のセックスが好きな異性愛者、というのは、確かにこの世界にいる。どうして? とかではなく、いるのだから仕方がない。それこそゲイがいるのと同じである。いるのだから仕方がない。だからその上で社会はデザインされなければならない。しかし現状の社会はそのようにデザインされていない。だから自分たちのような人間は苦しむことになり、妻も子どもも、孫もいながら、それでも自分自身の真の姿からは結局逃亡できずこうやって男同士の世界にときどき避難する――それを人のせいにするつもりは、ないけれど。
「……」
ふとトモさんを眺める。自分だって同じことだが、トモさんは普通のおじさん、である。それこそ普通の夫に見えるし、あるいは普通のお父さんにしか見えない。それでもこうやって妻子に隠れて男同士の”スポーツ”をしている。そして家に帰ったら罪悪感もなく家族団欒の時間を過ごす――そこが自分とトモさんの決定的な違いである。自分は家族に対して罪悪感を抱き、そして自己嫌悪を抱いている。それでも”これ”を止めることはできない。なぜなら、”これ”は”これ”で自分なのだから。自分が自分であることを止めることは誰にもできない。そんなのは結局、家族を裏切っていることの言い訳だよ、と、もう一人の自分が責め立てる。それでも、求めずにはいられない。男を、男同士のセックスを、自分自身を――。
雅哉のことを思う。
あの子は、まだ自分がゲイなのか、バイセクシャルなのか、それとも”思春期の気の迷い”で同性に興味を持っているだけの単なるストレートなのか、自分でもよくわからないでいる。天才的に頭のいい子ではあるが、それとこれとは関係がない。頭が良かろうが悪かろうが、どんな人にだって悩みがある。ただそれだけのことであり、しかしまだまだ高校生の子どもである雅哉にとっては世界の危機に匹敵する出来事だ。それはつまり同性愛者というのがまだまだ生きづらい世の中であるという証左。もちろん日に日に良くなっているという自覚はあるが、それでも自分は結局逃げることができず、結婚に至り子どもを設けた。世の中は確かに変わっているが、それでその中にいる人間たちの生き方まで変身するわけではないのだ。
それでも、好きな人がいる、ということは、幸せなことだと思う。
あの子は今、好きな人がいる。それが恋なのか好意なのか、あの子にとっては重大な違いであるのはわかるが、しかしもう”お祖父ちゃん”になっている自分からすれば、何であれ誰かを好きだと思えるということ自体が尊いことだと思う。少なくとも、今この場にいる自分とトモさんの好きも愛も何もない営みと比べて、雅哉は今、とても素晴らしい営みをしているように思えるし、そうとしか思えない。好き、というのは、いいことだ。
あの子が今後、今好きだと思えている男の子とどうなるかはわからないが、それでも今のこの”好き”の気持ちをぜひ大切にしてもらいたいと、ただただそう思う。
「何か?」
再度トモさんにそう呼びかけられ、我に返った。どうやらトモさんをずっと眺めていたようだった。
「いえ。そういえばトモさんは福祉のお仕事をされているんだったなと」
トモさんの顔に警戒信号が走る。
「いえ。おれの親も高齢なので、ちょっと気になって」
「ああ。老人のことはちょっと詳しくなくて……」
「あ、そうなんですね。すみませんプライベートなことを」
「いえいえ。大変ですね」
「いえ」
「――じゃ、二回戦、やりますか?」
と、トモさんがソファにやってくる。
「いいですね」
と言って、文彦はトモさんの肩に腕を回す。
顔と顔を、近づける。
「……」
雅哉を思う。好きな男の子がいて、その子を好きだと思えている、ただ、”好き”がそこにある、腐りきった自分とはまるで異なった――。
雅哉くんよ。君は君らしく君に合ったことを君に合ったやり方でこなすんだ。君もやがては大人になって、世の中の泥や汚水にまみれていくことでどんどん汚れていってしまうだろう。でもそれでも、どんなことがあっても流されないで。自分を支配しようとするものに対して発揮されるはずの”抵抗力”を決して失わないでくれ。何となくそんなことを頭に思い浮かべて、しかしすぐに集中し直して、文彦はトモさんと唇を、重ねる――。




