第四話 説得力・5
『今度の土曜日、会える?』
『ごめん! その日、弟の月命日なんだ』
『ああ、恒例のお墓参りかぁ。本当に弟さん想いだね』
『今度は航平の親友も来てくれるからなおのこと外せないの。また連絡するね〜』
『了解。それじゃまたね』
OKとかわいいスタンプが送られたので、笙子もバイバイとこちらもかわいらしいスタンプを送信することでとりあえず二人のLINEはここで終わる。
「お墓参りか……」
ファミレス。一番奥のテーブルで、笙子は独りごつ。
と、そこに優作がやってきた。
「ごめんよ、遅れちまった」
「十分遅刻」
「悪い悪い」
「じゃ、パフェ奢って」
「アラフォーがパフェかよ」
「年は関係ない。しかもアラフォーじゃなくて三十代だし。だいたい美味しいものはずっと美味しいんだから」
はいはい、と適当に相槌を打ちながらそんな笙子を尻目に、えーと、と、優作はメニュー表を開いた。
「何か頼んだ?」
「ドリンク二つ頼んどいたよ」
「お。気が利くねぇ。じゃ、さっそく」
と、優作は席を立ってドリンクバーへと向かう。
「……」
笙子は何となくため息をついた。
彼氏の優作とはマッチングアプリで出会ってからもう五年経つ。が、なかなか結婚に踏み切れないでいる二人だった。もう三十六歳で、もともとデザイナーの仕事優先のため子どもは作らないポリシーではいたからそこの後悔は特にないものの、しかし優作の決断次第ではもう二歳ぐらいの子どもがいてもおかしくないんだよなという発想もよぎり、結局自分はこの人生の中で子どもが欲しかったのかどうなのかよくわからないでいる。しかし生活のことを考えたらやはり妊娠出産は二の次にしなければならないだろうという半ば諦めの気持ちもあり、四十手前で恋人のいる自分は他の婚活女性たちと比較すれば相当恵まれているとは思う。しかし他人のことは関係ない。
高校教師をもう十年もやっている優作は結婚相手としては申し分ないと思うし、一応まだまだちゃんと恋愛状態ではある。今さら結婚するメリットも特に考えられないが、さりとて別れたらもう次はないと思うと笙子としてはもう優作に”決めて”いた。あとは優作が結婚してくれたらそれでとりあえずは一安心なのだが、どういうわけだか彼はなかなか決断できないでいた。それはどうやら、家族の――兄のことがネックになっているようだった。
「お待たせ」
「ねえ、ちょっといい?」
「な、何?」
と、やや怯えた様子の優作はコーヒーカップをこぼさないようにテーブルの上に置き、自分も席に着く。
「結婚のことなんだけど」
ああ、と、把握した。
「君もプロポーズが続くね」
「あなたがもたもたしてるから」
「そうは言ってもねぇ」
笙子は切り出した。
「お兄さんのことなんだけど」
ぴく、と、優作は静止した。
「兄貴が何?」
「一度お会いしてみたいの」
「あ~それはちょっと難しいかも……」
「何で」
「いやなんていうか」
と、優作はカップに口をつける。
「何」
「病気があるからなぁ。それも精神の」
「それは聞いてるけど、だから?」
「兄貴に会わせた途端、結婚破棄とかになるのは嫌だぜ」
「あなたの話を聞いてる限りじゃ確かに重症みたいだけど」
「発達障害とかもあるんだろうなぁ……凄ーい、頑固な奴でね。しかも相当変わってる。音楽音楽って、お前もう四十二だろってね」
つくづく兄という男に冷たい男だと思う。そこの部分に関してだけは笙子の気になるところではあった。しかし、自分が相手をしているのは彼の兄ではなく、あくまでもこの優作である。
「だからってご兄弟を無視して話を進めるわけにはいかないでしょう。しかもご両親が亡くなってるんだからなおのこと」
「いやはや、それにしても結婚って言ってもねぇ。まだいいんじゃないかい?」
「はぐらかさないで。わたしもう三十六よ。あなただって三十九でしょう。当然来年は四十歳よ。まだいいとかもういいとかじゃなくて、今でしょ」
「ご飯を食べるところは?」
条件反射で居間でしょと答えそうになった自分をなんとか抑え、笙子は続けた。
「そりゃ今さら結婚するメリットもないし、子どもは作らない方向でいるのはあなたもその上で付き合ってくれたわけだし、でもお兄さんのことが気になるのはわかるけどもうちょっとわたしのことを考えてほしいものだわ」
「とは言ってもねぇ」ふう、と、ため息をついた。「もう三年会ってなくてね。LINEのやり取りもしてないし、向こうからも来ないし」
「すればいいじゃない」
「喧嘩というか……」
「喧嘩?」
「そ」
と、優作は頬杖をついた。
「お母さんの宝石を売っちまったんだよなー。家にあったから売ったってことで。強盗に盗られたって方がマシだった」
「そんなに大切なものだったなら実家になんか置いてないであなたが管理すれば良かったじゃない」
「まさか売るとは思わなかったからねぇ。あの宝石箱の宝石は、おれたちが産まれたお祝いみたいな形でお父さんがお母さんにプレゼントしたものっていうのもあって、おれとしては、まあデザインが古いものだから日常遣いはできなさそうとして、いやま、それは確かにおれは男なんだけど、でもそれにしても何か、宝物みたいにしておきたかったんだよね」
「その話、お兄さんは知ってたの?」
「いや。知らなかったみたいだ」
「じゃ、しょうがないじゃない」
「そうねぇ……」
ふう、と、再びため息。
「思えば兄貴には小さい頃から――というか、兄貴が中学を不登校になってから、ずっと悩まされてきたものだよ」
「病気ならしょうがないじゃない」
「だからってこっちが我慢するのは違うだろ」
「それでも今は頑張って社会復帰してるんでしょ。立派じゃない」
「あれから三年も経ってるし、今、何やってるんだか」
「訊いてみたらいいじゃない」
「そうねぇ……」
だんだんイライラしてくる。この兄弟は仲が良いとか悪いとか、そういう単純な話では語れない複雑さがあることは笙子にもよくわかる。しかし、だからといってそれはそれこれはこれである。
「とにかく一度お会いしてみたいの。場をセッティングしてほしいの」
「それより結婚とかそういうのをまた今度にしようよ」
「何でそんなに結婚したくないの?」
「何でそんなに結婚したいの?」
意味のない問答だと思い、しかし反撃するのも何だか面倒になってきてしまった。
はあ、と、笙子はわかりやすくため息をついたが、メニュー表を開いている優作はどうやらそれを無視するつもりのようなのがわかり、悪い人じゃないんだけどなぁ、という、何度も何度も生まれ続けた気持ちが再び意識に上ってくるのがよくわかる。
ただ、その”病気の兄貴”の存在がネックとなっているのであれば、そこを何とか解決したいものだと思う。そうすれば次のステップへと進めると思う――しかし、自分たちの問題はあくまでも自分たちの問題である。そうなると、それを言われれば「何でそんなに結婚したいの」か自分でもよくわからないというのも本当のところだった。強いて言えば精神的安心を獲得したいということだが、しかし優作としても笙子と別れるつもりは特にないようで、つまり、優作は既に安心しきっているようだった。それが笙子を不満がらせているということに気づいているのかいないのか。
「……」
さっきまでやり取りしていた大学時代からの親友である史生はいいなと思う。婚活を始めたと思ったらいいタイミングで現在の夫となる男性に出会い、結ばれ、今では二歳の子どものいるママである。今は育休中で、自分からすればなかなか順風満帆な人生のように見える。と、それを言うなら今まさに恋人と食事を取っている自分だって相当順風満帆な人生のように客観的には映るのだろうなと思う。
しかし気分の問題は、そうはいかない。
「お兄さんって、気分の病気か何かは抱えてるの」
「あれ、病気の詳しい話はしてないよね。まあおれも詳しくは聞いてないけど」
「もしそうなら、分かり合えそう」
「それは難しいと思うよ」
「どうして」
メニュー表をぱらぱらとめくりながら、優作は何てことはないとでも言うかのようにあっさり答えた。
「病気だからねー」
それはそうなのかもしれないが、しかし、そういうことではない。
はあ、と、笙子は三度ため息をつく。何か結婚の決め手になる”何か”が欲しいなぁ、と、そんなことを思いながら。




