第四話 説得力・4
「思ったより素敵な親御さんで安心したよ」
「そう言ってもらえると嬉しいな」
「もっとヒステリックなお母さんを想像してた」
「大人だからね。みんなの手前、抑えてたのわかるから」
挨拶も済んだので、メンバーは小津野家を出て帰路に着いていた。そこに亜月が加わっているのはコンビニへ買い物に行く用事があるからで、だから途中まで見送ってくれているのである。
「家族だけだと、わたしとお母さん、もう、凄い感じで」
「女の人って容赦がないからな。その点、男は甘いけど」
「あ、古屋くんもそういうジェンダーギャップなこと言うんだ」
「いや。これはあくまでも全体的な傾向の話さ。個別の事例に男だからとか女だからとかは通用しない」
「難しいな」
「いやあ、それにしても、ベースを教えてくださいって話ができなくて残念だったなぁ」
亜月と雅哉が二人で話しているので、理一たちは自然とトリオになった。
「猪瀬にしては空気を読んだじゃないか」
「大和田……おれはいつも空気を読んでるよ。いやはや、タイミングがね~ちょっとなかった」
「おれも勉強するし、教えてやれるように頑張るから」
と言う理一に、純輝は目を輝かせた。
「ありがと~。やっぱ楽器が一つできると他の楽器の習得もすぐなのかなぁ?」
「それは一概には言えないけど」
「とにかく小津野の親父さんに教えてもらうのは時間的空間的にちょっと難しそうだしな」
剛の言葉を受け、純輝はいよいよ納得し始める。
「そうねぇ。そうだと思うねぇ」
「じゃ、ここでお別れかな?」
と、コンビニが視界に入ってきてそう言った亜月にみんな頷く。
「おう。じゃ、また明日な。行こうぜ瀬戸」
「あ、ごめん。おれもコンビニ」
という理一に、純輝は首を傾げる。
「瀬戸も何か買うの?」
「いや、トイレに」
「なんだ。おれみたいに小津野さん家のを借りれば良かったのに」
「いや、何となく」
「じゃあ瀬戸くん、小津野さん。また明日」
雅哉の言葉に合わせて純輝も剛もバイバイと手を振って、そして三人は去って行った。
というわけで理一と亜月の二人になった。
「じゃあ行こうか」
「大丈夫? 本当に、うちのを使ってくれて良かったのに」
「いや、本当に何となくで」
「気にしなくていいのに」
誤解を招きかねないと思い理一は慌てた。
「いやあの、小の方だから」
「何だ。でも自然現象だし」
「……うーん」
「ごめんごめん。おっけ、じゃ行こ」
と、二人でコンビニへ向かっていく。
店に到着し、理一はさっそくトイレに向かって個室に入り用を足す。そして洗面所で手を洗っていたら鏡越しに机の出現を確認した。
(何だよ)
(世界の危機だ)
(またかよ)
(そんなものはいつどこにでもあるんだがな)
(そんなことはいい。で、今度は何だ)
(そこまではおれにわからんね。とにかく、世界に危機が迫っている。それを処理するためにおれが現れた)
ちょっと説明が足りていない、と、理一は直感的にそう思った。
(そのために、って、例えば、そんな世界を救うために、ってことか?)
(わからん)
(わからん?)
(言っただろ? おれは誰かの残留思念。おれのオリジナルが世界が危機に瀕したときにそれをどうにかする何者かを求めた、その結果がおれという存在に象徴化されたのだ)
(どうにかする、って、どうするんだよ)
(それはこれまでお前がやってきたことそのものだよ)
……剛の家の火事、亜月のメンバー勧誘、雅哉と迷子を助けた、という一連の出来事は、それぞれ世界の危機を救った、とは確かに言えるとは思うのだが。
しかし、それを”世界を救った”というのはいささか大袈裟すぎるのではないか。
(一体何なんだろうな、お前は)
(おれも知りたいものだ)
(しかし、世界の危機ね……。だからといってこのコンビニが世界を滅ぼしたりはしなさそうにおれには思えてならないんだけどな)
(発動だな)
洗面所でいつまでも手を洗っているわけにはいかない。自分の用事は済んだし、あとは亜月に挨拶をしていよいよ帰路に着くだけだ。そう思って扉を開けたら――。
(言っただろ? つまり……〈サイド・マウンテン〉発動だ――)
「金を出せ」
強盗がレジの店員に刃物を突き出している光景が映ったので、理一はとっさに身を隠そうとしたが、
(小津野!)
亜月のことを思い出し彼女の姿を必死に探す。まさか――。
しかし、亜月が両手を挙げているのが見えた。無事を確認した。
(良かった)
(うまいじゃないか)
強盗はレジを開けて現金を取り出そうとしている若い男性店員に注目しながら同時に、店中に目をやる。理一は手を挙げ、目を合わせないようにする。
(小津野も、目を合わせちゃダメだ――いや。しまった)
亜月の方を見ると強盗とまさに目が合ってしまった様子だった。ひたすら怯えている。それはそうだと思う。強盗は舐めるような目つきで亜月を観察する。恐ろしくて仕方がないといった様子。しかし亜月はそんな自分をだからこそ奮い立たせ、どうやら後ろにいる中年女性を守ろうとしているかのように理一には映った。
(気のせいか)
(既定事項の否定までは機能しない)
(くどいぞ。お前、何かできないのか。化け物らしくあの強盗を返り討ちにしてくれないか)
(あいにく、おれはお前としかコミュニケートできんようだからな)
わかってはいたが、やはりそうなのだなと思い、この机は一体何の役に立つのだろうと思う。
理一は確認する。店内にいるのは自分と、亜月と、その後ろの中年女性、それからもう一人サラリーマンらしき若い男。そしてレジ打ち店員の五人、そして強盗のようだった。
しかしこういった場合のマニュアルは店員も熟知しているはずだ、と理一は思ったが、それがつまり”予測が外れる”ということであるなら、彼はただただ強盗の言うことに従うしかないようだった。それはつまり、店前の非常用ランプは点灯していないということ。外にいる誰かが警察に通報してくれる可能性はほぼない、と理一は思った。
――よし。
理一は意識的に店内の全員がこの強盗に殺されてしまう光景を”予測”した。
(うまいじゃないか)
再びそう自分を褒めているらしき机に、理一は心の中で反応する。
(しかしこんなことを毎時毎時しょっちゅうやっているわけにはいかない)
(だからこそ、おれが出現したということだな。いやはや、よくできたシステムだ)
(何だよ他人事みたいに)
(おれは単なる残りカスなもんでね)
そんな理一のことなど当然知る由もない強盗は、やがて店員が「ど、どうぞ」と怯えた声で震えながら渡したありったけの万札を奪い、やがて――この店員を刺すのか、と予測することで、つまりそれは無効となったようで、とにかく強盗はコンビニを駆け出して行った。
理一はホッとした。店員も亜月も他の客たちも、全員ホッとした。一気に緊張の糸が緩んだ。助かった――。
(おれが出現したままということは、〈サイド・マウンテン〉はまだ発動中ということだ)
出て行ったはずの強盗が「貴様!」と大声を上げながら今まさに店員を刺そうという姿勢でナイフを持って再びやってきたので――。
「危ない!」
とっさの行動だった。
なぜ現場から一番遠い場所にいる自分がそんなことをしようとしたのか全くわからない。何の予測も予想もしていなかった。とにかく――何とかしなければと思った。もはや〈サイド・マウンテン〉だの何だのそんなご高説は不要だった。自分が動かなければ全員がやられる、そう思った理一は走り出しながら背負っていたギターケースを両手に持って、それを強盗に一気に殴りつけた。
「この!」
当然強盗は反撃しようとするが理一はもう必死であり無我夢中であった。ここで止まったら死んでしまう。がむしゃらになってギターを武器に、強盗にそれを何度も何度も殴りつける。やがて強盗がめまいを起こして床に倒れたので、何としてでもこいつを気絶ないし戦闘不能に陥らせなければならないと思った理一は強盗の背中に馬乗りになって頭部にギターのボディを押し付ける。
(人生は何があるかわからない――わからないならわからないでわからないなりに進んでいくのもまた人生かな)
ミッション・クリア――ということだろうか。理一がそう思った辺りで机の姿が消えてなくなっていた。
……どうやら一度出て行った強盗がまたやってきたのは、店を出たと思ったらどこからか現れた警察官が自分に向かって走ってきたので、パニックになったということのようだった。予測が外れた結果誰かが通報してくれたのか、あるいはたまたまこのタイミングでパトロールでもしていたのだろうかと後になって理一は考えることになる。とにかく理一が強盗に馬乗りになった直後に警察官二人組が店内にやってきて、そのまま犯人を確保した。そしてもちろん大人として警察官として、勇敢な行動ではあるが無謀な行動を取った理一に一言二言説教しようかと思った――のだが。
「瀬戸くん!」
呼吸が荒くなっている。亜月がやってきて背中をさすってくれているが、理一は今まさに絶体絶命だった。もう危機は――机の言うところの”世界の危機”というのは去ってくれたようだったが、しかし理一自身の危機は今まさに訪れていた。とっさに行動に出たことによる衝撃で過呼吸の症状が出て、息ができない……きつい、苦しい、亜月が背中をさすってくれるが何の効果もない。呼吸が自在にできなくなるなど生まれて初めてのことだった。おれはこのまま死んでしまうのではないか、リアルに”死”を感じ始めていた――。
すると、亜月が守っていた中年女性が、売り物の紙袋を開けながら理一のもとへやってくる。
「これ! これで息をしてみて」
緊急事態の割には何だか落ち着いた声色の女性だった。理一はわけもわからず、しかし言われるがままに紙袋に口をやり、呼吸をする――と、だんだん、ゆっくりと、しかし確かに、落ち着いてきた。
「あ、あれ?」
落ち着いてくると同時に、冷静に、なぜ落ち着いたんだろうと疑問が浮かぶ。
女性は説明した。
「自分の吐いた二酸化炭素を自分で吸ってるの。ペーパーバック法っていうのよ」
「え……」
「瀬戸くん大丈夫?」
亜月の声かけに、理一はきょとんとする。
「え。あ」
「あとで念のため病院に行った方がいいかもね。内科でいいと思うわよ」
「え」
「おばさん、ありがとうございます!」
と、亜月が女性にぺこぺこと頭を下げているので、これは当然それはまず自分の仕事だとすぐに気づき、理一も「ありがとうございます」と礼をして頭を下げた。すると彼女は、
「いいのいいの。おばさん、実は看護師なんだ」
と、柔和な笑みをたたえてそう自己紹介したので、理一も亜月もどんどん安心していく。
「喋れるね?」
と、そう確認する彼女に、理一は「はい」と答える。
「大丈夫です」
「それは良かった」
「パニックになっちゃって」
「それはそうよ。こんなときに動じない方が不思議なの」
「すみません」
「いいのいいの。しかし、なかなか大騒ぎね。事情聴取は免れないだろうなぁ。ま、すぐに解放されると思うけど……」
”こんなときに動じない”でいる彼女が理一にはまさに”不思議”であった。
「看護師さんっていうのは、動じないんですね」
「仕事柄ね」
「おれはもうすっかりパニックで……しつこいようですけど」はあ、と、ため息をついた。
ふと、このフレーズが口から出てきた。
「You can't see the forest for the trees……」
「んん? フォレスト?」
「つい先日、友達が説明してくれて。冷静に、視野を広く持ってって」
「ああ、『木を見て森を見ず』か。そうね~ただ、いつでも冷静沈着っていうのは場数を踏まないとダメよ」
「場数ですか」
「あるいは――仕事のとき限定、とかね。もうちょっと紙袋やってるといいわよ」
「はい。ありがとうございます」
というわけで、理一はしばらく”紙袋”を続ける。
――後日、警察から連絡が入り、感謝状を贈呈したいとのことで、またかと思ったがしかしだからこそ比較的気軽に所轄の警察署へ赴き、再び警察官と地元マスコミに囲まれる中、理一は表彰された。その光景がニュースになり、先日の迷子の件もあり理一は学校でちょっとしたスターとなり、その効果で音楽同好会に新入部員が八人もやってきたことで校則に基づき部活は自動的に部に格上げされ、つまり純輝念願の部費が捻出されることになったのだった。




