第四話 説得力・1
――うまい人なんていくらでもいますからね。
「もちろんうまいに越したことはないんですけどね。でも、それだけでは足りなすぎる」
――華とか、そういうものが必要?
「やっぱり必要なのは説得力。音楽的にめちゃくちゃで、例えば歌がうまくなくても、それでもスッと入ってくるのは説得力があるから」
「はい、音楽同好会発足、と」
職員室。書類を書き判子を押しながらそう言う優作に、純輝は、え、と、口を開けた。
「音楽部じゃないの?」
そう言うと優作はこちらを見た。
「部は十人以上。あるいはそれなりに実績がないとダメ」
「それじゃ予算がむしり取れない」
「だからだよ。生徒手帳にちゃんと書いてあるだろ」
すぐに雅哉が生徒手帳を取り出し、部活動に関するページを開く。
「確かにそう書いてありますね」
「だろ?」
「えっ。えっ」と、純輝は雅哉の手帳を覗き込んだ。ここだよ、という雅哉の人差し指の先を見つめる。「こーんなちい~ちゃな文字でちまちまと。気づかないよ」
「だからだよ」
と、優作はにっこりと、しかし真剣な表情で言った。
「説明が小さな字で書かれているのは足切りのためなの。自由にも秩序が必要なの。君たちも今後、進学や就職でそのための書類を書くことに必ずなるけど、ちゃんと注意事項を読まなきゃダメだよ、という教訓になったわけだ」
「え~。でも同好会ってどうせ予算なんか出ないんでしょ~」
「音楽室を自由に使えるだけありがたいと思いなさい」
まあそれは何よりだとは思うし、それに、であるのであれば部に格上げしてもらうためにこれからも部員を増やしていこうという情熱に火がついたのもあり、だから純輝はうだうだと唸るのをやめて、気を取り直した。
「まあいいや。どうせおれたち五人バンドだけでライヴしてたら寂しいのは最初っからそう思ってたし、メンバーはこれからも募集するしね。わかりました~。部にしてもらうように頑張るぞー。で、優作先生がいよいよ動いてくれるわけなんすよね?」
「約束だからねぇ。学年主任ができる範囲で構わないとおっしゃってくださったので顧問の掛け持ちというのも可能になった」
「よっしゃ!」
「大和田、覚悟はいいかい?」
そう言われ、剛は少し緊張する。
「頑張ります」
「ぼくもドラムを叩くのは結構久しぶりだから、楽しみにしてはいたんだよ。実はね」
純輝は顔を綻ばせた。
「優作先生、元ドラマーだったならとっととそう言ってくれたら良かったのに~」
「期待させるわけにもいかないからねぇ」
「でも大和田に師匠ができてよかったよ。な」
「ああ」と、剛は頷いた。「自分の太鼓がこれでいいのかどうか、よくわかっていなかったからな」
「しかし瀬戸と小津野がぼくの教え子になるとはね~」
ふとそう呟いた優作に、理一は何のことだろうと首を傾げた。
「何の話ですか?」
と、そう訊く理一に、優作は優作でちょっと目を丸くした。
「聞いてないのかい?」
「何を? 誰から?」
「二人のお父さんはぼくの大学の同級生で、ぼくは二人とスリーピースをやっていたんだよ。瀬戸のお父さんがギタリスト兼ヴォーカルでね」
初耳だった。父はそんなことを一言も言っていなかった。
「知りませんでした」
「うーん。確かにもともと無口な奴ではあったけれど」
帰ったら訊いてみようかと思った。
しかし、普段、理一は父の春樹と特に親密なコミュニケーションを取っていない。これは仲が殊更に悪いということではなく、父と息子のしかも二人暮らしの会話など必要最小限になるものだろうからと理一は思っていた。他の家庭がどうなっているのかは知らないが、少なくとも瀬戸家はそうであった。仲自体はいいのだと思う。それこそ春樹の趣味がギターであることから理一も小さい頃からギターを弾くようになった、という、そういった影響を受けるぐらいには理一は父に対してリスペクトがあるが、しかし決して”仲良し”などではない。普通の父と息子、だと理一は自分たちのことをそう思っていた。だからこのことを夕飯のときにさらっと質問してみるかどうか少し迷うところであった。下手に会話が始まって、無口な自分に似て無口な父親と寡黙な空気になるのはちょっと面倒だと思うからだった。まあ、タイミングの問題だな、とは思う。知ってしまった以上、自分がこの話題を無視するとも思えなかったから。
一方、亜月の方はそれをちゃんと知っていたようだった。
「小津野は、だから木下先生が担任で良かったって言ってたんだね」
そう言う理一に亜月は、うん、と、頷いた。
「仲良しバンドだったみたいで」
「何よりじゃないか」
「まあ大学生の音楽サークルだからね~。仲良しスリーピースでしたよ」
「ふうん?」と、理一はちょっと優作のセリフに含むところを感じた。例えばそれは仕事となるとバンドというのは仲が悪くなるのだろうかなどと思って。「まあ、仲良くしていただけたみたいで、なんか、ありがとうございます」
「いやいや。帰ったら言ってみてごらん」
「機会があれば」
「春樹くんも無口だからなぁ」
「……と、いうことは」
そこで、あることに気づいた純輝は口を開いた。
「小津野さんの親父さん、ベース弾けるの?」
目をキラキラと輝かせた。であるのであれば、自分にベースを教えてもらえるのではないかと期待していた。
すると亜月はこう答えた。
「みたいね」
「みたいねって」
「今は諦めたみたいだから」
「みたいって」
「まあ、そうだねぇ」と、優作が割って入った。「プロとかメジャーデビューとか、ぼくと智也くん――ああ、小津野のお父さんだけど――は、そんなに本気にはなっていなかったんだよね」
「――じゃ、おれの親父は?」
もちろんそのような疑問が浮かんだ理一がそう訊くと、優作はちょっと天井を見上げた。
「ぼくとしては、春樹くんはプロを目指しているんだろうなと思っていたんだけど、結局、諦めちゃったんだよね」
「何でだろう」
「いろいろあったんだよねぇ」
優作が一瞬、遠い目をしたのはなぜだろうと理一は思った。
「いろいろって?」
話しすぎていると思い直し、だからこそ優作はきちんと説明した。
「ま、そこは親子の会話をしなさい。ぼくにここまで言われて気になるかもしれないけど、やっぱり他人のプライベートなことだからね。それに春樹くんの心の中のことは結局ぼくにはわからないからね。勝手なことは言えないから。わかるだろう」
「それは、理解できます」
「よし」
「じゃ、ま、それはそれとして」
と、純輝が亜月に面と向かった。
「じゃあさぁ、おれ、良かったら小津野さんの親父さんにベース教えてもらいたいな~。余裕のあるときにでいいからって小津野さんからお願いできないかなぁ~。どうだい?」
そんな猪瀬純輝は、なんかいろいろ凄いなぁ、と、その場にいる全員が、ある種の感動を覚える。
「ふふ」
そのあまりにも純粋な瞳に亜月はちょっと困惑するのだったが、しかし父親である智也が純輝と仲良くしてくれるのなら母親ももっと安心するのではないか、などと、ちょっとだけ内心計算してはいたのだった。




