第三話 素晴らしき「カタ」の世界・2
「それじゃ瀬戸くん、古屋くん。また明日ね」
「あ、うん」
「悪いな。どうしても外せない用事があってな」
「あ、うん」
「じゃあまた今度バンド名決めようなー。それじゃ」
「……」
「三人とも、またよろしく」
メンバー中三人が、用事があるということで音楽室から去っていった。というわけで部室に残されたのは理一と雅哉の二人になった。
「……」
理一は雅哉をちらりと見る。こちらを特に見てはいない。
何だか気になる。普段から密接なコミュニケーションを取っているわけではないというのも大きいし、そもそも自己紹介を邪魔してしまったという罪悪感もあるので理一は雅哉と普段あまり積極的に関わってはいない。何だか雅哉の側は自分に思うところがあるような気がする、というのは、やはりバイアスがかかっているのだろうか。そんなことを思っていると、ふと雅哉が話しかけてきた。
「あの、瀬戸くん」
何だろうと思い、少し警戒しながら理一は応える。
「何?」
「もし自己紹介のときのことを気にしているなら、ぼくは何も気にしてないからね」
「え」
と、ちょっと目を剝いた。
「ちょっとだけ苦手がられているのかなって。ぼくの気のせいならいいんだけど」
「……」
こうなってくると――自分の気にしすぎだったということが判明する理一だったので、なかなかホッとした。
「いや。あのときは悪かった。ちょっと気分が悪くて、というか」化け物が突然出現したなどという説明はもちろんするべきではないなと思う。「でも、ごめんよ」
「いいんだ。それより体調はあれ以降、大丈夫かい」
「大丈夫だよ」
「それは良かった」
コミュニケーションが取れている。それで二人の関係はOKだ。そう思って、理一はますますホッとして、そうなってくると雅哉に好印象を抱くようになってくる。雅哉は雅哉で理一のことが気になっていたようで、その話を雅哉の方からしてきてくれたということが理一を非常に安心させる。とにかくこれで二人の関係はOKだ。そう結論付ける理一であった。
などと安心していると、雅哉はふと、航平の絵に目をやった。
「海川航平の絵だね。美術室にもあったけど」
話題を提供してくれているのだろうと思い理一は応える。
「お姉さんが音楽室にも飾りたいって」
「音楽が好きって情報は特になかったけどね」
「情報」
「うん。何となく知ったんだけど」
雅哉は頭がいい。成績ももちろんいい。体育も家庭科もばっちりで、先ほどの様子で歌がうまいこともよくわかった。楽器ができるのかどうかはまだ知らないが、おそらくどんなものでもすぐにできるようになるのだろう、という気配を感じる。だから理一はやや気になってみる。
「絵が好きなの?」
すると雅哉は、
「普通かな」
というので、ではどこから海川航平の情報を得たのだろうと思った。
するとそんな風に考えている理一の思考を読み取ったかのように雅哉は口を開いた。
「何となく覚えちゃうんだよね」
「ふーん」
「知的障害のある人だったっていうところに興味を持って」
障害福祉にでも興味があるのだろうかと思う。
「ふーん」
「ぼくも近いところがあって」
「?」
「ああ、せっかく仲良くなれたから、ちょっと自己開示しようかなって」
意外とオープンマインドなんだな、と思った。そもそも雅哉のことなどあまり知らないのだが。しかしこうなってくると理一もなかなか雅哉のことが好きになってくる。剛の説明のように雅哉は確かに誰にでも優しい少年で、そこに違和感がまるでないのは大きかった。人当たりがいい、ということなのだろう。それなら自分もそれなりに自己開示していった方がいいのだろうな、なんて思いながら、理一は言葉を紡いだ。
「古屋は頭がいいよな。知的障害の真逆」
すると雅哉はちょっとだけ顔を翳らせた。
「?」
「うーん」
「IQとか高そうだよな」
「それは、そうだねぇ……」
顎に指をやり、どこまで自己開示しようかな、などと考えている様子に見えた。
やがて雅哉は話し始める。
「瀬戸くんとちょっと仲良くなってみたいなと思って」
「それはありがたいな。これから一緒の部活だし、何といってもバンドメンバーだし」
「ぼく、ちょっとだけ、知能指数が高いみたいで」
と言われても特別画期的なカミングアウトのようには思えなかった。雅哉が賢い少年であるのはもうとっくに周知の事実だったからだ。しかし雅哉からすれば「知能指数」という単語を使うことにやや躊躇いがあるように見えたので、理一としては何か悩んでいることでもあるのだろうかと気になる。
「古屋は賢いもんな」
「自転車をゆっくり漕ぐ、みたいな……」
何か大切なことを言われたような気がした。
「?」
「海川航平と本質的には特に変わらない」
「何が」
すると雅哉は理一の目をまっすぐ見つめた。ちょっとたじろぐ。
「基準をズレている、っていうのは、それが上だろうが下だろうが、生きづらさになっちゃうんだろうなって」
言いたいことは何となくわかるのだが、しかし理一は反駁する。
「下よりは上の方がいいだろ」
「右よりは左の方がいいのだろうか」
「うーん。難しいな」
「だから、贅沢な悩みなんだろうけどね」
理一は、雅哉の「知能指数が高い」というのが、実のところ思っているより相当高いのではないだろうかという気がしてきた。
「まあ、そんな感じ」
「頭のいい奴には頭のいい奴の悩みがあるんだろうなっていうのはわかるよ」
「ありがとう」
「いや」
「ぼく、将来は農業をやりたいんだ。趣味は家庭菜園で」
急に会話が変わったように思ったが、しかし理一は特に何も考えず雅哉と自然にコミュニケートする。
「へえ。古屋だったらもったいないように思うけど。そりゃ農業だって頭がいい奴の方が有利なんだろうけどさ」
「もったいないっていうのはよく言われるけどね」
雅哉はくすくす笑った。何か面白い会話でも自分たちはしているのだろうか。
などと考えていると、雅哉はにっこり微笑んだ。
「まあ、ぼくなりの自己紹介でした」
というセリフを聞いて、理一は、ああこれはあの日の自己紹介の続きをしてくれたんだな、と思った。どんどん雅哉の印象が良くなってくる。今まで結果的に避けていたことの反動なんだろうかと思う。とにかく雅哉が純粋に「いい奴」であることがどんどん判明していき、こいつともっと仲良くなってみたいとそう思うようになる理一なのであった。




