第二話 富の「……」・3
病院。待合室で、診察日が同じ川上佐都紀親子と遭遇したので剛は彼らのもとへと近づいて行った。
「どうも。こんにちは川上さん」
「こんにちは大和田くん。彪くん、こんにちは」
彪というのは剛の一番下の弟である。現在小学校四年生。彼は何も言わず、軽く頭を下げる。
「相変わらず、精神科はいつも混んでますね」
と言いながら剛は佐都紀の隣に座る。
「そうだね。診察時間が長いからねー」
「最近はどうですか? お子さん」
「落ち着いてるよ。な」
と、佐都紀は漫画を読んでいる中学生男子に声をかける。彼は、「はい、はい」とやや焦りながら反応し、しかし一瞬の沈黙、そして、すぐに読書に戻る。
「相変わらずです」佐都紀は微笑んだ。「だからいいことだよ、本当に」
「わかります」
「大和田くんはいろいろ大変だったねぇ」
彪をパニックに陥らせないため佐都紀は慎重に言葉を選ぶ。
剛は答えた。
「でも、保険が下りたし、アパートがすぐに見つかってなんとか生活はできてます」
「それはよかった、とは、言えないよね……」
「まあ、まあ、ですよ」
とはいえ愛猫のみむは死んでしまったのだが。しかしその話を佐都紀にはしていない。佐都紀を信用はしているが、そうではなく自分がいつみむの話題を始めてしまうかわからないからだった。みむのことを家族の中で一番可愛がっていたのが彪であり、そのみむがいなくなってしまったことは彪の心に大きな影を落としていた。
ふと剛は佐都紀の長男に目をやる。佐都紀に似てきれいな顔の男の子である。しかし信じられないぐらい内気な子で、佐都紀のちょっとした説明によると勉強が苦手で、何といってもそして体育が大の苦手なようだった。こんな美少年ならモテるんだろうな、しかしその後が続かないんだろうな、そして彪も今後そういう学園生活を送るんだろうな、と、剛はぼんやりと予想していた。彪は顔の造作そのものはそこまで整っているわけではないはずなのだが表情や印象がとにかく落ち着いていて、それはASD受動型によるものであるようだったが、それが結果的に美少年に映る、ということなのかな、と、何となく思う。確かに例えば友達になった純輝なんかは顔自体はイケメンなはずなのだがどうも落ち着きがないので、だからあまり恋愛方面ではモテないのだろうなと何となくそんなことを考えていた。
「?」
と、佐都紀の長男が顔を上げた。自分と目が合い、剛は会釈する。「どうも、どうも」と慌てながら彼はまた読書に戻る。
佐都紀とは待合室でいつも一緒であり、あるときふと何気なく話しかけたときからコミュニケーションが始まった。佐都紀はもともと介護士だったが腰を痛めたことで福祉関連の別の仕事を今しているようだった。あまり詳しいことはわかっていないが、障害者の憩いの場のようなところで働いているらしい。それならぜひ彪をと申し出たのだが、どうもそこの施設は十八歳以上でなければ利用できないようで、だから剛は彪がいつか十八歳になったらその地域活動支援センターというところで世話になれたらいいと思っている。
福祉士の佐都紀のもとへ発達障害の子どもが生まれた、というのは、佐都紀にとっては”楽”なことなのだろうかと、最初の頃ついそう考えていたことを剛は思う。自分は彪がいるから福祉や精神医療について学んだり接するようになったのだが、佐都紀の場合はもともとアドバンテージがあったのだから、だから”楽”だったのではないか、と、そんな風に最初は思っていたのだ。しかし佐都紀と対話を重ねるごとに、事はそんなに単純ではなく、佐都紀が言うには「親子は親子の話をするべきで、心理学とか福祉とかを家庭に持ち込むのは健康的じゃないんだよね」とのことで、その説明は剛には非常にわかりやすかった。それはおそらく福祉士として働いてきた経験に裏打ちされた思考回路なのであろう。そしてそれは自分にもそのまま適用できることで、自分は「いい兄」や「素敵な兄弟」にももちろんなれたらと思うがそれよりも「健康的な兄弟関係」を築かなければならないと強く思うように至ったのだ。確かに知識として福祉や医療の情報は必要だが、しかし自分は福祉士でも精神科医でもない、あくまでも彪の兄なのだから、だから兄弟は兄弟の会話をしていればいいのだ、ということに、それは彪との接し方に関して自分も思春期であることから少し不安になっていた中学生の頃に佐都紀から学ばせてもらったような気がして、だから剛は佐都紀に対してなかなかの感謝の気持ちや同胞としてのリスペクトを抱いているのだった。
そんなことをぼんやり考えていたら、やがて看護師が「川上さーん」と佐都紀たちを呼んだので、じゃあ、と言って彼らは診察室へと入っていったので、剛と彪は二人きりになった。
「……」
「……」
無口な剛は彪に対しても無口であり、そしてそれは彪にとって特に居心地の悪いものではないようだった。それがわかっていたので剛は安心していた。
そう。自分は、彪の兄であり、精神科医でもカウンセラーでも福祉士でもない。それだけわかっていれば、充分なのだろう、そう思っていた。
そしてそのまま剛たちは自分たちの診察を待つ。
「――?」
そこで剛の視界に、亜月がやってきた。と同時に亜月の視界も剛を捉えた。
「あ」
「あ」
二人してそう反応し、しばしの間の沈黙。
彼女がここにいるということは……。
「どうも」
亜月がそう頭を下げたので、剛も頭を下げる。彪は無反応でオレンジジュースを飲んでいる。




