第一話 想いは燃えているか・1
――自分だけの武器が必要と。
”なんでもできる”は”なんにもできない”。自分はこれができますとか、これだけは誰にも負けませんとかっていうのがないと。
「はい。それでは皆さん、入学おめでとうございます。改めましてぼくが君たち一年一組担任の木下優作です。よろしくね」
四月。入学式を終えて翌日、晴れて高校生になった瀬戸理一は、廊下側の窓際の席に座って教壇に立つ木下教諭の話を聞いていた。差し当たりこのあとクラスメイト一人一人の自己紹介かな、と思った。何を言おうか。自分にはそんなに特筆すべき何かがあるわけではないが、まあ、ギターが好きなことは言えるとして、あとは地味に普通の高校生として日々を過ごせたらいいと思う。
一応この学校は進学校であり、理一も大学進学志望ではあるが、しかしどこどこの大学に行きたいとか、あるいは単純に都会に出たいとか、そこまで具体的な詳細を描いてはいない。なんとなく高校生をして、なんとなく大学生になって、なんとなくどこかの会社に普通の正社員として普通に働いて――そのあとのことは特に何も考えていない。よく周囲にクールだと言われる理一だが、本人としてはあまり細かいことを考えていないだけだと思っている。だいたい人生はこうなるんだろうな、と思っていたし、これまでもなんとなく日々はこう続くんだろうな、と思っていた。そしてそれは大概予測通りだった。自分の立てる未来への対策は自分の立てる予測のメカニズムの中に組み込まれている――という変な言い方をついしてしまうからクールだと言われるということもなんとなくわかっていたが、しかし、それが自分だからそういう発想になるというだけである。特に深い意味はない。
「えーと。それじゃあ、まず、一人一人自己紹介をしてもらおうかな。名前と、そうだな趣味と、あと何か言いたいこと。それじゃ出席番号一番の、猪瀬から順に」
と、優作に名指しで呼ばれた猪瀬という少年が「はいっ!」と元気に叫んで立ち上がった。
「猪瀬純輝ですっ。趣味は音楽で楽器はベースです! バンドができたらいいなーと思ってるので楽器の弾ける友達大大大募集ですっ。そうじゃなくても友達大募集です、よろしくお願いしま~す!」
パチパチパチと拍手が軽く鳴り響き、純輝という少年はにこにこしながら教室中を見渡す。元気な子だ、と理一は思った。それにしてもベースが趣味なのだな、と思った。バンドねぇ。ギターが好きなことは言った方がいいのだろうか。面倒なことにならない方がいいのだが。
バンドかぁ。
それはもちろん、どうせなら楽しい日々を送りたいものだが、しかしそういう好奇心は楽しい未来を招くと同時に面倒な事態を巻き起こすものであることもまだ十六年しか生きていない理一でもわかることだった。
やっぱり面倒な事態は面倒だなと思う。これまでそんなに絶体絶命の面倒な事態に陥ったことがあるわけでもないのだが、つまり生来理一は安心安全を愛する男なのだった。だからこれからも普通の日々がこれまでと同じように続くのだろうな、特に予測の大幅に外れるようなことなど起こることなどもなく――などとそんなことをなんとなく思っていたら、続けて純輝の後ろの体格のいい男子が席から立ち上がって自己紹介を開始した。
「大和田剛です。趣味は料理です。よろしくお願いします」
拍手。そして席に座ると同時にその後ろの女子が立ち上がる。
「小津野亜月です。趣味はピアノです」
というと純輝が後ろを振り返る。にこにこしていた。亜月という少女がやや戸惑っている様子なのは彼女の後ろ姿しか見えていない理一にもよくわかる。しかしここで怯むわけにもいかないと思ったのであろう、亜月はそのまま「よろしくお願いします」と言って静かに席に座る。純輝が後ろをちらちらと見ながら亜月の様子を観察する。と、そこで自分と目が合った。まずい、と思い理一はすぐに立ち上がった。次は自分の番だ。
「瀬戸理一です。趣味はギター……」
「おお」
と、自分を目を合わせようとしながら純輝が目を輝かせた。やっぱり黙ってた方がよかっただろうかとちょっと思って、しかしそのまま自己紹介を続ける。
「……です。よろしくお願いします」
拍手の中、座る。その間も純輝は自分と亜月を交互に確認し、しかしやがてあまりじろじろと見ていてはいけないと自制したのか前を向いたので、理一はホッとした。亜月もホッとしたようだった。
というわけで自分の番が終わって理一は、しかしこの自己紹介イベントでクラスメイト全員の顔と名前が一発で一致させられるならそいつはなかなかの天才少年天才少女だろうな、と、思った。
というわけで理一の後ろの席の女子が立ち上がり自己紹介を始め、このまま五十音順でこの儀式は続いていくはずだと理一は思った。あとは今思ったように、とても無理なことではあるが、できるだけ一人一人を覚えることができたらとなんとなく思う。
ふと担任の優作を眺めてみると、彼は出席簿を見ながら生徒一人一人をじっくりと観察しているようだった。担任としてできるだけ早く全員を覚えなければならないのだろうと理一は思う。この中年の先生がどれだけ長く先生をしているのかわからないが、たとえ熟練の達人であっても漫然と日々を過ごす中で覚えられるものでもないのだろうし、少しでも覚える気があった方が記憶力は発揮されるはずなのだろうとも思う。そういえばこの優作先生の担当教科は何なのだろうと理一はふと思った。自分は国語が得意なので国語だといいなとちょっと思う。と、そこで優作と目が合った。
目が合った以上無視するわけにもいかないので、理一は少し会釈する。優作もやや首を縦に振ったように思う。だからこのまま優作は改めて出席簿に目をやるはずだと思ったのだが、しかし数秒間、確かに数秒の間、優作は理一を見つめた。
(?)
疑問に思うと同時に優作は出席簿に目を移す。なんだろう、と理一は思った。何か顔についていたのだろうかと理一はちょっと手で顔をさすってみる。もちろん何もない。ちょっと怪訝な気持ちになったが、しかし一応クラスメイトたちの自己紹介に集中しなければならないと思う。理一は気を取り直す。生徒たちは次々に立ち上がっては自分の名前と趣味を紹介していく……。
そのときだった。優作が閉め忘れもともと開け放されていた教室のドアから、キャスター付きの机を押しながら全身黒マントの男が入ってきたのでさすがにクールな理一もぎょっとした。
えっ……なんだこの人は。なんだ?
しかし優作も他の生徒たちもまるで反応していなかった。
え、なんでなんで? こんな顔も隠した黒マントが勝手に教室に入ってきたっていうのに、なんで誰も騒がないんだ。なんだなんだ。なんだこいつは? それとも自分が知らなかった、もしくは忘れてしまっただけで、このようなイベントやオリエンテーションがあるのが今日の規定事項だったのだろうか。このなかなかの異常事態にやや怯えていると、その男は机を押して理一の方にやってくる。そして、隣で立ち止まった。
(えっ――)
とある男子の自己紹介が終わり、その後ろの席の男子が立ち上がる。
「古屋雅哉です。趣味はかて――」
(よう相棒。お初にお目にかかる)
その机から緑色のアメーバ状の”何か”が出現して自分に話しかけてきた――なんてことになったら、いくらなんでも理一でも――。
「うわああああああっ!!」
叫び声をあげるのも無理もなかった。自己紹介を中断された男子生徒はもちろん、教室中が理一に注目する。
「どうした瀬戸!?」
異常事態が発生した以上、優作は理一に駆け寄らないわけにはいかない。
「どうした!?」
(まあ落ち着けって。そんなに騒いでは迷惑をかけてしまうぜ)
アメーバがゆらゆらと揺れながら理一に話しかける。しかしそんな言葉がパニックになっている理一に届くはずもない。なんといってもパニックの原因はこいつなのだから。
目玉が飛び出そうになって、口を大きく開けて、ある程度叫んだ辺りでふと理一は気づく。
あれ、黒マントがいない――。
(あいつはおれをお前のもとへ届ける役割だったようだから、もう用が済んだようだということのようだぜ)
(えっ。えっ。わっ――)
(まあ落ち着けって)
「先生!」
そこで純輝が自分のもとへやってくる。すると、その純輝は、その異常机と重ね合わせになった。
なんだなんだ。何が自分に起こったんだ。何ということだ。何が自分に起きたんだ。なんだなんだ……!?
「おれ、猪瀬です。保健室にぜひ連れて行こうかと思います」
という純輝の提案を優作が拒絶するはずもなかった。
「ぼくも行こう」
「いえ。保健室の場所はもうわかってるんで、おれ一人で大丈夫でっす」
「いや、担任だからね」
「だからこそっす」と、そこで純輝は優作の耳に小声で言った。「みんなを落ち着かせてくださいです」
意外と冷静な純輝に優作はちょっと感心したようだった。
「じゃあ――お願いするよ。瀬戸、しっかり。落ち着いて」
「え。あ。えっ」
(入学早々、友と師に恵まれてお前は幸運だな)
(なんだこいつ)
(まあ追い追い話せればと)
こいつ、自分の心の声に反応している、と理一は訝しむ。なんていう異常事態だろう。それともおれは頭がおかしくなってしまったのだろうか、と、そう不安になっている理一のまさに不安そうな様子を見て純輝は優しく声をかけた。
「じゃあ瀬戸、瀬戸だよな? 行こう。平気だから」
「え、え――」
「いいからいいから」
と、純輝は理一の肩に手を回して立ち上がるように促した。確かにこのままここにいても事態が解決するようには思えなかったし、とりあえず静かな場所に行くべきだと思ったので理一は素直に応じた。
「お、おう」
「じゃ、先生、おれたちちょっと出ます~」
そう言って、純輝は理一を連れて教室を出る。そのあとをこの異常な机がついてくる。誰も押していないのに、勝手にタイヤが転がって、机は理一のあとをついていく――。
そんなある日の朝だった。




