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その日の夜。
パルとナリアの二人はほとんど深夜という時間帯になってから依頼主の下へと向かっていた。
春とはいえこの時間になれば肌寒さを感じる。
空では無数の星とほとんど正円に近い月が光を放っていた。その透き通った青白い光で十分に視界を確保することができ歩くのにも特に灯りは必要ない。
二人の目的地はとある孤児院。
訪問がこんな時間になったのは依頼主――その孤児院の代表者らしい――の指定があったからだ。
なんでもそこで世話をしている子供達に依頼の内容を聞かせたくないとのことだった。
二人して人気のない路地を進んでいくと間も無く目的の孤児院が見えてきた。
東地区と南地区のちょうど境目。多芸無芸の詰め所からも近く、歩いてもすぐ来られる場所だ。パルは初めて来たが、ナリアはよく出入りする場所らしい。
「こんな場所があったんだな」
「あんたは外の世界に興味が薄すぎたよ」
「かもな」
そうかもしれないとパルは思う。
元々どちらかといえば内向的な性格と自覚はしていた。
ナリアはそんな自分を見かねてか事あるごと自分をあちこちに連れ出そうとしてくれたが、イマイチ乗り気にはなれなかった。
また、多芸無芸を作る前は商店街の各所で手伝いをして生活費を稼いでいたので、生活のほとんどをイヤサム商店街内で済ませていたということになる。
今後はそうは行くまい。
依頼次第ではこうして商店街の外にも出なければならない。もしかしたら国外に出ることだってあるかもしれないのだ。
そんなことを考えながら孤児院へと歩いていく。やがて暗闇の中でも孤児院の様子がわかるところまで近づくと
「なにコレ……」
ナリアが唖然として言った。パルの表情も似たようなものだった。
孤児院の窓という窓のガラスがめちゃくちゃに割られていたのだ。木造の壁にも何か人の拳程度の大きさの物が当たった跡があり、所々は壁の表面が砕かれ陥没している。
なにか石のような硬い物を投げつけられでもしたのだろう、と思われた。
「誰?」
孤児院の惨状に二人が絶句していると、人の気配に気づいたのか女性が入口から出てきた。
「あ――」
その人物を見てパルの目が奪われた。
凛と引き締まった涼しげな目鼻立ち。降りしきる雪のような白い肌。
ほっそりとした手足のせいか受ける印象は華奢だが、青い瞳に宿る光は強い。
腰まであるストレートの黒髪は艶やかで、月夜の闇で紡がれたかのような青白い淡い光を放っている。
「どちらさまかしら?」
少女は二人を見るとあからさまに訝しげな顔をした。この孤児院の有様もあってかその声には強い警戒心が窺われる。
「え、あの……ええと」
パルの精神は普段はあまり行ったことのないエリアに迷い込んでおり帰り道を見失っていた。精神も肉体も硬直してしまい少女の問いかけに反応できない。
「何?」
パルの様子に少女が眉をひそめる。
「え~と!」
慌ててナリアが一歩前にでて代わりに対応した。
「あたしたちはこちらのラッセル先生からの依頼で『多芸無芸』から参りました。あたしがナリアでこっちがパルと申します」
「多芸無芸?」
「はい。先日開業した便利屋です」
「わかったわ。今先生に確認してくるから。悪いけれどここで待っていてもらえるかしら?」
「はい。お手数おかけします」
そういうと彼女はドアを閉めた。人の遠ざかっていく気配がする。
ナリアはそれを見届けると一歩下がって再びパルの横に立ち
「ちょっと! しっかりしてよ!」
とパルの肘の辺りを小突いた。
「この依頼が明日からのご飯に直結してくるんだからね! うまくすれば肉なんだから!」
「だからそういうのは後回しだといつも言って――」
「なに!?」
「――ごめんなさいすいませんでした」
ナリアの飢えた野獣のような眼にパルは射すくめられる。
前に肉を与えたのはいつのことだったか。肉への渇望が彼女を獰猛な肉食動物へと変貌させつつあるらしい。
このままではまずい。喰われる。
「し、しかし、今の人は誰だ? ここの人?」
パルは話を変えるべく気になっていることを尋ねることにした。
「うん。住み込みで手伝いをしているみたいだよ」
「へ~。立派な人もいるもんだなぁ」
「って、あれ? パル、今の人のこと知らないの?」
ナリアが心底不思議そうに訊き返してくる。
「え? いや、知らないはずだけど。お前の知り合いか?」
思い返そうとするが記憶の中に彼女の姿はない。
あれだけ目を引く容姿なのだから一度出会っていれば忘れることはないと思うのだが。
「ううん、あたしも直接会うのは初めて。だけどみんな知っている有名人だよ」
「そうなのか」
「一応言っておくけどくれぐれも不用意な言動は――」
そこまで言ったところで再びドアが開き先程の少女が顔を出した。二人の会話はそこで中断される。
「どうぞ。入って」
「はい」
「失礼しま~す」
二人は慌てて背筋を伸ばすと、少女の後について孤児院へと入った。
「足元に気を付けて」
暗い廊下を進んでいくがそこにもガラスの破片や外から投げ込まれたものと思われる石ころなどが散乱していた。
「ひどいな。あの。住んでいる人は大丈夫だったんですか?」
パルはそれを見て顔をしかめ、先を歩く少女に尋ねた。
「ええ。幸い怪我人は出なかったわ。皆、裏庭で農作業をしていたから」
「そうですか。それは不幸中の幸いでしたね」
パルはほっと息を吐く。
「そうね。こんなくだらないことで皆が怪我だなんて。許せないわ」
パルははっとした。そこに隠し切れない激情を感じ取ったからだ。
口調は変わらず静かだ。そしてそれは自分たちに向けられているのでもない。 それでもこちらの身を一瞬竦ませるに十分な程の壮烈な怒気だった。
住む場所が破壊され家族というべき人が危うく怪我をするところだったのだ。
それを考えれば怒るのも当然なのだろうが。それだけではないものをパルは感じていた。
二人は奥の広い部屋へと招き入れられた。
ここの住人が使う食堂だろうか。大きいテーブルが二つに木製の椅子が何客も置かれている。使い古された感じがかつてのパルの家を思い起こさせた。
そのうちの一つにいかにも人の良さそうな白髪の老紳士が座っている。
「ナリア! よく来てくれました!」
その紳士はパルたちに気付くと立ち上がり明らかにほっとした様子で声をかけてきた。
「ラッセル先生。こんばんわ!」
「……こんばんわ」
ナリアは明るく、パルは割とおずおずと挨拶をする。この辺が二人の社交性の差である。ナリアは既にラッセルと呼ばれる人物とは親しい様子だった。
「こんばんわ。すいませんね、こんな夜遅くに。さあ、こちらにおかけ下さい」
パルとナリアは招かれるまま老紳士の近くの椅子に腰を掛ける。
それを見てパルも腰を下ろした。
「お茶を入れてきます」
少女はそういうと踵を返す。つられて翻る長髪がそんな些細な動作をも華麗に見せていた。
「あ、お構いなく」
パルは控えめにそういったが、少女はちらっとこちらを見ただけで部屋を出て行ってしまった。
「申し訳ない。あまり愛想がいいとはいえない娘で」
「い、いえ。全然、大丈夫です」
パルは恐縮すると先生と呼ばれた人物の方へ向き直った。
「では改めて。この孤児院を経営しておりますラッセルと申します。以後、お見知りおきを」
「初めまして。俺はパルといいます。よろしくお願いします」
お互いに頭を下げて丁重な挨拶をする。
「なるほど……」
とラッセルがパルを見て妙に好意的な笑みを浮かべた。
「どうかしましたか?」
「いえ、ナリアから聞いていた通りの人だなと、思いまして」
「そんな極悪人に見えますか、俺?」
ナリアのことだ。愚痴の一つでも言ったに決まっている。
「とんでもない。何時もナリアは褒めていますよ、気の優しい人だとね」
「そ、そうですか」
思わぬ賛辞にパルは照れくさくて頭を掻いた。
「せ、先生、その話はまた今度で!」
ナリアが慌てて間に入る。恐らくはパルと似たような気持だったのだろう。
「そ、それよりも依頼の話を聞かせてくださいよ」
ナリアが本題に入った。
「ああ、そうですね」
老紳士は居住まいを正すと深刻そうな様子で話し始めた。
「お二人はご覧になりましたよね? 孤児院の有様を」
「ひどいですよね! 誰があんなことを?」
ナリアが顔を赤くして憤慨する。
「わかりません。実は孤児院に対する嫌がらせというのはあれが初めてではないのです」
「以前からこんなことがあったということですか?」
「はい。ただ、何と言いますか、これまではもっと回りくどいものだったのです。夜中に突然ドアが叩かれるとかそういったイタズラとも言える範囲の」
「それだって十分ダメです!」
「ナリア、ちょっと落ち着けって。それで?」
パルはナリアを宥めるとラッセルに先を促した。
「それが二日前に突然、脅迫めいた文書が届きまして。内容は壊すだの殺すだの、そういった言葉が意味もなくぎっしりと羅列されたもので。明らかに普通じゃないと私たちも竦み上がりました。――あの、これです」
そういってラッセルは一枚の紙を二人に差し出した。
パルは受け取り目を通す。ナリアも横から首を伸ばして覗き込んできた。
「うげえ~」
うめき声とともにナリアが嫌いな野菜を食べたときのようなしかめっ面をする。
パルもそのあまりの不気味さに悲鳴を上げて手紙を放り出す寸前だったが依頼人の手前何とかこらえた。
殺してやる。
壊してやる。
ただそれだけが殴り書きのような汚い字で手紙全体にびっしりと書き込まれていた。
「そして今日――もうすぐ昨日ですか――の夕方に孤児院があのようなことになったのです」
「怪我人が出なかったようで不幸中の幸いでしたね」
「ええ。しかし、子供たちには耐え難い恐怖でしょう」
「そうでしょうね。この手紙を書いた奴がこんなことをしたと、そういうことですか?」
「私はそう思います」
ラッセルが頷く。
「じゃ、依頼っていうのはこいつを捕まえることですか?」
ナリアが紙を指さしながら言う。
「ああ、いえ、それはもちろんそうなのですが」
ラッセルはためらいがちに目をふせた。
「先生! 大丈夫ですから、思い切ってぶちまけちゃってくださいよ! あたしたちが如き有象無象なんぞに遠慮なんていりませんから!」
ナリアが言った。
その言い方はどうなんだとは思いながらも、趣旨自体には同意するパルも頷いて見せる。
「その通りです。何でも仰って下さい」
「……わかりました。依頼というのはこの孤児院を守ってほしいということなのです。ここには男手が老いぼれた私しかおらずいざという事態にはとても対処できません。ですから、できれば、誰かにこちらに泊まっていただいて警備にあたっていただきたいのです」
「なるほど」
「それに、このような危険で、手間のかかる頼みごとをしておいてなんですが、孤児院の方も経営が厳しく報酬をそれほどお支払できないのです。それで他のギルドに依頼をするわけにはいかなくて……。それをナリアに聞けば多芸無芸さんなら格安で引き受けて下さるとか。それでこうしてお願いすることにした次第でして」
ラッセルの話を聞きながらパルはナリアの方へチラッと視線を向けた。
それに気づいたナリアは笑顔を作ると片目をつぶって見せる。
『やるよね?』
その目はそう語りかけてきていた。
やれやれ……さすがは幼馴染だ。
この手の依頼を自分が断れない、いや、それどころか積極的に取り組みたがっていることをよく知っている。
普段は肉だの金だのと言っているがなんてことはない。彼女だって十分にお人好しなのだ。困っているラッセル先生のことを捨て置けず最初から引き受けるつもりで話を持ってきたのだろう。
それは当然、自分としても望むところである。
「わかりました」
そんな幼馴染に心強さと感謝とを覚えながら。
「ご依頼、この多芸無芸がお引き受けします」
パルははっきりとそう言った。
「あ! ありがとうございます! ありがとうございます!」
ラッセル先生は感激も一入の様子で感謝の言葉を繰り返している。
「それで、先生。犯人に心当たりはありますか?」
ナリアが訊ねた。
パルもその点には興味があった。
攻撃こそが最大の防御。
犯人確保が最良の解決策であることは疑う余地もないことである。
「いえ、それが全く。これまでの嫌がらせと同じなら住民の誰かとは思うのですが」
「そもそもなんでこの孤児院が嫌がらせなんて受けるんですか?」
「「えっ?」」
続いてパルが質問したが、それを聞いてナリアと先生がパルの方を向いたまま固まってしまう。
「――あれ?」
奇妙な間にパルが目を瞬かせた。
「お、俺なんか変なこと言いました?」
嫌がらせが始まった原因の方からも犯人を探れるかもと思ったのだが。違うのか?
「あ、ああ。いえ大丈夫です。嫌がらせの原因ですか……えっとそうですね」
ラッセルの目が言い難そうに虚空をさまよう。ナリアも同じ感じだ。
どうしたってんだ? パルが不振に思っていると。
「私がいるからよ」
背中の方から落ち着いた声がした。
振り返ると黒髪の少女が両手にティーカップを乗せたお盆を持って立っていた。ティーカップからは暖かそうな湯気が上っている。
「あなた、が?」
「ええ」
少女は小さく頷くとつかつかとパルとナリアの方へと歩み寄る。
最初にナリア、続いてパル、ラッセルの順でお茶をテーブルに置いた。
ナリアもパルも軽く頭を下げてお礼の返事に代える。
そして少女はパルの脇に立つとじっとこちらを見下ろしてきた。
「な、なんであなたがいると嫌がらせが?」
吸い込まれそうな黒い瞳に見つめられ何だか座りが悪い。
パルはどぎまぎしながら何とか口に出した。
「――貴方」
それを聞いて少女の瞳が少しだけ揺れるのがわかった。
「私のこと知らないの?」
「え、ええ。すいません。その、世事にちょっと疎いものでして」
何なんだ? ナリアもさっき言っていたがそんな有名人なのか?
「では、ご挨拶をさせていただくわ。私の名前はソラ。ソラ=セレセスよ」
そういって恭しく頭を下げてみせる。
優雅な動作だが、発せられているのはそれとは逆の刺々しさだった。
「え? ええっ!?」
パルの頭を何かで殴られたような衝撃が襲った。
ソラ=セレセス!?
確かに彼もよく知った名前だった。いやこの国の住民なら誰でも知った名前だ。多くの尊敬と……おそらくはそれを上回るだけの侮蔑とを集める名前。
「そ、それじゃあ。あなたがあの?」
「そう。あの有名な『脱落者』よ。以後お見知りおきを」
そういってソラは唇を歪めて薄ら笑いを浮かべた。
その様子にラッセルがつらそうな表情になる。
パルは口を陸に上がった魚のようにパクパクさせていた。
いや、彼女の自嘲的な言葉はそもそもパルには届いていなかった。
この人がソラ?
あのソラ=セレセス?
魔王討伐のためにこの国から旅立ったオプティムスの一人?
勇者の、姉さんの戦友?
ソラの語った情報が脳内で消化されていくにつれ自分が舞い上がっていくのを感じる。
ずっと会ってみたいと思っていた。そして話を聞いてみたかった。旅のことに戦いのこと、そして姉さんのことを。
その旅の顛末から彼女のことを『脱落者』『落伍者』と蔑む者がいることは知っていた
しかし、彼にはそんなことは関係なかった。それでも彼女は自分などよりはずっと立派な尊敬すべき存在なのだから。
そのソラが今、自分の目の前に立っている。
何か言わなければ。
何か言わなければ。
何か!
言わなければ!
それだけが脳内を支配して。
気付いたときにはパルはソラの手をとって立ち上がっていた。掴んだ両手を挟んで至近距離で見つめ合う形になる。
「ちょ、ちょっと!?」
今度はソラの目が驚愕に見開かれる番だった。
「え~あの~その~この~……そ、そう! ず、ずずずずっと!」
「え?」
「す、好きでした!!」
パルの脳としては混乱しきった状態の中でも、一番シンプルで力強く思いを伝える言葉を導き出したのだろう。
意味自体が大きく間違っていたわけではない。
しかし、その言葉は周囲を凍り付かせるだけの破壊力を持っていた。
実際、ソラもナリアもラッセルも、誰も何も言うことができず一時の静寂が部屋を支配していた。
「――――あれ?」
自ら生み出したこの凍えるような空気に頭を冷やされ、ふとパルが正気に戻った。
周囲を見回すとナリアとラッセルがまん丸の目でこちらを見ている。
そして正面を向き……パルは唖然とした。
ソラが顔を真っ赤にしてこちらを睨み付けていたからだ。
目にはうっすらと涙を浮かべてさえいる。先程までの鉄面皮はどこかへ吹き飛んでしまったようだった。
「俺、何か間違えました?」
パルは恐る恐るそう尋ねる。
ナリアとラッセルが固まった表情のままうんうんと首を縦に動かすのが視界の隅に映った。
「い」
他方、ソラはパルの言葉におびえるように顔を伏せる。
「い?」
「いやああぁーーっ!」
それまでの態度には似ても似つかぬ可愛らしい悲鳴を上げると、パルの手を払いソラは右手を高く振り上げる。
そして。
「いや、すいません! 間違えたんならすぐ謝ります! こんな軽い頭は他にないぐほああああ!!」
彼の得意技である神速の謝罪も間に合わず、ソラはパルの横顔を思い切りひっぱたいた。
瞼の裏で火花が散るとパルの意識は霧散しそのまま仰向けにひっくり返る。
それはパル=リミットエンドの十八年の人生で最も寝つきのよい(悪い?)夜となったのだった。




