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その夜以降、多芸無芸による孤児院の警備任務が開始された。
基本的にはパルとナリアが二人とも孤児院に泊まり込むことになった。多芸無芸の方はナリアが空いた時間に様子を見に行っている。
元々開店休業状態だったのでそれで構わないだろうということになったのだが、案の定、新たな依頼が舞い込むようなことにはなっていないらしい。
――あの夜からさらに数日が経っていた。
その日の昼下がりパルは一人食堂でお茶を飲んでいた。
彼らが警備についてから今日まではなんら異変はない。それ自体は喜ぶべきことである。
ただそれで解決とはならない。
やはり犯人を捕まえるのが最良の手とは思うのだが、如何せん人手が足りずとても犯人の捜索にまで手が回る状態ではなかった。
そうするとまた孤児院を襲ってきたところを捕まえるしかないのか。しかしそれでは孤児院の人々に危害が及ぶかもしれない。
現状ではしばらくは守勢に回らざるを得ないようだ。
「お忙しい? え~と、ヘンタイさん? だったかしら」
そこへソラが入ってきた。冷え切った表情を浮かべている。
「パルと申します! いい加減覚えてください!」
「ああ、そうだったわね。ごめんなさい、何だか紛らわしくて」
「それはウソだ!? たった二文字のわかりやすい名前なのに!」
あの日以来、ヘンジンだのヘンタイだのとちゃんとした名前では呼んでもらえていない。
ヘンジンはともかくヘンタイは勘弁してもらいたい。……何となく。
確かにあのときの発言は我ながらアレだとは思うものの。あの後すぐに謝罪をしたしそろそろ許してくれてもいいのではないだろうか。
「はぁ。外出ですか?」
気を取り直してパルが訪ねた。
「ええ。食料の買い出しに行きたいのだけれど」
「わかりました」
パルは立ち上がった。
誰かが外出するときはパルが同行する。それがここ数日の決まり事だった。
最初は(それはもう頑なに)渋ったソラだがラッセルの説得もあり何とか了解してくれた。
二人して食堂を出る。
孤児院の出入り口に向かう途中一人の男の子とすれ違った。
「あ! ソラお姉ちゃん! それと、う~んと」
少年は少し考え込んで
「シキマさん! こんにちわ!」
などと言い放った。
シキマ?
え~と?
シキマって、色魔!?
「そ、そそ、そんな言葉使っちゃいけません!」
ソラの発言の一つを覚えてしまったのだろうが、こんな清純な人間を捕まえてなんてことを言うのだ!
パルは慌てて訂正する。
「ブラム! だめよ、忘れてしまいなさい。そんな言葉はこの人の存在ごと」
ソラもソラで自分の与えた思わぬ悪影響に驚いたようだ。ずいぶんと無理矢理に少年の記憶の改竄を図る。
「名前がいっぱいで覚えられないよ~」
と少年は困惑顔だ。
「俺はパルだよ、パル! こっちのほうがずっと言いやすいだろう?」
「パル……お兄ちゃん?」
「そうそれ! それでこそ人の名前!」
「こんにちわ、パルお兄ちゃん!」
「はい、よくできました!」
最初はぎこちなかった子供たちの関係もここへきて徐々にうまく回り始めていた。
久しぶりにできた知人にパルとしても嬉しくなってくる。
「こうやって子供でも覚えられる単純な名前なんですよ、本当は」
パルは視線をソラに向けるが、ソラは知らん顔をしている。
「裏で農作業かい?」
ブラムと呼ばれた少年は手に小さな農作業の用具を抱えていた。
「みんなでナリア姉ちゃんを手伝うんだ!」
「そうか。がんばれな」
「ありがと! ソラお姉ちゃんたちは買い物?」
「ええ。晩ごはんの材料を買いに行くわ」
「やった! お姉ちゃんの作るご飯はおいしいから大好きだよ!」
そう言いながらブラムは輝くような笑顔を浮かべた。子供らしい素直でまっすぐな褒め言葉だ。
そしてそれはそのままソラのハートを直撃したようだった。
「う。あ。 え、ええ。……あ、ああありがと」
顔を真っ赤にしたソラがアタフタとして言った。
「うん! それじゃあね!」
軽快な足音を残して少年が走り去る。
パルとソラは少しの間その様子を見送っていた。
「嬉しいですよね。あんな風に言われると」
「べ、別に。何と思わないわ」
「そうですか?」
「ええ」
頷いた彼女の表情はもう先程までの冷たいものに戻っていた。
「本当にどう思っているかなんて、分らないもの」
パルは何も言うことができなかった。
あんな小さな子供が、本心を偽って、あんな顔をできるわけがない。
どちらかと言えばそう考える方が普通だろう。彼女もきっとわかっている。
でも認めたくないのかもしれない。人の善意というものを。
これ以上ないくらいに礼賛されたかと思えば、手のひらを反すように痛罵される。
そんな彼女の過去からすれば仕方がないことかもしれなかった。
「行きましょう」
ソラはふっと顔を背けると先立って歩き出してしまう。
パルは慌ててとその後をついていった。
二人して外を歩くと彼女の置かれている環境というのがよりはっきりと実感された。
道行く人々から向けられる遠慮のない好奇や蔑視の視線。こちらを見ながらわざとらしく会話する通行人。
そういったものにずっと晒され続ける。
無論必ずしも全ての人がソラに悪感情を抱いているわけではないだろう。
しかし、そう思えてきてしまうのだ。
突如湧き起こる楽しげな笑い声すらも自分たちを嘲るものではないかと錯覚しそうになる。
『離れて歩いて構わないわ』
ソラは最初そう言った。いつもの抑揚のない方の声で。
その表情からは辛いとか悔しいとか、そういった感情は感じ取れなかった。周りの人間のこういった反応を、ただそこにある空気のように、当たり前のものとして受け入れてしまっているようだった。
もちろんパルは丁重にお断りをした。
今もこうして彼女の隣を歩いている。風に靡く長髪が手にあたって少しくすぐったい。
彼女に恥ずべきところはないのだから。
自分の存在が彼女の迷惑になっているならともかく、そうでないならばこうして一緒に歩きたいと思った。
『物好きね』といった彼女の顔に心なしか陽性の感情が浮かんだと思うのは、自分の意識過剰だろうか。
しかし、と改めて思う。
彼女は確かに有名人だ、それも主には悪い意味での。だから多少は肩身の狭い思いをしているかもしれないとは思っていた。
それでも実際に体験してみるとそれはパルの想像をはるかに超えたものだった。こうして脇で体験しているだけの自分ですら孤児院の外では息の一つも吐けない。
彼女がこの街に『戻って』約一年と少し。
それ以降ずっとこんな目にあっているのだとしたら……その苦しみは如何程だろうか。
パルは横目でソラの様子を窺うが、そこにあるのはいつもの鉄面皮で感情は読み取れなかった。
「一雨来そうですね」
パルはどんよりと曇った鉛色の空を見上げる。
「そうね」
ソラは短いけれど返事を返してくれる。
これくらいの日常会話ならばそれなりに交わせるようになっていた。この数日の小さな進歩だ。
「……一つ、聴きたいのだけれど」
「はい?」
パルは少しだけ驚いた。彼女の方からこんな風に話を振ってきたのは初めてだったからだ。
「何です?」
パルは次の言葉を待つ。
彼女には珍しい迷いの色が目に浮かんでいるように見えた。
「どうして?」
「えっ?」
唐突な言葉にパルは思わず聞き返していた。
「どうしてこの依頼を受けたの?」
「変ですかね?」
「危険のわりに報酬は少ない。こんなの普通のギルドだったら引き受けないわ」
「まあ。確かにそうかもしれないですね」
「ましてフォルトゥナの貴方ならもっと良い仕事も得られるはず。魔王なんていなくなった今もその力を必要としている人は沢山いるんだから」
「あれ、知っていたんですか? 俺がフォルトゥナだって」
パルは驚いて言った。
「その石を見ればすぐわかるわよ」
「あ、そうですね」
パルは自分の腕輪に目をやった。
――幸運。
このオムニアという宝石と適合できる能力者のことをそう呼ぶ。
三年前、突如として出現した魔王とその軍勢は、僅か半年余りの間にアドムパブス大陸の北半分を覆うほどにその勢力圏を拡大してしまった。
このままでは間もなく大陸全土が支配される。
そんな絶望が世界を支配したとき。大陸南西端の辺境、グラスクラグ王国でとある希望が生まれた。
それがこのオムニアとそれを使いこなす能力者――フォルトゥナだ。
このオムニアは『コル』と呼ばれる未知のエネルギーを高純度で蓄積するという特性を持つ溜結晶に特殊な精製を施したものである。グラスクラグはその溜結晶の大陸唯一の産出国だった。
オムニアに適合した一部の者は自分の体内のコルと石のコルを結合させることによって様々な力を発揮することができる。その力は魔獣たちと戦うための有効な手段となった。
追い詰められた人間の起死回生の一手となったことから、石を使える能力者は幸運――フォルトゥナ――と呼ばれるようになったのである。
「迷惑でなければ教えてほしいのだけれど」
「う~ん」
パルは少しだけ迷った。正直に言えばあまり人に話して聞かせる類の話ではない。
ただ、無下にはできないと思わせる雰囲気をソラから感じた。
「俺、決めてるんですよ」
だから、間を取って結論の部分だけを伝えることにする。
「後悔しないように何でもやってやろうって。誰かのためになることなら」
「誰かの?」
「はい。昔、近くにそういう人がいて。本当にかっこよかったものですから」
パルが少しだけ遠くを見るような目をする。
懐かしさと苦々しさとがわずかに胸に去来した。
「多芸無芸を立ち上げたのもその一環です」
「それは。……ご立派なことね」
その言葉には冷ややかな空気が少しだけ混ぜられていて。
ソラはそう言ったきり興味を失ってしまったかのように黙ってしまった。
まあそうだよな、とパルは内心で苦笑する。
自分にはまだ何の実績もないのだ。どう受け取られても今は仕方がない。
少しだけ重くなってしまった空気を引きずりながら、二人は孤児院の近くにある広場にたどり着いた。
円形の広場の周囲を種々の店舗がぐるりと囲んでいる。
少し高い所にあるため建物の隙間からイヤサム商店街の方がよく見渡せた。
孤児院御用達の場所であるらしく、何度もついてきたパルも既に道を覚えていた。
二人が広場に入ったそのとき。
進行方向の少し先に一人の体格の良い中年の男が立ちはだかった。
うつろな表情。ボロボロに朽ち果てた服。髪もひげもボサボサで一見してまともではないと思わせる外見だった。
そして何よりも、パルにさえ容易に感じられるほどの殺気を放っている。
パルにも否応なしに理解できた。
今まで模糊として自分たちを包み込んできていた敵意。
それが遂に明確な形で現れたのだ、と。




