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くだらない。
今の状況を過不足なくかつ的確に表すこれ以上の言葉があるか。
少女は両手に抱いた空っぽの籠を見下ろしながらそう思った。
果物を六つ注文したはずだ。自分と孤児院で生活している四人の子供たちと先生の分で計六個。
それなのにいつまでたっても店主が果物を売ってくれない。もうずいぶんと長い間こうして店の隅に立ったまま待たされている。
自分よりも後から来た客たちもさっさと買い物を済ませて出ていった。
自分は間違いなく注文をした。その程度のことを間違えるわけがない。
相手の店主は耳が遠かったわけでも言葉が通じなかったわけでもない。今も他のお客の注文にはしっかりと対応しているし、使っている言葉は自分と同じものである。
したがって原因は明らか。いつもの取るに足りない『嫌がらせ』だ。
彼女は細く長い溜息を吐き、肺の中の空気に怒りや苛立ちといった負の感情をたっぷりと混ぜ込んで吐き出した。
彼女が発見した冷静さを保つ一つの方法だ。
この街に帰ってから凡そ一年と数か月。
ずっとこんなことばかりでこうやって自分の感情を処理することにもすっかり慣れてしまった。
これだから買出しは嫌だったのに。
少女は心の裡でそう愚痴る。
皆の面倒を見てくれるラッセル先生の体調がここの所芳しくないので彼女が来ざるを得ないのだ。
彼女は半ば無駄と確信しながらも、努めて冷静に店主に声をかけた。
「ごめんなさい。果物を注文したのですが」
それを聞いた店主は唇を歪めた。
「あれ、そうでしたっけ? すいません、果物は売り切れですね」
「でも、あちらにまだ在庫があるようですけど」
やはり、と思いながらも彼女は店の奥の棚を指さす。
「ですから、お宅に売る果物はウチには置いてないんですよ」
ざまあみろ、言ってやったぞ。そんな言葉が店主のしたり顔から聞こえてくる。
――本当にくだらない。
もう考えるのも億劫で、ただただ心底そう思うだけだ。
「わかりました」
言い争っても無駄なことを知っている彼女はそう言葉を残して店を後にする。
少しだけ早足になっていたのは彼女の中に拭い切れない何かが残っていたせいかもしれない。
そんなことで時間を取られたことあり買い出しが終わった頃にはもう夕日が沈みかけていた。
必要なものを何とかそろえることができた。
少女はその安堵感と購入した品物を詰め込んだ籠を両手で抱え自分の家である孤児院へと向かう。孤児院は王城の南東にありここからもそう距離はない。
少し歩き道の先に孤児院が見えたところで彼女は異変に気付く。孤児院の前に人だかりができていたのだ。
孤児院は人通りの少ない裏通りにひっそりと経っていて、あれ程の人が集まるところなど彼女は見たことがなかった。
もしかして何かあったのか――そこに考えがいたった瞬間、彼女の心臓がドクンと跳ねる。
心がざわめき焦燥が強まるにつれて、孤児院へ向かう彼女の足も早まっていた。
※※※
これぞ、開店休業。
誰もいない多芸無芸の詰所でパルは一人溜息を吐いた。
今まで言葉だけはよく知っていた概念を眼前でまざまざと見せつけられ、一つ賢くなった気がする。
商店街の泥棒退治に成功し順風満帆に立ち上がったように見えた多芸無芸。
しかしそれは浮かれた自分たちの曇った眼が作り上げた幻に過ぎなかったのかもしれない。
つまるところ客が来ない。全然、全く、これっぽっちもだ。
せっかくの泥棒退治という業績も捕まえた泥棒が牢屋から脱走してしまったという話題に注目を奪われてすっかり忘れられてしまったようだ。
確かに注目すべき事件ではある。
あの男の運動神経は確かにかなりのものだった。しかし、それだけで脱獄ができるとも思えない。どうやったのかとパルは不思議に思っていた。
「……暇だなぁ」
パルは誰もいない詰所に視線を巡らせた。
便利屋『多芸無芸』の詰所はイヤサム商店街の中程にある。イヤサム商店街はテンサクス東町の台所だ。
この詰所はパルの師匠であり現在の保護者でもあるフローラが伝手を使って安く借り受けてくれたものだ。二階建てで一階部分が多芸無芸の詰所に使われ、二階部分でパル、ナリア、フローラの三人が生活している。
賃料は安いがその分おんぼろ。徐々にそれらを直していくというのも夢のある話ではないか、などとお気楽なことを考えていたのだが。
これでは近いうちに賃料未払いで追い出されることになるかもしれない。
もう一度投書箱を見に行ってくるか。パルはそう思い立った。
何でも屋『多芸無芸』への依頼の仕方に決まった形はない。
詰所へ直接来てくれてもいいし、メンバーの誰かを捕まえて交渉したって構わない。
ナリアは持ち前の身軽さを生かしてどこかに困った人がいないかあっちこっちを探し回っている。
この詰所の前と商店街の何ヶ所かに投書箱が設置してありそちらに依頼を投函しても大丈夫だ。
現状はそのどれにも音沙汰がないわけだが。
パルは頭を掻きながら立ち上がろうとして、やっぱりやめた。
投書箱だって今朝確認したばかりだったからだ。行ったって状況が変わっている可能性は低いと言わざるを得ない。
「――寝るか」
春の穏やかな日差しを受けてパルは一つの結論を出した。
つまりは現実逃避である。
パルがテーブルに突っ伏すと
「パル~!」
よく知った大声がまるで衝撃波のように鼓膜をたたいた。
次の瞬間、けたたましい轟音を上げて詰所のドアが開かれる。
ナリアは部屋の中央まで一気に駆け込んでくると膝に手をついてぜ~ぜ~と荒く息を吐いた。
「静かに入って来いっていつも言ってるだろ。ドアが壊れちまうよ」
「そんなこと言ってる場合じゃないよ!」
「そんなこと、か」
古びた扉の寿命はナリアの眼中には無い様だった。パルは心の中で扉にすまないと詫び、これからもできるだけがんばれと一応は応援しておく。直すにも費用がかかるのだ。
ナリアはつかつかとパルに歩み寄ると
「マスター。不肖ナリア=トムソン、今回ばかりはいい報告をしてやることができます」
と上からか下からかわからない言葉を投げかけてきた。
「ほう。教えてくれ」
「その前に」
ナリアは不敵な笑みを浮かべる。
「今日からあたしのことはナリア様と呼ぶこと」
「お前、それ嬉しいのか?」
「うむ、確かに。なら、晩ごはんは明日からしばらくお肉がいい」
「無茶を言うな。今のままなら肉は月に二回、いや一回だ」
「ならせめて詰所の雨漏りは直してください!」
「それはやるよ! 依頼なんてなくても!」
こんなに不憫な思いをさせていたのか。
パルの目頭が少しだけ熱くなった。すぐに直そう、雨漏り。
「じゃあ、まあいいや」
ナリアはケロッといつもの調子を取り戻す。
「こういうやりとりは必要なのか? いつも思うんだが」
「まあまあ。パルも名目上はこのギルドのマスターなんだからこういう従業員の愚痴に付き合うことも必要なの! 社会勉強!」
ナリアが握り拳をつくって気色ばむ。
「この下らんやり取りにそんな深い意味があったとは。今の今まで知らなんだわ」
「そういうこと」
「まぁ、いいや。ともかく本題に入ってくれ」
パルは先を促した。
「じゃあ、発表します」
ナリアが自慢げに薄い胸を張る。
「聞いて驚け、パル」
「ななな、なんだってぇえーー!!」
パルが大げさに仰け反って驚いて見せた。
「聞いてから驚け!」
ナリアが眉を吊り上げる。
「ごめんなさい。――こっちがふざけるのは許さないだからな」
「何か言った?」
「いえなにも。幻聴です」
「もう……。いい? あたし、見つけて来たんだよ!」
「何を?」
「新しい依頼だよ!」
それを聞いたパルは。
「へ~」
思わず抑揚のない返事をしていた。
待ち望んでいたものがいざ目の前に現れどう反応してよいか一瞬わからなくなったのだ。
「聞いたら驚け! 面白く! さん、はい!」
ナリアがリズムよくそう言ってパンと手を叩く。
「面白くはできねぇよ!」
パルが抗議の声が詰所に響き渡った。




