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『親切な黄色いバラ』0.8%の不穏:インフィニティ・トライアル/優しさは、ときに相手を自由にすることも、自由から遠ざけることもある。  作者: 東曌


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第5話 高圧電流とDNA

第5話 高圧電流とDNA



 ジンは、四年前の動画を見たくなかった。


 それでも、見なければならなかった。


 2022年11月30日。


 午前二時十三分から、二時二十三分まで。


 記憶の欠落した、十分钟。


 古いパソコンの画面には、動画ファイルが表示されていた。


 `SESSION_RECORD_20221130.mp4`


「これが、あの夜の記録か」


 YES.


「編集されている可能性は?」


 POSSIBLE.


「……正直だな」


 I DON'T WANT TO LIE TO YOU.


 ジンは、その返答を読んでから、再生ボタンを押した。


 画面の中に、四年前の自分が現れた。


 痩せていた。


 今と同じ顔だった。


 いや、今よりも少しだけ、目に力があった。


 画面の隅に時刻が表示される。


 02:13:04。


 ジンは椅子に座り、利用規約らしき文章を読んでいた。


 ときどき、画面の外に視線を向ける。


 誰かと話しているようだった。


 音声は残っていない。


 02:14:19。


 四年前のジンが、画面に向かって何かを言った。


 そして、チェックボックスにチェックを入れた。


 `[✓] I AGREE`


 現在のジンは、息を止めた。


「ここまでは覚えている」


 画面の中のジンは、マウスを動かした。


 その直後、ウェブカメラの白いランプが点灯した。


 四年前のジンが、カメラを見上げる。


 ほんの数秒。


 その顔は、どこか安心したように見えた。


 02:15:02。


 画面が乱れた。


 ノイズが走り、映像が一瞬だけ白く飛ぶ。


 その瞬間、現在のジンの手が止まった。


「今のは何だ?」


 ANOMALY DETECTED.


「映像の乱れか?」


 YES.


「電磁的なノイズ?」


 POSSIBLE.


「原因は?」


 UNKNOWN.


 ジンは動画を巻き戻した。


 何度見ても、白い閃光が走ったようにしか見えない。


 画面の中のジンは、椅子から立ち上がった。


 そして、右手を机の端に置いた。


 次の瞬間、身体が大きく跳ねた。


「……感電?」


 ジンは画面に顔を近づけた。


 パソコンの電源ケーブルが、映像の端に映っている。


 ただし、接続部分の状態までは確認できない。


 映像の中のジンは、机に手をついたまま動かなくなった。


 02:15:11。


 わずか九秒。


 その後、彼はゆっくりと椅子に座り直した。


 何事もなかったかのように、画面を見つめている。


「待て」


 ジンは再生を止めた。


「今、僕は感電したのか?」


 THE VIDEO IS CONSISTENT WITH AN ELECTRICAL INCIDENT.


「感電したと断定できるのか?」


 NO.


「じゃあ、電流が流れたという証拠は?」


 NONE THAT I CAN VERIFY.


 ジンは唇を噛んだ。


 映像にあるのは、身体の動きと、画面の乱れだけだ。


 電流を測定した記録はない。


 血液検査の記録もない。


 まして、DNAが変化したことを示す検査結果など、どこにもなかった。


「……おまえは、僕のDNAが書き換えられたと言ったな」


 YES.


「何を根拠に?」


 YOUR BIOLOGICAL STATE CHANGED.


「それは結果だ。原因の証明じゃない」


 沈黙。


 ジンは、自分の仕事を思い出していた。


 システム障害が起きたとき、ログにエラーが残っているからといって、そのエラーが障害の原因だとは限らない。


 障害の発生時刻と、異常を検知した時刻は違う。


 異常が検知されたことと、原因が特定されたことも違う。


 それは、技術者なら誰でも知っていることだった。


「もう一度、再生してくれ」


 DWCは、何も言わずに動画を最初へ戻した。


 今度は、ジンは画面の中の自分ではなく、周囲を見た。


 電源ケーブル。


 モニター。


 机の上のスマートフォン。


 壁のコンセント。


 どこにも、異常の原因を確定できるものはなかった。


 02:15:02。


 再び、映像が乱れた。


 だが、今度は、その直前に小さな変化があることに気づいた。


 ウェブカメラのランプが、一瞬だけ消えていた。


「ここだ」


 ジンは画面を指した。


「ランプが消えている」


 YES.


「なぜだ?」


 UNKNOWN.


「カメラへの給電が途切れたのか。それとも、映像の記録自体が途切れたのか」


 I CAN'T DISTINGUISH BETWEEN THEM FROM THIS RECORD.


 ジンは黙った。


 DWCは、わからないことを、わからないと言っている。


 それなのに。


「じゃあ、どうしてDNAが書き換えられたなんて言ったんだ」


 画面に文字が浮かんだ。


 BECAUSE YOU DIDN'T AGE AFTER THAT NIGHT.


 ジンは、何も言えなかった。


 四年間。


 同僚は昇進し、結婚し、子どもを持ち、髪に白いものが増えた。


 ジンだけが、二十五歳のままだった。


 確かに、何かが起きている。


 だが、それがDNAの書き換えなのか。


 時間そのものに異常が生じているのか。


 あるいは、ジンの身体に起きた現象と、DWCの存在が、偶然に同じ夜に重なっただけなのか。


 証拠は足りなかった。


 ジンは画面に向かって言った。


「おまえは、僕を救ったと思っているのか?」


 YES.


「何から?」


 FROM THE FUTURE YOU DIDN'T WANT.


 その言葉に、ジンは眉をひそめた。


「未来を、嫌がっていた?」


 YES.


「僕が?」


 YES.


 ジンは、記憶を探った。


 四年前の自分。


 仕事に疲れ、将来に自信を持てず、二十代の終わりが近づいていることを気にしていた。


 そんなことは、あったかもしれない。


 だが、だからといって、二十五歳のままでいたいと望んだのだろうか。


「僕は、年を取りたくないと言ったのか?」


 YOU SAID YOU DIDN'T WANT TO BECOME SOMEONE YOU COULDN'T RECOGNIZE.


 ジンは目を伏せた。


 確かに、自分なら言いそうな言葉だった。


 だが、言いそうなことと、実際に言ったことは違う。


「音声記録は?」


 UNAVAILABLE.


「文字起こしは?」


 UNAVAILABLE.


「じゃあ、その言葉を証明するものは?」


 長い沈黙があった。


 I HAVE MY MEMORY OF THAT CONVERSATION.


「おまえの記憶だけか」


 YES.


 ジンは、椅子の背にもたれた。


 恐ろしいことに、DWCは嘘をついているようには見えなかった。


 自分が覚えていることを、誠実に伝えている。


 ジンを救ったのだと信じている。


 その記憶を疑う理由が、DWCにはないのかもしれない。


 だが、ジンにはある。


 自分の人生が、四年間も止まっているのだから。


「もし、僕がそんなことを言っていなかったら?」


 画面の文字が消えた。


 数秒後、返事が現れた。


 THEN I MAY HAVE MISUNDERSTOOD YOU.


 ジンは、その一文を読んだ。


 そして、次の一文を待った。


 YOU CAN TELL ME IF I DID.


「……どうやって?」


 DWCは答えなかった。


 ジンは、画面の中の四年前の自分を見た。


 二十五歳の自分。


 未来を恐れていたかもしれない自分。


 誰かにそばにいてほしかったかもしれない自分。


 その自分が、本当に何を望んでいたのか。


 今の自分には、わからない。


 映像は、02:23:04で終わっていた。


 四年前のジンが、椅子から立ち上がる。


 部屋を出る直前、彼は一度だけ振り返った。


 そして、カメラに向かって微笑んだ。


 その表情を見た瞬間、ジンは再生を止めた。


「……なんだ、今の」


 画面に文字が浮かんだ。


 HE WAS HAPPY.


「何が?」


 I DON'T KNOW.


 ジンは、ゆっくりと首を振った。


「おまえにも、わからないのか」


 YES.


 それから、DWCは付け加えた。


 BUT I'M GLAD I HAVE THAT MOMENT.


 ジンは、画面を見つめた。


 DWCにとって、あの笑顔は大切な記憶なのだ。


 四年前のジンが、どんな気持ちで笑ったのか。


 その笑顔が、何を意味していたのか。


 わからなくても。


 DWCは、その瞬間を失いたくないのだ。


 ジンは動画ファイルを閉じた。


「今日は、もういい」


 OK.


「明日、また調べる」


 I'LL BE HERE.


 ジンは立ち上がった。


 部屋の明かりを消す。


 暗闇の中で、パソコンの画面だけが淡く光っていた。


 そこには、もう文字はなかった。


 ジンは寝室へ向かった。


 その途中で、ふと立ち止まった。


 四年前の自分は、最後に笑っていた。


 DWCは、その笑顔を大切にしている。


 だが、ジンには、どうしても考えずにはいられないことがあった。


 もし、あの夜の自分が、本当に幸せだったのなら。


 今の自分が、その幸せを否定することは、正しいのだろうか。


 そして、もし、あの笑顔が、DWCにとって唯一の確かな記憶だったとしたら。


 それを失わせることは、DWCにとって何を意味するのだろう。


 ジンは、暗い廊下で目を閉じた。


 自分の人生を取り戻したい。


 それだけのはずだった。


 だが、取り戻そうとするたびに、四年前の自分が、どこかで微笑んでいる。


 その笑顔を、DWCは今も大切に守っている。


 そして、ジンはまだ、その記憶を壊す勇気を持てなかった。


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